第九話 因縁

 翼竜の背に乗り武装した小隊は、朝日にきらめく海原を見下ろしながら、沖に向かって飛んでいた。

 隊の先頭では、白装束を纏ったダリアンが、銀色の髪を海風になびかせていた。

 神殿前の広場を飛び立ってから、すでに一時間あまり。

 四方のどこを見回しても、なだらかな曲線を描く水平線だけが果てしなく続いていた。


「大神官殿、この辺りで引き返さないと、翼竜の体力が持ちません」


 後方から、野太い男の声が聞こえた。

 その声に、ダリアンは自らが操る翼竜に視線を落とした。

 竜の心情を表情から読み取ることは難しいが、同調で覗いてみれば、確かに疲れが出てきているようだ。

 彼らが連続して飛行できる時間は、最大で150分程度だと言われている。

 復路のことを考えると、そろそろ折り返さなくては、体力が尽きて落下する恐れがある。


「わかった。今日のところは引き返そう」


 ダリアンはそう言って左手を高く掲げて、後方に合図を送った。


「ステラ、無理をさせたね」


 翼竜の背中を軽く撫でて、ダリアンは右に手綱を引いた。

 旋回する彼の後に続いて他の翼竜隊たちも、一斉に手綱を引いて方向転換をした。


「ラーが消えている間あった、見えない壁はなくなっておりますな」


 後方から近付いてきたカスコが、ダリアンの隣に並んで言った。


「しかし、ここに来るまで島影や大陸は全く見えませんでした。果たしてここは、以前と同じ海上なのでしょうか」


「やはり船で確かめに行くしかないか」


 前方を見つめたまま、ダリアンは顎をさすって考えを巡らせた。

 空にラーが戻った日から、三日目の朝。

 彼がカスコと翼竜隊を伴ってここまで来たのは、これまで隔離されていた外の世界の様子を探るためだった。

 だが今回の調査では、陸地を見つけるどころか、航行する船に遭遇することさえできなかった。


「長距離用の船で、現在使えるものはありませんよ」


 ムーが外界から閉ざされて十六年。

 交易に使っていた大型船は役目を失い、この間野晒しにされていて、どれもすでに使える状態ではなかった。


「宮殿に戻ったら、すぐに船の建造を手配しよう」


 ダリアンはそう言って唇を噛み締め、飛行速度を上げた。






 いつものように、授業の終了を知らせる鐘の音と同時に、隼は神学校の講堂を出た。

 少年たちが談笑しながらゆっくりと歩く中を、彼はうつむきがちに早足で広場を通り抜けていく。

 同調の能力を持つ学徒たちに、心の内を覗かれる隙を与えたくなかったのだ。


「メシア!」


 そんな彼を、後ろから呼び止める声がした。

 思わず立ち止まり、警戒しつつ振り返ると、茶色い巻き毛を短く刈った、大柄な少年が手を振っていた。

 名前は知らないが、彼は同じ初等部の講義を受けている学徒の一人だった。


「よかった。立ち止まってくれた」


 少年は人懐っこい笑顔を浮かべて、眉をひそめている隼のそばへ近付いてきた。


「いつもさっさと一人で宮殿に帰っちまうからさ。一度あんたと、ちゃんと話してみたかったんだ」


 腫れ物に触るように接してくる他の者たちと違い、少年は飾らない調子で隼に語りかけてきた。


「……」


 なおも疑り深く見つめている隼に、少年はクスリと笑った。


「ずいぶん警戒しているみたいだけど、俺たちは誰もあんたの心を読んだりしねえよ」


「え?」


 意外な言葉に、隼は思わず目を見開いた。


「神学校に入ると俺たちは、まず最初に神通力を悪用しないとラーに誓うんだ。だから、正当な理由もなく、勝手に人の心を読むことはまずねえよ」


「……そうなのか?」


 驚いて目を丸くする隼を見て、少年は今度は声を出して笑った。


「だいたい、俺たち並みの神官は、せいぜい表層までしか読めねえんだし、そんなにビビんなくても大丈夫だよ」


「表層?」


 初めて耳にする言葉に、隼は首を傾げた。


「意識は、表層、深層、無意識層の三層に分かれてて、表層はこうして会話をしているレベルの意識のことだ。あんたが今口にしている言葉は俺たちが知らない言語だけど、こうして互いに言ってることが理解できるだろ? それは俺たちが表層レベルで通じ合っているからなんだ」


「ふ……ん」


 完全にではなかったが、彼の言わんとすることが、隼にもなんとなく理解できるような気がした。


「それと違って、深層は思い出そうとしなければ思い出せない記憶とか、心の奥で考えているレベルの意識だよ。これは、優秀な神官の中でも数人にしか読めないんじゃねえかな。そして無意識層は言葉の通り、本人も意識していないところにある心情や記憶だ。これはもう、王家の人や、大神官様にしか見ることができねえレベルだよ」


