第十五話 神(ゴッド)
気がつくと、ガゼロは冷たい床の上に横たわっていた。
ゆっくりと頭を持ち上げて周りを見回してみたが、そこはがらんとして何もない空間だった。
鈍く光る銀色の壁には、窓もドアもない。
床も、天井も、同じ質感のものに覆われていて、重力がなければ天地がどこなのかさえわからなくなりそうだ。
室内には風はもちろんのこと、かすかな匂いさえ感じられない。
気温までもが適温に保たれていて、存在感を示してはいなかった。
「×××××××××」
突然、室内に低い男の声が響いて、ガゼロは思わず肩をびくつかせた。
声のした方へ振り返ると、長身の男が感情のない顔で彼を見下ろしていた。
焦げ茶色の髪を肩まで伸ばした細身の男は、軍服を思わせる白いロングコートを身につけていた。
年の頃は40代なかばくらいか。
髪には所どころ白いものが見られ、肉が落ちて張り出した頬骨が、顔の左右に影を落としていた。
「×××××××××」
再び、男が何か言葉を発したが、ガゼロにその意味は理解できなかった。
「た……助けてくれ……」
声を震わせて尻で後ずさりする老人に、長身の男は静かに右の手のひらを向けてきた。
ダークブラウンのその双眸は、磨き抜かれた剣先のように冷たい光を放っていた。
(黙っていろ)
無言の圧力を感じた老人は、慌てて口を両手で塞いだ。
ガゼロがおとなしくなったことを見定めると、男は目を閉じて手の先に念を送り始めた。
すると、彼の手から淡いブルーの光が、湯気のように立ち上り始めた。
やがてゆっくりと両目を開いた男は、ほんのりと青く光る手のひらを、ガゼロの方へ向けて近付いてきた。
男の手から放たれる光は、時が経つほどに強さを増してゆき、銀色の壁や床に反射して、室内全体を青く輝かせていった。
「うっ!」
強烈な光が眼前に迫り、ガゼロは思わず目を固く閉じた。
そんな老人の額に、男は無言のまま光る手をかざし始めた。
前頭部、後頭部、側頭部。
周囲をゆっくりと移動しながら、男はあらゆる方向から老人の頭に手をかざしていった。
ひとしきりその動作を繰り返した男は、なおも光り続けている右手を自分の額に向けて、静かに目を閉じた。
すると青い光は、今度は男の額に向かって一直線に伸び始めた。
恐る恐る目を開けたガゼロの眼前に、生き物のようにうねる光が、男の額へ吸い上げられていく情景があった。
あわあわと口を動かす老人の前で、やがて光は全て男の額へ飲み込まれ、室内はもとの無機質な銀色の空間に戻った。
だが、その後も男は頭の中で何かを処理しているのか、額に指先を当てて、無言のまま目を閉じ続けていた。
どれだけの時が経っただろう。
もしかすると一瞬だったのかもしれないが、ガゼロにはとても長く、息が詰まるような時間に感じられた。
そんな時を経て、ようやく男の瞳がゆっくりと開いた。
「お前は何者だ」
先ほどとは違い、男は老人が聞き慣れたムーの言葉を口にした。
「言葉が通じるのか……?」
「お前の脳内にある言語に関する情報を全てスキャンした。それを文脈から我々の言語と照合したんだ」
「……?」
男の言っている意味が理解できず、老人は惚けた顔をして首を傾げた。
そんな彼の様子に、男は見下したような目をして深いため息をついた。
「まあいい。説明したところで、お前の頭では理解できんだろう」
そう言って男は、老人の前に片膝を立てて跪いた。
その瞬間、彼の背を覆う白いマントが大きく翻った。
「お前のいた場所に、黒髪に緑色の瞳をした少女はいなかったか?」
「黒髪に緑の瞳? ……もしかして、メシアと共に現れた女のことか?」
「メシア?」
老人の口から出た言葉に、男は眉をかすかにひそめた。
「昔、俺が殺した皇子の息子だとか、生まれ変わりだとか言われてるガキだよ。確かそいつも黒い髪をしていた。あの国で黒髪は王家の血筋だけだからな。そいつと一緒に現れたその女も、皇子の娘だと言われていたよ」
