第三話 蒼天
ニーメはいつものように、巫女や神官らと共に神殿の広間でラーに祈りを捧げていた。
ふと、閉じていた瞳を開き、祭壇の最上段に立つラーの象徴を見上げてみる。
十六年前の大災害が起きる日までは、空には昼と夜の区別があり、晴れた昼間の青い空には
それはとても眩しく、暖かく、尊いものであったと大人達は口を揃えて言う。
だが、彼女はそのラーを目にしたことがない。
ラーの象徴は全てが黄金製で、中央に球体があり、その背後に放射状に取り付けられた線材は、その輝きを表しているという。
ラーを信仰する巫女という立場の彼女ではあるが、その姿はあの像を見て想像するしかない。
王家の
最上段に刻まれているという、古き言葉。
大人達はあの言葉通り、いつかムーに救世主が現れ、ラーを蘇らせてくれると信じている。
でも、ラーを知らない彼女は、つい今のままでもいいのではないかと思ってしまう。
ラーが無くても、たとえ空が一日中緋色であったとしても、生きていくための環境は整っているし、闇に包まれる夜があるなんて、逆に不便な気がする。
それにこの言葉通り、もしメシアと呼ばれる人物が現れて、この国を統治することになるのだとすれば、それも彼女にとっては不満だった。
それなのに、ある日突然現れた何も知らない誰かが、彼を差し置いて君主として君臨するなど、許せない気持ちでいたのだ。
(でも……)
ふと、あの剣を見上げる時の、ダリアンの切なげな横顔を思い出し、心に痛みを覚えた彼女は、そっと胸に手を当てて瞳を閉じた。
もし、ダリアンが言うようにメシアがコールガーシャ皇子の生まれ変わりであるのなら、彼を親友にもう一度会わせてあげたいとも思う。
また、彼があれほど慕い続ける皇子が、どれほど素晴らしい人物であったのか、少なからず彼女も興味があった。
「あああ!」
その時、巫女の一人が祭壇の上を指差して大声をあげた。
その声に、ニーメも思わず目を開けて、彼女が指差す先を見上げた。
「ああ!」
見ると、ラーの足元に刺さった剣の柄頭から、いつもの淡い緋色ではなく、白く強い光が天に向かって放たれていた。
『まさか……!?』
勢いよく剣から放出された光は、神殿の天井を突き抜け、空にまで達しているようだった。
その様子を見た者たちは、何度もひれ伏を繰り返し、ラーへの祈りの言葉を唱え始めた。
『ダリアン様! 剣が! 王家の剣が!!』
ニーメは、慌てて同調でダリアンに呼びかけた。
彼はこの時間、王宮で大臣達と朝の会議を行っているはずだ。
彼からの返事はなかったが、しばらくすると神殿の窓の外に、猛スピードで飛び過ぎていく翼竜の姿が見えた。
そして間もなく、広間の戸口から銀の杖を手にして、神官服を身に纏った男が駆け込んできた。
「ダリアン様! あれを!」
ニーメが指差す方向を、ダリアンも息を切らせて見上げた。
そこには、柄頭からだけでなく、徐々に全身を白く輝かせ始めた剣があった。
光がほとばしるその様は、まるで祭壇の上から白い炎が噴き出しているようだった。
「大神官殿! これは何事ですか!?」
その時、翼竜隊の隊長であり、軍部の長も兼任するカスコ将軍が、兵士らを引き連れて広間に雪崩れ込んできた。
「外はまるで嵐のように、風が激しく吹き荒れておりますぞ!」
鎧の音を響かせてダリアンのそばまで駆け寄ってきた赤髪の男は、祭壇を見上げた瞬間、思わず足を止めて言葉を詰まらせた。
「これは……」
直後、広間の中にも激しい風が吹き始めた。
渦を巻いて吹き荒れる風に、室内にいた誰もが飛ばされないよう、近くの柱にしがみついた。
「キャア!」
風に視界を遮ぎられ、一歩も動けなくなったニーメの背後から、ダリアンは彼女を庇うように覆いかぶさった。
激しい風に煽られて、彼の神官服の袖が大きくはためき、バタバタと音を立てた。
「あ!」
不意に胸元で、ニーメが小さな叫び声をあげた。
その声にダリアンが視線を移すと、衣の中に隠すようにつけていたはずのペンダントが、赤い光を放ちながら宙に浮いていた。
金の鎖に下げられた赤い石は、コールの化身であるスフェラだった。
ダリアンの眼前で、初めは放射状に放たれていたスフェラの光は、いつしか集約された一筋の光となり、やがてそれは祭壇上の剣に向かって一直線に伸びていった。
スフェラの光が注がれた瞬間、剣は爆発的な風を巻きあげるのと同時に、これまでにない強烈な閃光を放ち、人々の視界を白一色に塗りつぶした。
「うわあああああ!」
あまりの眩しさと、息もできないほどの強い風に、室内に居た誰もが叫び声をあげて固く目を閉じた。
ニーメもダリアンの胸元で目を閉じ、風と光が収まる時をひたすら待ち続けた。
そんな中、ダリアンだけは、銀の杖を握った腕で目元をかざし、薄く開いた目で動向を見守っていた。
