第二話 遠い記憶

「つまりさ。俺たちが過去のここへ飛ばされてきたんだと思ってたんだけどさ、実はムーが未来に来ていたっていうことらしくてさ……」


「……?」


「だから……。俺たちの時代から見ると、ムーは過去にあったんだけど、実は逆に未来にいるのかもしれなくて……」


「……?」


「あー! もう! どう説明すりゃいいんだよ!」


 居並ぶ男達を前に、隼はガシガシと頭をかきむしった。

 ここは宮殿の中にある討議の間。

 戸口に面して水平に置かれた長机の周りには、ヒマティオンを纏った学識者と思しき面々や、鎧姿の兵士らが肩を並べている。

 中央部で壁を背にして座る隼の右側には、莉香とダリアン、左側にはカスコが控え、不安そうに少年の横顔を見つめていた。


 ムーが現在置かれている状況について、ひとつの見解を導き出した隼は、そのことを説明するために、今夜ここに関係者を呼び集めたのだ。

 メシアからの突然の召集とあって、政務を司る各大臣や軍部の将校たちは、何事かと固唾を飲んで彼の話に聞き入っていた。

 だが、彼の話ぶりからは、なかなか要点が見えてこず、徐々に皆、戸惑いの表情を浮かべ始めていた。


「ああ! もう! 矢沢くん説明下手すぎ! 変わって!」


 やきもきしながら様子を見守っていた莉香が、堪えかねて隣から身を乗り出してきた。


「うるせえな!! 今ちゃんと説明しようと……!!」


 顔を真っ赤にして逆上する隼を、莉香は手で強引に後方に追いやると、男達に向き直った。


「スフェラには、時間の進み方を変える力もあるでしょう? スフェラの光に包まれていた十六年間に、外の世界ではここの何百倍も時が経っていたみたいなのよ」


「おおお……」


 莉香の説明を耳にして、初めて状況が理解できた男達は、一斉にどよめいた。

 そんな様子を見て、隼は面白くなさそうに口を尖らせて腕組みをした。

 未だ語彙力が乏しく、たどたどしさの残る彼とは違い、莉香はかなり早い段階から流暢にムーの言葉を話せた。

 少人数になら同調も併用して、思いを伝えることができるのだが、これだけの多人数を相手にできるほどの能力は、隼にはまだない。

 なぜ彼女がこれほど早く、この国の言葉を習得できたのかは謎だが、保と同じ全国でも有数の進学校に通っていたくらいなのだ。

 おそらく頭の構造が、凡庸な自分とは違うのだろう。

 そんなことを考えて、ますます不機嫌になる彼のことなど気にもとめず、莉香は男たちに向かって話を続けた。


「でも、矢沢くんが王家の剣を抜いたことによってスフェラの力が封印され、ムーは再び外の世界と同じ時間の流れに戻った。つまり今私たちは、一万年以上の時を越えた、未来にいると思われるの」


「一万年……」


 莉香の正面に座ったまだ若そうな大臣が、青ざめた顔をして息を飲んだ。

 莉香は、そんな男の顔を見つめて大きく頷くと、さらに話を続けた。


「私たちがいた時代では、ムーは約一万二千年前にあったと言われていたわ。でも、この前農園に現れた飛行物体は、私たちの時代のものより、高度な技術で作られているみたいだった。そうなると今いるここは、さらに未来である可能性もあるわ」


「あの空飛ぶ船がまたやってきて、我々を襲うこともあり得るのでしょうか」


 若い大臣の隣から、今度は年配の大臣が尋ねてきた。

 莉香は一瞬言葉を詰まらせたあと、目を伏せて唇を強く噛み締めた。


「彼らの目的がわからないから、なんとも言えないわ。でも、もしそうなったら太刀打ちできないわ。技術力が違いすぎるもの……」


 悲観的な彼女の言葉に、若い大臣は自分自身に言い聞かせるように、努めて明るい声色で言った。


「相手が空を飛ぶなら、我々には翼竜がいます。勇敢な兵士も、神通力を使える神官だって……!」


「無駄だよ」


 そんな男の声を、隼の低い声が遮った。


「あんたたちには想像も及ばない、とてつもない破壊力を持つ兵器が、未来には溢れてんだよ。それこそ、星ひとつ吹き飛ばせるくらいのな。そんな相手と、剣や弓といった原始的な武器しか持たないあんた達が、どうやって戦おうって言うんだよ」