「……」
老人の話を聞きながら、男は乾いた唇を指先でなぞった。
「もしかしてそのメシアは、グレーがかった青い瞳をしていなかったか?」
男からの問いに、しばし記憶を探った老人だったが、間もなく膝を打って顔を上げた。
「そうだ。死んだ皇子と同じ色だ。間違いない」
「……」
表面上変化は見られなかったが、男がかすかに息をのんだのを、ガゼロは見逃さなかった。
「スフェラという石のことを、何か知っているか?」
しばらくの沈黙の後、男は抑揚のない口調で別の問いを投げかけてきた。
「……スフェラ」
男が口にした意外な言葉に、今度はガゼロが思わず息をのんだ。
だが、ふと何かを思い直した老人は、不敵な笑みを浮かべて、男の顔を上目遣いに見つめた。
「あんた、スフェラを探しているのかい?」
「……」
「俺は、あの石が大量に眠っている場所を知ってるぜ」
下心を察した男は、汚らわしいものを見るような目で老人を見下ろした。
「スフェラには、
続けて男が尋ねてきた内容に、ガゼロは大きく目を見開いた。
「ネフィリム? ああ、ネフレムのことか」
「……」
「本当さ。もっとも、最後の生き残りは、十六年前……もう十七年になるか……皇子の双子の子供たちともども、どこかへ消えちまったがな」
「双子……」
「その時の双子が、メシアとあんたが探してる黒髪の女なんだってよ」
男は再び無表情のまま、言葉を失った。
それを見て、ガゼロは口の端を歪ませてニヤリと笑った。
「スフェラには、翼竜を生きながらえさせる力もある。翼竜なら、まだあそこに三十頭以上はいるはずだぜ」
「……」
「ただし、スフェラの力は三ヶ月ほどで枯れちまう。だから、枯れる前に注がなきゃいけねえんだよ」
「注ぐ? 何を?」
(かかった)
その瞬間、ガゼロは自分が話の流れを支配したことを確信した。
このまま、この男の興味を引き続けることができれば、スフェラの秘密を握る自分は、命拾いするだけでなく何か利益をも得られるかもしれない。
「血だよ。スフェラは、王家の人間の血を吸って生きているんだ」
「血……」
そう呟いた直後、男がごくりと唾を飲む音が聞こえた。
「だから、スフェラの力を自分のものにしたければ、王家の生き残りである双子のどちらかも、生け捕りにしなくちゃならねえ。なんなら、俺があんたの力になるぜ」
「……」
ガゼロが本心を露わにした瞬間、男の顔に嫌悪感が漂った。
その顔から、交渉が決裂することを恐れたガゼロは、慌てて男の機嫌を取ろうと言葉を探した。
「それにしても、俺を乗せてきたあの空飛ぶ船はなんだい。あんなもの、見たことがねえ。どうやらここは、かなり文明が進んだ国のようだが、あんたはここの王様なのか?」
ペラペラと早口で話す老人を避けるように、男は背を向けて壁に向かって歩き始めた。
このまま、この男をこの場から去らせるわけにはいかないと、ガゼロは焦りを感じながら話を続けた。
「なんなら俺とあんたで手を組んでさ。ムーを丸ごと俺たちのものにしねえか? 王様」
その瞬間、男の動きがぴたりと止まり、再び老人の方へ振り返った。
一瞬男を繋ぎとめられたと思ったガゼロは、ほっと安堵のため息をついた。
「国? 王? 何をたわけたことを」
怒りがこもった鋭い視線に恐怖を感じ、ガゼロは思わず言葉を失った。
「私が支配するのは世界だ」
「……世界?」
地球という概念のないガゼロには、彼が言う世界の規模は計り知れなかったが、この男が何かとんでもないことを企んでいるということだけは肌で感じられた。
「……あんたは一体……?」
「私……?」
味わったことのない得体の知れない恐怖に声を震わせる老人のそばへ、男は再び静かに歩み寄ってきた。
そして身を屈めた男は、ガゼロの耳元に氷のような視線と唇を寄せ、腹に響く低い声で呟いた。
「私は
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