「……?」
しばらくすると、激しい光と風はやや収まり、スフェラと剣との間に一本の細い光の筋が走り始めた。
その中間部分に、白く光る小さな玉が現れ、みるみるそれは、人がすっぽり納まる程の大きさにまで膨らんでいった。
ダリアンが見つめる中で、大きくなった光の玉はゆっくりと降下を始め、床の上に届くと輝く半球体となった。
やがてそれは徐々に光を弱め、気がつけば室内に吹き荒れていた風も、嘘のように収まっていた。
光の玉が完全に消滅すると、広間に静寂が戻り、柱の陰で身を潜めていた者たちが、恐る恐る目を開けて周囲の様子を伺い始めた。
ニーメもそっと目を開き、背後を振り返って祭壇を見上げてみた。
するとそこには、何事もなかったかのように、これまで通り柄頭から一筋の赤い光を静かに放つ剣が立っていた。
ダリアンの胸元に目を向けてみると、スフェラももう発光はしておらず、彼の首におとなしく吊り下がっていた。
今起きた現象が何だったのか理解のできぬまま、室内にいた者達は柱から離れて、一人、また一人と広間の中央に集まってきた。
「人か……?」
ダリアンを取り囲むように、中央に集まってきた者たちは、祭壇へと続く階段の足元、調度先ほど光の玉が消えたあたりに目を向けて、思わず足を止めた。
そこには、見慣れない衣を身につけた少年と少女が横たわっていたのだ。
上下とも黒一色の衣服をまとった黒髪の少年は、同じく長い黒髪の少女を庇うように胸に抱き、うつ伏せの状態で倒れていた。
怯える男たちを後にして、ニーメから身を離したダリアンは、ゆっくりと少年の方へ近付いていった。
そうして、二人のそばで跪いた彼は、少年の顔にかかる長めの前髪をそっと持ち上げた。
「……!!」
その顔を眼にした瞬間、ダリアンは思わず息をのんだ。
だがその直後、閉じられていた少年の瞳が大きく見開いた。
「×××××××××!!」
突然、少年は聞いたことのない言語で何か言い放って身を起こし、倒れたままの少女を背中で庇うようにして、ダリアンの前に立ち塞がった。
そんな彼の声に気がついたのか、少女も目を開けてゆっくりと周囲を見回し始めた。
少年越しに少女と目が合った瞬間、ダリアンは再び大きく息をのんだ。
「×××××××××××!!」
少年は鋭く光る青い目でダリアンを睨みつけ、再び謎の言葉を浴びせてきた。
『あんたは誰だ? ここはどこなんだ!』
同調で心の中を覗いてみると、彼の言葉の意味が読み取れた。
どうやら彼自身、なぜ自分がここにいるのかわからず、ひどく混乱しているようだった。
『あなたは、メシアですか?』
ダリアンは同調を使って、落ち着いた口調で彼に尋ねかけてみた。
『メシア? なんだよ、それ』
眉をひそめて問い返す少年を見て、ダリアンはすっくと立ち上がり、不安げに彼らを見守っている者達に声をかけた。
「皆さん、少し離れていてください」
後手に手のひらをかざしてそう言うダリアンに、神官や兵士らは戸惑いながらも、広間の壁際へ身を引いていった。
そんな彼らの流れに乗って、その場から離れようとするニーメを、ダリアンが不意に呼び止めた。
「ニーメ、危険ですから、そのお嬢さんも少し離れた場所へ連れて行ってください」
「は……はい」
訳がわからぬままニーメは小さく頷いて、恐る恐る少女の背後から近付き、彼女の肩に手を触れようとした。
『そいつをどうするつもりだよ!』
咄嗟に振り返った少年が、大声をあげて少女からニーメを引き離そうとした瞬間、銀色の杖が彼の前に割って入った。
『彼女に危害は加えません。私が用があるのは、あなただけです』
『用?』
怪訝げにダリアンを睨みつける少年の目の前に、突如、煙のようなものが立ち上り、それが徐々に撚り固まって、やがて筋肉質な大男の姿を形作った。
『な……?』
少年に驚く暇も与えず、屈強な大男は拳を振り上げて彼に襲いかかっていった。
かろうじて身を反らし、それをかわした少年は、大男の手から逃れようと祭壇の方へ走り出した。
その後を大男も追っていき、追い詰められた少年は、祭壇へ続く階段を駆け上り始めた。
「×××××!!」
そんな彼の様子を見て、少女は悲鳴のような声をあげた。
彼の元へ駆け寄ろうとする彼女の肩を、ニーメが掴んでその場に留まらせた。
動きを止められて振り返った少女は、彼女の顔を見て驚いたように大きく目を見開いた。
『……あなたは……』
『あなた……。同調が使えるの……?』
思いがけず、心の中に飛び込んできた少女の心の声に、ニーメも言葉を詰まらせた。
「おおお!!」
その時、広間に大きなどよめきが起こり、ニーメと少女は同時に祭壇の上に再び視線を移した。
「×××××!!」
最上段まで追い詰められた少年を見て、少女は青ざめた顔をして彼の名前らしき言葉を叫んだ。
