第九話 友よ

 ガゼロ将軍は、不敵な笑みを浮かべて、血糊のこびりついた刀身をべろりと舐めた。

 彼の背後に居並ぶ兵士らの向こうに目を向けると、広間に集まっていた神官たちが、ある者は殺され、ある者は拘束されている様が見えた。

 武装した兵士を相手に、丸腰の神官たちに抗うすべなどなかったのだろう。

 二人が父たちを送り出している間に、神殿内はすでに将軍が率いる軍部によって制圧されていた。


「先日、ダリアン殿がアルデオ殿から神殿に呼び出されていたので、王位の継承が近いのでは、と睨んでおりましたが案の定。このような機会を、我々は長年待ち続けていたのです」


 鋭く目を光らせ、分厚い唇を醜く歪めて笑う男の顔を見て、ダリアンははっと息をのんだ。

 そういえば、父から呼び出されてスフェラの正体を知らされたあの日、宮殿から出るとコールと言葉を交わすこの男がいた。

 あの時から、彼は自分たちの動きを、注意深くうかがっていたのだろうか。


「あなた方のような愚かな一族に、この国は任せられません。天災によってあなたも命を落としたと説明すれば、民から反感を受けることなく、この国を我々のものにできますからね」


「愚かな一族……?」


 黄金の杖を握りしめ、歯ぎしりをして睨み返すコールに向かって、将軍は今度は苦い表情を浮かべた。


「もともとこの国は、ネフレムや翼竜を戦力とすることで周辺諸国を掌握し、繁栄してきたのです。それなのにあなた方の一族は、しゅを残す努力を怠り彼らを激減させた。すでにネフレムは残り1頭となり、この先増やすこともかなわない。こうなる前に親兄弟に関わらず交じらわせ、無理にでも繁殖させておくべきだったのだ」


「そんな……。ネフレムだって、人の心を持った人間だ。戦力とするために、自然の摂理に反してまで子どもを産ませるなんて許されない」


「そのような考え方が愚かだと言うのですよ!」


 将軍はそう言って話を一方的に打ち切り、右手に握った剣の切っ先を二人の青年に差し向けた。

 すると、それを合図に武装した兵士らが、コールとダリアンを取り囲んだ。


「待て! せめてこの杖を祭壇に立てさせてくれ! このままでは、ムーは滅亡する!」


 そう叫ぶコールの声に耳も貸さず、無数の兵らが二人に鈍く光る刀身を振り上げて突進してきた。

 コールとダリアンは、それぞれ手にしていた杖でその攻撃を振り払おうとした。

 彼らの腰には剣も挿されていたが、それぞれ父から引き継いだ大切な杖を手放すことはできなかったのだ。

 しかし、致命傷を与えられないただの棒で、鉄の剣にかなうはずがない。

 しかも、相手は戦うことを目的に鍛えられ、鉄と皮でできた鎧兜で身を固めた多勢の兵士だ。

 実戦の経験もなく、手足がむき出しの神学校の制服姿の二人には、次々と仕掛けられる攻撃に対し、闇雲に立ち回るだけで精一杯だった。

 前方から襲ってくる敵を払えば、背後から別の兵が斬りかかってくる。

 互いの死角をかばい合うように背を合わせていた彼らだったが、それでもすでに全身のあちこちを斬りつけられ、白い制服はみるみる血で赤く染まっていった。


「ヴッ……」


 不意に背後からコールのうめき声が聞こえ、振り返った瞬間、その隙を狙って一人の兵がダリアンに向かって剣を振り下ろしてきた。

 直後、目の前に血しぶきが舞い上がり、胸に激痛が走った。

 肩から脇にかけて、たすき状に斬りつけられたダリアンは、足元がふらつき、前のめりに崩れ落ちた。


「くうっ……!」


 なんとか起き上がろうと、力を込めた拳の先に視線を向けると、そこに血だまりに揺らぐ黒髪が見えた。


「コール様……!」


 苦痛に顔を歪ませながら身を起こして見ると、首元からおびただしい血を流したコールが、うつ伏せの状態で倒れていた。


「とどめは私が刺す」


 兵士らの肩を押しのけ、ガゼロ将軍が倒れる二人のそばへ近づいてきた。

 殺気を感じたダリアンは力を振り絞り、這うようにしてコールに近付き、彼の上に覆い被さった。


「覚悟!」


 そう言って、男は狂気じみた笑みを浮かべ、剣先を天高く垂直に持ち上げた。

 その瞬間、ダリアンは覚悟を決めてきつく目を閉じた。




 ドヴォーン!!


