第七話 少女たちの想い

 鐘が鳴るのと同時に、隼とカスコを球状の白い光が包み、恐れをなした人々が彼らから離れていった。

 直後、光の玉から神殿へ向かって一筋の閃光が放たれ、それを中心に群衆が割れて、自ずと道が作られた。


「参りましょうか」


 驚きに目を見張る隼の背後から、静かにそう言う男の声がして、振り返ると銀の杖を手にしたダリアンが立っていた。

 呆然と立ち尽くす隼の横を、微かな衣摺れの音を立てて通り過ぎて行った銀髪の男は、自らが作り出した光の道を神殿に向かって歩き始めた。




 神殿内を無言のまま突き進み、祭壇の足元で歩みを止めたダリアンは、人々の方へ向き直ると大きく息を吸い込んだ。


「伝説通り、昨日メシアが現れ、ムーにラーを蘇らせてくださった」


 落ち着きのある男の声が場内に響いた瞬間、歓喜の声が湧きあがった。


「ラ・ムー」


「ラ・ムー」


 やがて人々はそれぞれ膝を落とし、祈りの言葉を唱えながら、天を仰いでは額を床に擦りつけるという動作を繰り返し始めた。

 うねるようにうごめく人の波と、何度も打ち寄せてくる声に、祭壇の傍に立つ隼は圧倒されていた。

 両手を大きく広げたまま、人々が祈る様子を見ていたダリアンは、しばらくすると手のひらを前に押し出して静止を促した。

 直後、場内は水を打ったように静まり返った。


「運命により突如この地に導かれ、メシアご自身、まだ混乱の中にいらっしゃる。メシアからの言葉は後日改めて戴くことにして、今日は、十六年ぶりに昇り始めたラーに祈りを捧げよう」


 ラーの象徴へ向き直ったダリアンは、右手に握った銀の杖を高く掲げた。


「ラーに感謝を!」


 石壁に囲まれた室内に、ダリアンの声が響いた。


「ラーに感謝を!」


 老若男女が入り混じる民衆の声が、彼の言葉を繰り返した。

 一旦腕を下ろして一呼吸をついたダリアンは、再び手を広げて声を張り上げた。


「ムーよ、永遠なれ!」


「ムーよ、永遠なれ!」


 まさに今昇り始めた太陽が、ラーの象徴と重なり、黄金の線材の間を縫って帯状の光を放ち始めた。

 広間の隅々まで行き渡る放射状の光は、やわらかなぬくもりを伴って、そこに居並ぶ人々の顔を一人ずつ照らしていった。






 朝の祈りが終わると、隼は再びカスコに連れられて、宮殿の建つ丘へ戻った。

 宮殿前の広場に降り立った彼は、そこで待っていた神官によって食堂へ導かれた。

 一辺が10メートル近くある部屋の中央には、一枚板の長いテーブルが置かれており、その上に並べられた料理の数々が、大きな開口部から差し込む朝の光に照らされて、瑞々しく輝いていた。

 円板状に焼かれた手のひら大のパンと、林檎や葡萄が盛られた大きな籠。

 周りにはそれらを取り囲むように、銀でできた足の高いゴブレットとカトラリーが等間隔に並べられている。

 神官に導かれるまま、テーブルの中央部の席に隼が腰を下ろすと、木の器に盛られた湯気の立つ料理が運ばれてきた。

 口に運ぶとそれはトマトを煮込んだスープで、口に含んだ瞬間、その酸味の強さに不思議と懐かしさを感じた。

 昨夜は食べ物を口にする気になれず、食事を断った隼だったが、一晩明けるとさすがに空腹も限界に達していて、貪るようにスープをすすり、焼きたてのパンを口の中に押し込んだ。