 奥歯を鳴らせて絞り出すように言う隼に、男たちはしばし言葉を失った。


「だとしても、どうかメシアの力でこの国を……!!」


 少しの間をおいて、一人の大臣がそう声を張り上げた。

 すると、他の者たちも皆、すがるような目をして隼ににじり寄ってきた。

 詰め寄る男達に、思わず身を固めた隼だったが、間も無く大きなため息をついて、深く頭をもたげた。


「なんの力も持たない俺に、何ができるっていうんだよ……」






 重苦しい空気のまま会合が終わると、男たちは戸口から薄暗い廊下へ出て行った。

 とはいえ、未来の武器の威力など、想像することすらできない彼らには、事の重大さは今一つ実感できていないようだった。


 室内から人気がなくなると、隼は力が抜けたように背もたれに寄りかかり、目を閉じて天井を仰いだ。


「お水を飲まれますか?」


 不意に柔らかな声がして目を開けると、目の前にニーメが水差しを抱えて立っていた。

 以前なら、彼の前ではいつも怯えていた彼女だったが、先日ダリアンの件で言葉を交わして以来、少し距離が縮まったような気がしていた。


「ああ。一杯頼む」


 力なく笑いながら隼がそう答えると、ニーメはにこりと笑って、テーブルに置かれたゴブレットに水を注ぎ入れた。


「どうぞ」


「ああ」


 白い手から銀の杯を受け取り、中身を一気に喉に流し込んだ隼だったが、勢い余って口の端から水が溢れ落ち、石の床を濡らした。


「ふふ」


 再び小さく笑ったニーメは、彼の足元に跪き、懐から取り出した布でそれを拭った。

 手の動きに合わせて揺れる金色の髪に、しばし目を奪われていた隼だったが、ふと我に返り、彼女から赤く染まった顔を背けた。





「なかなか、いい雰囲気じゃないですか」


 突然、背後から響いてきた声に、ダリアンはビクリと肩を震わせて振り返った。

 するとそこには、顔をニヤつかせたカスコが立っていた。


「大神官殿が盗み見とは……」


「メシアに伝え忘れていたことを思い出しただけだ」


「ふーん」


 吐き捨てるようにそう言い、背を向けたダリアンに、カスコはますます愉快そうに口角を上げた。


「珍しいですね。極度のファザコンで、若い男が苦手なあの子が、あんな風に笑うなんて」


 戸口の外側の壁に背中をつけて、カスコは肩越しに室内の二人を見つめた。


「あの二人が恋仲にでもなったら、父親としてどうなさるおつもりで?」


「……」


 その言葉に、ダリアンは小さく息をのんだ。


「どうするも何も、本人たちの自由だ」


 しばらくすると、ダリアンはカスコに背を向けたままそう言い残し、暗い廊下を歩き始めた。


「ふーん」


 小さくなっていく男の影を見送ったカスコは、再び室内に視線を戻した。

 そして、ふと何かを思い出したかのように振り返った彼は、ダリアンが消えた暗闇に向かってニヤリと笑った。


「あれ? メシアに伝え忘れたことがあったって言ってなかったっけ?」





 カスコを残し、ダリアンが宮殿の奥にある自室に向かっていると、中庭に面した外廊で一人佇む莉香の後ろ姿があった。

 彼女は廊下側に背を向けて、柵に寄りかかり、輝く月を見上げていた。


「夜は冷えます。もう、お部屋にお戻り下さい」


 すれ違いざまに、視線を前方に向けたまま、ダリアンは彼女の背中に声をかけた。

 驚いて振り返った莉香は、通り過ぎていく白装束の男の背中を無言で見つめた。


「ダリアンさんって、絶対に私と目を合わせないよね」


「……」


 莉香の言葉に、思わずダリアンの歩みが止まった。


「私がレムリアに似てるから?」


「……」


 無言のまま立ち尽くすダリアンの背中に、莉香はさらに言葉を続けた。


「私の前世に興味はない? 矢沢くんの前世がコールだったということは、私もレムリアの生まれ変わりかもしれないでしょ?」


「……」


 直後、ダリアンは目を見開いて、ゆっくりと振り返った。

 そんな彼に向かって、莉香は切なげに微笑んで見せた。


「興味……ないよね。レムリアの生まれ変わりが誰なのか、あなたはとっくにわかっているんだもん」


「……」


 次の瞬間、莉香はダリアンの両腕を掴んで、彼の顔を見上げた。


「ねえ、今ならまだ間に合うよ。あの二人はまだ、お互いが特別な存在だったことに気付いていない」


 遠い昔に見覚えのある、エメラルド色の瞳に見つめられ、ダリアンは全身の自由を奪われた。

 立ち尽くす彼の前で、莉香は手と瞳に一層力をこめた。


