第十三話 賢者と愚者

っ……!」


 黒服の男の一人が、莉香の右手の人差し指に針のようなものを突き刺した。

 少女の白い指先に、真紅の玉が滲み出す。

 痛みに顔を歪める莉香の腕を掴んで、もう一人の男が銀のリングにその手を近付けた。

 ポタリと一雫、滴り落ちた血がリングに埋められた白い石を赤く染めた。


「よし、それをネフィリムの指にはめろ」


 どこからか石の色が変わったことを確認したらしく、そう言う珠仙の声が響いた。

 それを聞いた黒服の男が水槽の足元に並んだスイッチの一つを押すと、天井付近から金属製のアームが伸びてきた。

 男の手からリングを受け取り、再び天井へと吸い込まれていったアームは、今度は水槽の中に沈み始めた。

 そうして、気がつけば銀のリングは、巨人の薬指にはめられていた。

 直後、ゴオーという排水音が鳴り響き、水槽内の水がみるみる減少し始めた。

 巨人の少年は動揺した様子で、四方のガラスの壁にしきりに手のひらを押し付けていた。

 やがて、液体が全てなくなり、厚いガラス製の筒が上昇し始めた。

 少年はますます混乱した様子で、ガラスの壁に手で触れる。

 だがまもなく、彼の体は完全に空気中に露出した。


「……」


 鈍く痛む指先を抑えながら、見上げる莉香の前に、ずぶ濡れの巨人の少年がやや前かがみに立っている。


「さあ歩け。ネフィリム」


 珠仙の声に、少年は右足をわずかに持ち上げた。

 八十センチ以上はありそうな巨大な足の裏が床から一旦離れ、再び踏みしめようとしたそのとき。


 ズシーン!!


 部屋全体を震わせて、巨人は前のめりに崩れるように倒れた。


「何が起こった!?」


 ややヒステリックな珠仙の声が響き、黒服の男たちが慌てて、右頬を床に付けて倒れる巨人の顔を覗き込む。

 その様子を、莉香も少し離れた場所から息をのんで見守っていた。

 彼女の目に映る巨人の少年は、口から泡を吹いて、全身をビクビクと痙攣させていた。


「早く! 水槽に戻すんだ!!」


 再びげきが飛び、それを合図に男の一人が壁のスイッチを押すと、天井から伸びてきたいくつものアームが、巨人の四肢を掴んで持ち上げた。

 糸の切れたマリオネットのように、力なくアームに吊り下がった巨体の周囲を、再びガラスの壁が覆う。


 ザザー!!


 天井から水槽内に液体が注がれ、まもなく少年の体は頭の先まで水に満たされた。

 だが、巨大な背中は、ゆらゆらと水中を漂い、自らの意思で動くことはなかった。


 ゴボッ……!!


 突如、口から大きな空気の玉を吐き出し、少年の体がゆっくりと回転し始めた。


「キャ!!」


 次の瞬間、莉香は顔を手で覆い、叫び声をあげた。

 向きが変わり、眼前に迫った少年の顔は蒼白で、白目をむいていたのだ。


「どういうことだ、ガゼロ。ネフィリムが死んでしまったぞ」


 再びヒステリックな珠仙の声が室内に響き、それと同時に自動ドアが開く音がした。


(ガゼロ?)


