第十四話 王として
『ムーには大量のスフェラが眠っているらしいね』
『近々ゴッドはムーに兵を送り込むんじゃないかな』
テオスが部屋を去った後、莉香はベッドの上で彼が口にしていた言葉を、頭の中で反復していた。
莉香の血がスフェラを無力化することを知ったゴッドは、双子の片割れである隼をさらうつもりなのだ。
しかも彼らは、神殿の地下にある大量のスフェラをも狙っているという。
彼らが友好的に交渉してくるとは思えないし、ダリアンがスフェラをあっさり手渡すはずも無い。
そうなれば衝突は避けられず、ムーの町と人々は、甚大な被害を
(ダリアンさんに、知らせなくちゃ……)
莉香は胸に拳を押し当てながら、唇を強く噛み締めた。
衝突は避けられないとしても、せめてそうなる前にムーの人々を安全な場所に避難させたい。
そう思った彼女は、ベッドから降りると戸口に向かい、銀色のドアに手をついて天井を見上げた。
(でも、どうやって……)
この部屋に唯一あるこのドアは、テオスが出入りする時以外は固く閉じられている。
仮にここから出られたとしても、彼女の動きは常にどこからか見張られている。
そのことは、常々肌で感じていた。
(やっぱり、幻影を飛ばすしかない)
以前、ダリアンの声に導かれるように、幻影になって飛び立った時、彼女を探しにきた彼と会うことができた。
その後も何度も声は聞こえたが、ムーの人々を巻き込みたくないとの思いから、彼女は耳を塞いできたのだ。
逆に彼女の方から呼びかければ、彼は気がついてくれるかもしれない。
「ダリアンさん……」
冷たい金属のドアに額をつけた莉香は、目を閉じて愛しい人の名を口にした。
直後、細い肩から淡い光が立ち昇り始め、それは彼女の頭上で徐々に人型を成していった。
やがて、幻影の莉香が完全に離れると、彼女の実体はその場に崩れ落ちた。
(もう、この体には戻れないかもしれない……)
床に倒れた自分の実体を、莉香はしばらく名残惜しそうに見つめていた。
やがて、何かを決心したように表情を固めた彼女は、天井の向こうに広がっているであろう空を見上げて飛び立った。
「莉香、落ち着いた? もう食事の時間だけど……」
低いモーター音とともに銀色のドアが開き、食事の載ったトレーを手にしたテオスが部屋に入ってきた。
「おっと!」
何か柔らかいものにつまづいた彼は、体勢を立て直しながら、足元に視線を落とした。
するとそこには、うずくまるように倒れる莉香がいた。
「莉香?」
一旦床にトレーを置き、彼女を抱き起こしたテオスは、黒髪に覆われた白い顔を見つめた。
「莉香!?」
にわかに嫌な予感がして、激しく肩を揺さぶってみたが、全く反応がない。
「莉香!!」
彼女に幻影の能力があることは知っている。
通常なら、幻影と意識が繋がっていれば、微かに眉を寄せるなど、実体にも何らかの反応があるはずだ。
だが、今の彼女は呼吸はしているものの、全く何の反応も示さない。
つまりそれは、意識が実体から完全に離れてしまっていることを意味していた。
「莉香!!」
その後も繰り返し肩を揺さぶってみたが、彼の手の中で莉香は、人形のようにグラグラと身を揺らし続けるだけだった。
「馬鹿野郎……」
奥歯を噛み締めてそう呟いたテオスは、少女の体を強く抱きしめてうなだれた。
『ダリアンさん!!』
「……?」
祭壇に向かって祈りを捧げていたダリアンは、自分の名を呼ぶ声が聞こえたような気がして、閉じていた目を開いた。
「莉香……?」
立ち上がって、四方を見回してみたが、彼の背後で手を合わせているニーメ以外、神殿の広間にひと気はなかった。
「ダリアン様……?」
彼の異変に気付いたニーメも、目を開けて顔を持ち上げた。
「今、莉香の声が聞こえなかったか?」
天井を見上げて、見えない何かを探しているダリアンを、ニーメは不安そうに見上げて首を振った。
「いえ、私には何も……」
『ダリアンさん!!』
再び声がした方向にダリアンが目を向けると、幻影の莉香が天井付近から降るように落ちてきた。
「莉香!!」
素早く幻影に意識を移したダリアンは、両手を広げて彼女を抱きとめた。
