第三章

第一話 AI

 緑が生い茂り、色とりどりの花々が咲き乱れる庭園を、純白のワンピースを身につけた美女が、笑い声をあげながら走っていく。

 時折立ち止まり、振り返るたび、彼女は白い腕を高く掲げて手招きをする。


「早く、早くここまで来て。リチャード」


「ちょっと待ってくれよ、マリア。僕はまだこの世界に慣れていないんだ」


「ふふふ」


 泣き言を言う恋人に微笑んで見せると、マリアは再び軽やかに踵を返して走り出した。

 陽の光に照らされ、琥珀色にきらめく柔らかな髪が、彼女の動きに合わせてふわふわと揺れる。


「待てって」


 リチャードは手を伸ばして、必死に彼女を追いかける。

 だが、なかなか思うように足が進まず、その手は虚しく宙を掴むばかりだった。


「ねえ、リチャード」


 不意に耳元でマリアの声がして、リチャードはとっさに振り返った。

 すると、さっきまではるか前方にいたはずの彼女が、彼のすぐ後ろにいた。


「私、あなたに伝えたいことがあったの」


 マリアはそう言って、寂しげに微笑んだ。


「ベイビーができたこと。黙っててごめんなさい。あなたのバースデーまで、サプライズにとっておきたかったの」


「マリア……」


「ごめんなさい。私、この子も一緒に、こっちへ連れてきちゃった……」


 愛しげに下腹を撫でながら、マリアはポロポロと涙を流し始めた。

 いたたまれず伸ばしたリチャードの手は、何の抵抗も感じられないまま、彼女の体をすり抜けた。


「愛しているわ、リチャード。誰よりも」


 愕然と自分の手を見つめるリチャードの前で、マリアは少し寂しそうに微笑みながら言った。


「でもね。私はもうこの世にいないの。だからこれからは、私以外の誰かと生きて……」


「いやだ!!」


 リチャードは叫びにも似た声をあげて、彼女の腕に再び手を伸ばした。

 だが、儚げな微笑みをたたえたまま、彼女は彼の前から徐々に遠ざかっていく。


「マリア!! 待ってくれ!! 行かないでくれ!!」




「心拍数が急増、血圧も異常に上がっています。博士、このままでは危険です」


 言葉の内容とは裏腹に、抑揚のない女の声が、スピーカー越しに室内に響き渡った。


「投影を遮断」


 直後、落ち着きのある男の声が、同じくスピーカー越しに響いた。


「投影を遮断」


 男の言葉を女が反復すると、リチャードの視界が一瞬で暗闇に変わった。

 同時に意識も途絶え始め、立っていられなくなった彼は膝から崩れるように倒れた。


「救護班を呼べ」


「はい。救護班、今すぐエリア52の294実験室へ……」


 男の指示に従い救護要請を出す女の声が、リチャードの中で遠退いていった。





「やはり、虚像だけを見せても、人の心は癒せないのではないでしょうか」


 白衣を身に纏い、銀縁の眼鏡をかけた青年は、ライトによって丸く照らしだされた、白い床の上に立っていた。

 彼の足元には、目元を黒いゴーグルで覆った若い男が倒れている。

 そんな男の姿を、白衣姿の青年は、同情するような瞳で見下ろしていた。


「だから我々は、精巧なアンドロイドを作ろうとしているんじゃないか。虚像ではない、現実に触れて言葉も交わせるアンドロイドを。これは、その頭脳部分を司るAI(人工知能)の完成度を測るための実験なんだよ」


 照明の外側から同じく白衣に身を包んだ初老の男が現れ、倒れている男のかたわらに腰を下ろした。

 男の目元からゴーグルを外した初老の男は、青年の顔を見上げて目を輝かせた。


「君が開発したAIは素晴らしい。この男を愛する人にもう一度会わせてやったんだよ」


「……」


 興奮気味に話す男とは対照的に、白衣の青年は複雑そうな表情を浮かべて、その場に立ち尽くしていた。


「さっきのこの男の行動を見ただろう? 前もってVR(仮想現実)だと伝えていたにもかかわらず、彼女に触れようとした。つまり彼はあの瞬間、AIが作り出した虚像を、愛する彼女そのものだと思い込んだんだよ。それほど、君のAIは彼女の思考パターンを完璧にコピーし、再現していたということさ」


