第四話 面影
「ひとまず、場所を移しましょう」
そう言ってダリアンは隼に背を向けて、祭壇の階段を下り始めた。
彼の話す言葉は聞き覚えのないものだったが、心を読めば言っている意味は理解できた。
「おい! どこへ行くんだよ! あんたは一体誰なんだ」
慌てて隼が呼び止めると、銀髪の男は立ち止まり、真顔で振り返った。
「私の名はダリアン。ここムー帝国で大神官を務めております」
「ムー?」
その時、莉香が階段を登って二人のそばへ近付いてきた。
彼女から数段遅れて、ニーメも後を追ってきた。
「矢沢くん、大丈夫? 怪我はない?」
心配する莉香の言葉に、隼は思い出したように自分の全身を見回した。
「ああ。でも、マジで殺されるかと思ったぜ」
忌々しげに奥歯を鳴らし、隼はダリアンの顔を睨みつけた。
「手荒な真似をして申し訳ありませんでした。けれどおかげで、あなたがメシアであることが証明されました」
言葉とは裏腹に悪びれた様子もなく、ダリアンはそう言い残して再び階段を下り始めた。
途中、莉香とすれ違った彼は、彼女と目を合わせることなく、軽く頭を下げて行き過ぎていった。
弾かれたように振り返った莉香は、そんな男の後ろ姿を、立ち止まってじっと見つめていた。
どこか切なげな少女の横顔を、ニーメは不思議そうに見ていた。
「カスコ将軍、お二人を宮殿まで連れてきてください」
「御意」
最下段に降り立ったダリアンは、待ち構えていたカスコにそう言い残し、広間の戸口へ向かって行った。
礼をして彼を見送った赤髪の男は、壇上の少年の方へ向き直り、階段を駆け上がって行った。
「おい待てよ! 話はまだ終わってねえよ!」
「まあまあ、詳しい話は宮殿で」
怒鳴り声をあげて、ダリアンの後を追おうとする隼の行く手を、鎧姿の大男が阻んだ。
「ずいぶん威勢のいい救世主だ」
鼻で笑いながら、カスコは剣が握られた隼の右腕を、背中に回して力を込めた。
後手に締め上げられ、力が入らなくなった隼の手から、大男は剣を易々と取り上げた。
「危険ですので、これはこちらで預かっておきます」
「くそ! 放せよ、おっさん!!」
自由を奪われた隼は、自分の肩越しに中年の男を睨みつけて悪態をついた。
「おっさ……?」
ムッとしたカスコだったが、少年の顔を間近で見た瞬間、大きく息をのんだ。
「……コールガーシャ皇子……?」
その後、カスコによって半ば強引に神殿の外へ連れ出された隼は、そこに広がっていた風景に絶句した。
丘の上にある広場から見下ろすと、ここへ来る前に夢か幻で見たものと酷似した町並みが広がっていたのだ。
明らかにここは、自分たちがいた真冬の日本ではない。
写真や映像に見る古代ローマのそれにも似ているが、そこにあるのは風化した遺跡などではなく、人々の営みが感じられる生きている町だった。
一瞬、テーマパークの類かとも思ったが、それにしては規模が大きすぎる。
呆然と立ち尽くしている彼の腕を片手で掴んだまま、赤髪の男はもう一方の手を高く空に掲げた。
間もなく、遠くから幕がはためくような音が近付いてきたかと思うと、上空から激しい風が吹き下りてきた。
同時に巻き上がった砂埃に、隼は目元に手をかざして瞼を閉じた。
「キャア!!」
だがその直後、莉香の叫び声がして、隼は閉じていた目を大きく見開いた。
「!!」
砂埃が風に流されて視界が開けると、巨大な生き物の軍団が二人を取り巻くように並んでいた。
尖ったクチバシと、頭頂部に突き出したトサカ。
異様に長く伸びた前足の指から、幕状に広がった皮膚が翼の役目を果たしている。
「プテラノドン……?」
その巨大な生物は、太古に滅んだとされる翼竜の想像画にそっくりだった。
三十頭余りいる竜の傍らには、それぞれ鎧を身につけた兵士らしき男たちが跪き、二人に向かって深く頭を下げていた。
「さあ、メシア、こちらに」
赤髪の男は、地面にもたげられた翼竜の頭をなでながら、呆然と立ち尽くしている隼に声をかけた。
「いやー!!」
再び響いた莉香の声に振り返ると、彼女は兵士に腕を掴まれ、竜の背に引き上げられようとしていた。
そして、必死に抵抗する莉香の背中を、金髪の少女が優しくさすりながらなだめていた。
「珠仙、とりあえずそいつに乗れ。とにかくさっきのおっさんと話をしなきゃ、訳がわかんねえ」
カスコに続いて翼竜の背に乗った隼がそう言うと、莉香は涙目になりながらも小さく頷いた。
「キャー!!!!」
翼を大きく振り下ろし、翼竜が空に舞い上がった瞬間、莉香は恐怖の声をあげて兵士の背にしがみついた。
