第十五話 もうひとつの翼竜隊

 その日もダリアンは、物陰に身を隠して、牢の周囲から人気がなくなる時を見計らっていた。

 アチャ達と剣を交えるようになってからの彼は、地下空間では自由に行動することを許されていた。

 兵士の中には、夜間も自分たちと過ごせばいいと提案してくれる者もあったが、彼はあえてそれを断った。

 ガゼロ将軍の手の者が不意に訪れ、彼がここで自由の身になっていることを知れば、兵士らも罪に問われる恐れがある。

 日中であれば、作業を手伝わせているなど、何かと言い訳も立つが、夜間ではそれも難しい。

 そのため、彼は自ら牢の中で過ごすことを望んだのだ。


 だが、牢に入れられてしまえば、実体では鉄格子をすり抜けることができず、森で仲間たちと落ち合えなくなる。

 そこで彼は、前もって幻影と入れ替わっておき、監視の目が鈍るまでこうして身を潜めているのだ。

 足輪をはめられた幻影が藁の上に横たわると、見張りの兵は安心して、じきに仮眠を始める。

 ダリアンはその時を、柱の影から息を殺して待ち続けていた。


「おい」


「!!」


 突然、背後から肩を叩かれ、思わず大声を上げそうになった彼の口を、何者かが塞いだ。

 目を見開いて振り返ると、そこには険しい顔つきをしたアチャが立っていた。


「どういうことなんだ。これは」


 大男は、牢の中で横たわる痩せた青年の背中と、ダリアンの顔を交互に見て低い声で囁いた。


「これは……」


 口元を解放されても、ダリアンは返答に困り、しばらくは言葉が出なかった。

 互いに心を許し始めているとはいえ、彼らがガゼロ将軍に仕える兵士であることに変わりはない。

 そんな彼らに、ここから抜け出す理由や、戦法に関わる幻影の能力について話すわけにはいかなかった。


「あれもお前ら神官の持つ術のひとつなのか?」


 狼狽うろたえている彼の前で、意外にもアチャは驚くでもなく、落ち着いた様子で幻影を顎で指した。

 一瞬呆気にとられたダリアンだったが、それほどまでに神官は、どんな術を使っても不思議ではない、特異な存在と彼らに認識されているのかもしれなかった。


「まあ、ちゃんとここに戻って来ているということは、逃げるつもりはないんだろう」


 そう言ってアチャはダリアンの背中を軽く叩いて、柱の陰から押し出した。

 戸惑う青年を、自分の体で隠すようにして歩きだした大男は、見張りが立つ牢の前を平然と通り過ぎ、地上へと続く階段を黙って上り始めた。

 ダリアンも遅れをとらないように、男の陰に身を潜めながら、早足で暗い階段を登って行った。




「オレがここで見張っているから、夜明けまでには帰ってこいよ」


 地上へ出る扉の前まで来ると、大男はそう言ってダリアンの背中を押した。

 ダリアンが戸を薄く開けると、そこには見慣れた石造りの広間が広がっていた。

 深夜の神殿は警備も手薄で、彼はこれまでも、護衛兵の目を盗んでは、壊れた壁の隙間から出入りしていたのだ。


「どこへ行くのか、聞かないのか?」


 壁に開いた穴に足を掛け、振り向きながらそうたずねると、アチャは扉の前にどかりと腰を下ろして腕組みをした。


「あんたがなにをしているかは知らねえが、たぶん、この国をなんとかしようと考えてるんだろ?」


「……」


「ラ・ムーのいなくなった今、この国を救えるのは、あんたしかいねえんだろ? だったら、オレもあんたに賭けてみるよ」


 そう言うと、アチャは目を閉じ、白々しいほど大きないびきをかき始めた。

 おそらく、護衛兵の意識を自分に引きつけて、ダリアンから目を逸らさせようとしているのだろう。

 そんな大男の様子を呆然と見つめていたダリアンだったが、次の瞬間、思い直したように前方に向き直り、外に向かって身を乗り出した。


「……恩にきる」


 その声に、アチャが薄目を開けて壁を見ると、すでに青年の姿はそこになかった。







 集合場所である、森の中の開けた場所までやってくると、そこでまずダリアンはロギオスとカスコ、そしてトトの三人と円を組んで腰を下ろし、それぞれが日中に得た情報を交換し合う。

