第十一話 抜けない剣
ダリアンは、その場にうずくまり、両手で頭を抱え込んだ。
ギルトと双子の赤ん坊が、どこへ行ってしまったのかはわからない。
だが、ギルトに血を与えることは、夢の中でコールが望んでいたことだった。
きっと、彼らはどこかで生き延びてくれている。
確証は無かったが、そんな確信が彼の中にはあった。
でももし、レムリアの血がスフェラに付いてしまったら……。
スフェラが力を失えば、ギルトは生きていけなくなる。
そうなれば、コールの子ども達も……。
咄嗟のことだったとはいえ、己の不覚さに、ダリアンは悔やんでも悔やみきれない思いでいた。
「貴様、何者だ」
その時、背後から野太い男の声が聞こえてきた。
振り返って見ると、ガゼロ将軍がトトの顔と彼が手にしている籠の中を交互に覗き見ていた。
「何なんだ。この赤ん坊は」
「オレは漁師のトトです。この子はオレの姉の子です。こいつを産み落としてすぐに、姉ちゃんが家の下敷きになっちまって……」
不審そうに見つめる将軍に向かって、トトは今にも泣きだしそうな表情を浮かべて言った。
その顔は意外に幼く、彼がまだ少年と呼ぶのにふさわしい年齢だったのだと、改めて気付かされた。
それと同時に、先ほどまでの緊張感のある軍人としての顔ではなく、瞬時に年相応の少年を装うトトに、ダリアンは密かに舌を巻いていた。
「漁師?」
将軍は改めて目の前に立つ少年の全身を、舐めるように見つめた。
どうやら諜報員であるトトは、軍部にも顔が知られていないようだ。
日に焼けた肌と、丈の短い簡素な衣。
その様相を見れば、彼が漁師を生業としているということに疑いを持つ者はまずいないだろう。
コールから手渡され、腰に挿していたはずの剣も、いつの間にかどこかへ隠してきたらしい。
彼のことを、コールが『有能』と言っていた理由が、この時わかったような気がした。
なおも疑い深げに見定めていた将軍だったが、しばらくするとようやく納得したのか、ふんと鼻を鳴らして少年に背を向けた。
「ガキは、さっさと失せろ」
トトが赤ん坊の入った籠を抱えて、その場から足早に去っていくと、将軍はダリアンの方へ向き直り、今度は彼のそばへ近付いてきた。
直後、兵が何重にも壁を作り、人々の視線から二人を遠ざけた。
彼らも、神に近い存在と崇められている神官に乱暴をはたらけば、民から反感を買うことを知っているのだ。
「ネフレムをどこへやった?」
自分たちの姿が民衆から見えなくなったことを確認すると、将軍は分厚い唇を歪めてそう言い、ダリアンの胸ぐらを掴みあげた。
「……わからない。俺は……スフェラに皇子の血を注いだだけだ」
太い腕で首元を締め上げられ、ダリアンは声を詰まらせながら苦しげに答えた。
「皇子の?」
次の瞬間、何かに気付いた将軍は、ダリアンの体を地面に突き飛ばし、仰向けに倒れた彼の襟を掴んで、胸元の衣を引き裂いた。
「貴様、深手を負って死にかけていたはずでは?」
彼の胸の傷がすでに塞がっていることに将軍は驚き、目を大きく見開いた。
「まさか皇子も生きているのか? 皇子はどこにいる?」
そう言って、将軍は再びダリアンの胸ぐらを掴み上げた。
巨漢に持ち上げられ、ダリアンのつま先が宙に浮いた。
「皇子は……お前たちが殺したんだろうが!」
息苦しさに顔を歪めながらも、ダリアンは怒鳴るようにそう言って将軍を睨みつけた。
「本当に死んだんだろうな?」
将軍はさらに彼の体を高く持ち上げ、強く喉を締め上げた。
スフェラの正体を、この男に知られるわけにはいかない。
だが、遺体が見つからなければ不審に思い、しつこく皇子の居所を追及してくるだろう。
気を抜けば今にも飛んでしまいそうな意識の中で、ダリアンは目の前にいる男を納得させられる言い訳を必死に探していた。
『ダリアン様』
その時、ダリアンの中にトトの声が響いてきた。
そしてその後、彼が語った内容を理解すると、ダリアンは心の中で大きく頷き、挑戦的な目を将軍に向けた。
「疑うのなら、神殿の中の死体を調べてみるがいい」
神殿に戻ったトトは、傷みが激しく個人の特定が難しい遺体に、コールの服を着せたと伝えてきたのだ。
視線を逸らさないダリアンの様子から、その場しのぎの言葉ではないと判断したのか、将軍は彼の襟元を掴んだまま背後にいた兵士の方へ振り返り、皇子の安否を確認してくるように命じた。
