第六話 不要な能力

 同じ頃、ダリアンとカスコも中庭に出て、十六年ぶりに見る星空を仰いでいた。


「誰にも抜けなかった剣を抜き、この地にラーを蘇らせた。あの少年がコール様の忘れ形見であることは、どうやら間違いなさそうですな」


 夜空を見上げてため息まじりにそう言うカスコの隣で、ダリアンは黙って瞬く星々を見つめ続けていた。


「かといって、あの少年がコール様の生まれ変わりだというのは、どうも私には信じられませんな」


 十六年前当時から、翼竜隊の隊長を務めていたカスコには、頻繁にコールガーシャ皇子と対面する機会があった。

 翼竜を生きながらえさせるためには、数ヶ月に一度、スフェラに王家の者の血を注ぐ必要があったからだ。

 居並ぶ隊員たちの前に現れた皇子は、まずは公務に尽力している彼らに、心からの労いと感謝の言葉をかけてくれた。

 そしてその後、翼竜一頭一頭の頭を撫で、優しく声を掛けながら、血を与えていくのだ。

 気品と慈悲に溢れたその姿は、隊員たちの日頃の疲れと心を癒し、任務を遂行するための意志をより強固なものにさせてくれた。

 だが、伝説通り天から現れたあの少年は、見た目こそ皇子に瓜二つであっても、あのような崇高さは感じられない。


「あのお方は、コール様と同じオーラを纏っていらっしゃる。間違いなく、皇子の生まれ変わりだ」


「ふむ」


 抑揚のない口調で答えるダリアンの横顔を見つめて、大男は口元を大きく歪ませた。

 翼竜を操るためには同調が必要なため、神職者としての教育もある程度受けているカスコだが、神官たちのようにオーラを見る能力はない。

 オーラとは、人が生まれながらにして身に纏っているエネルギー体のことで、神官たちはその色を見て個人を判別することができるのだ。

 変装をしてもオーラの色までは偽れないため、その能力はしばしば敵国からの内偵者を見破るのにも役立てられた。

 とはいえ、普通の神官は生きている人間のオーラを見分けられるだけなのだが、大神官ダリアンは、その者の放つオーラから前世の姿まで見ることができると聞く。

 その彼が断言するのだから、あの少年が皇子の生まれ変わりであることは、おそらく間違いないのだろう。

 改めて己にそう言い聞かせたカスコだったが、やはりどこかで納得しきれずにいた。


「あの少女も……。髪の色が黒いので最初は気がつきませんでしたが、レムリア妃にそっくりですな」


 釈然としないまま別の話題を持ち出した直後、大きく見開かれたダリアンの瞳がカスコに向けられた。


「もしかして、あの少女もレムリア妃の……」


「違う!」


 続けて言いかけたカスコの言葉を、ダリアンが強い口調で遮った。

 思いのほか周りに響いた自分の声に驚いたのか、ダリアンは慌てて彼から目をそらした。


「……彼女は、レムリア様の生まれ変わりではない……」


 唇を噛み締めながら、小さく呟く銀髪の男の横顔を、カスコは不思議そうに見つめていた。






「ママが帰って来るの?」


 美しく整備された庭園が見下ろせる屋敷内の廊下を、幼い少年は息を弾ませて走っていた。

 踊り場から身を乗り出して階下を見下ろすと、吹き抜けになったロビーに、二階まで届きそうな巨大なクリスマスツリーが飾られているのが見える。

 少年が螺旋階段を下り始めた時、ステンドグラスが施された玄関ドアが開き、太陽光を背にして二つの人影が現れた。


「ママ!」


 両手にスーツケースを下げたポーターに続き、髪を小さくまとめ、純白のスーツに身を包んだ女が入ってきた。


「隼、ただいま。いい子にしていたかしら?」


 扉が閉まり逆光が弱まると、優しく微笑む美しい女の顔が浮かび上がった。

 ステンドグラス越しに差し込む光が、女の金色の後れ毛をキラキラと輝かせている。

 彼女はハリウッドの人気女優、リズ・テナーだ。


「今年はクリスマスを一緒に過ごせるの?」


 階段を一気に駆け下りた隼は、女の胸に勢い良く飛び込んで行った。

 隼の養母ははでもあるリズは、そんな彼の小さな体を優しく抱きとめてくれた。

 だが、胸に埋めていた顔を上げると、意外にもそこには困惑に歪む女の顔があった。


「Oh、隼。ごめんなさい。ママは着替えだけを済ませたら、すぐにまた出かけなきゃいけないの」


 少年の頬を優しく撫でながら、リズは申し訳なさそうに眉を下げた。


「世界にはあなたとは違って、家族のいない可哀想なお友達がたくさんいるの。ママは、その子達のママに代わって、クリスマスを一緒に過ごしてあげなきゃいけないのよ」


 そう言ってリズは、隼の頬に軽くキスをした。

 その瞬間、むせかえるような香水の匂いに鼻腔を塞がれ、思わず隼は小さく咳きをした。


「隼にはサンタさんに、とびきりのプレゼントをお願いしておいたから。届くのを楽しみに待っててね」


 真っ赤に染まった唇の端が、ぐいっと持ち上がるのを見て、隼は小さく頷いた。


(仕方がないよ。ママは僕だけのママじゃないんだから)

