第十二話 ギルト

 莉香は、無機質な廊下を歩いていた。

 白一色で塗りつぶされ、緩やかなカーブを描く壁には、のっぺりとした銀色の扉が等間隔に並んでいる。

 周囲に人の気配は感じないが、どこからか誰かに見られているような、居心地の悪さが常につきまとう。

 おどおどと周りを見回しながら歩く彼女の少し前を、Tシャツにジーンズ姿の青年が歩いている。

 レモンイエローの髪を短く刈った彼のことを、莉香は名前以外何も知らない。


「さあ、ついたよ」


 とある扉の前で足を止めたテオスは、後ろを振り返ってそう言った。

 顔を強張らせる莉香に軽く笑って見せた彼は、再び扉へ向き直り、そこに埋め込まれたカメラらしきものを覗き見た。


 ポーン


 間も無く、くぐもった電子音がして、金属の扉が左右に開いた。


「さあ、行こうか」


「……」


 扉の向こうに広がる闇に、足をすくませる莉香の手を掴んで、テオスは部屋の中に引き入れた。

 すると、莉香の体が完全に室内に入るのを待ち構えていたかのように、再び電子音が響いて扉が閉じた。

 不安そうに周囲を見回す莉香の手を引いて、テオスはさらに部屋の奥へと歩みを進めた。

 しばらくして暗さに目が慣れ、室内の様子が少しずつ見えてきた。

 天井高が十メートルはあろうかと思われるこの部屋は、青白いほのかな光に包まれていた。

 耳をすますと、どこからともなく、水泡が弾けるようなコポコポという音が聞こえてくる。

 音のする方へ目を向けると、部屋の中央部に天井まで届く円筒形の巨大な水槽があり、水音はそこから聞こえているようだった。

 照明により青く染まる液体には、細かい泡が隙間なく立ち上り、中まで見通すことはできない。


「やあ、久しぶりだね。莉香」


 突如、機械的に加工された男の声が室内に響いて、莉香はびくりと肩を震わせた。

 怯えて周囲を見回す彼女に、男の声はクククと低い笑い声をあげた。


「驚いたな。お前の姿は、行方不明になったあの頃と、ほとんど変わっていないじゃないか」


 男の声と口ぶりから、ある人物に思い当たった莉香は、正面にそびえる水槽を見上げて息をのんだ。


「……パパ?」


「ふふ。私の声を覚えていてくれたんだね」


 加工されてはいたが、その声は莉香の育ての親、珠仙博士のものだった。


「パパ。あなたが、ゴッドなの?」


 莉香の問いに、珠仙はふふふとまた笑い声をあげた。


「まさか。ゴッドは、私のような凡人とは違い、もっともっと偉大な方だよ」


「姿を見せて! パパ!」


 不気味さを感じ始めた莉香は、水槽に向かって大きな声をあげた。


「私は歳をとりすぎてね。もう、お前のところには行けないんだよ。何しろ、お前がいなくなってから、四十年近くも経つのだからね」


「四十年……」


 当時、珠仙は既に五十代中ばだった。

 この男の言うことが事実なら、彼は現在、百歳近い老人ということになる。


「これは私の臆測だがね。スフェラの力により、我々の時間軸に比べて、何百倍も高速で時空を移動していたムーは、お前が持ち出したリングの力が重なった瞬間、さらに加速したのだろう。それが四十年という誤差を産んだんだ」


