第五話 瑠璃の宙(そら)
いつしか
浅く椅子に座り、頭を抱えているダリアンの傍で、トトはかける言葉が見つからず、いつもより小さく見える背中を見つめていた。
「?」
ふと、そんなトトの視線が、ダリアンの手元で止まった。
「ダリアン様、スフェラの色が……」
トトの言葉に、ダリアンはゆっくりと頭を持ち上げて、手の中のリングに視線を落とした。
見ると巨大な銀の指輪には、緋色の石が埋め込まれていた。
「赤い……?」
十六年前のあの日、双子の赤ん坊をレムリアの血がにじむ布に包み、ギルトに渡してしまった。
その血が付くことにより、スフェラは力を失い、ギルトは命を落としたに違い無い。
そのためダリアンは、白く変色した石がそこにあると思い込んでいたのだ。
ダリアンが怪訝そうに指輪を見つめていると、それまで黙って彼らの様子を見ていた隼が口を開いた。
「
少年の言葉に、ダリアンは再び深く首をうなだれた。
あって欲しくないと願っていたことが現実に起きたことを知り、彼は改めて己の愚かさを悔いた。
そんな彼を、戸口のそばに立つカスコも、腕組みをして静かに見守っていた。
「では……なぜ、このような色に……?」
主人の言葉を代弁して、トトが隼の顔を見上げて尋ねた。
「よくわかんねえけど……無意識のうちにその石に血を滴らしてたんだ。その瞬間、赤い光に包まれて……気がつけばここにいた」
隼は断片的な記憶を拾いながら、途切れ気味に答えた。
彼の話を頷いて聞いていたダリアンは、椅子から立ち上がると、長椅子に座る少年の方へ近付いていった。
「その血によってスフェラが蘇ったということは、あなたは間違いなくメシア、この国の王となられる方です」
「スフェラ……」
その言葉の響きに、隼は何か胸騒ぎを覚えた。
だがそれを否定するかのように、彼は目を伏せて頭を左右に振った。
「何を期待しているかは知らねえけど、俺はあんたらの救世主にも、王様にもなるつもりはねえよ。帰り方さえわかれば、さっさとここから退散させてもらう」
椅子から立ち上がり、隼はそう言い残すと、ダリアンに背を向けて戸口の方へ歩き始めた。
ドアの前で立ち止まった彼は、そこに立つ赤髪の大男を睨むように見上げた。
カスコは腕組みをしたまま、そんな少年の顔を冷めた目で見下ろしていた。
全く動じない男の様子に、隼は面白くなさそうに舌打ちをして、ドアノブに手をかけた。
「メシア!」
直後、ドアが閉まる大きな音に、トトの声がかき消された。
慌ててトトはダリアンの方へ向き直り、目で少年の後を追うべきか問いかけた。
ダリアンが静かに頷くと、小柄な男は木製のドアを開けて部屋から出て行った。
「矢沢くん!」
ダリアンの部屋を後にした隼が廊下を歩いていると、背後から彼を呼び止める声がした。
立ち止まって振り返ると、コートを脱ぎ制服姿になった莉香が、息を切らせて駆け寄ってきた。
そんな彼女の後を追って、金髪の少女も少し遅れて近付いてきた。
「もう、気分はいいのかよ」
隼はわざとぶっきら棒にそう言って、黒髪の少女を見下ろした。
「うん。もう平気」
同調で見た酷い情景に、顔を青ざめさせて部屋を出て行った彼女だったが、その表情を見る限り、もうすっかり立ち直ったようだった。
心の中で密かに安堵している隼の前で、莉香は口元に手を当ててくすりと笑った。
「最低な人だと思ってたけど、矢沢くんって、結構優しいよね」
「はあ?!」
莉香が発したあまりに意外な言葉に、隼は思わず大きな声をあげてしまった。
思いのほか廊下に響いた自分の声に驚いた彼は、焦りを悟られまいと、彼女に背を向けて早足で歩き始めた。
「ここに来る前、突然赤い光に包まれた時も、こっちに来てからも、ずっと私を庇ってくれてたじゃない」
「記憶にねえな」
背後から彼の顔を覗き込もうとする莉香から逃れるように、隼はさらに歩みを速めた。
だが、そんな彼の後を、莉香は小走りしながら執拗に追いかけていった。
「素直になったら、もっとモテるのに」
「今のままでも、女に不自由したことなんかねえよ」
しつこくまとわり付いてくる莉香に、隼の中で苛立ちが膨らみつつあった。
「まあ、見た目は悪くないけど、性格がねえ。それじゃあ、付き合っても長続きしないでしょ」
核心を突く莉香の言葉に、隼は思わず足を止めて、勢い良く振り返った。
「お前、立ち直り早すぎじゃね? 突然こんなとこに飛ばされてきて、不安とかないわけ?」
苛立ちをぶつけるように、声を荒げる隼に、莉香は一瞬びくりと肩を震わせた。