 その時、左右に開いた金属ドアから眩しい光が差し込み、担架を担いだ男たちが駆け込んで来た。

 その中の一人が倒れている男の胸元に耳を寄せ、小さく頷いたかと思うと、男たちは素早く彼を担ぎ上げて、再びドアの向こうに消えていった。


「しかしなぜ、生物学の権威であるあなたがアンドロイドの開発を? もともとはクローン技術を専門にされていたのに」


 男たちを目で見送った青年は、銀縁の眼鏡を持ち上げながら、再び初老の男に視線を戻した。

 

「根っこは同じことだよ。私の夢は、愛する者を失って悲しんでいる人々を、最愛の人と再会させてやることだ。確かにクローン技術を使えば、同じDNAを持つ見た目もそっくりな人間を作ることができる。だが所詮、クローンは別人なんだよ。成長過程や環境によって、性格も変われば、愛する相手も変わる」


 ゆっくりと立ちあがった男は、話を続けながら青年の背中を軽く叩き、出口へいざなった。


「しかも現状のクローン技術では、卵子に核を移植することからのスタートになるため、成長期間が必要になる。例えば先ほどの被験者が、彼が愛した年頃の彼女に再会するまでには、二十八年も待たなくてはならないんだ。当然、彼もその分年をとる。そうなると彼女は、年老いた彼ではなく別の若い男を愛するかもしれない。私は、クローンでの再生がいかに非効率かに気付いたんだよ」


 背中を押されてドアに向かい始めた青年だったが、なおも納得仕切れていない様子で無言を貫いていた。


「その点、君が開発したAIは、膨大な記憶データと思考パターンから、最も本人らしい言動を選び出して再現してくれる。だから、クライアントの期待を裏切ることは決してないんだよ。あとは、触れられるいれものさえあれば、完璧だ」


「……」


「いずれはこのAI技術を応用して、君に人工脳を作って欲しい。そうすれば、脳死状態や記憶喪失になった人間も、救うことができるだろう?」


 壁も床も白色で統一された無機質な廊下に出ると、初老の男は改めて青年の顔を見上げた。


「いいかい。これは、人を幸せにする技術なんだよ」


 青年の目をまっすぐ見つめて、男は強い口調で言った。


「君には期待しているよ。水里君」


 そう言って、青年の腕を軽く叩くと、初老の男は湾曲する廊下の向こうへ去っていった。





「浮かない顔してどうしたの? 保」


 背後から明るい声がして、保はゆっくりと振り返った。


「やあ、ローズ」


 そこには、取手の付いた紙コップを両手に持ち、白衣を軽く羽織った女が立っていた。

 レモンイエローの髪を無造作にまとめた彼女は、エメラルド色に輝く美しい瞳をしていた。


「実験がうまくいかなかったの?」


 湯気が立ち上るコーヒーを手渡しながら、ローズは不安げに保の顔を見上げた。


「いや、全てうまくいってるよ」


 カップを手にした保は、ため息まじりにそう言って、柔らかく微笑んだ。

 そんな彼の顔を見て、ローズも安心したようにほっと息をついた。


 ここは、アメリカでも屈指の大学内にある研究施設。

 保はここで、表向きは職員として働いている。

 実際には政府直轄の施設なのだが、その事は機密とされており、公にはこの大学の一部ということになっている。

 ここでは、世界各地から優れた頭脳を持つ者たちが集められ、国防や宇宙開発といった国策レベルの技術だけでなく、人々の生活をより快適にするための研究等が行われている。

 保とローズも、人並み外れた頭脳を買われ、母国を離れてここで働くことになった研究員だった。


珠仙しゅぜん博士が、あなたの頭脳に惚れ込むのもわかる気がするわ。あなたの生み出したAIが、世界をどう変えていくのか、未来が楽しみだわ」


 ローズはそう言って、吹き抜けになったロビーが見下ろせる廊下の柵に寄りかかり、カップを口元に運んだ。


「君は仮に僕が死んだとしても、僕にそっくりのアンドロイドがいれば寂しくないと思うかい?」


 突然投げかけられた意地悪な質問に、ローズは口元を歪めて「う〜ん」と唸り声をあげた。

 しばらくして向き直った彼女は、右手を差し出して彼の頬に触れた。


「あなたと同じ顔をして、あなたらしい言葉を口にすれば、あなたが生き返ってきたと思えるかもしれない。たとえ相手が機械だとわかっていても、人間って都合よく頭の中を切り替えられる生き物でしょ?」