 

 必死に涙をこらえながら、隼は自分自身にそう言い聞かせた。

 彼は六歳になるこの日まで、家族揃ってクリスマスを過ごしたことがない。

 クリスマスだけではない。

 イースターも、誕生日も。

 いや、記念日に限らず、丸一日、両親と共に過ごせたことなど、ほぼ皆無だ。

 古代生物の研究に没頭する父は、世界中の発掘現場を年中飛び回っているし、人気女優である母は撮影やイベントのスケジュールに追われていて、殆ど自宅には帰らない。

 その上彼女は、忙しい仕事の合間を縫って、積極的に社会活動も行っているのだ。


 屋敷には使用人が大勢いるので、いつでも隼の遊び相手になってくれるし、生活に困ることもない。

 そんな恵まれた境遇にある自分が、クリスマスに両親を独り占めしたいだなんて、わがままを言っているような気がした。


『全く、子供なんて面倒なだけだわ。アキオがこんな子を拾ってくるから……』


 その時、どこからともなく、聞き覚えのある声が、耳ではなく彼の中に直接響いてきた。

 慌てて周りを見回してみたが、隼とリズの他には、黙々と荷物の整理をするポーターと、彼の作業を手伝うメイド以外には、誰も見当たらなかった。


『クリスマスはマスコミも注目するし、絶好のアピールチャンスなのよ。あんたなんかと、まったり過ごしてなんかいられないわよ』


 初めての経験に戸惑う彼の頭の中に、再び同じ女の声が響いた。

 その声は、確かに目の前にいるリズのものだったが、不思議なことに彼女の唇は、美しい微笑みをたたえたまま閉じられていた。


孤児みなしごを養子にすることで、イメージアップに繋がると思って、ここに置いてきたけど……』


「ママ、ミナシゴって何?」


 不思議な現象に首を傾げながらも、隼が聞き覚えがない言葉の意味を尋ねると、リズの顔から一気に色が消えた。


「ヨウシって?」


『何なの? この子』


 彼女の目は大きく見開かれ、隼の肩に置かれた手はガタガタと震え始めた。

 それと同時に、彼女の中で得体の知れないものに対する恐怖心が膨らんでいくのが感じられた。


「どうしたの?」


 パシッ!


 母の恐怖を取り除こうと、伸ばした隼の手を、白い手がはたくように払いのけた。


「ママ……?」


 目に見えて全身を震わせ始めた母を見て、隼はもう一度彼女を慰めようと手を伸ばした。

 だが、その手も再び強く払われ、呆然とする隼の頭の中に、今度はヒステリックに喚き散らす女の声が響いてきた。


『触らないで! 気味が悪い!』






「!!」


 隼は目を見開いて、勢い良く上半身を起き上がらせた。

 周りを見回してみると、薄闇の中に見慣れない部屋の情景が広がっていた。

 寝起きでまだふらつく足で小窓に近付き、木戸を押し開く。

 夜明けが近いのか、白々とした澄んだ空気の中、石造りの街並みが眼下に霞んで見えた。

 窓枠に肘をつき、頭を抱えた彼は、目を閉じて夢と現実の境目を探った。


(ああ、俺はこの国に、昨日飛ばされてきたんだ )


 ようやく、自分が置かれている状況を思い出し、なぜか彼はホッと息をついた。

 隼が心を読める能力に目覚めて以降、リズは別宅に拠点を移してますます彼の前に姿を見せなくなった。

 あるじの目が遠のいた使用人達は、屋敷内に置かれた金目のものに手を出すようになり、時折様子を見に来るリズが、そのことに気付いて追及すると、彼らは隼の悪戯せいだと言い張った。