だがその直後、ほっとため息をついた彼女は、落ち着いた様子で彼の顔をまっすぐ見つめた。
「そりゃ不安だけど……。ジタバタしたからって帰る方法が見つかるわけじゃないでしょ?」
「……」
平然と言う彼女に、隼が呆気にとられていると、突如、金髪の少女が目の前に押し出されてきた。
戸惑いの表情を見せる彼の前で、莉香は少女の肩に手を置いてにっこりと笑った。
「彼女はニーメちゃん。私たちと同じ日に生まれたんですって」
「あ……あの……」
突然背中を押され、少年の前に突き出されたニーメは、困惑しながら背後の莉香を見た。
「お前の話には、順序ってもんがねえのかよ」
言葉とは裏腹に、話題が自分と別の方向へ移ったことに隼は安堵した。
「大体お前は……」
さっきの仕返しに、嫌みを言いかけた隼だったが、目の前の少女と目が合った瞬間に言葉を失った。
腰まで伸ばした、絹糸のようにきらめく金色の髪。
少し吊りあがった大きな瞳は、深い湖の底のように澄んだブルーだ。
一見か弱く控えめな性格に見えるが、その瞳の奥には意志の強さが潜んでいる。
この少女に会ったのは今日が初めてのはずなのに、なぜか彼女が纏う雰囲気には、切ないまでの懐かしさが感じられた。
「美人でしょう? 彼女、ダリアンさんの養女なんですって。十六年前に起きたことも、彼女から大体聞いたわ」
明るい声色で話す莉香の声も、隼にはどこか遠くに聞こえていた。
「やだ。矢沢くん、見とれすぎ」
莉香に袖を引かれ、我に返った隼は、慌ててニーメから目をそらした。
「そんなんじゃねえよ」
動揺する心を隠すように踵を返し、再び足早に歩き始めた隼の後を、莉香も慌てて追いかけた。
「ちょっと! 待ってよ、矢沢くん!」
「莉香様!」
そんな少女の後を追おうとするニーメの腕を、背後から何者かが掴んで引き留めた。
「トトおじさん……」
振り返ると、そこには隼の後を追ってきたトトがいた。
馴染みの顔を前に、ほっとため息をついたニーメは、改めて前を行く少年と少女の背中を目で追った。
「おじさん。あの方は、本当にメシア……コールガーシャ皇子の生まれ変わりなの?」
思わずニーメは、胸の中に渦巻く疑問を、トトに投げかけてみた。
「私にはとてもあの方が、ダリアン様が待ち続けていた方だとは……」
徐々に廊下の向こうに小さくなっていく少年の背を見つめながら、ニーメは眉をひそめた。
彼女には、相手を選ばず横柄な態度をとるあの少年が、人徳者であったと伝え聞くコールガーシャ皇子の生まれ変わりだとは、どうしても信じられなかったのだ。
「人格の形成には、生い立ちが大きく関係するからね。あの方はこれまで、コール様とは全く違う人生を歩んでこられたのだろう」
そう言いながらトトは、少年の後ろ姿に、遠い日のコールの姿を重ねて見ていた。
「でも、本来あの方が持っておられる真の輝きは、生まれ変わっても変わらないはずだよ」
神殿の出口へ向かって行く隼と莉香の後を、ニーメとトトも少し遅れてついていった。
薄暗い廊下を抜けると、大理石の柱と神々の像が立ち並ぶ大広間が続く。
そして、そんな少年の後を追いながら、彼の顔を覗き込む少女の明るい笑い声が、無機質な空間に響き渡った。
やがて二人が外へ続くドアの前まで近付くと、長槍を手にした門番が彼らの行く手を阻んだ。
視線で「開けても良いか」と尋ねる門番にニーメが頷くと、彼はドアの向こう側に掛け声をかけて、天井まで届く巨大な木の扉を手で押した。
「わあ!!」
扉が開け放たれた瞬間、ニーメは思わず感嘆の声をあげた。
これまで緋色一色だったはずの扉の向こうに見える空が、見たことのない紺碧色に染まっていたのだ。
地平線近くの空は、赤みがかった紫に近いブルーだ。
視線を上げて行くほどその色は徐々に青みを増してゆき、天上には限りなく黒に近い濃紺の空が広がっている。
扉の向こうに見える情景のあまりの美しさに、ニーメは思わずその場から駆け出した。
そのまま戸口から飛び出した彼女は、広場の中央で立ち止まり、大きく背を反らして初めての夜空を仰ぎ見た。
白い光が無数に瞬く瑠璃色の
「綺麗な星空ね」
彼女の隣で、同じように空を仰ぎながら、莉香が吐息まじりに呟いた。
「これが……星?」
「月が見えないから、今日は新月なのかな。だから一層、星が綺麗に見えるのね。あ、天の川も見える!」
突然、叫ぶような声を上げて、莉香が指差した方向に目を向けると、紺碧の空にミルクをこぼしたような光の帯があった。