「ここの料理は、お口に合いそうですか?」


 パンが喉に詰まり、胸を叩きながら隼がゴブレットに手を伸ばした時、ダリアンが室内に入ってきた。

 口を食べ物で塞がれた隼が、無言のまま男の姿を目で追っていると、彼に続いて莉香とニーメも姿を現した。


「おいしそう」


 テーブルの上に並べられた料理を目にした瞬間、莉香は胸の前で手を合わせて瞳を輝かせた。

 隼の正面にダリアン、その隣にはニーメ、彼女と向かい合う席に莉香がそれぞれ座った。


「なんだよ、お前。その格好」


 昨日の制服姿とは異なる莉香に気付き、隼は眉をひそめて言った。

 銀の刺繍が施された薄紅色のヒマティオンに、生成り色のキトン。

 高い位置でハーフアップにした黒髪には、金細工の美しいかんざしが飾られていた。


「かわいいでしょ? こういうの、着てみたかったんだ」


 ドレープがたっぷりととられた裾を軽く持ち上げ、莉香は嬉しそうに笑った。


「順応性たか」


 既にこの世界に馴染みつつある彼女の様子に、隼は呆れたように鼻から息を吐き出した。

 そんな二人の前では、ダリアンとニーメが胸の前で指を組み、目を閉じて神に食前の祈りを捧げていた。


「食事を終えられたら、メシアには神学校へ行っていただきます」


 やがて祈りを終えたダリアンは、そう言ってゴブレットを持ち上げて、葡萄の果汁を一口喉に流し入れた。


「学校?」


 その瞬間、隼は正面に座る男に視線を移した。


「はい。今日から神学校へ通い、この国の歴史や神通力の使い方を学んでいただきます」


 淡々と今後の予定を語るダリアンを、隼はテーブル越しに睨み付けた。


「こんなとこまで来て、なんで学校に通わなきゃなんねえんだよ。帰り方さえわかればすぐに退散するって言っただろ」


 反抗心をむき出しにして言う隼を、しばらくは冷めた目で見ていたダリアンだったが、やがて何事もなかったかのように今度はパンを手にとり、少しずつちぎって口に運び始めた。