「……」


「まあ、難しい話はこれくらいにして、スフェラを返してもらおうか」


 珠仙がそう言い放つと、音もなく黒服の男が二人現れ、莉香の両腕を掴んだ。


「はなして!!」


 振り払おうと暴れる莉香の腕を、顔まで黒い布で覆った男らは、さらに強く締め上げた。


「おい! 手荒な真似はするな!」


 苦痛に歪む莉香の顔を見て、テオスが男の一人の肩に手をかけた。

 だがその瞬間、彼の体は見えない力によって後方へ飛ばされ、硬い床の上を横滑りしていった。


「テオス!」


 倒れたまま動かなくなったテオスに向かって、大声で呼びかける莉香の腕から、男の一人が銀色のリングを抜き取った。

 その後も抵抗し続ける彼女を引き摺るように、水槽の前へ進み出た男たちは、目に見えない誰かに向かってリングを高く掲げた。


「スフェラを使って、何をするつもりなの?」


 自由を奪われながらも、強気な口調で尋ねる莉香に、珠仙はまたクククとくぐもった笑い声を上げた。


「前世の記憶があるお前なら、こいつに見覚えがあるかな」


 珠仙の言葉と同時に泡が途切れ、水槽の中の透明度が上がった。


「!!」


 そこに現れたものを見て、莉香は思わず目を見開いた。

 青白く光る水槽の中には、金色の長い髪を水に漂わせた全裸の少年がいた。

 うつろな青い瞳で彼女を見つめているその少年は、背丈が七メートル近くはありそうな巨人だった。

 もう長い間、狭い水槽に閉じ込められているのか、巨人の肌は抜けるように白く、体は筋肉が落ちてやせ細っていた。


「ギルト……」


 先ほど珠仙が言ったように、莉香はこの巨人の顔に覚えがあった。

 前世、ムーで巫女として働いていた彼女は、神殿でよく彼の姿を見かけた。

 コールガーシャ皇子の忠実なしもべであり、その巨体を活かして神官や巫女の手伝いをよくしてくれていたこの少年は、ネフレムの唯一の生き残り、ギルトだった。


「どうしてこんなところに閉じ込めているの? 出して! 今すぐ出してあげて!!」


 莉香は泣きながら、どこにいるのかわからない義父ちちに向かって大声で訴えた。


「人聞きが悪いな。こいつはこの中にいるから、生きていられるのだよ。外に出せば、己の体重を支えきれずにすぐに死んでしまうんだ」


「……」


「それにこいつはお前が知っているオリジナルじゃない。オリジナルはすでに雪山で死んでいたからね。こいつはその細胞から作り出したクローンだ」


「……」


 思わず後ずさる莉香の体を、黒服の男たちは再び水槽の前に押し出し、白い石の埋め込まれたリングを彼女の眼前に突きつけた。


「でも、スフェラさえあれば、こいつを外に出してやれるんだろう? さあ、お前の血をその石に注いでやってくれ」







 ダリアンの部屋から出た隼は、後手に扉を閉めて大きくため息をついた。

 ダリアンの意識が戻るのを待っているうちに、夜明け近い時間になってしまったようだ。

 廊下では見張りの兵たちが、朝の交代の儀式を行っていた。

 

「メシア……」


 聞き覚えのある声がして振り返ると、不安気な顔をしたニーメが立っていた。


「ダリアン様は……?」


「意識は取り戻した。でも、体力が回復するまで、しばらく休ませたほうがいい」


 ダリアンの意識が戻ったと聞いて、一瞬ほっと息をついたニーメだったが、再び眉を寄せて問いかけてきた。


「……莉香様の行方は……?」


「幻影には会えたらしいが、実体はどこにいるのかわからない」


「……莉香様……」


 莉香の身を案じて瞳を潤ませているニーメに、隼は迷いながらも言葉を続けた。


「お前には悪いけどさ、ダリアンあいつ、珠仙にマジみたいだわ」


「……」


 その瞬間、ニーメは目を大きく開いて隼の顔を見上げた。

 そこで彼女と目が合った隼は、気まずそうに視線をそらして頭をかいた。


「なんか……悪いな」


「どうして、メシアが謝るのですか?」


「いや……珠仙は俺の……その……身内みたいだからさ。なんとなくな」


 自分でも何を言っているのかわからなくなった隼は、顔を隠すように、ニーメに背を向けた。

 そんな彼の背中を呆然と見つめていたニーメだったが、しばらくしてふっとため息をついた。


「私、ダリアン様には命を救っていただいた恩を感じていますし、心から尊敬もしています」


 そんなことわかってる……と心の中で呟いて、隼は小さく舌打ちをした。


「でも、あの方へ抱いていた気持ちは、憧れだったのだと気が付きましたから……」


 ニーメの言葉に引っかかりを感じた隼は、思わず振り返って彼女の顔を見た。

 すると今度は、ニーメが慌てて彼から目をそらした。


「そうか……」


 そんな彼女を、隼は同情をするような目で見下ろした。


「ならいいけど、無理に気持ちにケリつけようとすんなよ」


「……」


 そう言って隼は、再びニーメに背を向けた。


『無理に気持ちの整理をしなくてもいいんだよ』


 その時突然、ニーメの頭の中に誰かの声が響いてきた。

 さっき隼が口にした言葉とよく似たことを、昔誰かにも言われたような気がする。

 でも、どれだけ思い出そうとしても、言葉の主の顔は、霧がかかっているようにぼやけて見えない。


(無理なんかしていない)


 その時も自分はそう思ったのだ。


(だって、私はあなたのことを……)