 心を読んで犯人を見つけ出し、無実を訴えようとしても、リズは隼と向き合おうとはせず、すべてを彼の仕業として終わらせた。

 今思えば、おそらく彼女も真実に薄々気付きながらも、厄介者の世話をしてくれる者達を、解雇することはできなかったのだろう。

 その後も繰り返し濡れ衣を着せられた隼は、大人たちに対して徐々に反抗的になり、問題行動を起こすようになっていった。

 やがて、学校や近隣からも苦情が相次ぎ、使用人の手にも負えなくなると、リズは日本で暮らす夫の両親のもとへ彼を送り、強引に押し付けた。

 だがそこでも、血の繋がりのない孫を祖父母が愛することはなく、中学に上がるのと同時に彼はマンションを与えられ、一人で暮らすようになった。


 以来、隼は人の心を信じられないままに生きてきた。

 表面上はいい顔をして近付いてくる者もいたが、心の中を覗いてみれば、たいていは人気女優を母に持つ彼の金で遊ぶことが目的だった。

 色目を使ってくる女たちも、見た目のいい男と付き合うことで優越感を味わいたいだけで、誰も彼の内面に興味を持つものはいなかった。


 人の心を読めるという能力は、これまで彼を孤立させてきた。

 だが、ここではその能力は『同調』と呼ばれ、神職に就く者ならば誰もが使えるのだという。

 どこかも知れないこの場所で、今後への不安は大きかったが、同時にここでは自分の能力が特別視されないのだと思うと、不思議と安堵している自分がいた。




 その時、戸口のドアをノックする音が室内に響いた。


「メシア、もうお目覚めですか?」


 分厚いドアを通して、か細い女の声が聞こえてきた。

 隼にはその声の主が、ニーメという名の金髪の少女であることがすぐにわかった。


「ああ」


 小さく答えた隼は戸口に近付き、手櫛で軽く髪を整えてから、木のドアを押し開いた。

 するとそこにはやはり、ニーメが床を見つめるように俯いて立っていた。


「間も無く、朝の祈りの時間です。ダリアン様が、メシアにも参加して頂きたいと……」


 顔を伏せたまま、声を震わせて用件を告げる彼女を見て、隼は心の中で舌打ちをした。

 自分が断りにくいように、ダリアンがわざとこの少女を寄越したのだと、直感で思ったのだ。

 怯える心を押し殺すように、胸元で固く指を組んだ彼女は、邪険に断れば泣き出してしまいそうだ。

 気の強い女に対しては容赦なく悪態を吐く彼だが、このようなタイプはどうも苦手だった。


「わかった」


 部屋から廊下へ出た隼は、そう言って後手にドアを閉めた。

 意外にも素直に応じた彼に驚き、ニーメは思わず恐怖を忘れて顔を上げた。


「……」


 一瞬何かに目を留めた少女だったが、慌ててそこから目をそらし、彼に背を向けて早足で廊下を歩き始めた。

 彼女の態度を不審に思い、自分の身なりを見直した隼は、就寝前にシャツのボタンを外し、胸元がはだけていることに気が付いた。

 いつもなら女の前で裸になることも平気な彼だが、この時は何故か気まずさを感じ、慌ててボタンを留めながら、前をゆく少女の背を追って行った。





 その後隼は、カスコが操る翼竜の背に乗り、神殿へ向かった。

 彼が広場に降り立つと、そこには無数の人々が膝を落とし、明るくなり始めた東の空を見つめていた。

 彼らは、太陽ラーに朝の祈りを捧げるため、ここに集まってきたムーの民だった。


『ラーだ』


『本当に、ラーが戻ってきたんだ』


 地平線から太陽が顔を出した瞬間、民たちはこの国の言葉で喜びを口にし、何度も地面に頭を擦り付けた。

 昨日、激しい風と赤い光が渦巻き、それが収まった直後、太陽が蘇り、青空が広がった。

 日没後も、夜空に瞬く星に歓喜した彼らだったが、一時的なものかもしれないと、どこかにまだ不安を抱えていたのだ。

 だが、今こうして昇り始めた太陽を目にして、十六年振りに空が戻ったことをようやく実感できたのだった。

 神殿の向こうの朝日に向かって、ひれ伏を繰り返す人々の群れの間を、隼はカスコに続いて歩いて行った。


 ふと、たまたま頭を上げた一人の男が、行き過ぎて行く隼の顔に目を留めた。


『……コール様?』


 男の言葉に、それまでラーに向けられていた人々の視線が、一斉に隼の方へ向けられた。


『コール様だ!』


『コールガーシャ皇子だぞ!!』


 直後、人々は皆立ち上がり、隼を中心にして集まり始めた。

 驚いて四方を見回す隼の体に、無数の手が伸びてくる。


『伝説は本当だったのだ』


『コール様が、ラーを蘇らせてくださったのだ』


『コール様、よくぞ生きて……』


 そうして隼を取り囲んだ人々は、次々と彼の手をとり、涙ながらに亡き皇子の名を口にした。


「俺は……、コールじゃない」


 自分のことを皇子だと思い込んでいる人々に、隼は反論しようとした。

 だが、相手の心は読めても、自分の思いを伝えるすべを知らない彼の言葉は、同調の能力を持たない人々には伝わらなかった。


『待て待て、前へ進めぬではないか』


 カスコが両手を広げて、人々を遠ざけようとしたが、さすがの大男もあまりの多人数を相手になす術がなかった。

 時とともに人の群れは増す増す膨らんでゆき、老若男女の体が折り重なるようにして隼のもとへ押し寄せてくる。


「俺は、コールガーシャ皇子じゃない!!」


 揉みくちゃにされ、隼が悲鳴にも似た声をあげた直後、神殿の側に立つ尖塔の鐘が、夜明けの空に高らかと響き渡った。

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