 そこで彼は、ロギオスからは神官たちの様子を、カスコからはガゼロ将軍と軍部の動きを、トトからは町の人々の暮らしぶりをうかがい知るのだ。


『アチャ? ああ、あの図体のでかいやつですか』


 地下から抜け出す際、アチャが協力してくれたことをダリアンが話すと、カスコも彼のことはよく知っているようだった。


『単細胞ですが、腕は立つし、面倒見がいいので人望の厚い男ですよ』


 翼竜隊と軍部の者は、所属する部署は違っても、共に命をかけて戦う兵士だ。

 日頃の職務の中で、顔を合わせることもあるのだろう。

 そして彼も、アチャに悪い印象は持っていないようだった。


『兵士らも、将軍のことはとっくに見限っています。でも将軍やつは、一部の兵を優遇することで服従させて、身辺を守らせているので簡単には手が出せません。自分付き以外の兵には食料もまともに与えず、空腹に耐えられなくなった者たちが町へ下りて悪さをしているのです。今の状況をなんとかしたいと思っているのは、彼らも同じなのでしょう』


「そうだったのか……」


 町を襲う兵士らに怒りを覚えていたダリアンだったが、彼らもまた将軍によって冷遇されていることを知り、また別の怒りがこみ上げてきた。

 それと同時に、アチャがわずかな食料の中から、栄養価の高いものを自分にも分けてくれていたのだと思うと、彼の情の深さに胸が熱くなった。


「いてっ!」


 ふと、体勢を変えようと腰をねじったダリアンが、叫ぶような声を上げて顔を大きく歪ませた。


『大丈夫ですか?』


 額に脂汗を浮かべる彼を見て、トトが心配そうに声をかけてきた。


「ああ。今日は腰に強烈な一撃をくらってね。しばらくは立ち上がることさえできなかったよ」


 少し痛みが治まったダリアンは、苦笑いを浮かべて頭を掻いた。


『しかし、昼は昼で兵士を相手にしているとは。あまり無理をすると、体が持ちませんぞ』


 カスコが呆れたように鼻から息を吐き出すと、横からトトも身を乗り出してきた。


『そうですよ。こんなに傷だらけになって。なぜスフェラで治さないんです?』


 スフェラの力を目にしたことがあるトトは、眉をひそめてダリアンの顔を覗き込んだ。

 あの石で触れれば、瀕死の重傷でもあっという間に治ったのだ。

 この程度の打撲や切り傷であれば、我慢するまでもなく、瞬く間に治せるだろう。

 なのに、彼の怪我の状態からは、その力を使っている様子はうかがえなかったのだ。


「うん。実はスフェラは、直接怪我を治してくれているわけではなさそうなんだ」


 腰を庇いながら、なんとかあぐらを組み直したダリアンは、トトの目を見つめて、諭すような口調で言った。


『?』


「一度、傷が治る様子をじっくり観察してみたんだが、どうやらスフェラが触れるとその部分の時間が早く進み、結果的に怪我が治ったように見えるみたいなんだよ」


 すぐには理解に及ばず、首を傾げるトトのそばで、ロギオスとカスコも興味深げに彼の話に聞き入っていた。


「つまり、スフェラを使えば、傷が深いほどその部分の老化が進むということなんだ。そんなことを繰り返していれば、寿命にも影響しかねないだろ? だから、よほどなことがない限り、使わないことにしたんだ」


『……そう……だったんですか……』


 スフェラを使うことにはリスクが伴うのだと、ようやく理解できたトトは、落胆したように大きく肩を落とした。


「それに、自分の治癒力を知っておけば、わざと斬らせておいて、油断した相手の隙を突くという戦法も取れるだろ?」


 気落ちしている様子の少年に向かって、ダリアンは笑いながら親指を立てて見せた。


『そんな、無茶な……』


 とんでもないことを笑って言いのける青年に、老人と少年は呆れたように深いため息をついた。


『肉を切らせて骨を断つか。大したやつだよ。あんたは』


 そんな中、腕組みをした赤髪の大男だけが、愉快そうにそう言って笑った。






「さて、そろそろ神官たちを集めるか」


 ダリアンはそう言って立ち上がると、翼竜隊とともに武術の鍛錬に励む神官たちに目を配った。

 何度打ちのめされても、巨漢であるカスコに立ち向かっていくダリアンの姿に心を打たれ、いつしか神官達も、誰からともなく翼竜隊の隊員に武術の教えを乞うようになっていった。