「メシア!」


 その時、トトが声を張り上げて駆け寄ってきた。

 咄嗟に真顔に戻った隼は、小柄な男に向き直った。


「まもなく朝の祈りの時間ですが、ダリアン様は……?」


「意識は戻ったが、まだ立てる状態じゃない」


 硬い表情で答える隼の前で、トトは顎に手を当てて唸り声をあげた。


「そうですか……」


 しばらくそのまま考え事をしていたトトだったが、ふと何か名案が浮かんだらしく、目を輝かせて隼の顔を見上げた。


「では、メシアが代わりにラーに祈りを捧げて下さい」


「え? 俺が?」


 驚く隼の背を手で押して、トトは「早く早く」と言いながら今来た道を戻り始めた。


「待てよ。俺まだ、学徒の身だし。大体、祈りの仕方なんてわかんねえよ……!」


 狼狽うろたえる隼の背を、トトは両手でさらに強く押して歩き出した。


「何をおっしゃるのですか。あなたは生まれながらのラ・ムー。本来はラ・ムーの役割であった朝の祈りを、これまではダリアン様が代理で務めていただけなのですから」


「だからって、いきなり……!」


 あっけにとられているニーメの前で、激しく言い合いながら、二人は廊下の向こうに小さくなっていった。



『少し強引だったかな』


 不意に耳元でそう言う男の声がして、ニーメは振り返った。

 するとそこには、幻影のダリアンが立っていた。


「ダリアン様……?」


『私がトトに頼んだんだ。実体はまだ、起き上がれそうにないからね』


「……」


『さあ、お前もあの方のラ・ムーとしての最初の務めを、しっかり見ておきなさい』


 そう言い残すとダリアンは、煙のように廊下の闇に消えた。





 隼は祭壇の裏で、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 彼の見つめる先には、昇り始めた陽の光を受けて、巨大な黄金のラーが輝いている。


 あの後、トトに別室へ連れて行かれた彼は、そこで着替えを強要された。

 ダリアンを休ませるためだと言われ、腹をくくった彼は、渋々ながらも裾の長い純白の神官服に袖を通した。

 そんな彼の肩に、トトはダークグリーンのガウンを掛けながら、懐かしそうに目を細めた。


「これは、コールガーシャ皇子のお父様であるラ・ムー、つまりあなたのおじい様が着ていらしたものなんですよ」




 その後、プテラの背に乗って神殿の丘まで来た彼は、今こうして祭壇の足元に立っている。


「メシア、これを……」


 緊張した面持ちでラーを見上げている隼の背後から、トトが声をかけてきた。

 彼の手元を見ると、見覚えのある黄金の杖が携えられていた。

 それは、普段は祭壇の最上段に置かれている、歴代のラ・ムーが引き継いできた黄金の杖だった。


「さあ、もう日が昇り始めます」


 トトから杖を受け取った隼は、心を決めたように大きく頷いて歩き始めた。


 隼が姿を現した瞬間、神殿の広間に大きなどよめきが起こった。

 無数の人々の視線を横目に感じながら、一歩ずつ歩みを進める。

 そんな彼の姿を、人々は息を呑んで見守っていた。


 やがて、祭壇の正面で足を止めた隼は、顔を上げて再び輝くラーの象徴を見上げた。

 ラーを象った黄金の球に朝日が重なり、そこから放射状に突き出た線材の間を通り抜けて、陽の光が彼の顔に降り注ぐ。

 その輝きと温もりを全身で受け止めようと、気がつけば隼は両手を広げて高く掲げていた。

 ふと、昔、これと似た光景を、遠くから見たことがある気がした。

 彼の見ている前で、あご髭を胸まで伸ばした初老の男は、今の彼と同じように空に向かって両手を伸ばし、ある言葉を口にしていた。

 その男のことを、自分は心から尊敬し、また、いつかは越えたいと思っていた。


「ラーに感謝を!」


 気がつけば、男がいつも言っていた言葉を口にしていた。


「ラーに感謝を!」


 少しの間をおいて、彼の言葉を反復する老若男女の声が神殿内に響き、その瞬間、周囲の空気が変わった。


「ムーよ、永遠なれ!」


 再び隼は、男が言っていた言葉を大声で言い放った。


「ムーよ、永遠なれ!」


 すると一層大きく、呼応する人々の声が広間に響き渡った。




 幻影姿のダリアンは、祭壇の脇からその光景を目を細めて見ていた。

 少年の姿に、在りし日の親友の姿が重なり、目頭が熱くなった。

 あの頃の自分は、王となった友を支える日を夢見ていた。

 だが、コールは、ラ・ムーとしてあの場所に立つことなく、この世から去った。

 以来、体の一部を失ったような空虚感が常にあった。

 今、陽の光に包まれ、ラーに祈りを捧げている少年の姿は、当時の親友に瓜二つだ。

 だが彼は、何事においても完璧であったコールとは明らかに違う。

 まだまだ未熟で、危なっかしくて、頼りない。

 けれど彼は、いつも素のままの心でぶつかってくる。

 不思議なことに、それが嬉しいと思う自分がいた。

 そして、改めてそんな未成熟な彼を、大神官として支えたいと思った。


『ラ・ムーに神の栄光あれ!!』


 突然、人々の心の中に聞き覚えのある男の声が響いた。

 隼をはじめ、広間にいる人々が一斉に声のした方へ視線を向けると、幻影のダリアンが壇上にいた。

 ダリアンは隼のそばへゆっくりと歩み寄り、銀の杖を掲げて再び同調で人々に呼びかけた。


『ラ・ムーに神の栄光あれ!!』

 

「ラ・ムーに神の栄光あれ!!」


 今度はダリアンの同調に応える人々の声が、場内に響いた。

 そしてその声は、朝日が昇りきるまで、いつまでも繰り返された。

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