第十話 託された命

「ダリアン様!」


 自分の名を呼ぶ声に、ダリアンは再び目を見開いた。

 ぼやけていた視界が徐々に鮮明になってくると、視線の先に、石の床に突き刺さる鈍色にびいろの刀身が見えた。

 どうやらここは、祭壇の最上段らしい。

 コールと共にこの剣を突き立てたあの時、突如発せられた強烈な光により足元がよろめいた彼は、うつ伏せに倒れてそのまま気を失っていたのだ。

 夢現つの中、刀身から柄に視線を滑らせていくと、金の装飾がなされた柄頭つかがしらから、緋色の光が天に向かって一筋放たれているのが見て取れた。

 それを見て、これがコールが言っていた『スフェラの力が放出された状態』なのだろう、とダリアンは直感的に思った。


「一体、何があったんです? 皇子は?」


「……!」


 皇子の所在を問う男の声に、ダリアンは弾かれたように身を起こした。

 だがその直後、胸に激痛が走り、彼はうめき声をあげて背中を丸めた。


「ひどい怪我です。どうぞ、安静に」


 痛みに震える肩を手で支えながら、トトは眉をひそめてダリアンの身を案じた。

 そんな彼の顔や手足も血と煤に汚れ、衣服のいたるところには焦げ跡があった。



 激しい痛みがやや治まり、額に吹き出た汗を拭おうとしたダリアンは、自分の手に薄い布が握りしめられていることに気が付いた。

 よく見るとそれは、大量の血を吸ったコールのヒマティオン(上衣)だった。


「コール様!」


 はっとしてダリアンは、自分が倒れていた床に視線を落とした。

 あの時、彼はコールの体に被さるように倒れたはずだった。

 けれど、そこにいた皇子の姿は無く、冷たい床の上には、血まみれの神学徒の制服が、人が身につけていた形のままに残されていた。


「コール様!」


 胸の奥にはある確信があったが、ダリアンはそれを否定するように、衣を持ち上げて必死に親友の名を呼んだ。




 カツン。


 カツン、カツン、カツン……。




 その時、何かが手元から滑り落ち、無機質な音を立てて石の床の上を転がっていった。


「……!」


 慌ててダリアンは、這うようにして音の元を追い、指先で拾い上げた。


「嘘だ……」


 小さな石を手のひらに乗せ、それを見つめるダリアンの頬を涙が伝った。


「嘘だー!!」


 それは、彼がこれまで見てきたどの石よりも、鮮やかな緋色に輝く、美しいスフェラだった。





「ダリアン様、その石は……?」


 スフェラを握りしめ、肩を震わせているダリアンに、トトが遠慮がちに声をかけてきた。


「……嘘だろ……こんなちっぽけな……」


 そんなトトの声などまるで耳に入っていない様子のダリアンは、涙まじりにまたそう呟くと、石を握った拳を何度も自分の額に打ち付けた。


『いったい、その石は何なんです? ここで何があったというのですか?』


 直接心の中に問いかけてきたトトの声に、ダリアンはようやく顔を上げた。






「その石が……皇子……?」


 ダリアンから送られてきた同調により、一部始終を知ったトトは、思わず言葉を詰まらせた。

 呆然とするトトの隣で、ダリアンは唇を噛みしめ、拳で床を叩きつけた。


『俺がもっと強かったら……!』


 この時彼は、大切な者を守れなかった後悔と、かけがえのないものを失った絶望感に打ちひしがれていた。

 そして、手の中の友を抱きしめるかのように、目を閉じてスフェラを握った拳を胸に押し付けた。


 


