第十二話 閉じられた心
「なあ、そのお利口な頭ならわかるだろ? オレ達の言ってる意味が」
放課後のグランドの片隅で、詰襟を着た小柄な少年が、同じ制服姿の少年数人に取り囲まれていた。
「保くんは天才少年なのに、なんですぐにピンとこねえのかな~。ちょっと駅前のコンビニでさ、漫画をくすねてきてほしいって言ってんだよ」
リーダー格の髪を金色に染めた少年が、苛立ちを滲ませながらそう言って、保の肩を小突いた。
そんな少年の前で、保は地面に視線を落とし、黙って下唇を噛み締めていた。
「おい! 黙ってんじゃねえよ! 頭は良くても耳は悪いのかよ!」
「はっはー!!」
金髪の少年が保の肩を掴もうとした瞬間、どこからか別の少年の高笑いが聞こえてきた。
少年たちが声がした方を振り返ると、校舎の壁際にもたれるように黒髪の少年が立っていた。
「なんだよ、お前。何笑ってんだよ」
声を荒げる金髪の少年のそばへ、黒髪の少年はなおも肩で笑いながら近寄って行った。
口元には笑みを浮かべながらも、笑っていないその瞳は、近くで見るとグレーがかったブルーだった。
「ああ、わりいわりい。バカが天才に向かってお利口って言ってんのがおかしくってさ。脅してんだか褒めてんだかわかんねえよ」
「んだと?! お前いったい誰だ?!」
金髪の少年は怒りで顔を真っ赤にして、自分より背の低い少年の肩に掴みかかろうとした。
だが、そんな二人を少し離れた場所から見ていた仲間の一人が、ふと何かを思い出したかのように声をかけてきた。
「おい、池田。そいつって、この前話題になってたアメリカの女優の息子だぜ。確か一年の矢沢とかいう……」
それを聞いた池田と呼ばれた少年は、一旦動きを止め、黒髪の少年の顔を改めてまじまじと見つめた。
身長はまだ成長過程らしく、顔つきにも幼さが残っているものの、睨み返してくる青い瞳は年齢不相応な気迫に満ちていた。
「ああ、だからそんな目の色してんのか。気色わりい」
鼻で笑いながら池田がそう言った瞬間、隼の双眸がギラリと光った。
「じゃあ、お前でもいいや。ママから金をもらってきてくれよ。噂によると、自家用ジェットを飛ばせるほど金持ってんだろ?」
一転して馴れ馴れしい態度で隼の肩に腕を回し、鼻先まで顔を近付けて、池田は不敵な笑みを浮かべた。
「な、そうしたらお前も、オレたちの仲間にしてやるよ」
直後、隼は池田の腕を勢いよく払いのけた。
「腐りすぎててヘドが出る」
「んだとー!!」
地面に向かって唾を吐く隼に、逆上した池田は、彼の胸ぐらを掴んで拳を振り上げた。
だがそれが顔面に届く直前、隼は反対側に顔をそらしてかわした。
「こいつ!!」
渾身の攻撃をかわされ、完全に頭に血が上った池田は、続けざまに拳を叩き込んできた。
それでも隼は、涼しい顔のまま左右に首を振り、それを巧みにかわし続けた。
「お前がどの方向から殴ってくるのか、こっちは全部お見通しなんだよ!!」
しばらくして、相手の息が上がり始めたのを確認すると、隼は思い切り池田のみぞおちを膝で蹴りあげた。
「グフウ!」
「池田!!」
金髪の少年が腹を抱えて倒れ込み、仲間たちが慌ててそばへ駆け寄ってきた。
その隙に隼は彼らの間をすり抜け、呆然と立ち尽くしている保の腕を強く掴んだ。
「逃げるぞ!」
「おい! 待て!」
動きを察知した池田の仲間が咄嗟に後を追おうとしたが、彼らの足は意外に早く、二つの背中は瞬く間に校舎の中に消えていった。
「これからしばらくは、あいつらに目をつけられるかもなあ。まあ、あいつら三年だし、じきに卒業するからまだよかったぜ」
無人の教室に駆け込むと、隼は机の上にどかりと腰を下ろし、激しく息を吐きながら愉快そうに笑った。
「矢沢くん……どうして僕のことなんか……」
彼に手を引かれてここまで来た保は、喉をゼイゼイと鳴らして途切れ気味に言った。
「ごめんね。僕のせいで君まであいつらに……」