 聞き覚えのある名に、莉香が指の間から恐る恐る視線を向けると、一人の老人が水槽の壁にへばりつくようにして、中の巨人を見つめていた。


「馬鹿な……」


 泥だらけのキトンを纏い、青ざめた顔をしている老人の横顔に、莉香は覚えがあった。

 彼は、彼女が前世巫女であった頃、ムーで将軍職についていたガゼロだった。

 この男が災害に乗じてクーデターを起こしたことを、前世彼女は知らぬまま命を落とした。

 だが、莉香として生まれ変わり、ムーに来た彼女は、ニーメからその悪事を聞かされたのだ。

 己の欲望のために、父であるコールガーシャの命を奪い、被災して苦しむムーの人々を見殺しにした男。

 ダリアンによって罪人として捕らえられていたこの男は、アチャが命を落としたあの日、謎の飛行物体に連れ去られたと聞いていたが、まさか、珠仙の元にいたとは……。

 信じられない現実を前に呆然と立ち尽くす莉香の前で、やせ細った老人は、何かに気がついたのかハッと息を呑んだ。


「スフェラが白いままだ!!」


「何?」


 巨人の手元を指差す老人の声に、珠仙の声が反応した。

 と同時に、莉香の方へ向き直ったガゼロは、殺気立った目をして彼女に近付いてきた。


「こいつ……!」


「キャ!!」


 恐怖に身を硬くする莉香の腕を、ガゼロは老人とは思えない力で掴みあげた。


「昔、神官から聞きだしたことがある。レムリア妃の血は、スフェラを無力化すると」


「……」


 苦痛に歪む莉香の顔を見て、ガゼロは手に一層力を込めた。


「この女は、その血を引き継いだんだ!!」






「メシア……いや、ラ・ムー」


 隼が神学校へ向かって歩いていると、背後から呼びとめる声がした。


「テト」


 隼が振り返っていつものように片手を軽く振って見せると、テトはみぞおちにに手を当てて深く頭を下げた。

 そんな学友の姿を目にして、隼は面白くなさそうに口元を尖らせた。


「よせよ。調子が狂う」


「でも……」


 王位を引き継ぎ、ラ・ムーと呼ばれるようになった隼に対して、テトはどのような態度をとるべきか戸惑っているようだった。


「なんて呼ぼうが勝手だけど、俺はまだお前らと同じ学徒の身だし、気持ちもこもっていねえのに、頭だけ下げられても嬉しくねえよ」


「でも……」


 それでもなお、戸惑いを見せるテトに背中を向けて、隼は再び神殿のある丘に向かって歩き始めた。

 そうして彼は背を向けたまま、吐き捨てるように言った。


「その代わり、俺が王様らしくなったと心から思えたら、その時は地べたに両手をついて平伏ひれふしろ」


「ぷっ」


 隼の言い草に思わず吹き出したテトは、ほっと息をついて黒髪の少年の背中を追った。




「姫さまの行方は、まだ……?」


 隼の隣に並んだテトは、今度は神妙な面持ちになって尋ねてきた。


「ああ。ダリアンが毎晩幻影になって探しに行ってるけど、あれ以来一度も会えていないみたいだ」


「そうか……」


 力なくつぶやくテトの横顔を見ながら、隼も莉香のことを案じて表情を曇らせた。

 莉香が謎の男に連れ去られてから、もう三日が経つ。

 この間、ダリアンは幻影になって毎夜彼女を探しに出ているが、最初の日以来一度も会えていないようだ。

 限界直前まで幻影を飛ばし、疲弊しきって明け方に帰ってくるダリアンは、そのまま意識を失ったように眠りにつく。

 そのため、朝の祈りは王の後継者である隼の役目となり、彼は人々からラ・ムーと呼ばれるようになったのだ。

 だがその祈りの時間にも、ダリアンは幻影の姿で同席するし、陽が昇る頃には実体も起き出してきていつも通り公務をこなし続けている。


(いい歳して無茶しやがって)


 昼夜を通してほとんど休んでいない彼の体を、隼は密かに心配していた。


「大神官様って、姫様に惚れてんのか?」


「ぶっ!」


 突然のテトの問いに、今度は隼が思わず吹き出した。


「ま……まあ、そうみたいだな……」


 頭の中では理解していたつもりだったが、改めて人の口から聞かされると、なぜか気恥ずかしくなり、隼は赤い顔をして言葉を詰まらせた。


「でも姫様って、大神官様からすれば親友の娘だろ? 歳も親子ほど離れているし、姫様の身内としてはどういう心境なの?」


「どうって……」


 興味津々といった表情で顔を覗き込んでくるテトから、隼は逃れるように歩みを速めた。

 莉香が前世からダリアンのことを想っていたことは知っていたし、毎晩力尽きるまで彼女を探しているダリアンの姿を見ていると、一日でも早く二人を会わせてやりたいと、ごく普通に思っていた。

 だが、他人からみれば、二人の関係や歳の差は不自然に映るようだ。

 そう考えると、最近まで保護者としての姿勢を崩さず、彼女への想いを表に出そうとしなかったダリアンの心境が、隼にも少しわかるような気がした。


「まあ、いいんじゃね。多分、精神年齢ではあいつら、あまり歳が変わんねえから」


 前世の記憶を持ったまま生まれてきた莉香は、実年齢は十七歳でも、精神的にはその倍は生きていると言える。

 少女らしからぬ彼女の言動から、隼もそれは度々感じてきた。


「まあ、確かに。姫様はメシアよりずっと大人だよね」


 事情を知らないテトは、隼と比較して勝手に納得したらしく、大きく頷いた。

 そんな学友に、不本意さを感じた隼だったが、莉香の秘密を口にするのもなんとなく気が咎めて、出しかけた言葉をぐっと飲み込んだ。

 