「莉香様……?!」
驚くニーメの前で、ダリアンの幻影は莉香を胸に抱いたまま、背中から倒れた。
『莉香……』
ほっと息をついて腕の中の莉香を見たダリアンだったが、次の瞬間、一気にその顔が青ざめた。
幻影はもともと少し透けているものなのだが、今目の前にいる莉香は、目を凝らさなくては見えないほど、おぼろげだったのだ。
『莉香、あなたは……』
『ダリアンさん、聞いて!』
ダリアンの言葉を遮るように、莉香は強い口調で言った。
『私をさらった奴らが、スフェラと矢沢くんを奪いにやってくるの。早くムーの人々を安全な場所に避難させて!』
『……?』
『スフェラも矢沢くんも絶対に彼らの手に渡しちゃだめ。彼らはネフレムを蘇らせて、兵器にしようとしているの』
『ネフレムを……?』
瞬時には理解できず、戸惑いを見せるダリアンの前で、莉香の幻影はさらに背景に溶け込み始めた。
『莉香……!』
逃さないよう、慌てて抱きとめようとするダリアンの腕の中で、莉香の幻影は霧が闇に紛れていくように、左右にちぎれて消えていった。
『お願い。早くみんなを……!!』
呆然と立ち尽くすダリアンの中で、叫ぶような莉香の声が小さくなっていった。
まもなくダリアンの指示により、ムーの人々は町から避難を始めた。
荷物を抱えて列をなす人々のそばには、神学校の学徒たちがついて歩いていた。
彼らは、歩くのが困難な老人をおぶったり、弱音を吐く幼い子ども達を励ましながら、町から離れた森を目指していた。
「連絡があるまで、こいつらを頼む」
森の入り口で足を止めた隼はそう言うと、テトに背を向けて今来た道を早足で戻り始めた。
「待てよ!」
慌ててテトはそんな彼の背中を追い、肩を掴んで引き留めた。
「あんたは町に戻るのかよ。敵の目的はスフェラとあんただって言うじゃないか。ここに一緒にいた方が安全なんじゃないか?」
振り返り、テトの顔を見上げた隼だったが、間もなく彼の手を払って軽く舌を鳴らした。
「アホ。敵の目的が俺なら、ここにいたらみんなを巻き込んじまうだろうが。それじゃ、こいつらを避難させてきた意味がねえんだよ」
「でも……」
納得していない様子のテトを見つめて、隼はニヤリと笑って見せた。
「心配すんな。そう簡単に連れて行かれてたまるか」
「……」
まだ何か言いたげなテトに背を向けて、再び隼は町に向かって歩き始めた。
そんな彼の腰には、王家の剣が下げられていた。
莉香の話によると、彼女をさらっていったのは、彼がいた現代か、もしくはもっと未来の人間らしい。
近代的、もしくは未来的な技術を有する敵に対し、原始的な武器しか持たないムーの兵に、まず勝ち目はないだろう。
だが、ネフレムを兵器として利用しようとしている相手に、スフェラを渡すわけにはいかないのだ。
そんな彼に残された手段は、一つしかなかった。
「……」
剣の柄を強く握りしめた隼は、唇を強く噛み締めると、町に向かって駆け出した。
隼が神殿前の広場に戻ると、神官や兵士たちが跪いて彼を出迎えていた。
「我々は、ラ・ムーとともに」
最前列でカスコがそう言って辞儀をすると、それに同調するように他の者たちも一斉に頭を下げた。
驚く隼の前に、神官たちの間を、ダリアンが滑るように進み出てきた。
「王家の剣を持ち出して、何をなさるおつもりですか」
ダリアンは、隼の腰に挿された剣に視線を向けながら、低い声で言った。
「決まってるだろ。敵と戦うんだよ」
「……」
気まずそうに目をそらして答える隼を、ダリアンは黙って睨むように見つめた。
そんな彼の背後では、神官や兵士たちも、ある者は険しい表情で、ある者は悲しげに隼の顔を見つめていた。
「相変わらず、心に蓋をするのは苦手なようですね」
「……」
心を見透かされていることを悟った隼は、顔を伏せてダリアンの横を早足で通り過ぎようとした。
「勝手に死ぬことは許しませんよ」
「……」
すれ違いざまダリアンが口にした言葉に、思わず隼の足が止まった。
スフェラは、王家の人間の血を注がなければ力を失う。
だからこそ敵は、スフェラと莉香を奪って行ったのだ。