「貴様ら神官は、得体の知れん術を使うからな。信用ならん」
忌々しげにそう言って、彼は再びダリアンの体を力いっぱい突き飛ばした。
勢いで地面に胸を叩きつけられ、ダリアンはうめき声をあげてうつ伏せに倒れた。
「ここでこいつを殺すのはまずい。ひとまず牢に閉じ込めておけ」
その言葉を合図に、二人の兵士に両脇を抱えられ、ダリアンは引きずられるように神殿の中へ連れて行かれた。
その後、神殿の地下にある牢に、ダリアンは閉じ込められた。
足首には鉄輪がはめられ、そこから繋がる鎖が、岩肌がむき出しの壁に打ち付けられていた。
鉄格子の向こうには、鎧で身を固め、大きな槍を手にした見張りの兵が背を向けて立っている。
牢の中に明かりはなく、廊下の壁に掛けられた松明の炎が、遠くからぼんやりとダリアンの横顔を照らしていた。
『これからこの国はどうなるのだろう』
暗い牢の奥の壁際で、ダリアンは膝に顔を埋め、唇を噛み締めた。
『なんで俺だけが生き残ってるんだよ』
辛うじてムーは滅亡を免れたが、彼にとって大切な人たちはみんな死んでしまった。
ラ・ムーも、父アルデオも、コールも、そして、レムリアも……。
彼自身もこうして捕らえられ、いつ殺されてもおかしくない。
『いっそ、早く殺してくれ』
絶望的な状況に、投げやりな気持ちになりかけた時、脇腹のあたりに熱いものを感じた。
ベルトの間にスフェラをおさめていたことを思い出し、取り出してみると、小さな赤い石は、ほのかな熱を持って淡い光を放っていた。
『強く生きろ』
穏やかで温かなその光は、そう言って彼を勇気付けてくれているように見えた。
『コール様……!』
思わず石を握りしめ、ダリアンはその拳を額に押し付けた。
その時、ガチャガチャと鉄がぶつかり合う音がして、背後に兵を引き連れた、甲冑姿の男が牢の前に立ち塞がった。
ダリアンは慌てて、目立たぬように再びスフェラをベルトの間に押し込んだ。
背中から松明の炎を浴びた黒い影は、目だけをギラギラと光らせながら、うずくまるダリアンを見下ろしていた。
「おい。出ろ。貴様に用がある」
野太いその声の主はガゼロ将軍だった。
手首を縛られ、腰に鎖を巻かれたダリアンは、兵士に蹴られるようにして地下から続く階段を上がり、神殿の広間へ連れて行かれた。
改めて目にした神殿の内部は、噴石によって壁や天井のあちこちが崩れ落ち、床の上には焦げ跡のある瓦礫が散乱していた。
そんな足元の悪い中を、ダリアンは兵士に引かれ、時折つまづきそうになりながら歩いて行った。
ふと顔を上げると、天井に空いた穴の向こうに、相変わらず赤く渦巻く空が見えた。
あれからずいぶん時間が経っているはずなのに、その色に変化はない。
ラーが消えた空は、もう、昼と夜の区別もないのかもしれなかった。
広間の奥に設けられた巨大な祭壇も、ところどころ破壊されていたが、ラーを象った黄金の像だけは、奇跡的にほぼ無傷で、災害前と同じ姿でそこに立っていた。
その像の足元では、コールとともに突き立てた剣が、先ほど同様、柄から赤い光を天に向かって一筋放ち続けていた。
ダリアンを取り囲む兵らの先頭には、ガゼロ将軍が歩いている。
赤いマントを翻して闊歩する巨漢の背中を、ダリアンは憎しみを込めた目で睨みつけていた。
やがて、祭壇の裏側へ回り、足を止めた将軍は、そばにいた兵にダリアンの鎖を解くように命じた。
「ここを開けてくれんか。大神官殿」
悪意を込めた口調でそう言いながら、将軍が『復活の間』の入り口がある床を指さすと、彼の背後から銀色の杖を手にした兵が現れた。
同時に、別の兵が白装束を纏った男を、将軍の隣に引きずり出してきた。
「ここには大量のスフェラが埋まっているそうではないか」
不敵な笑みを浮かべた将軍は、白装束の男をダリアンの足元に向かって蹴り飛ばした。
「!!」
慌てて抱き起こしてみると、それは神殿に仕えるまだ年若い神官だった。
青年の顔は原型を留めないほど大きく腫れ上がり、ボロボロに裂けた神官服はおびただしい血で汚れていた。
おそらく、この地下室のことを聞き出すために、執拗に痛めつけられたのだろう。
「スフェラを、どうする気だ?」
意識のない神官を胸に抱いて支えながら、ダリアンは血走った目で将軍の顔を睨み付けた。