怯える少女を落ち着かせようと、彼女の後ろに乗ったニーメは、震える背中に優しく手を添えた。
飛行が安定し、莉香がおとなしくなると、隼はほっと息をついて前方に視線を移した。
このような状況下にあっても、彼の心は不思議と落ち着いていた。
こうして竜の背に乗って飛ぶことが、なぜか初めてのことだとは思えなかったのだ。
ここへ来る前に見た幻の中でも、自分は誰かと巨大な生き物の背に乗って自由に宙を舞っていた。
空を飛ぶことや翼竜を目にしても恐怖を覚えないのは、もしかしたらこの既視感のせいかもしれない。
一体、あの幻はなんだったのだろうか。
目の前には、赤い髪をした軍人らしき男の大きな背中がある。
男が握る手綱の先には、翼竜の首筋があった。
よく見ると、竜の首には銀色の首輪が巻かれていて、六角柱の赤い石が埋め込まれていた。
(あの石は……)
見覚えのある石に目を奪われていると、翼竜が旋回しながら下降を始めた。
(あれは……)
翼竜が目指す先には小高い丘があり、その頂に大きな石造りの建物が建っているのが見えた。
それもさっき、幻の中で見た建物にそっくりだった。
確かあの建物の前にも、誰かが立っていたような気がする。
そして、その人物の隣には、巨大な何かがいた……。
首を傾げて、隼がおぼろげな記憶を辿っているうちに、翼竜は白亜の宮殿の正面に静かに降り立った。
翼竜の背から地面に降り立った隼と莉香は、カスコ将軍に導かれて宮殿の中へ入っていった。
カスコと並ぶ隼の後に莉香が続き、その隣をニーメが寄り添うように歩いていた。
靴音を響かせながら、左右に石像が居並ぶ広間を通り抜け、光が差し込まない暗い廊下を進んで行く。
やがて奥まった場所にあるドアの前で立ち止まった大男は、古びた木の扉を力強くノックした。
「どうぞ」
中から静かに答える男の声がして、カスコがドアを押し開くと、まばゆい光が廊下に溢れ出てきた。
カスコに背を押されて二人が足を踏み入れたそこは、緑豊かな中庭から太陽の光が差し込む明るい空間だった。
眩しさに目が慣れてくると、目の前に銀色の杖を手にした男が立っているのが見えた。
「空の旅はいかがでしたか?」
ダリアンの問いかけに、莉香は顔を青ざめさせて、首を左右に大きく振った。
そんな彼女の顔を見て、彼は初めて表情を少し緩めた。
「あんた、何者なんだよ」
一瞬和みかけたかと思われた空気を、刺すような隼の声が再び凍りつかせた。
「すでに紹介は済ませましたが? 私は大神官のダリアンです」
真顔に戻ったダリアンは、落ち着いた口調でそう答え、右手を広げて部屋の奥に置かれた長椅子へ二人を
一瞬戸惑いの表情を見せた隼だったが、間もなく意を決したように一息ついて歩き出した。
「それだけじゃ何もわかんねえから聞いてんだよ」
隼は長椅子にどかりと腰を下ろすと、ダリアンに向かって吐き捨てるように言った。
後に続いた莉香は、周囲に目を配りながら落ち着かない様子で彼の隣に座った。
「何も覚えてはいませんか……」
二人と向かい合うように置かれた一人掛けに腰を下ろし、ダリアンは膝の上で軽く指を組んだ。
「ここに来たのも、あんたに会ったのも初めてなんだから、覚えてるもなにもねえだろ」
思うように話が進まないことに苛立ちを覚え、隼の口調はますます荒くなった。
「でも、あんたたちは俺のことを知ってるみたいだ。どういうことなのか聞かせろって言ってんだよ」
「わかりました」
ダリアンは静かにそう言い、眉間を指先で抑えてゆっくりと瞳を閉じた。
徐々に濃度を増していったそれは、みるみる人の型を成してゆき、やがて若い男の姿となった。
「これは……!!」
何もない空間から人が現れるという現象は、先ほど神殿でも目にしたので、さほど驚くことはなかった。
だが、男の顔が鮮明になっていくにつれて、隼の瞳は大きく見開かれていった。
そんな彼の隣で、莉香も飛び出しそうな叫び声を、口元に手を当てて必死に抑えていた。
「お……俺?」
そこに現れた青年の顔は、隼自身が驚くほど、彼に瓜二つだった。
真紅の上衣(ヒマティオン)を纏い、癖のない黒髪を肩先まで伸ばした男は、隼より少し大人に見えた。
「この方はコールガーシャ皇子。あなたの父上です」
「俺の……?」
青年の姿を呆然と見つめている隼から、ダリアンは自らが生み出したコールの幻影に視線を移した。
亡き親友を見つめるオリーブ色の瞳は切なげで、組まれた指は微かに震えていた。
「これから、あなた方に十六年前の出来事を同調でお伝えします」
「同調?」
「私が見聞きしたことを、あなた方自身の記憶として送り込むのです。あなた方は、ただそれを感じていてください」