少年は目の前に迫る大男を睨みつけながらも、じりじりと後ずさっていた。
やがて、背中に当る何かに気がついた彼は、首をひねって背後をちらりと見た。
そんな彼の頭上から、拳を思い切り振り上げる大男が影を落とした。
「×××××!!」
悲痛な声を上げる少女を胸に抱いて、ニーメも思わず固く目を閉じた。
「おおおおお!!」
誰もが少年が無残に叩きのめされる様を思い浮かべたその時、先ほどより何倍も大きなどよめきが広間に湧き起こった。
その声にこわごわ祭壇を見上げたニーメの目に、信じられない光景が映った。
「う……そ……」
見るとそこには、剣を両手に構えて大男を睨みつけている少年の姿があった。
紛れもなくその剣は、先ほどまでラーの足元に刺さったまま、誰にも抜けなかった王家の剣だった。
「まさか……、あの人が……メシア……?」
黒髪の少年は、肩で大きく息をしながら剣を握りしめ、青い瞳で大男を睨みつけている。
その殺気だった目は、まるで獣のように荒ぶっていた。
だが次の瞬間、そんな彼の目の前で、大男の体が砂の像が風に崩れ散るように音もなく消え去った。
驚きの表情を浮かべて立ち尽くす彼から、ふと祭壇へ続く階段に視線を移すと、一段ずつ彼の元へ近づいていくダリアンの後ろ姿があった。
最上段まで登りきったダリアンは、白い衣を翻して少年の前に跪いた。
目を見開き言葉を失ったままの少年に向かい、ダリアンはみぞおちに手を添えて、深々と頭を下げた。
『十六年間、お待ちしておりました。メシア』
「ダリアン様!!」
その時、戸口から日に焼けた軽装の男が、ひどく慌てた様子で駆け込んできた。
「トトおじさん!」
聞き覚えのある声に、ニーメは振り返って男の顔を仰ぎ見た。
彼は彼女が幼少の頃世話になっていた漁師の下働きで、小さい頃よく遊んでもらったトトという男だった。
一瞬、ニーメの顔をちらりと見たトトだったが、すぐさまダリアンの方へ向き直った。
「ダリアン様! 空が……。いえ、ラーが空に戻ってきました!!」
「なんだって?!」
トトの言葉に、室内にいた者達は、そばにいる者同士顔を見合わせてから、急いで窓際に駆け寄り、身を乗り出して空を見上げた。
そしてそこに広がる光景を目にした瞬間、彼らの顔は一気に歓喜の色に染まった。
「ラーだ!! ラーが空に輝いているぞ!!」
「空も青い! 元に戻ったんだ!!」
勢いよく窓から飛び出していった者達は、神官も兵士も入り乱れて、互いに肩を抱き合い、喜びの声をあげ始めた。
耳をすますと、町の方からも歓喜に沸く、無数の人々の声が聞こえてきた。
ニーメも少女の肩を抱いたまま、背後の壁に開けられた窓に近づき、空を見上げてみた。
「これが……空?」
初めて目にした光景に、ニーメは言葉を失った。
そこに広がっていたのは、黒い影がとぐろを巻く見慣れた赤い空ではなく、どこまでも澄み渡った青い空だった。
吸い込まれそうな青空に薄い綿毛のようなものが浮かび、穏やかな風に乗ってゆっくりと流れていく。
あれが、話で聞いたことがある雲というものだろうか。
その雲を目で追って目線を上げていくと、突如、強烈な光の塊が現れ、彼女は思わず目を閉じた。
見たい。
でも、見れない。
ニーメはその塊を見ようと何度も試みてみたが、あまりの眩しさに目が潰れそうで、結局直視することはできなかった。
仕方なく目を閉じたまま見上げてみると、体全体に心地よいぬくもりが感じられ、瞼を巡る血の赤が鮮やかに視界を覆い尽くした。
そっと目を開き、光の元から少しずらした場所に目を向けてみる。
すると、祭壇に飾られたラーの象徴のように、放射状に地上に向かって伸びるいくつもの光の筋が見えた。
「これが……
この光に包まれていると、不思議と生きる希望や生命力が、体の中から満ち溢れてくるような気がする。
そして、ラーの光を浴びた草花の色の、なんと鮮やかで美しいことか。
はるか遠くに見える海も、宝石を散りばめたように、キラキラと煌めいている。
いつもくすんだ赤に染まっていた神殿の大理石の柱も、空の青に映えて一層白く輝いて見える。
『ああ、ムーの町だ……』
その時、不意に少女の心の声がニーメの中に響いてきた。
「え?」
思わず振り返った彼女から、少女は慌てて視線を外し、次の瞬間心にピシャリと蓋をした。
『彼女は一体……』
しばらく少女を不思議そうに見つめていたニーメだったが、ふと背後の祭壇が気になって視線を戻してみた。
そこには先ほどと変わらず、剣を片手に立ち尽くす少年と、そんな彼に跪き続けているダリアンの姿があった。
『ラーが蘇ったということは……。本当にあの人がメシアなの?』
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