にもかかわらず、今度は隼をさらおうとしているということは、おそらく莉香はレムリアの血を引き継いでいたのだろう。
つまりこの世界で、スフェラの力を維持することができるのは隼の血だけなのだ。
ムーの武力で、未来の技術力を持つ敵から、スフェラを守ることなどまず不可能だ。
それならばと、彼は自分の命を絶つことで、スフェラを悪の手から守ろうと剣を手にしたのだ。
「じゃあ、どうしろって言うんだよ。大神官として、あんたにもこの国の民を守る使命があるだろう?」
「……」
開き直って声を荒げる隼を、ダリアンは冷ややかな目で見下ろしていた。
「俺が死んだところで悲しむ奴なんかいねえし、この世に未練もねえんだよ。血をやれなくなって、翼竜たちには可哀想なことをしちまうけど……」
隼は翼竜隊の傍に立つ翼竜達の顔を見て、切なげに眉を寄せた。
彼がこの世から去れば、スフェラの力によって生きながらえている翼竜たちも、やがて命を落とすことになるのだ。
唯一、そのことに隼は心を痛めていた。
だが、そんな彼を慰めるように、翼竜たちは首を上下に振って喉を鳴らした。
「あなたがその剣を使って命を絶ったところで、敵は血液だけでも手に入れようとするのではないですか?」
「……」
しばらく黙って隼の話を聞いていたダリアンが、静かに口を開いた。
「じゃあ、海にでも飛び込んで体ごと消えてやるよ」
そこまで想像が及んでいなかったことに赤面する隼の前で、ダリアンは目を伏せて大きなため息をついた。
「だから、あなただけ勝手に死ぬことは許さないと言っているのです」
「……?」
真意がつかめず、隼は眉をひそめて首を傾けた。
「ラ・ムー。私はあなたの大神官ですよ。死ぬ時は一緒です」
「……」
「スフェラを敵の手に渡さないためには、ムー自体がこの世界から消えてしまえばいいのです」
「!!」
彼の言葉から何かを悟った隼は、青ざめた顔をしてゴクリと喉を鳴らした。
「再びムーごと時空へ飛ばせば、もう誰もスフェラに触れることはできません」
「テト。メシアを見かけないんだけど、知らない?」
丸太に向かって斧を打ちおろすテトの背後から、巫女見習いのネオラが声をかけてきた。
神学徒達は、避難してきた人々がしばらく暮らせるようにと、仮設の住居の建設をダリアンから命じられていた。
一度は手を止めて、少女の顔をまじまじと見ていたテトだったが、すぐに視線を手元に落として、再び斧を振り上げた。
「ああ。神殿に戻ったよ」
「なんで? 神学校の学徒は、皆ここに派遣されたんじゃなかったの?」
切断した丸太を肩に担ぎ上げて、歩きだしたテトの背中を、ネオラは慌てて追いかけた。
神殿に残った神官たちに代わり、神学校の学徒と巫女たちは、避難民の世話と管理をダリアンから任されていた。
だが、学徒達の中に隼の姿がないことに疑問を感じたネオラは、彼と親しくしているテトに尋ねることにしたのだ。
「あの人はこの国の王だからな。国の危機を前に、指をくわえて見ているだけなんて、できないんだろう」
「そんな……」
泣きそうになって立ち尽くすネオラを残し、テトは黙々と歩き続けた。
「ねえ、敵を追い返せば、またすぐにムーの町に戻れるのよね?」
ふと我に返り、テトの後を追ったネオラは、彼の顔を覗き込むようにして再び問いかけた。
「……」
「そしたらまた、メシアにも会えるわよね?」
ネオラの問いかけに答えることなく、テトは担いでいた丸太を、資材の集積場に投げ落とした。
「答えてよ!!」
苛立ちを覚えたネオラは、テトの肩を強く掴んで引き寄せた。
「!?」
強引に振り向かせたテトの顔を目にした瞬間、ネオラはその場に固まった。
テトの目が潤み、今にも涙がこぼれ落ちそうになっていたのだ。
「……なに? なんなの?」
戸惑うネオラの前で、テトは目元を腕でゴシゴシとこすって涙を拭いた。
「あの人は……メシアは……」
「……」
「死ぬ気なんだよ。俺たちと、俺たちの未来のために……」
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