闇に包まれた夜など、不便なだけで必要がないと思っていたニーメだったが、初めて目にした夜空のあまりの美しさに、一瞬で魅せられてしまった。
「私たちの住んでいた町では空が明るすぎて、天の川なんて見たことなかったわ」
目を輝かせて空を見つめている莉香から前方に視線を移すと、少し離れた場所に満天の星を背景に立つ少年の後ろ姿があった。
目を凝らして見ると、彼は手にした青白い光を放つ板状のものをじっと見つめていた。
ニーメが見つめる対象に気が付いた莉香は、彼女の手を強引に引いて隼のそばへ走っていった。
「矢沢くん、何してるの?」
「ん……ああ」
振り返った隼は、言葉では返さずに、手にした携帯電話の画面を莉香の方へ向けた。
薄い板が放つ強烈な青白い光の眩しさに、ニーメは思わず目を細めた。
「予想はしてたけど、やっぱ圏外だ」
携帯をポケットに押し込みながら、隼は大きなため息をついた。
「ああ……」
「これじゃマップ機能も使えねえし、ここがどこなのか判断する術は今んとこねえな」
舌打ちをする隼の隣で、莉香は少しおどけたような表情を浮かべて言った。
「全くの別世界に来ちゃったとか。ほら、よく漫画や小説にある異世界ってやつ?」
一瞬、冷めた目で莉香の顔を見下ろした隼は、深いため息をつくと、再び
「それはねえな。少なくともここは、俺たちがいたのと同じ、地球上のどこかだ」
「どうしてわかるの?」
首を傾げる莉香に、隼は星空を指差しながら面倒くさそうに答えた。
「星だよ。お前でも知ってる星座がいくつか見えるだろ。異世界ってのがもしあるなら、星の位置まで一緒ってことねえんじゃね? まあ、ここがSFに出てくる
「なるほど」
隼の説明に納得したのか、莉香は何度も首を上下に振った。
「ここが同じ地球上だとして、こんな国があるなんて、今まで聞いたことがねえ。ジャングルの奥地にある小さな集落ならともかく、海に面したこれほどの規模を有する都市が、未だ発見されてないなんて考えにくい。しかもここには、太古に滅んだはずの翼竜が生きてるんだ。世間が放っておくはずがない」
腕組みをして考え込む隼の背後で、話の内容がわからないニーメとトトは、遠くから彼の様子をただ見守っていた。
だが突然、そんな彼らの方を隼が振り返り、トトに尋ねてきた。
「なあ、そこの小さなおっさん、ここがムーってのは本当なのかよ?」
「……」
コンプレックスを指摘され、一瞬、ムッと頬を膨らませたトトだったが、なんとか気持ちを押し殺そうと自分に言い聞かせて、大きく咳払いをした。
「私の名はトトです。はい。ここはパラディソス島にある、ムー帝国ですよ」
抑えきれない感情を、言葉の端々ににじませながらトトが答えると、莉香も腕組みをして考えを巡らせた。
「ムー大陸なら、聞いたことがあるわ。かつて太平洋上にあったと言われる、失われた大陸でしょ? でもあれは、信憑性が薄くて、伝説の域を脱していないのよね」
ムー大陸とはアメリカの作家ジェームズ・チャーチワードが、著書の中でその存在を発表した、大災害によって海に沈んだとされる幻の大陸である。
生前、彼は聖書や古代の碑文にも、ムーのことが記載されていると主張したが、決定的な証拠は見つかっておらず、現在は創作、もしくは伝説であるとの見方が強い。
また、太平洋上にあったとされるムー大陸に住んでいた人々は、位置的にポリネシア系民族の祖先である可能性が高い。
だが、この国でこれまで会った人々の顔立ちは、どちらかといえば
とはいえ、隼にはこの国がムーと呼ばれていることが、ムー大陸の伝説と無関係だとは思えなかった。
「でももし、仮にここが伝説のムーだとすると、一万二千年前に栄えた文明ってことになる」
「じゃあ、私たちは太古にタイムスリップしちゃったの?」
非現実的なことを嫌悪していた以前の隼なら、時空を超えるなど、聞いただけで鼻で笑い飛ばしていたはずだ。
だが、実際に自分たちは真冬の日本から、どこかも知れないこの国へ、説明のつかない力によって飛ばされてきた。
しかもここでは、絶滅したはずの翼竜が空を舞い、数年前まで
『今はオカルトと呼ばれているものも、証拠が見つかった瞬間にサイエンスになるんだ』
突然、昔ある男がよくつぶやいていた言葉が、隼の中に蘇ってきた。
彼はその男のことが、大嫌いだった。
でもその反面、どこかでその男に憧れていた。
「その可能性もあるかもな」
そう小さくつぶやいて、再び隼は満天の星を仰ぎ見た。
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