「あの野郎……」


 少年の説明を聞いた隼は、ダリアンの顔を思い出して、忌々しげに奥歯を噛み締めた。

 ダリアンに記憶を読まれた彼は、心に蓋をする能力を得るために、止むを得ず神学校に通うことにしたのだ。

 だがそれが単なる脅しであったことを知り、隼は激しく憤慨した。

 と同時に、神官たちに心の中を全て見透かされるわけではないと知り、少し気が楽になった。


「ところで、お前は……?」


 ふと、まだ名前を聞いていなかったことを思い出し、隼は少年を見上げて訊ねた。


「ああ、俺? 俺はテト。よろしくな」





 その後も隼は、神学校に通い続けた。

 ダリアンの策略にはめられたと悟った時は腹が立ったが、それなら逆に能力を高めて、いつか見返してやろうと思い直したのだ。

 また、心の底まで読まれることはないと知ってからは、ずいぶん気持ちも楽になり、学徒たちと顔を合わすことも苦でなくなっていた。

 この日も講義の終了後、テトに呼び止められた隼は、少し講堂に残って彼と話をすることにした。


「俺の親父は、もとは下っ端の兵士でさ。ここに通っているのは、代々神官の家で生まれた奴らばかりだから、いつも馬鹿にされてきたんだ」


 二人の様子を、遠目でうかがっている級友たちを横目で見て、テトはフンと鼻を鳴らした。

 歩兵をしていた彼の父は、今は現役を引退し、郊外にある国営農場の管理を任されているという。


「親父も昔は、神官なんて腑抜けた奴ばかりだって敵視していたみたいだけど、大神官様と出会って見方が変わったらしい。だから俺が神官になりたいって言った時も、賛成してくれたんだ」


「ふ……ん」


「親父が今任されている農場も、十六年前に大神官様が作らせたものなんだ。この国が大災害により壊滅的な被害を受け、その上外界からも閉ざされて食糧難に陥った時、全ての民に食料が行き渡るようにってな」


「ふ……ん」


「なんかあんた、さっきから『ふ……ん』ばっかだな。ちゃんと聞いてんのかよ」


 生返事を繰り返す隼の顔を覗き込んで、テトは不満そうに頬を膨らませた。


「ちゃんと聞いてるよ。大神官様は、ご立派な方なんだろ?」


 隼は嫌味を込めてそう言い、口をへの字に歪ませた。

 テトのことは嫌いではなかったが、彼からダリアンの話を聞いていると、自分と比較されているようで面白くなかった。


(じゃあ、あいつが王様になればいいじゃん)