なおも問い掛けようとする隼に有無を言わさず、ダリアンは同調を送り始めた。
すると、隼と莉香の目の前に、いきなり地震に揺れる町の情景が浮かんできた。
火柱を上げる海底火山と、空を覆い尽くす黒い雲。
噴石によって破壊された建物と、迫り来る火の手から逃げ惑う人々。
瓦礫となった家々の下には、犠牲となった人々の体の一部が、見え隠れしている。
「いや!」
直視しがたい
それを見て、ダリアンは少し離れた場所から彼女を見守っているニーメに声をかけた。
「ニーメ、彼女を別室に」
「はい」
状況を察したニーメは彼の指示に従い、少女の肩を抱いて部屋から出て行った。
莉香が去った後も、ダリアンは隼に同調を送り続けた。
混乱する宮殿内の一室で、鎧姿の男達に指示を出している青年がいる。
彼は先ほどダリアンが幻影で見せた、コールガーシャ皇子だった。
突如、今までになく大きな揺れが起き、皇子は血相を変えて部屋から飛び出していった。
とある部屋の前へ駆けつけた彼は、何か叫びながらドアを必死に叩いている。
その扉の向こうでは、彼の妻が陣痛に苦しんでいるのだ。
場面が変わり、神殿の広間で黄金の杖を手に、襲い掛かる兵に応戦する皇子の姿が映った。
彼の腰には剣が挿されているが、それを抜く余裕はないようだ。
鍛え抜かれた兵士相手にかなうはずもなく、彼は無数の切り傷を負い、白い衣は血に染まっていた。
はっと振り返った瞬間、一人の兵士が振り下ろした剣が皇子の首筋を切り裂き、血しぶきが上がった。
「!!」
直後、思わず隼は手で口元を覆って首をうなだれた。
「少し休みますか?」
気遣うダリアンに、隼は血の気の引いた顔を持ち上げて、首を左右に振った。
「いや……続けてくれ……」
絞り出すようにそう言う彼に、ダリアンは小さく頷き、再び眉間に意識を集中させた。
瀕死の重傷を負った皇子は、それでも祭壇の最上段を目指して階段を登って行く。
あそこに剣を突き立てなければ、この国は海の藻屑と消え去るのだ。
王として、何としてでもこの国と人々を救うことが、彼の使命だった。
今にも崩れ落ちそうな彼の肩を、誰かが抱えているが、その人物の姿はぼやけてよく見えない。
だが皇子は、彼のことを誰よりも信頼しているようだ。
ようやく、壇上へたどり着いた彼は、最後の力を振り絞って、そこに剣を突き立てた。
その瞬間、赤い閃光が視界を覆い尽くした。
同調が途絶えてしばらく経っても、隼は椅子に座ったまま微動だにすることができなかった。
頭の中に流れてくるイメージは断片的であっても、そこにいる人々の思いが自分のことのように感じられるので、そこで起きたほぼすべてを彼は理解することができた。
死を覚悟して復活の間へ赴いたラ・ムーとアルデオの想い。
ガゼロ将軍の醜い虚栄心。
残された力を振り絞り、祭壇に剣を突き立てた皇子の信念。
そして……。
我が子に向けられた、溢れんばかりの母の愛。
「その後、生まれたばかりのあなた方を、私は
「ネフレム……」
次の瞬間、気がつけば隼は大きな掌の上にいた。
赤ん坊の姿になった彼は、巨人の手の中でもう一人の赤ん坊と競い合うように、大きな泣き声をあげていた。
そんな彼らを、巨人の少年は丸みをもって重ねた手で、大切そうに包んでいる。
よく見ると、巨人の右手の人差し指には、銀色のリングがはめられていた。
そのリングに、彼は見覚えがあった。
「ダリアン様! これを!」
その時、トトが大声をあげて戸口から飛び込んできた。
見ると彼の手には、銀色に光るリングが握られていた。
それは、莉香が養父の書斎にあったと言っていたものだった。
「これは……!」
トトからリングを受け取った瞬間、ダリアンはそれを目元に近付けて凝視した。
「メシアが倒れていたところに落ちていたんです」
興奮気味に言うトトの傍で、隼は椅子に座ったまま、見覚えのあるリングを見上げていた。
「
「ギルトは? これを持っていた
隼が言い終わるのを待たずに、血相を変えてダリアンが詰め寄ってきた。
「多分……生きていないと思う……」
これまで冷静さを保っていた男の取り乱す様に、隼は戸惑いを感じながら答えた。
「ギルト……」
それを耳にした瞬間、ダリアンの顔から血の気が抜け、手にした杖が小刻みに震え始めた。
「私のせいだ。私の……」
力が抜けたように椅子に腰を下ろしたダリアンは、そう呟いて両手で頭を抱え込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます