第二話 美しい巨人

「コール様!」


 神学校の講堂から飛び出したコールとダリアンが、夕刻が迫る街を談笑しながら歩いていると、背後から呼び止める声がした。

 その声に、ほぼ同時に振り返った二人の前には、まだ年若そうな男が肩で息をしながら立っていた。

 日に焼けた肌や、丈の短い衣を身につけているところを見ると、漁師か大工を生業としている者のようだ。


「お前は?」


 見慣れない顔にコールが首を傾げて尋ねると、男は慌てて胸に拳を添えて礼をした。

 だが彼は落ち着きのない様子で、すぐさま頭を持ち上げ、汗に光る褐色の顔を向けてきた。


「私は漁師のトトです。港の近くで海外から来た貨物船が座礁しました。力を貸していただけませんか? 親方がコール様なら救って下さるはずだと……」


 トトと名乗った男は、深刻そうな表情を浮かべ、息つく間も無く一気にそうまくしたてた。


「それは大変だ。すぐに行こう」


 ダリアンと顔を見合わせて頷き合ったコールは、目を閉じて額に拳を当てた。

 そんな彼の様子を不思議そうに見つめるトトの耳に、どこからともなくバサバサという音が聞こえてきた。

 徐々に近づいてくるその音に、何事かと空を見上げたトトの視界に突如巨大な翼竜が現れ、彼は驚きのあまり腰を抜かしそうになった。


「プテラ! 我々を港まで連れて行ってくれ! 緊急事態なんだ!」


 下降してきたプテラに、コールは叫ぶようにそう言い、両手を広げて長い首に飛びついた。

 彼が首を伝って背に跨ると、今度はダリアンが低空飛行を続ける竜の後を追いながら、巨大な足に手を掛けた。


「トト、つかまれ! 我々を現場まで案内しろ!」


 ダリアンは片手でプテラの足につかまり、もう片方の手を身を固くしているトトに差し向けた。

 彼の声に我を取り戻したトトは、少しずつ高度を上げていく竜の後を必死に追いかけた。

 やっとの思いでトトがダリアンの手につかまると、プテラはそれを待っていたかのように長い首を彼らの方へ伸ばしてきた。


「ひえええ!」


 間近に迫る竜の顔に、トトは悲鳴をあげて顔を強張らせた。


「頭に乗れって言ってるんだよ!」


 ダリアンはそう言って、トトの手を掴んだままプテラの頭に飛び乗った。


「お前も早く!」


「ひえええええ!」


 手を引かれるまま地上から足が離れ、動揺したトトはジタバタと宙を蹴って暴れた。


「まったく。世話の焼けるヤツだな」


 そんな彼の体を、ダリアンは全身の力を込めて竜の頭上へ引き上げた。


「よし、プテラ、飛べ!」


 二人の無事を確認すると、コールは港の方角を指差して掛け声をかけた。

 するとプテラは両翼を大きく振り下ろし、それと同時に三人の体は一気に高みへと上昇した。


「うわああああ!」


 次々と襲いかかる恐怖に、トトは叫び声をあげて竜の頭に必死にしがみついた。


「行け!」


 再びコールが命じると、三人を乗せた翼竜は、今度はまっすぐ港に向かって羽ばたき始めた。





 飛行が安定したところで、ダリアンとトトは翼竜の首から背中へ移動し、コールの後ろに並ぶように座った。

 最初は何度もめまいを起こしかけていたトトだったが、しばらくすると高さにも馴れ、地上の様子に目を配る余裕も出てきたようだ。


「コール様、あそこです!」


 町並みが途切れ、潮の香りが漂い始めた頃、トトが前方を指差した。

 彼が差し示す先には、水平線に向かって広がる海原が、夕暮れ時の太陽ラーの光を浴びて、金色に輝いていた。




 目的地の上空まで来ると、陽に焼けた男たちが群れをなす港と、その沖合で沈み始めている船を数隻のボートが取り囲んでいる様子が見えた。

 貨物船にしては小型の木製の船は、船首を空に向けて海面に突き刺さるように、ほぼ垂直の状態になっていた。

 前方の甲板が長めにとられており、おそらくそこには荷物が積まれていたのだろう。

 船尾の大部分は水中にあってよく見えないが、小さな船室もあるようだった。


「コール様だ!」


「コール様が来てくださったぞ!」


 翼竜が落とす巨大な影に気がついた漁師たちは、空を見上げて口々に歓声をあげた。

 コールはそんな男たちの頭上を通り過ぎ、船のそばへまっすぐ近づいていった。

 海面には積荷が散乱し、乗組員らしき男たちが、救助に来た漁師たちのボートに、次々と引き上げられていた。

 手を引かれながらも、自力で船縁ふなべりを登っている様子を見ると、大きな怪我は負っておらず、皆無事のようだ。

 安堵の息をつくコールに、一人の漁師が、海上から声を張り上げてきた。


「コール様! 船室に、まだ閉じ込められている者がいるようです!」


 それを聞いたダリアンは、コールの背中で小さく舌打ちをした。


「プテラの力では、あの船を持ち上げることは難しいな」


 両翼を広げれば、あの船と同じくらいの長さになるプテラだが、飛ぶ力はさほど強くない。

 浸水し、重量が増した船を持ち上げようとすれば、逆に落下してしまうだろう。

 消えかかっている命を前に、なすすべもない現状に歯がゆさを感じ、ダリアンは唇をきつく噛み締めた。

 海上にいる男たちも状況を察したのか、半分諦めの表情を浮かべて、夕空を舞う翼竜を祈るように見上げていた。

 だがそんな中、コールは落ち着いた様子で、神殿のある丘の方向をじっと見据えていた。


「大丈夫。そろそろ奴が来るはずだ」


 コールがそう口にした直後、陸の方からドスドスと連続性のある地響きが伝わってきた。


「なんだ、なんだ?」


 徐々に近づいてくる不気味な音に、陸にいた男たちは不安げに周囲を見回した。

 そんな彼らの視線の先に、突如、山のような巨人が現れ、たちまち港は男たちの叫び声に包まれた。

 海に面して並ぶ、石造りの倉庫の向こうに立っていたのは、抜けるように肌の白い、金色の巻き毛をした美しい巨人だった。

 建物の屋根をはるかに越える巨体をしているが、顔を見ればまだ幼く、十代半ばの少年のようだった。


「ギルト! 来てくれたか!」


 コールが笑顔を向けると、巨人は倉庫の間をすり抜け、港にたむろう男たちを一跨ぎして、海の中に足を踏み入れてきた。


「あわわわわわわ」


 翼竜に続いて初めて巨人を目の当たりにしたトトは、驚きのあまり手が緩み、危うくプテラの背中から落ちそうになった。

 そんな彼の体を、ダリアンが慌てて襟首を掴んで引き上げた。


「ギルト、あの船を港まで運んでくれ。まだ中に人がいるんだ」


 コールが船を指差すと、ギルトと呼ばれた巨人は大きく頷き、波をかき分けて座礁した船に近づいていった。

 巨大な足が前進するたびに海面が大きく波打ち、その波に煽られて激しく揺れるボートの上で、男たちは船縁にしがみついて悲鳴をあげた。

 やがて、船の真横で足を止めた巨人は、船尾が沈む海中に手を差し入れ、ゆっくりと持ち上げ始めた。


「うおおおおおおおお」


 あたりに巨人の低いうなり声が轟き、居合わせた男たちは恐怖に身を縮めた。

 船が水平に戻ると、ギルトは船首側にも手を差し込み、今度は両手で船を持ち上げ始めた。

 水中から引き上げられるにつれて、穴の空いた船底から、海水が滝のように流れ落ちた。

 力を込めるほどに、巨人の顔は徐々に赤く染まってゆき、筋が浮いた腕の筋肉は小刻みに震えた。

 いつしか男たちは恐怖も忘れ、歯を食い縛る巨人の顔を、固唾を飲んで見守っていた。


「頑張れ!」


「頑張れ! ネフレム!」


 誰からともなく巨大な若者を応援する声が上がり始め、港は海の男たちの野太い声に包まれていった。

 その声に後押しされるように、一歩一歩、巨人は船を抱えて港に近づいてきた。


「おーい、場所を空けろー! 船が下されるぞ!」


 男たちが散らばり、ひらけた場所ができると、ギルトはそこにゆっくりと船を下ろした。

 その瞬間、港は割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。


「ありがとう!」


「ありがとう、ネフレム!」


 次々に感謝の言葉を投げかけられ、下半身が海につかったままの巨人は、少し照れ臭そうに鼻の頭を掻いた。

 夕日に赤く染まるその顔は、まさに無垢な少年そのものだった。


「ありがとう、ギルト。助かったよ」


 コールもプテラの背に乗って上空を旋回しながら、肩で息をしている少年をねぎらった。

 主人に褒められ、ギルトは青い澄んだ目を細めて嬉しそうに微笑んだ。

 その顔を満足そうに見ていたコールだったが、ふと何かに気付き、にわかに表情を固めた。


「ダリアン、プテラを頼む」


 そう言い残し、コールは突然、翼竜の背から飛び降りた。


「コール様?!」


 焦るダリアンの目の前で落下していくコールの体を、巨大な手のひらが受け止めた。


「驚かせないでくださいよ」


 巨人の手の上で立ち上がった皇子おうじを見て、ダリアンはよろめきながら、安堵のため息をついた。


「ギルト、顔色が悪いな。指輪を見せてみろ」


 手のひらから肩へ乗り移ったコールは、厳しい表情を浮かべて少年の顔を見上げた。

 ギルトは一瞬、ためらうような素振りを見せたが、しばらくすると、おずおずと彼の前に指輪のはめられた右手を差し出してきた。

 透し彫りが施された銀の指輪には、小さな褐色の石がひとつ、埋め込まれていた。

 それを目にしたコールは、瞬時に表情を曇らせた。


「やはり、スフェラの色が黒ずんでいる。すまない、ギルト。気がついてやれなくて」





 すっかり日も暮れ、あたりが夕闇に包まれた頃、港から移動したコールとダリアンは、人気のない森の中にいた。

 その後、引き上げられた船から助け出された船員は、船室に残されたわずかな空気を吸って、なんとか生き延びていたようだ。

 だがもう少し救助が遅れていれば、浸水が進み、命がなかっただろう。

 無事役目を終え、皇子と共に港を後にする巨人を、トトをはじめとする海の男たちは、皆大歓声と共に見送った。

 彼らにとって、同じ海に生きる者たちは、たとえ国は違っても大切な仲間なのだ。

 そんな仲間の命を救ってくれた巨人に、男たちは姿が見えなくなるまで、感謝の言葉を送り続けていた。


「ごめんよ、ギルト。こんな状態のお前に無理をさせて」


 コールは、金色の巻き毛がかかる巨人のこめかみにそっと身を寄せた。

 彼の言葉を打ち消すように、ギルトは目を伏せて小さく首を左右に振った。

 闇夜に黒く染まる木々を背景に、月明かりに照らし出される二人の姿を、ダリアンは地上から静かに見守っていた。

 