 王家の血を引いているとはいえ、隼がラ・ムーを引き継ぐことを、彼自身も、おそらくムーの人々も望んではいない。

 だいたい、この十六年間、実質的にこの国を治めてきたのはダリアンなのだ。

 突然どこからともなく現れた、言葉も通じない自分が王位を継ぐより、彼が王になった方が国民も納得するだろう。

 そう思うと、ここにも自分の居場所はないような気がした。

 そのようなことを悶々と考え、黙り込んだ隼を、テトはじっと見つめていた。


「なあ、これから一緒に農場に行ってくれねえか? 親父に会ってやってほしいんだ」


 突然、テトは何かを思いついたように膝を打ってそう言い、隼の腕を掴んだ。


「え。やだよ。行かねえ」


 慌てて振り払おうとしたが、少年の逞しい腕はビクともしなかった。

 そのまま引きずられるように広場まで連れ出された隼は、やがて抵抗することを諦め、渋々テトの後をついていった。





 農場に着いた隼は、想像以上に広大なその敷地を見て驚いた。

 見渡す限りよく耕された畑が広がり、青々とした葉が、気持ちよさそうに風に揺れている。

 畑の向こうに見える緑に覆われた小高い丘では、ヤギや羊といった家畜が放牧されていた。

 場内を歩いていくと、いたるところで野菜を収穫したり、ヤギの乳を搾ったりと忙しく働く男女の姿が見られた。

 テトの話では、ここで働く者たちは兵士ばかりでなく、指揮をとるために派遣された役人や、労働者として雇われている平民もいるそうだ。

 中には足首に重そうな鉄球を下げた者もいて驚いたが、聞くと彼らは牢に捕らえられている罪人で、日中はここでの労働を義務付けられているという。


『親父!』


 不意に、前を歩いていたテトが、大声を出して手を振った。

 そんな彼の声に、畑を耕していた大柄な男が、鍬を持つ手を止めて顔を上げた。


『おお! テトか。こんなところまで何しに来た』


 真っ黒に日焼けした、白髪混じりの初老の男は、体の大きさも、顔の作りもテトとよく似ていた。


『親父、この人が……』


 隼の背中を押しながら、テトがそう言いかけた瞬間、男の顔色が変わった。


『お許しを!』


 突然、男はその場に膝をつき、土にうずめんばかりに額を地面に押し付けた。


『おや……じ?』


 予想外の父親の行動にテトが驚いていると、そばで作業をしていた男たちが、何事かと集まってきた。

 そして、その中の何人かも、隼の顔を見た瞬間に顔を青ざめさせて、同じようにひれ伏して謝罪の言葉を繰り返し始めた。


『お許しください。コールガーシャ皇子』


 驚いて立ち尽くす隼の中に、テトの父の声が聞こえてきた。


『私はあの日、神殿であなたを襲った兵の一人です』


 他のひれ伏す男たちから聞こえてくる心の声も、いずれも同じ内容だった。

 どうやら彼らは、隼の容姿から、コールガーシャが現れたと思い込んでいるようなのだ。

 十六年前の大災害の最中さなか、コールとダリアンはガゼロ将軍の率いる兵士らに襲われ、瀕死の重傷を負った。

 彼らはあの時、神殿にいた兵士なのだ。


「……」


 ひたすら謝り続ける男たちの、土で汚れた肩や手を、隼は黙って見下ろしていた。




「テト、お前の親父の名前は?」


 肩を震わせて謝り続ける男たちを前に、テトは呆然とした表情で答えた。


「アチャ……だけど?」


「これから俺が言うことを、アチャたちに伝えてくれ」


 隼が真剣な表情でそう言うと、テトはゴクリと喉を鳴らせて頷いた。


「俺はコールガーシャじゃない。だから謝られる理由がねえ。それに、お前らは当時、上司の命令に従っただけだろう……ってな」


 男たちに向かって通訳をするテトの背中を見つめながら、隼は自分の言葉で思いを伝えられないことに、もどかしさを感じていた。

 そしてこの時初めて、この国の言葉を覚えたいと思ったのだった。

 やがて、テトから隼の言葉と彼がメシアであることを伝えられた男たちは、今度は胸の前で指を組み、感謝の言葉を口にした。




『おい! 爺さん、何怠けてんだ!』


 その時、少し離れた場所から、若い男の怒鳴り声が聞こえてきた。


『最近目がよく見えんでな。これ以上はもう無理だ』


 監視役らしい若い役人が見下ろしていたのは、頭が禿げ上がった体格の良い老人だった。

 粗末な衣を纏い、ふてぶてしい態度で胡座をかいている老人のそばには、収穫されたばかりの野菜が積まれていた。

 手元に置かれた道具類から見て、彼はそれらの野菜を紐で縛り、束にする仕事を命じられているようだった。


『若造が偉そうに。時代が時代なら、お前の首などさっさと斬り捨ててやるものを……』


 兵士を睨み返している老人の足元に目を向けると、足首に巻かれた鎖が、地面に打たれた杭に繋がれていた。

 おそらくこの老人も、何らかの罪を犯した囚人なのだろう。

 ふと、遠くから自分を見つめる視線に気がついた老人は、鋭い視線を巡らせて、隼の顔で動きを止めた。


『コールガーシャ皇子……』


 その瞬間、老人の中から驚きとともに激しい憎悪が押し寄せてくるのを感じた。

 それは同調ではなく、怨念や殺気と呼ばれるたぐいのものだった。


「奴は元将軍で、十六年前にクーデターを起こした張本人、ガゼロだ」


 背後から小声で言うテトに、隼は無言のまま小さく頷き、老人にゆっくりと近付いて行った。

 すると老人は、狂気じみた笑みを浮かべて、ヒャヒャヒャと不気味な声をあげた。


『ラーが戻り、まさかとは思っていたが、伝説通りあの世から蘇ってきたか、コールガーシャ皇子よ。お前を殺したわしが憎いか? わしを殺したいか?』


 ガゼロは、隼が距離を詰めていく間中、彼を大声で煽り続けた。

 やがて、老人の前で足を止めた隼は、無表情のまま、醜く歪む男の顔を見下ろした。


(……こいつが……)


 今、自分の中で渦巻いている思いが、父の仇へ対する恨みなのか、前世からの因縁なのかは隼にもわからなかった。

 ただ、無性に目の前の老人を叩きのめして、地獄へ送ってやりたかった。

 ただならぬ隼の様子に、周りの者たちは何もできず、ただ息をのんで状況を見守っていた。


『殺したければ殺せばいい。この哀れな老人を、穢れを知らんその綺麗な手でな!』


 固く握り締められた隼の拳が震え、喉がゴクリと音を立てた。




「テト、こいつに伝えてくれ」


 押し殺すように発せられた隼の声に、後方で彼の動きを見守っていたテトが、弾かれたように前に出てきた。


「俺はコールガーシャじゃない」


 ゆっくりと語り始めた隼の声は、微かに震えていた。

 そんな彼の言葉を、テトは言われるままにムーの言葉に直して老人に伝えた。

 間接的に隼の言葉を聞いたガゼロは、心の底を探るような鋭い目で黒髪の少年を見ていた。


「だから、こんなじじい知らねえし、全く興味もねえってな!」

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