瞳を潤ませて見つめてくる保から、隼はふいっと顔をそらして、窓の外に広がる夕焼け空を見つめた。
「別にお前のせいじゃねえよ。女に振られた直後にお前らを見かけてさ。ムシャクシャしてたからバカ相手に絡みたくなったんだ」
照れ隠しにわざとそっけなく言う隼の横顔を、保はしばらくじっと見つめていた。
そんな彼の視線に、隼は一層居心地の悪さを感じ、そばにあった椅子を足で軽く蹴り飛ばした。
「理由はどうであれ、君があの場に来てくれて嬉しかったよ。ありがとう」
そう言って嬉しそうに笑う保に、隼は顔を赤くして小さく舌打ちをした。
隼は宮殿の中庭に面した回廊から星空を見上げて、大きなため息をついた。
あれは確か、中学一年の終わり頃のことだ。
それまではただのクラスメイトの一人に過ぎなかった保と、この一件以来少しずつ言葉を交わすようになっていった。
いつも笑顔を浮かべて近付いてくる保に、最初は疑いを抱き、心の中を覗いてみたりもした。
これまでにも、表面上は愛想よく近付いてくる者はいたが、その多くは有名女優を母に持つ彼の金で豪遊するのが目的だった。
だが、いくら心の中を覗いてみても、他意が見えない保に、隼も少しずつ心を開いていった。
天才少年としてその頃すでに知られていた保は、常に周りから特別視されていた。
その視線が決して好意的なものではないことも、彼は気付いていたはずだ。
そして、理由は違っても、隼も周囲から同様の疎外感を覚えていた。
そういう意味で似た者同士だった二人は、互いを特別視することもなかった。
隼が心を読める能力のことを告白した時もそうだった。
「だから? 知ってるよ。そんなの以前から」
「え?」
当然のようにそう言ってのける保に、隼は拍子抜けして口と目を丸くした。
「君は喧嘩にめちゃくちゃ強いわけじゃない。相手の動きを先に読めるから、攻撃を避けたり逆に隙を突くことができるんだよ」
「……」
誰にも知られるはずがないと思っていた手の内をあっさりと明かされ、隼は思わず言葉を失った。
そんな彼の顔を見て、保は口元で指を組み、「ふふふ」と笑った。
「女の子に対してもそうだよね。相手の気持ちが離れてきたら、わざと嫌われるような態度をとって、相手が振りやすくするんだ。僕はそれを優しさだとは思わないけどね」
「……」
認めたくなかったが、保が言うことはいちいち核心を突いていた。
隼が成長していくにつれ、その容姿に誘われて、次々と女たちが近付いてきた。
だが、しばらく付き合っているうちに、決まって彼女たちの熱は急速に冷めていくのだ。
もともと彼の内面に惹かれたわけではない彼女たちは、何かと理想の恋人像を彼に押しつけてくる。
誕生日には指輪が欲しいとか、クリスマスはお洒落なレストランで食事がしたいとか、毎日電話してきて欲しいとか。
隼自身も彼女らに対して特別な想いがあるわけではなく、暇つぶしに付き合っているだけなので、それに合わせるつもりは毛頭ない。
そうしてそれらの要望を無視し続けているうちに、どんどん彼女らの執着心は彼から離れていくのだ。
やがて関係が完全に冷め、潮時と感じたら、わざと相手を怒らせて振らせるのがいつもの彼のやり方だった。
例え相手に恨まれようと、自分から切り出すより、そうする方が何かとあと腐れがなかったからだ。
だが、誰にも話したことがないそのような胸の内を、保がぴたりと言い当てたことが不思議で仕方なかった。
「もしかして……お前も人の心が読めるのか?」
自分と同じ能力があるのではないかと疑いを持った隼は、恐る恐る保に聞いてみた。
「まさか。君の日頃の言動をよく観察していれば、おのずと見えてくるんだよ」
「こんなところで一人で物思いに耽っているなんて、珍しいですね」
ふと、背後から声を掛けられ、隼ははっとして振り返った。
するとそこには、ダリアンが回廊の柱を背にして立っていた。