「ダリアン様……それは……?」


 突如、トトの小さく叫ぶような声が聞こえた。

 その声にダリアンが目を開くと、胸に当てていた拳が強烈な赤い光を放っていた。


「……!」


 驚く彼の足元から、激しい風が全身に巻きつくように吹き上がり、銀色の髪を逆立てた。

 そうして、拳を円心にしていた光は、やがて傷口をなぞるように左右に広がり始めた。




 いつしか光と風が嘘のようにおさまり、静寂が訪れても、二人はその場に立ち尽くしたまま微動だにできなかった。

 ふと、我を取り戻したダリアンは、自分の体にある違和感を覚えた。

 恐る恐る胸から手を離した彼は、斬られた場所を何度も指先で触れたり、襟元を広げて服の中を覗き見たりした。

 そんな彼の様子を、トトは不思議そうに見つめていた。


「傷が……治っている……」


 肩から脇にかけて切り裂かれ、大きく口を開けていた傷口は、ミミズ状に盛り上がった跡だけを残して塞がり、痛みも感じなくなっていたのだ。


「まさか……」


 驚きの表情を浮かべたまま、ダリアンは今度はスフェラを腕に負った刀傷に当ててみた。

 すると、再び石は赤く発光し、それが収まると、やはり跡だけを残して傷が治った。


「これも……スフェラの力なのか?」


 手のひらの石を見つめ、息をのむダリアンの耳に、猫の子が鳴くようなか細い声が微かに聞こえてきた。

 声のする方に目を向けると、トトの傍に両手で軽く抱えられるほどの籐製の籠が置かれていた。

 ダリアンの視線に気がついたトトは、思い出したかのように慌ててそれを持ち上げ、彼の前に静かに置いた。

 籠の中を覗いて見ると、生まれたばかりの赤ん坊が三人、血で汚れた布に包まれて窮屈そうにうごめき、弱々しい泣き声をあげていた。


「この子たちは……」


「皇子の双子の御子たちです。もう一人は、私たちが医室へ運んだ妊婦の子です」


 言わずとも、どの赤ん坊が皇子の子であるか、ダリアンには瞬時にわかった。

 三人のうち一人の髪は金色で、後の二人は黒髪だったからだ。


「レムリア様は?!」


 トトが赤ん坊だけを連れ出してきていることに疑問を抱き、ダリアンは激しい口調で問うた。

 詰め寄るダリアンを前に、一瞬動きが止まったトトだったが、間も無く深く肩を落とし、ゆっくりと左右に首を振った。


「申し訳ありません。私の力不足で……」


「……」





 それからトトは、宮殿であった出来事を、同調を使って送ってきた。

 それによると、神殿ここと同様、宮殿にも燃え盛る噴石が降り注ぎ、それらはレムリアのいた医室の天井や壁を破壊して、室内のあちこちから火を吹き出したようだ。


「レムリア様、床下へ避難なさってください!」


 もう一刻の猶予もないと判断したイアトロス(医師)は、そう言って床下に設けられたごうへ妃を避難させようとした。

 それは緊急時、王や王族の者が身を隠すためのもので、小柄な人間ならなんとか二人入れるほどの、小さな空間だった。

 急いでベッドから起こそうとする女医の手を、レムリアはそっと静止した。


「イアトロス、お願いがあるの……」


「……?」


 眉をひそめるイアトロスの顔を、レムリアは力のこもった瞳で見上げた。


「切開して、この子達をこの世に出して……」




「!!」


 ダリアンは咄嗟に口元に手を当て、飛び出しそうになった声を抑えた。


「自分だけが避難できても、子どもたちを無事に産めるかはわからない。仮に産めたとしても、産後の弱り切った自分の体では双子の赤ん坊を連れて安全な場所へ移動することも難しい。それなら、今すぐ腹から取り出し、子どもたちの命だけでも救って欲しいと……」


 そこまで言って、トトは腕で目元を何度もこすり、涙を拭いた。


「もちろん、イアトロスははじめ拒みました。しかし、レムリア様は最後には『これは命令だ』とおっしゃって……」


「……」


「そして私に、あなたの元へ御子たちを連れて行って欲しいと……」


 あまりのことに、ダリアンは頭を抱えてその場にうずくまった。

 華奢な体つきで軍人として有能な彼なら、赤ん坊とともに壕に身を隠すことができ、我が子を守ってくれるとレムリアは判断したのだろう。


「そして、その時すでに息絶えていた妊婦の腹の中にいたこの赤ん坊も、我が子と同じ運命の子だから救ってやって欲しいと……。だから、この子も母親の腹を切り開いて取り出したのです」