「ギルト、スフェラをここに」


 ギルトは頷き、今度は素直に指輪のはめられた右手を彼の前に差し出してきた。

 指輪の石を前に、コールは自分の人差し指の背を口元に運び、皮膚を軽く噛み切った。

 そうして、傷口から滲み出た血を数滴落とすと、褐色だった石は一瞬赤い閃光を放ち、それが収まると鮮やかな緋色に変わっていた。

 直後、蒼白だったギルトの頬に赤みがさし、どこか力のなかった瞳にも光が宿った。


「プテラにはこの前あげたよね」


 ギルトの顔色が良くなったのを確認し、ほっと息をついたコールは、ダリアンの隣で翼を休める竜に声をかけた。

 そんな彼の言葉に応えるように、プテラは「グフゥ」と甘えた声を上げて、翼と首を上下に振った。


「ギルト、今度からはもっと早く言うんだよ。地上から目を凝らしても、遠すぎて私には石の色がよく見えないんだ」


 広い肩に腰を下ろしたコールは、そう言ってギルトの顔を見上げた。

 するとギルトは、彼から視線をそらして、固く唇を噛み締めた。


「どうした?」


 何か思いつめている少年の様子に、コールは怪訝そうに首を傾げた。


『あなたが血を流すところを見たくない』


 しばらくすると、頭の中に直接巨人の声が響いてきた。

 その声に、一瞬言葉を失ったコールだったが、間も無く、切なげに微笑んで目を閉じた。


「ギルト、お前は優しいね」


 そう言って目を閉じたまま、コールはギルトの頬を抱きしめるように、両手を広げて身を寄せた。


「私がお前に与えられる血などほんのわずかだ。これくらい、痛くも痒くもない。だがお前は、これがなければ生きていけないのだから……」


 コールの言葉に、ギルトの目から大粒の涙がこぼれ始めた。

 一旦、身を離したコールは、涙に濡れる白い頬を優しく撫でた。

 

「私はお前を失いたくない。だから、スフェラの色が変わってきたら、早めに言うんだよ」


 主人を肩に乗せた巨大な少年は、何度も頷きながらいつまでも涙をこぼし続けていた。






「ギルトは、あなたが血を流すことで自分が生かされているということに、罪悪感を持っているようですね」


 ため息混じりにそう言うダリアンの顔を、コールは大きく目を見開いて凝視した。


「君にもギルトの声が聞こえていたのか」


「これでも、大神官の後継者ですからね」


 ギルトとプテラを先に王宮に帰し、二人は夜の町をゆっくりと歩いていた。

 夜のムーの町は、昼間とはまったく違う様相を見せる。

 大通り沿いに並ぶ商店は煌々と明かりが灯る酒場へと変貌し、上機嫌で銀の杯を酌み交わす男たちの笑い声が、あちこちから聞こえてくる。

 一歩路地に入ると、商売女たちが客引きをし、今夜も一夜の恋があちこちで生まれているようだ。


 神学校に通う彼らは、節度ある行動をと律せられているため、滅多に夜に出歩くことはない。

 だが珍しく沈んだ様子のコールを、そのまま帰すことができず、もう少し夜風に当たりながら話をして帰らないかとダリアンが誘ったのだ。


「でも、あなたのような主人を持って、奴は幸せですね」


 声をかけてくる商売女を軽くあしらい、ダリアンは話を続けた。

 相手にされず、一瞬ムッと頬を膨らませた女だったが、仲間に何かを耳打ちされると、そそくさとその場から離れていった。

 彼の隣を歩く黒髪の青年が、この国の皇子であることを聞かされ、恐れを抱いたのだろう。

 身分や職業により差別を受けることがほとんどないこの国ではあるが、次期ラ・ムーとなる皇子となれば話は別だ。

 唯一、スフェラを生成することができ、それをもって巨人や翼竜を操る王の一族を、人々は神と崇めていた。


「ギルトは、本当に幸せなんだろうか」


 周りの喧騒など、まるで耳に入っていない様子で、コールはぽつりと呟いた。


「……」


「数年前、あの者の両親がこの世を去って、ギルトはネフレムの最後の生き残りになった。この先、家族を持つことも叶わず、一人きりで生かされて、あの者は本当に幸せなんだろうか」


 夜空を見上げて切なげにため息をつく皇子に、ダリアンはかける言葉が見つからなかった。

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