 その時、激しい物音と共に、床が大きく揺らぎ、大量の石がバラバラと崩れ落ちる音がした。

 同時に、入り口付近から複数の叫び声が聞こえ、そちらに目を向けると、大理石の白い壁が炎で赤く染まっていた。


「将軍! 空から巨大な火の玉が降ってきました!」


 顔に火傷を負い、鎧を黒く焦がした兵士が、そう叫びながら広間に飛び込んできた。


「なんだと?」


 眉をひそめてガゼロ将軍が振り返った瞬間、今度は広間の天井を突き破って、燃え盛る巨大な岩の塊が落ちてきた。

 石の床を粉々に砕き、地面にめり込んだそれは、そばにいた兵士や拘束された神官たちもろとも、周囲を炎の渦に巻き込んだ。

 その後もヒューっという風を切るような音とともに、巨大な火の玉が次々と落下してきた。


『火山の噴火が始まったんだ……』


 黒焦げになった死体が転がり、大火傷を負った兵士らが叫び声をあげて逃げ惑う。

 崇高さを醸し出していた神殿内が阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵と化す中、ダリアンは瓦礫や火の粉からコールを庇い続けた。


「ええい! もう良い! 杖だけを奪ってここから出るぞ! それさえあれば、民を平伏させることができる。こやつらは放っておいてもやがて死ぬ」


 将軍が怒鳴るようにそう言うと、数人の兵士がダリアンの手に握られた杖に手をかけてきた。

 必死に抵抗しようとしたダリアンだったが、手に力が入らず、大神官のしるしである銀の杖は、あっけなく取り上げられてしまった。

 間を置かず別の兵が、彼の襟首をつかんで皇子の体から引き剥がし、そのまま硬い床に突き飛ばした。

 

「コール様!」


 なおも皇子に近付こうとするダリアンの背中を、また別の兵が力一杯踏みつけた。

 うめき声を上げる彼の目の前で、コールが体の下で握りしめ、死守していたラ・ムーの杖も、強引に兵らに奪われていった。


「くそ!」


 持ち去られていく二つの杖を見つめながら、ダリアンは拳で石の床を叩きつけた。

 その後も絶え間なく火の玉と化した噴石は降り注ぎ、天井や壁を破壊し、神殿の内部を火の海に変えていった。



「これまでか……」


 悔しさにダリアンが唇を噛み締めたその時、心の中に直接響いてくる声があった。


『ダリアン、私をラーのそばへ連れて行ってくれないか』


 力なく呼びかけてくる同調の声は、コールからのものだった。

 ダリアンは残された力を振り絞り、床を這って皇子のそばへ近づいていった。


『杖は奪われたが、もしかしたら、剣を突き立てることでもスフェラの力を放出できるかもしれない』


 間近で皇子の姿を目にしたダリアンは、思わず絶句した。

 コールがすでに瀕死の状態であることが明らかだったからだ。

 血で汚れた顔は蒼白で、力なく開いた目元からのぞく瞳は、瞳孔が開き始めていた。

 受け入れ難い現実に言葉を失っているダリアンに、コールは強く懇願してきた。


『頼む。この国を守ることが我々の使命だろう』





 ダリアンはコールの肩を抱えて立ち上がり、祭壇の頂上へ続く石段を登り始めた。

 彼自身も重傷を負い、大人一人を抱えて階段を上るなど、普通では考えられない状態だったが、王として何としてもこの国を救いたいというコールの強い想いが、限界を越えて彼の体を動かした。