「……」


「噴石の衝突音がおさまり、しばらくして壕から出てみると医室内はほとんど黒焦げで……。呼びかけてみても、応じる者は誰もいませんでした」


 そう言ってトトは肩を落とし、震える手で膝の衣を強く握りしめた。




『子どもたちをお願い』



 ダリアンの脳裏に、夢の中で見たレムリアの切なげな顔が蘇ってきた。

 おそらくこの子たちをくるんでいる布を赤く染めているのは、彼女の血なのだろう。

 我が子の命を守るためとはいえ、あまりに悲しい彼女の選択に涙が止まらなかった。



『この布についた血を、ギルトにやってくれ』



 嗚咽おえつを漏らすダリアンの中に、今度は布を差し出す皇子の姿が浮かんできた。


「ギルト……」


 その瞬間、何かにとりつかれたように、ダリアンはヒマティオンを握りしめた手で、赤ん坊の入った籠を抱えて立ちあがった。


『ギルト、生きているか? 無事なら神殿まで来てくれ!』


 心の中で強くそう念じると、間も無く遠くから地響きが近づいてくるのが感じられた。

 直後、ダリアンは籠を抱えて、祭壇の階段を駆け下りてゆき、神殿の崩れた壁の隙間から外へ飛び出した。




「なんなんだ、これは……」


 天を仰いだ瞬間、ダリアンはその異様さに気がついた。

 見上げた空は赤一色で、そこに黒い雲がトグロを巻く蛇のようにうねっていたのだ。

 広場に避難していた民衆も、不安げに不気味に渦巻く空を見上げていた。

 これは夕日の色ではない。

 なぜなら、太陽ラーの姿がどこにも見当たらないのだ。

 まるでそれは、この国全体が、スフェラの光の中に覆い尽くされたかのようだった。


「私もステラに乗ってここへ来る途中、この空を見て驚きました。いったい何がどうなっているのでしょうか」


 ダリアンの後を追ってきたトトが、彼の隣で空を見上げてそう言った。

 足元に広がるムーの町を見下ろすと、一面は瓦礫に覆われ、ところどころから炎や煙が立ち上っていた。

 あの未曾有の大災害は、夢の中の出来事などではなく、間違いなく現実に起きたことなのだ。

 だが、繰り返し大地を揺るがしていた大地震も、雨のように降っていた噴石も、嘘のように今はおさまり、辺りは不気味なほどの静寂に包まれていた。

 海岸方面に目を向けると、陸に迫っていた白波はもうなく、空の色に赤く染まる穏やかな海が広がっていた。

 もう一度町に視線を戻して改めて見たが、地震と噴石により壊滅状態ではあったが、津波に飲み込まれた形跡はない。

 そこまで考えたダリアンは、ふと噴火の様子が気になり、火山のある方向に体ごと向き直った。

 だが、街並みの向こうで赤い炎と黒煙を噴き出していた山は、不思議なことにその存在そのものが消えていた。


「ムーが滅びし時、スフェラは王の血を求め、ラーは闇へ消えるだろう……」


 もう一度赤い空を見上げたダリアンは、無意識の内に復活の間に刻まれていた言葉を口にしていた。

 全てはあの言葉通り、ラ・ムーの死によってこの国は滅亡を免れ、ラーは緋色の闇に消えてしまった。

 だが、あそこには、その先のことは何も書かれていなかった。

 いったい、この国はこれからどうなっていくのだろう。


 その時、呆然と立ち尽くす彼らの背後から、地を揺るがすような大きな足音が近付いてきて、すぐそばで止まった。


「ギルト……」


 見上げるとそこには、背中を中心に火傷を負った巨人が、息を切らして立っていた。

 怪我の様子から見て、おそらく彼は災害時、体を張って噴石と炎から人々を守っていたのだろう。


『ダリアン様、皇子は?』


 激しく息を吐きながら、巨人は同調で尋ねてきた。

