第十三話 慈しみの心
その日から、ダリアンは夜になると、幻影を森へ飛ばして仲間たちと落ち合い、政権奪回に向けて画策を練るようになった。
深夜であれば、牢の奥で彼が横たわり、じっとしていても、見張りの兵に怪しまれる恐れもない。
純白の神官姿をした彼が空から舞い降りると、思いを同じくする男たちが笑顔で出迎える。
そんな彼らも皆、日中は普段通りの暮らしをして身を潜め、夜になれば幻影を飛ばしてきているのだ。
ここに集まってくる面々は、神官や神学校の学徒が中心だが、中にはトトのように人知れず王家に仕えていた軍人もいる。
竜を自在に操る翼竜隊に籍を置く者たちも、王家直属の兵士だ。
翼竜は王家の者が認めた者にしか従わず、彼らを操るためには同調の能力が必要なため、翼竜隊の兵士らは神官としての訓練も積んだ聖職者なのだ。
王家に忠誠を誓い、ラーを深く信仰する彼らからの反乱を恐れ、当初ガゼロ将軍は、隊員らを牢に幽閉したらしい。
この時、彼らの命を奪わなかったのは、竜を操れる希少な人材を確保しておきたかったからだろう。
調べによると、将軍は王家を滅ぼした後、「復活の間」をダリアンに開けさせてスフェラを手に入れ、自分の血を注いで翼竜を手懐けようと考えていたようだ。
愚かな男は、王家に限らず、血を与えた者に翼竜が従うと信じていたらしい。
しかし、地下への入り口が開かずスフェラが手に入らなくなったことで、彼の思惑は大きく外れた。
結果将軍は、危険分子でしかなくなった隊員らを処分しようとした。
だが危機を察した翼竜隊の隊長が、将軍に忠誠を誓うと宣言し、隊員らは辛うじて命をつなぎとめることができたという。
『いかなる手段を使ってでも、生きながらえること。そうすれば、いずれ好機は訪れる』
翼竜隊の隊長カスコは、腕組みをしてそう言うと、不敵な笑みを浮かべた。
年の頃は三十前後か。
ダリアンより頭ひとつ分以上背が高く、筋肉質な大男は、その体格に似合わず繊細で整った顔をした美男子だった。
黒光りする甲冑を身に付け、燃えるような赤い髪を腰まで垂らした彼は、どこにいても目立つ存在だった。
『相手を騙してでも、懐に入り込まなければ見えないこともある。そこに勝機が隠れているかもしれぬのだ』
神職者とは思えないことを、彼は平然と言い放った。
そう、この男の指示により翼竜隊の隊員らは、日中は王家への忠誠心を隠し、ガゼロ将軍に仕えているのだ。
それにより命をつなげたことで、彼らはダリアンと同じようにロギオスから幻影の能力を開発され、今こうしてここにいる。
そうして、将軍を討つという思いのもとに集まった者達は、来る日に備えて武術や神通力を磨くようになっていった。
『俺に武術を教えてくれないか?』
しばらく経ったある夜、ダリアンは、隊員らに稽古をつけているカスコ隊長のそばへ行き、真剣な声色でそう話しかけた。
その瞬間、カスコは目を大きく見開いて、若い大神官を見つめ返した。
『大神官殿が武術を? それはまた神妙な』
同じ神職者とはいえ、翼竜隊は主に体を鍛え上げてきた兵士だ。
祈りによって国を守ることを役目とする神官とは、真逆とも言える存在だ。
そんな彼からしてみれば、その長であるダリアンが武術を習いたいなど、あまりに意外な申し入れだったのだ。
『俺がもっと強かったら、コール様は命を落とさずに済んだかもしれない。もう二度とあんな思いをしなくて済むように、もっと強くなりたいんだ』
ダリアンは絞り出すようにそう言って、悔し気に唇を噛み締めた。
『ふむ……』
カスコは顎をさすりながら、目を赤くしているダリアンの顔を見下ろした。
そんな大男の顔を、ダリアンは睨むようにじっと見つめ続けていた。
あの日神殿で、ガゼロ将軍の兵に襲われた時、敵が振り下ろす剣に全く太刀打ちできず、コールを守ることができなかった。
自分がもっと強かったら……。
あの日以来、彼は無力であった自分をずっと悔やみ続けていたのだ。
そして、大神官である自分に対しても、歯に衣着せず接してくるこの男なら、手加減することなく自分を鍛え上げてくれるに違いないと思ったのだ。
青年の視線に熱意を感じた大男は、しばらくすると大きなため息をついて、ニヤリと笑って見せた。
『私の訓練の厳しさは、翼竜隊の者どもでも泣き言を言うくらいですぞ。干渉しあえる幻影同士であれば、怪我をすれば痛みも伴います。はたして大神官殿に耐えられますかな?』
腹の底を探るようなカスコの言葉と視線に、ダリアンはゆるぎのない瞳で応えた。
『少しでも早く、誰よりも強くなりたい。だから手加減は無用だ』
『まずは、武器が必要ですな。ご自分の手に剣が握られている様をイメージしてみてください』
ダリアンから少し距離を置いた場所に立ったカスコは、腰を落として剣の柄を握るように両手を組み、そこに意識を集中させた。
すると、彼の手から白い湯気のようなものが立ち上り、やがてそれは大ぶりな剣へと変化した。
それを見て、ダリアンも構えの姿勢をとって、手の中に剣があるイメージを思い浮かべた。
間も無く、冷たい金属の感触が手から伝わりはじめ、そこから白い煙状のものが立ち上りだした。