「今ならまだ、ニーメちゃんはあなたに恋してる。それともまた、前世と同じことを繰り返すの?」


「……」




「……どういうことだよ……それ」


 不意に背後から若い男の声がして、莉香とダリアンは同時に振り返った。


「矢沢くん……」


 そこには、月明かりを背中から浴びて、硬い表情を浮かべた隼が立っていた。

 莉香はダリアンの腕から手を離し、ゆっくり近づいてくる人影へ向き直った。


「もしかして……ニーメがレムリアの生まれ変わりなのか……?」


「……」


 二人の正面で立ち止まった隼は、睨むような鋭い瞳でダリアンの顔を見つめた。


「あんたには、オーラから前世の姿を見る能力があるんだよな? それなら、わかっててあいつを養女にしたのかよ」


 表面上は冷静を装っていたが、彼の目は充血し、握りしめた拳は小刻みに震えていた。


「……」


 しばらく経っても何も答えようとしないダリアンに、隼の怒りは胸の中でふつふつと膨らんでいった。



 ガッ!!


 突然、隼はダリアンの胸ぐらを掴み上げた。

 

「ちょっと! 矢沢くん、やめて!」


 慌てて隼を引き離そうとする莉香の動きを、ダリアンは少年に視線を向けたまま手で制した。

 そんな男の顔を、隼は奥歯を鳴らしながら、怒りに燃える青い瞳で凝視した。


「なんで、あいつを養女になんかしたんだよ」


「……」


「コールに義理立てしてるつもりかもしんねえけど、そんなのあんたのエゴだ。前世で夫婦だったからって、生まれ変わってもまた、お互いを好きになるとは限んねえだろ!」


 声を荒げてそう言い捨てると、隼は突き放すようにダリアンから手を離し、宮殿の奥に向かって早足で歩きだした。


「矢沢くん!!」


 思わず隼の後を追いかけようとした莉香だったが、ふと立ち止まって背後を顧みた。

 彼女が見つめる先には、唇を噛み締めて立ち尽くすダリアンの姿があった。

 一瞬、どうするべきか迷った彼女だったが、再び彼に背を向けると、少年の後を追って行った。




「矢沢くん!!」


 隼の部屋の前まで来ると、莉香は激しく木のドアを叩きながら、彼の名を大声で呼んだ。


「ちょっと! 開けてよ!!」


 ノブを掴んで回すと、予想に反して鍵はかかっておらず、勢いよく開いたドアから、彼女は躓くように室内に踏み入った。

 体勢を立て直して、部屋の奥に目を向けると、頭で組んだ腕を枕にして、ベッドに仰向けに横たわる隼がいた。

 ゆっくりと近付き、枕元に腰を下ろした彼女は、いたわるような目で隼の顔を見下ろした。


「矢沢くん、もしかしてニーメちゃんのこと……?」


「……」


 莉香の問いに、一瞬眉をひそめた隼だったが、不意に寝返りをする振りをして、彼女に背を向けた。


「わかんねえよ。そんなの」


 吐き捨てるように言う隼の背中を、莉香は母親のような優しげな眼差しで見つめていた。


「ただ、なんか、すげーむかついたんだよ」


「……」


ニーメあいつがあんなに苦しんでるのにさ。大人ぶりやがって……」


 再び怒りが蘇ってきたのか、隼は横になったまま拳で毛布を叩きつけた。

 そんな彼の肩に、莉香はそっと掌を置いた。

 いつもならこんな時、払い退けようとする隼なのだが、この時はなぜか彼女の優しさに甘えていたい気分だった。


「ほんと。ひどい人よね。女の子の気持ちなんて、なんにもわかっていないのよ。昔から……」


 莉香の話が終わるのを待たずに、身を起こした隼は、彼女の手首を掴みあげた。

 直後、驚きに見開かれた莉香の瞳と、上目遣いに彼女を見つめる隼の目が激しく絡み合った。


「お前さ、たまにずっと前からダリアンあいつのこと知ってるみたいなこと言うけど、なんなんだよ」


「……」


「お前は、いったい何者なんだ?」


 心の中を探るような鋭い視線をあびながら、莉香はため息混じりに小さく笑った。


「私はあなたの双子の片われ。そのことに嘘はないわ」


 その答えに安堵した隼は、彼女の手首からゆっくりと手を離した。


「ただね……」


 続けて何かを言いかけた莉香は、天井を見上げて口ごもった。

 そのまましばらく無言の時が過ぎ、大きく息を吸った莉香は、改めて隼の方へ向き直った。


「私は、前世の記憶を持ったまま、生まれてきちゃったの」


「前世の……記憶?」


 彼女の言っている意味が理解できず、隼は眉間を寄せた。


「そう。あの人に片思いをしたままこの世を去った、女の子の記憶を残したまま……ね」

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