「もう、もとの世界へ帰る方法が見つかったのですか?」


「……いや、それはまだわかんねえけど……」


 口ごもる隼を上目遣いに見つめて、ダリアンは更に話を続けた。


「この国のことを知ることで、もしかしたら帰る方法が見つかるかもしれませんよ。今のままでは、手がかりすら見当たらないのでしょう?」


「……」


 反論する言葉が見つからず、悔しそうに奥歯を噛み締める隼の前で、ダリアンは食べかけのパンをテーブルに置くと、目を閉じて眉間に指先を押し付けた。


「あなたの養父は学者。養母はお芝居をされている方のようですね。かなり裕福な家庭で育てられたようだ」


 突如、なんの脈略もなく、ダリアンは隼の境遇を語り始めた。


「なるほど。もといた世界でも、あまり熱心に勉強に取り組んではいなかったようですね」


 驚きを隠せない隼の前で、ダリアンは笑いを押し殺すかのように肩を震わせた。


「ふふ、まだお若いのに、女性の経験が豊富でいらっしゃる」


「?」


「しかも、これまでお付合いされてきた女性たちの外見から察するに、かなりの面食いのようだ」


「おい!」


 次の瞬間、隼は顔を真っ赤にして声を荒げた。

 ここにいる少女たち、特に純真そうなニーメに、このような話を聞かれたくないと思ったのだ。

 だがそれ以降も、ダリアンは一向に口撃を緩めることなく、更に隼自身でさえ自覚していなかった心の内を暴き続けた。


「相手が自分の内面に目を向けてくれないと嘆きながら、あなた自身が女性を見た目でしか判断していないということですね」


「よせ!!」


 次の瞬間、隼はテーブルを両手の拳で力一杯叩きつけた。

 スープの入った器が床に落ち、銀製のゴブレットが卓上に転がった。

 彼の怒鳴り声と、食器がたてる大きな音に、莉香とニーメは、思わず肩をすぼめて瞳を閉じた。

 しばらくして、ニーメが恐る恐る目を開けてみると、斜め向かいの席に、頭をもたげて立つ少年がいた。

 彼は、卓上についた拳を震わせて、肩で大きく息をしていた。


「おそらくこれまであなたは、人の心は読んでも、自分が逆に読まれることなど、考えたこともなかったのでしょう。だから、己の心に蓋をする術を知らない」


 ニーメが隣の席に視線を移すと、少年に諭すように語りかけるダリアンの姿があった。


「しかし、ここでは神殿や宮殿で仕える者の多くが同調の能力を有しています。このままではあなたは、彼らに裸の心を晒し続けることになるのですよ」


「……」


「それだけではない。今のままでは、同調を持たない人々にあなたの声は届かない。いつかもとの世界に戻られるのだとしても、その日までここで生きていくのなら、この国の言葉を覚え、自身の想いを伝える能力を身につけることは、無駄にならないはずです」