そして、徐々にそれは棒状に固まってゆき、やがて
『ほう。なかなか立派な剣ですな』
ダリアンの手に握られた剣を見て、カスコは構えの姿勢のままヒューと口笛を吹いた。
その言葉に、ダリアンが自分の剣を改めて見ると、それは祭壇に突き立てられたコールの剣とよく似ていた。
どうやら彼は無意識のうちに、あの剣をイメージしていたらしい。
『では、行きますよ』
そんな声が聞こえた直後、距離を置いて立っていたはずのカスコの息が、ダリアンの耳元にかかった。
気がつくと、ダリアンは仰向けに横たわっていた。
『気がつかれましたか? ダリアン様』
目を開けると、トトが心配そうに彼の顔を覗き込んでいた。
『俺は……ツッ!』
慌てて起き上がろうとしたダリアンは、激痛に襲われ、再び地面の上に倒れ込んだ。
『幾ら何でもいきなりは無理じゃ。もう少し手加減をせんか』
ダリアンの耳に、珍しく言葉を荒げるロギオスの声が聞こえてきた。
苦しみに顔を歪めながら、薄く目を開けると、とぼけたような顔をして老人に背を向けるカスコの姿が見えた。
どうやらダリアンは、武術の訓練中彼にこっぴどく打ちのめされ、気を失っていたようなのだ。
『いいんです、ロギオス。俺が厳しく鍛えて欲しいと彼に頼んだんです』
己の不甲斐なさに苦笑するダリアンの顔を見て、老人は大きくため息をつくと、彼の全身にできた切り傷に手を当て始めた。
ロギオスの手が当てられると、傷口は白い光を放ち、それが収まると跡形もなく消え去った。
『幻影だったからよかったものの、これが生身の体の傷なら、私には治せませんよ』
一通り治療を終えた老人は、今度は難しい顔をしてダリアンを見つめた。
『……生身の……』
老人の言葉を聞いて、何かに思い至ったダリアンは、ベルトの間からおもむろに赤い石を取り出した。
『それは……?』
ダリアンがスフェラを持っていることにロギオスは驚き、目を大きく見開いた。
そんな老人とダリアンの様子を、カスコも遠くから見つめていた。
『これは……』
しばらくの沈黙の後、ダリアンはゆっくりと真実を語り始めた。
『スフェラがラ・ムーの亡骸であったとは……。そして、その石が……コール様?』
ダリアンの手の上に置かれた赤い石を見つめて、ロギオスは言葉を失った。
王家最大の秘密であるスフェラの正体について明かすことは
ダリアンは感情を押し殺し、心して淡々とした口調でこれまであった出来事を、すべて語って聞かせた。
父と共に「復活の間」で見た光景、皇子の亡骸がスフェラになっていたこと、それを傷口に当てると瞬時に怪我が治ったこと。
そして、ギルトにコールの生まれたばかりの子ども達を託したこと。
にわかには信じがたい事実に、ロギオスとカスコは驚きを隠せない様子で聞き入っていた。
『それにしても、なんと美しい……』
ダリアンの話を聞き終えた老人は、潤んだ瞳で緋色の石を見つめて小さく呟いた。
その言葉に、スフェラに視線を戻したダリアンは、その色の鮮やかさに改めて目を細めた。
何度見ても、このスフェラは、これまで見たどの石よりも美しい。
まるで、皇子の心のように透き通り、微塵の澱みもない。
そして、あの日からその色が枯れることはない……。
『……!』
次の瞬間、ダリアンは素早くカスコの顔を見上げた。
『カスコ、翼竜たちは無事なのか? もうスフェラが枯れ始めている頃だろう?』
王家が滅び、スフェラに血を注がれなくなってすでに数ヶ月が経つ。
そろそろ石の効力が切れ、翼竜たちは立ってさえいられなくなる頃のはずなのだ。
『それが……不思議なことに、あの日以来スフェラの色に変化がないんですよ。翼竜たちの様子にも変わりはありません』
『……どういうことなんだ』
首をかしげるダリアンの隣で、トトが恐る恐る口を挟んできた。
『スフェラの光の中にいるからでしょうか?』
少年が発した言葉に、一同は一斉に「ああ」と納得したような声をあげた。
単体の石では、翼竜一頭一頭にしか、スフェラの効力はない。
だが、無数の石に大量の血が注がれたために、この国全体が赤い光に包まれ、皆がその効力の中に身を置いている状態なのだとしたら……。
『ダリアン、あなたは以前授業の中で、スフェラの力とはどのようなものなのかと問われましたね』
ふと、ロギオスが真剣な表情を浮かべて、話を切り出してきた。
『……はい』
老人が突然持ち出してきた話に、ダリアンは真意をつかめず眉をひそめた。
『もしかすると、スフェラの力とは、歴代ラ・ムーの慈しみの心なのかもしれませんね』
『……?』
『ネフレムや翼竜が生きていけるように。あなたの傷が早く治るように。この国が災害から免れるように。それぞれが生きていくための環境をいつも与えてくださる。そうやって、我々を常に見守ってくださっているのかもしれません』
『……』
『そうであるならば、この国はきっと大丈夫です』
そう言って、老人は穏やかな笑みを浮かべ、枝葉の間から見える赤い空を見上げた。
『我々の頭上には、常にラ・ムーがいらっしゃるのですから』
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