「ネフレムは消えてしまったが、まだ翼竜がいる。わしの血をくれてやる代わりに、やつらを繁殖させ、兵器として従わせるさ」
将軍が右手を高く上げると、そばにいた兵士がダリアンの両脇を抱え、神官の体を引き剥がした。
「愚かな。お前の血などスフェラが受け入れるものか」
声を荒げるダリアンの手に、将軍は無理やり銀の杖を押し付けてきた。
「そのようなこと、やってみなければわからぬだろう?」
両手で杖を握り、奥歯を噛み締めるダリアンの前で、将軍は先ほどの神官の襟首を掴み上げ、首筋に剣先をぺたりと付けた。
「つべこべ言わずにさっさとそこを開けろ。
人質をとられたダリアンは、怒りに震えながらも、杖を持って地下への入り口がある床の上に立った。
しばらくは
「?」
だが、いくら先を回そうと力を入れても、杖は床に突き刺さったまま、ビクとも動かなかった。
「何をしている!? 早くせんか!」
動きが止まった彼に、将軍は苛立ち、神官の首に刃を押し付けて怒鳴った。
「あの剣からスフェラの力が放出している間は、ここは開かないのかもしれない」
直感的にそう思ったダリアンは、そう呟いて天井に向かって放たれている赤い光を見上げた。
その呟きを耳にした将軍は、神官の体を投げ捨て、兵らに向かって声を荒げた。
「おい! 誰か、あの剣を抜いてこい!」
その声に押し出されるように、数人の兵が祭壇の正面に向かって走って行った。
そんな兵士らの後ろ姿を、ダリアンは冷めた目で見つめていた。
「無駄だよ。おそらくあの剣は、王家の者にしか抜けない」
「そんな馬鹿なことがあるか。あんな刃先しか刺さっていないようなもの、簡単に……」
ダリアンを睨み付ける将軍の背後から、叫ぶような兵士の声が聞こえてきた。
「将軍! 抜けません!」
「馬鹿な!」
将軍は怒りに顔を赤く染めて、祭壇の前に回り、正面の階段を駆け上がって行った。
「役立たずめ。どけ!」
最上段でたむろう兵士らを払いのけ、将軍は自ら剣の柄を握り、満身の力を込めた。
だが、腕の血管が浮き出るほど力を込めても、やはり、コールの剣はびくとも動かなかった。
「くそ! そいつをここに連れてこい!」
将軍が祭壇の裏に向かって大声を上げると、ダリアンのそばにいた兵士が、「行け」と言って背中に剣を突きつけてきた。
「お前もやってみろ」
ダリアンがラーの足元まで連れてこられると、将軍は彼を剣の前に立たせて、強引に柄を握らせた。
大神官である彼なら、もしかしたらこの剣を抜けるかもしれない。
腰をかがめた大男は、そんな期待を込めて、床に刺さった刃先を凝視した。
ダリアンには、こんなことをしても無駄だという確信があったが、この男が納得するならと思い直し、手に力を込めた。
だが予想通り、彼の手をもってしても、剣は微動だにしなかった。
「くそ! こんなことなら、皇子を生かしておくべきだった!」
将軍は歯ぎしりをして、その場で地団駄を踏んだ。
この様子を見ると、どうやらあの後、神殿内で神学校の制服を身につけた遺体を見つけ、この男も皇子の死を結論付けたらしい。
そのまましばらく頭を抱えていた将軍だったが、ふと何かを思い出したのか、はっと顔を持ち上げて、そばにいた兵士に詰め寄った。
「たしか、妃が皇子の子を孕んでいたな。あの女はどうなった? 子どもは生まれたのか?」
掴みかからんばかりの勢いで問い詰める将軍に、兵士は後ずさりしながら首を左右に大きく振った。
「宮殿はここ以上に壊滅状態で、生き残っている者はいないでしょう。おそらく、妃も……」
「くそ!!」
将軍は吠えるような声を上げ、両手の拳を思い切り床に叩きつけて悔しがった。
そんな愚かな男の後ろ姿を、ダリアンは相変わらず冷めた目で見つめていた。
「?」
やがて、何気なく剣が刺さる床へ視線を落としたダリアンは、そこに何かが刻まれていることに気がついた。
よく見るとそれは、『復活の間』で見たものと同じ、今は使われていない古代の文字だった。
「これは……」
その文字が語る意味を解読した彼は、目を大きく見開いた。
その時、ようやく気をとりなおしたのか、将軍がその場に立ち上がり、ダリアンを指差しながら大声をあげた。
「剣が抜ければ、またこいつが必要になる。もう一度、牢に閉じ込めておけ!」
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