「俺だって、たまにはホームシックになることもあるんだよ」
そう言って隼は再び星空に視線を戻し、回廊の柵に頬杖をついた。
「いきなりこのような見ず知らずの場所に飛ばされてきたのですから、元の世界や育ての親を恋しく思うのは当然でしょうね」
同情するように伏し目がちに言うダリアンに、隼は例えようのない苛立ちを覚えた。
「どうせ俺の心をいつも勝手に読んでるんだろ? あっちの世界で、俺がどんな暮らしをしていたのかも知ってるくせに、白々しいこと言うんじゃねえよ」
ここへ来た当初、暴かれたくもない過去の記憶を読まれたことを思い出し、隼は再び向き直ってダリアンの顔を睨みつけた。
自分の心は固く閉ざして一切見せないくせに、この男からは隼の心はいつでも覗き放題なのだ。
そう思うと、目の前の男に対して無性に腹が立ってきた。
鼻息を荒げる少年を前に、ダリアンは大きなため息をついた。
「最近は、あなたの心を読むことはありませんよ。あなたも随分ムーの言葉を話せるようになりましたし、言葉ではうまく伝わらない時でも、同調を送ってくれていますから」
微笑みながらダリアンが口にした意外な言葉に、隼は怒りを忘れて大きく目を見開いた。
「俺が……同調を?」
「やはり気付いていませんでしたか。だからこそ、能力を持たないアチャとも、通じ合えているのでしょう?」
確かに、アチャと話していて、これまでにも不思議に思うことはあった。
まだ隼が話すムーの言葉はたどたどしいはずなのに、あの男とはほとんどストレスなく意思疎通ができるのだ。
だがこれまでは、それもアチャが単に勘がいいせいだと思っていた。
「きっと、自分の思いを伝えたいという強い気持ちが、秘められていた能力を開花させたのでしょう」
「……」
「まあ、それ以前にあなたの日頃の様子を見ていれば、だいたい何を考えているかはわかりますけどね。あなたの表情は、言葉以上に雄弁に語ってくれますから」
笑いながらそう言い残し、ダリアンは隼に背を向けて回廊を歩き始めた。
感情が顔に出ていると言われ、一瞬焦って黙り込んだ隼だったが、ふと何かを思い出したかのように、去って行こうとする男の背中を見上げた。
「あんたは何で人に本心を見せないんだよ。この国を背負う責任も、好きだった女のことも、全部自分一人で抱え込んでさ。たまには誰かにあらいざらいぶちまけちまえば、もっと楽になれるんじゃねえの?」
背後から浴びせられた少年の言葉に、ダリアンの足がぴたりと止まった。
黙って立ち尽くす背中に向かって、隼は勢いを保ったまま話を続けた。
「あんたの力になりたいって思ってるやつも、あんたに惚れてる物好きな女もいるんだよ。ちょっとくらいかっこ悪くても、もっとそういう奴らに、自分の気持ちをぶつけてみてもいいんじゃねえの?」
しばらく背を向けたまま、彼の話を聞いていたダリアンが、ゆっくりと振り返って隼の顔を見据えた。
その瞳は、いつもの冷めたものではなく、熱を帯びているように見えた。
「俺だって……いつも心に蓋をされてると、なんか信用されてねえ気がするしさ……。あんたって、
「……」
「あんたから見れば、俺なんかまだまだガキだろうしさ。コールみたいにできた人間でもねえけど……。てか、何言ってんだ俺……」
自分が発した言葉に戸惑い、隼は前髪をかきむしって口ごもった。
そんな彼の様子にダリアンは、ふうっと長めのため息をついた。
「ずいぶん、急に大人になりましたね」
呟くようにそう言って、ダリアンは唇を強く噛み締めた。
「でも、私が心を閉じているのは、あなたがたを信用していないからではありません。きっと、私が臆病者だからですよ」
切なげに微笑んでそう言い残すと、ダリアンは背を向けて再び回廊を歩き始めた。
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