 それでも、歩みを進めるたびに切り裂かれた胸元に激痛が走り、鮮血が溢れ出た。

 コールの首元からも血はとめどなく流れ落ち、二人が行き過ぎた後には大量の血痕が残されていった。


『ダリアン……』


 よろめき、何度も倒れそうになりながらも、震える足で歩みを進めるダリアンの心に、コールが話しかけてきた。


『いつも力になってくれてありがとう。私は君には甘えてばかりだったね』


「水臭いこと……言わないでくださいよ」


 荒い息を吐きながら、意識して明るい口調でそう答えたダリアンだったが、そうしている間にも、コールの体から徐々に力が抜け、重みが増しつつあることを実感していた。




「コール様?」


 ふと声が途絶え、不安を感じてダリアンが呼びかけると、少し間をおいて再びコールが語りかけてきた。


『レムリアのことも……ごめん』


 突然、レムリアの名が出てきて、ダリアンの動きが思わず止まった。


「レムリア様の……? なんのことです?」


 話の脈略がつかめず、首を傾げながらも、ダリアンは再び階段を上り始めた。


『実は何度か、君の本心を覗こうとしたことがあるんだ。でもレムリアのことになると、君はいつも心に蓋をしていて、結局最後まで見ることができなかったよ……』


「……」


『でも、だからこそ、彼女が君にとって特別な存在だということがわかったんだ……』


 ダリアンの歩みが、再びぴたりと止まった。

 そして次の瞬間、彼の全身は痛みとは別の理由で震え始め、頭の中が真っ白になった。


『ごめん。私は、彼女を失いたくなくて……。親友の顔をしながら、心では君をずっと裏切り続けていたんだ……』


 ダリアンの肩にもたれかかったコールの目元から、涙がこぼれ落ちた。

 さらに力が抜け、滑り落ちかけた皇子の肩を背負い直し、ダリアンは再び階段を登り始めた。

 そんな彼らのすぐそばまで火の玉は落下し続け、爆風に煽られよろめきながらも、ダリアンは黙々とラーの象徴が置かれた祭壇の頂上を目指していった。




「あなたは、裏切ってなどいません」


 しばらく黙って歩き続けていたダリアンが、ふと、穏やかな笑みを浮かべてそう言った。


「彼女が、あなたを選んだんです」


『……』


 ダリアンの言葉に、コールは心の中でむせび泣き始めた。

 皇子が泣いていることを震える肩からも感じながら、ダリアンは自分の中から湧き上がってくる不思議な感情に驚いていた。

 レムリアへ対する自分の想いに、コールが気がついていたことを知り激しく動揺した。

 だがこれまで、どんな時でも清廉潔白だと思っていた皇子の、人間らしい一面を初めて見ることができ、彼の内面に少し触れられたような気がしたのだ。



 何度も倒れそうになりながらも、ようやくダリアンは祭壇の最上段までたどり着いた。

 二人を見下ろす太陽を模した黄金の像の足元に目を向けると、杖の先がちょうど挿さるほどの小さな穴が開いていた。

 その大きさから見て、刀身全てを納めることは無理だが、切っ先だけなら突き刺せるかもしれないと思われた。


「コール様、剣を……」


 ダリアンはコールの腰に挿された剣を引き抜き、血まみれの手に握らせた。

 すでに自力では動けないコールは、ダリアンに支えられながら、引きずられるように黄金の像の前へ進み出た。


『ダリアン、手を貸してくれないか』


 ダリアンは大きく頷いて、コールの手を包み込むように剣の柄を握った。

 そうして、剣先を垂直に持ち上げた二人は、力を合わせて一気に振り下ろした。


 ガキーン!


 剣が床に突き刺さった瞬間、そこから放射状に赤い閃光が溢れ出した。

 目を開けていられないほどの眩しい光に、ダリアンの足元がよろめき、彼らは折り重なるようにその場に倒れた。







「ダリアン」


 渦巻く赤い闇の中、うつ伏せに倒れていたダリアンは、自分の名を呼ぶ声にはっと目を開いた。

 すぐさま身を起こし、四方に首を巡らせて声の主を探したが、周りは赤一色で、天地も左右もない。

 ふらつく足で立ち上がった彼は、闇を彷徨うように手を広げて、声の主を探して歩きだした。


「コール様!」


 不思議なことに、胸を切り裂かれ、血で染まっていたはずの衣は元通りになっており、痛みも感じられなかった。

 ふと前方に清らかな白い光の塊が現れ、その中に二つの人影が見えた。


「コール様! レムリア様!」


 逆光の中、シルエットしか見えなかったが、ダリアンには彼らが誰なのかがすぐにわかった。

 二人のもとへ駆け寄ろうと蹴り出しても、思うように前へ進めない。

 もがくように、手足をばたつかせるダリアンに向かって、光の中のコールが手にした布を差し出してきた。


「ダリアン、この布についた血を、ギルトにやってくれ」


「……?」


 気がつくと、ダリアンの手に血で汚れた薄い布が握りしめられていた。

 それは、コールが身につけていた神学校の制服のヒマティオン(外衣)だった。

 その布には、滴るほどに皇子の血が染み込んでいた。


「ダリアン」


 戸惑いながら布を見つめるダリアンの名を、今度はやわらかい女の声が呼んだ。


「子どもたちを、どうかお願い」


「レムリア……。君も行ってしまうのか?」


 ダリアンの問いに、金色の髪をなびかせた女の影は、悲し気に微笑んだような気がした。


「大神官は、ラ・ムーの後を追うのが運命さだめではないですか。俺も一緒に連れて行ってください!」


「君は君の天命を全うするべきだと言っただろう。それに、君までいなくなれば、この国はどうなる」


 光の中のコールは、諭すようにゆっくりと、だが強い口調で言った。


「あなたなしで、俺に何ができると言うんですか」


 光に飲み込まれ、徐々に小さくなってゆく二人の影を、ダリアンは必死に追いかけた。

 けれど、どれだけ走っても、彼らとの距離は縮まるどころか、むしろどんどん広がる一方だった。

 ダリアンには、彼らの行く先がわかっていた。

 あの光に完全に同化してしまったら、彼らにもう二度と会えなくなるということも。

 

「私がスフェラになったら、君に持っていてほしい」


 光の中に溶け込みながら、そう言うコールの声が聞こえた。


「いつか、それを目印に君に会いに行くよ」


 コールの声が徐々に遠のいてゆき、二人の影を飲み込んだ白い光も小さくなり始めた。


「コール様! レムリア! 待ってくれ! 俺だけをおいて行かないでくれ!」


 赤い闇しかない世界で、ダリアンは消えていく光に向かって、いつまでも叫び続けていた。

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