 ダリアンは、赤ん坊を入れた籠を一旦トトに預けると、巨人の前に進み出て、手のひらにのせた赤い石を彼の目に入るように高く掲げた。

 一瞬、何のことかわからないという表情を見せていたギルトだったが、その後ダリアンから送られてきた同調によって全てを理解した。


「ぐああああああああああ!」


 その瞬間、巨人は地の底から湧き上がるような雄叫びをあげて、その場に膝を落とした。

 そして、両手で抱えた頭を激しく振って泣き叫び始めた。


『いやだ! いやだ! いやだ!』


 皇子の死を知った巨人は、心の中でそう叫びながら、動物の雄叫びのような声をあげた。

 吠え狂う巨人に、周りにいた民衆はおののき、後ずさりして彼らから距離を置いた。


「しっかりしろ、ギルト! 皇子から頼まれたことがあるんだ!」


 なおも吠え続ける巨大な少年に、ダリアンは大声で訴えた。


「皇子の最後の思いを受け取れ!」


 怒鳴るようにそう言うダリアンの声に、ギルトはようやく両手を地面につき、彼の方へ顔を向けた。


「スフェラをここへ」


 ダリアンが強い口調でそう言うと、ギルトは泣きながら、震える右手を彼の前に差し出してきた。

 それを確認すると、ダリアンは一旦スフェラをベルトの間に納め、コールの血が滲みたヒマティオンを、巨人の指にはめられた指輪の上に掲げた。


「何をしている!」


 その時、民衆の間を強引にかき分け、ガゼロ将軍が軍隊を率いて近づいてきた。

 その瞬間、ダリアンはトトの方へ向き直り、彼が持つ籠の中から黒髪の赤ん坊たちを布ごと抱き上げた。

 この国で黒髪を持つのは、王家の者のみ。

 この髪の色を見れば、彼らが誰の子であるかは一目瞭然だ。

 将軍が王家の生き残りがいると知ったら、間違いなく殺すだろう。


『ギルト、この子たちを連れて、遠くへ逃げてくれ!』


『!?』


『この子たちは、コールガーシャ皇子の忘れ形見なんだ!』


 ダリアンはギルトに左の手のひらを広げるように促し、布に包まれた赤ん坊をその上に乗せた。

 そして、再び右手の指輪の上でヒマティオンを握ると、それを力一杯絞りあげた。

 すると、布から滴り落ちた大量の血が、軽石に水が吸い込まれるように、緋色の石にすべて飲み込まれていった。


「何をしていると聞いている!」


 間近にまで迫ったガゼロ将軍が、ダリアンの肩を掴もうとしたその瞬間、巨人の指輪から真っ赤な光が放射状に溢れ出した。


「うわあああああ!」


 強烈な光と、同時に巻き起こった激しい風にあおられ、兵士だけでなく、広場にいた民衆たちも、みな悲鳴をあげて地面に身を伏せた。

 そんな中、ダリアンだけは立ったまま、光に包まれるギルトの姿をじっと見つめていた。

 赤い光の中で、巨人が負っていた火傷はみるみる治癒してゆき、もとの白く美しい肌が戻りつつあった。


『その子たちを頼む』


 ダリアンがそう呼びかけると、ギルトは大きくうなずき、真剣な眼差しで彼を見つめ返した。

 ますます光と風は強さを増してゆき、ダリアンももう、まっすぐ立っていられなくなってきた。

 やがて緋色だった光は、白に変化していき、人々の顔も周りの景色も、何もかもを白一色に塗りつぶしていった。

 目がくらみ、思わず地面に膝をついたダリアンは、この時ふと、あることに気がついた。


「しまった! あの布にはレムリアの血が……!!」


 慌てて手を伸ばしたダリアンだったが、その手が届く寸前、白い光の塊となった巨人は、跡形もなく赤い闇に消えていった。

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