「そこに魂がなくても?」


 心の底を覗き込むような目で再度問いかける保に、ローズは少し困ったように首を傾けて見せた。


「時々あなたのこと、本当に人間なのかしらって思うことがあるわ。もしかするとあなた、アンドロイドなんじゃないの?」


 笑いをこらえながらそう言って、ローズは上目遣いに保の顔を見つめた。


「だとしたら、どうする?」


 彼女の手に自分の手を重ねて、保も口元に笑みを浮かべて尋ね返した。


「だとしても、愛してるわ」


 突然、ローズは保の首に腕を巻きつけるようにして抱きつくと、そっと眼鏡を持ち上げて唇を重ねた。






 隼と莉香が行方不明になってしばらく経った頃、保は矢沢博士に続いて、莉香の義父である珠仙博士のもとを訪れた。

 二人が消えた理由や、居場所を知るための手がかりが、少しでも見つからないかと思ったのだ。

 残念ながら彼らに関する情報は得られなかったが、その時博士は近々アメリカの研究施設に呼ばれて行くのだと語り、保にも一緒に行かないかと誘ってきた。

 だが、当時高校生だった保は、迷うことなくそれを断った。

 中学卒業時にもアメリカの大学から誘いを受けたが、その時も普通の高校生らしい生活がしたいと断ったのだ。

 だがその後も、博士は諦めることなく、足しげく彼の元に通ってきた。


「君から見れば、日本の高校生なんて、取るに足らない奴らばかりだろう。向こうに行けば、互いに刺激しあえる世界レベルの天才たちとの出会いがあるよ」


「君の頭脳は、人々の生活をよりよくさせるために使わなくてはならない。それが、君に与えられた使命なんだよ」


 なかなか首を縦に振ろうとしない保に、博士は根気よく説得し続けた。

 そうして半年ほどが過ぎ、頑なだった保の心が少しずつ溶け始めた頃、ふと博士はこれまでとは違う話を口にしてきた。


「水里君、君、莉香たちの居場所が知りたいんだろ?」


「……」


「私といれば、そのうち彼らにも会えるかもしれないよ。私は彼らについて、ある秘密を知っているんだ」


「秘密……?」


「そう、ある不思議な石のね……」






 突然、ローズの白衣のポケットの中で、携帯が激しく振動し始めた。

 慌てて保から体を離した彼女の手からカップが滑り落ち、白い床に茶色い液体が飛び散った。


「きゃあ!!」


「いいから、電話に出て」


 焦るローズを前に、保は落ち着いた様子で眼鏡をかけ直し、彼女のポケットを指差した。

 戸惑いながらも携帯を取り出したローズは、画面を見た瞬間眉を寄せた。


「ボスからだわ。何かあったのかしら」


「ここは僕が片付けておくから、君は早く」


 そう言う保に、ローズは申し訳なさそうにウィンクをして、液晶画面に指を滑らせた。


「はい。はい。私です。ボス、何か……?」


 そのまま一度はその場から去っていった彼女だったが、間も無く柱の陰からひょこりと顔を出して手を振ってきた。

 その姿に思わず吹き出しながら保が手を振り返すと、彼女は嬉しそうに笑って、再び柱の陰に消えていった。






 結局保は、珠仙博士に説き伏せられ、卒業を待たずに高校を中退して渡米した。

 当初は学生として呼ばれたと思っていた彼だったが、いきなりこの研究施設に連れてこられ、博士のもとで人工知能の開発に携わるよう命じられた。

 もともと興味のある分野であったこともあり、研究に没頭しているうちに、気がつけば十年の歳月が過ぎていた。

 今では、開発チームのチーフを任されるまでになり、ローズという聡明で美しい恋人もできて、充実した毎日を送っている。

 だがそれでも時折、ふと何かを置き忘れてきたような空虚感を覚えるのだ。

 ここにいる研究仲間たちは、世界中から集められてきただけあって、保でも目を見張るほど優秀な人材ばかりだ。

 だが、それだけに研究成果を上げることに皆必死で、隙さえあれば他人の足元をすくおうと機会を狙っている。

 そんな世知辛い現実を目の当たりにすると、昔、ある少年と他愛のない話をしては無邪気に笑いあった日々が、懐かしく思われた。


「隼……君は今どこにいるんだ」


 そしてそんな時、その少年とともに消えたある少女の面影もまぶたに浮かび、彼の胸に甘い痛みを残す。


「そして莉香ちゃん……君は……」


 あの日以来、珠仙博士は不思議な石について尋ねても、何も口にしようとしない……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る