 


「いい加減泣き止んでくれないかな」


 ベッドの上にうずくまる莉香の背中に、ため息まじりにテオスが言った。

 そんな彼の言葉には応じることなく、莉香は白いシーツを頭からすっぽりとかぶったまま、声を殺して泣き続けていた。

 もといた部屋へ戻された莉香は、ずっとベッドの上で一人で泣き続けていた。

 黒服の男に突き飛ばされて気を失っていたテオスだったが、しばらくして意識を取り戻したらしく、彼女の様子を見にやってきた。


(ギルトを殺してしまった……)


 莉香は心の中で、何度もそう繰り返しながら涙を流していた。

 水槽の中で生かされていた巨人ネフレムの少年は、そこから出された瞬間、前のめりに倒れて絶命した。

 それは、莉香の血がスフェラに力を与えることができなかったせいだ。

 そのことで彼女は自分自身を責め、心を痛めていた。


「ネフィリムが死んだのは君のせいじゃないよ。そもそもは、珠仙博士が水槽から出したせいだ。それに、ヤツの替えなら他にもたくさんいる」


「……え?」


 テオスの言葉に、莉香の肩の震えが止まった。


「ヤツは、オリジナルの細胞から生み出されたクローンのうちの一体に過ぎない。この研究所内にはヤツの他にもまだ、何十体もネフィリムのクローンがいる」


「あんな可哀想な子が、まだ何十体もいると言うの?」


 勢いよくシーツをめくり上げた莉香は、叫ぶように言って涙に濡れた目でテオスを凝視した。

 彼女の剣幕に、一瞬は身を引いたテオスだったが、しばらくして再びふっとため息をついた。


「ああ。だから一体くらい死んでも気にすることはないよ」


「一体……くらい……?」


 テオスの言葉に、莉香は眉をひそめて嫌悪感を露わにした。


「クローンということは、元になった細胞はコピーだとしても、そこから独自の細胞分裂と成長を続けてきた別人格でしょ? あの子はあの子だけ。替わりなんて他にいるわけがないのよ」


 まくしたてるように言う莉香に、テオスは眉をひそめて閉口した。


「ヤツらに人格なんてないよ。頭の中にはAIが埋め込まれていて、感情なんてないんだから。痛いとか、苦しいとか、死への恐怖も感じることはないんだ」


「……」


 平然と語るテオスに、莉香は顔を青ざめさせて言葉を失った。


「……あなたたちは、ネフレムに何をさせようとしているの?」


 震える声で尋ねる莉香に、テオスはため息まじりに微笑んで見せた。


「何って、防衛だよ。今のこの世界では、人類は賢者ソフォス愚者ヴラカスの2種類に分かれている。ヴラカスたちは自らは何も生み出さないくせに、我々ソフォスの利益を奪おうと常々攻撃を仕掛けてくるんだ。それらから、ソフォスたちの生命と財産を守るために、ネフィリムが必要なんだよ」


「つまり……戦いの道具……?」


 淡々と語るテオスに、梨花は言葉を詰まらせながら尋ね返した。


「まあ、そういうことになるね。珠仙博士は最初、巨大な戦闘用ロボットの開発も考えたみたいだけど、ネフィリムのクローンを増やしたほうがローコストだとの結論に至ったらしいんだ」


「……」


「あとは大量のスフェラと、王家の血さえあれば、ネフィリムをソフォスたちに高く売りさばくことができる。残念ながら、君の血は役に立たなかったみたいだけどね」


「……」


「僕は君の血より、君自身に興味があるけど、奴らはそうじゃないみたいだ」


 そう言ってテオスは莉香の額を指先で軽く小突いた。

 そんなテオスの顔を、莉香は大きく開いたエメラルド色の瞳で見つめた。


「大量のスフェラって……まさか……」


 蒼白になった莉香の顔を見たテオスは、自分の顎を撫でながら明後日の方向を見つめた。


「あのガゼロじいさんの話では、ムーには大量のスフェラが眠っているらしいね。王子様の血も必要になったことだし、近々ゴッドはムーに兵を送り込むんじゃないかな」

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