 ダリアンの話を聞いているうちに喉に渇きを感じた隼は、杯を手に取り、葡萄の果汁を一気に喉に流し込んだ。

 だが、さっきまでは甘く感じられていたそれは、味も匂いも残さずに彼の喉を通りすぎていった。






「あいつ、マジでむかつく」


 朝食を終えて食堂を後にした隼は、思い切り廊下の壁に拳を叩きつけた。

 宮殿内の廊下は基本的に建物の中心を通っていて窓がなく、日中でも松明たいまつが必要なほど暗かった。


「まあ、確かに矢沢くんの心はいつも剥き出しだもんね。私だったら、恥ずかしくて外を歩けないわ」


 背後からそう言う莉香に、隼は素早く向き直った。

 そんな彼女の数歩後ろには、いつものようにニーメが静かに付いて来ていた。


「なんでお前は、心を隠せるんだよ」


 焦りと怒りが入り混じった声で隼が尋ねると、莉香は一瞬、とぼけたように明後日の方向へ視線を逸らした。


「なんでって……。心を読まれるなんて、自分だったら嫌だなと思って。努力しているうちにいつの間にか……かな?」


 核心を濁すような莉香の口ぶりを不審に思い、再度彼女の心を覗こうとした隼だったが、やはり本心を見ることはできなかった。


『おそらくこれまであなたは、人の心は読んでも、自分が逆に読まれることなど、考えたこともなかったのでしょう』


 その時、隼の中になぜか、先ほどダリアンが口にした言葉が蘇ってきた。

 確かに彼はこれまで、他人に自分の気持ちを伝えようとしたことなどなかった。

 事前に相手の考えていることがわかれば、それに合わせるか逆手にとればことは済んだし、その時自分が何をどう思っているかなど伝える必要がなかったからだ。

 だがここに来て、自分だけが心を読まれるという状況に立ってみると、相手の心が読めないことに、初めて大きな不安と焦りを感じた。


「マジむかつく。あいつも、お前らも」


 ここでは多くの者ができることが、自分だけができない。

 しかも、相手には自分の考えていることや思っていることが丸見えなのだ。

 そう思うと、隼は急にいたたまれない気持ちになり、素早く踵を返して、早足で廊下を歩き始めた。


「メシアは……」


 そんな彼の背後から、今度はか細い別の女の声が聞こえた。


「メシアは、ダリアン様のことを、何も覚えていらっしゃらないのですか?」


 振り返ると薄闇の中に、松明の炎を受けて淡く橙色に輝く、ニーメの顔があった。


「覚えてるって、何を?」


 無駄だと思いつつも、心の内を隠すように隼は彼女に背を向けて、わざと強い口調で尋ね返した。


「ダリアン様は、前世ではあなたの親友だったのでしょう?」


 声を震わせながらも、必死に何かを訴えようとしている彼女を、莉香は傍から心配そうに見つめていた。


「前世? そんなの聞いてねえよ。あんたらの話では、コールは俺たちの親父だったんじゃねえの?」


 自分がコールの子であるということは、ここで出会った人々の反応から隼もなんとなく実感しつつあったが、彼女が口にしたことは初耳だった。

 だが彼は、実の父親や自分の前世が何者であろうと、どうでもよかった。

 それよりも、今目の前にいる少女が自分に向けてくる、敵意にも似た感情の正体が気になった。


「あなたは、コールガーシャ皇子の御子であり、同時に生まれ変わりだと、ダリアン様が……」


 恐怖なのか、怒りなのか。

 彼女が内に秘めている感情を探ろうと、隼は眉間に意識を集中させてみた。

 だがやはり彼女の心も他の者たちと同様、分厚い蓋で塞がれていて、彼の意識を一切寄せ付けなかった。


「だとしても、あいつが親友つれだったなんて考えられねえな。あんないつも冷めた顔していて嫌味なやつ。一番、俺の嫌いなタイプだ」


 悪意のこもった隼の言葉を耳にした瞬間、ニーメが顔を上げて彼の顔を睨み付けた。


「ひどい! ダリアン様は十六年間ずっと、あなたを待ち続けていらしたのに!!」


 普段の様子からは考えられないほど、語気を荒げて言う彼女に、隼は驚いて言葉を失った。


「あ……」


 自身が発した声に我に返ったニーメは、慌てて両手で口元を塞いだ。

 みるみるその顔は青ざめ、青い瞳に涙が滲んだ。

 次の瞬間、彼女は勢い良く隼に背を向けると、薄暗い廊下を逆方向へ走り出した。


「ニーメちゃん!!」


 莉香が慌てて呼び止めようとしたが、間もなく彼女の姿は、廊下の奥の闇に消えていった。


「矢沢くん!!」


 少女が消えた闇から向き直った莉香は、眉を吊り上げて隼を睨み付けた。

 莉香が怒っている理由がわからず、隼は戸惑いの表情を浮かべた。


「なんだよ。俺が悪いのかよ?」


 状況が理解できない隼は、狼狽える心を隠すように語気を荒げた。

 しばらくは唇を噛み締めて隼の顔を見上げていた莉香だったが、不意に視線を彼から外して背を向けた。


「彼女も、ダリアンさんが好きなのかな……」


 背を向けたまま、ぽつりと言った莉香の言葉に、隼は目を大きく見開いた。


「嘘だろ? あいつ、すげーおっさんじゃん。しかもあの二人は義理とはいえ親子だろ? ありえねえ」


 嫌悪感を露わにする隼に再び向き直り、莉香は怒りに満ちた目で彼を見上げた。


「まだお子様の矢沢くんには、大人の魅力がわからないのよ」


 見下すような莉香の言葉が、今度は隼の癇に障った。


「はあ? なんだよそれ。もしかしてお前も、あのおっさんに惚れてんの?」


 仕返しのつもりで、煽るように隼がそう言った瞬間、莉香の顔が真っ赤に染まった。

 

「え……?」


 予想外の反応に思わず動きが固まった隼の前を、莉香は逃げるようにすり抜けて行き、少し離れた場所で足を止めた。

 落ち着かない様子で、肩を震わせている少女の後姿を、隼は呆然と見つめていた。


「……マジかよ……」


 その時、隼の背中を大きな手のひらが力強く前に押し出した。

 思わずバランスを崩し、前のめりに倒れかけた隼だったが、なんとか体勢を持ち直して背後をかえりみた。

 するとそこには、鎧を身に纏った中年の男が、満面の笑みを浮かべて立っていた。


「今日から神学校へ通われるそうですな。早速、制服に着替えて準備をいたしましょう」


「え? いいよ俺は、このままで」


 慌てて逃げようとする隼の肩を、カスコの手ががっちりと摑んだ。


「離せよ!」


 上半身の自由を奪われた隼は、赤髪の男に押されるように廊下を歩き始めた。

 ここに来て目にした男たちの服装は、裾の長いスカート状のものか、あるいは足をむき出しにしたものがほとんどで、彼にとってそのようなものを身につけることは屈辱だった。


「離せー!」


 必死の抵抗も虚しく、隼は大男にされるがまま、その場から連れ去られた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る