 彼らもあの日神殿で、迫りくる将軍の兵に対し、抗う術を持たず、多くの仲間を失ったことに悔しさを覚えていたのだ。

 そして、そんな彼らの思いに応えるべく、カスコも積極的に協力するようにと隊員達に説いてくれた。

 結果的に、そうして剣を交えることにより、どこか壁を感じていた神官と翼竜隊との距離も、以前より近付いたように感じられる。

 剣などほとんど手にしたことがなく、最初は屁っ放り腰だった神官たちも、最近は少しずつ様になりつつあるようだ。


 ダリアンはそっと目を閉じ、汗を流している神官らに同調を送った。

 彼からのメッセージを受け取った神官や神学校の学徒たちは、剣を持つ手を止めて宙に舞い上がった。

 そうして、広場の中心部の上空に無数の神官達が集まり、地上に降り立った彼らは若い大神官を取り囲んだ。

 もちろん、キトン姿のダリアン以外は、みな少し姿が透けて見える幻影だ。

 ここにいる神官たちの実体は今、神殿の中の一室にある。

 コールが命を奪われたあの日、神殿に仕えていた神官たちの多くも、ガゼロ将軍が率いる兵によって殺害された。

 かろうじて生き残ることができたここにいる者たちも、日頃は神殿で軟禁状態にある。

 兵糧さえ不足している現状では、満足な食事も与えられておらず、衰弱して命を落とす者もあり、彼らもロギオスによってここへ導かれるまでは絶望感に伏していた。

 だがここで仲間たちと出会って生きる希望を見出した彼らは、この国を取り戻すという目標のもと、剣術の鍛錬に励むまでになれたのだ。


「皆、あれから各自、幻影の訓練もしたか?」


 ダリアンがそう呼びかけると、神官たちは一斉に大きく頷いて見せた。

 そんな彼らの顔を見て満足そうに頷くと、ダリアンは再び目を閉じて意識を集中し始めた。

 しばらくすると、彼の頭上に白い煙状のものが立ち上り、徐々にそれは空に向かって巨大な十字を描くように広がっていった。

 やがてその煙は翼を広げた鳥のような形を成し、濃度が増していくと、巨大な翼竜の姿になった。

 続いて彼は、神官服を着た自分の幻影を作り出すと、その姿で地面を蹴って飛び上がり、翼竜の背中へふわりと跨った。


『続け』


 竜の背からダリアンがそう促すと、神官たちも一斉に目を閉じて意識を集中し始めた。

 するとそれぞれの頭上に翼竜が出現し、彼らもダリアンと同様に宙に舞い上がって、自らが生み出した幻影の竜の背に跨った。

 そうして気がつけば、生い繁る枝葉の向こうに、純白の衣を身につけた神官を背に乗せた翼竜が飛び交う光景が広がっていた。


『しかし、いつ見てもすげーよな』


 翼竜で埋め尽くされた空を見上げて、カスコはヒューと口笛を吹いた。

 彼もロギオスに教えを受け、自身の幻影を作ることはできるようにはなれたが、それ以上のことは、幼い頃から精神修行を続けてきた神官たちにしか成し得なかった。

 同様に、基礎体力のない神官らは、長年体を鍛え上げてきた兵士らと、同等にまで武術を磨き上げることは難しい。

 そこでダリアンは、それぞれが得意とする能力をより高めて、戦いに備えることにしたのだ。

 もちろん、幻影では、生身の兵士にダメージを与えることはできない。

 だが、幻を見せることによって、敵を撹乱し、戦いを有利に運ぶことはできるはずと考えたのだ。


『その中でも、やっぱ、やつは特別だな』


 赤い空を見上げたまま、カスコは再びため息まじりに呟いた。

 彼の視線の先には、竜の背に乗って、神官らに術を教えて回るダリアンの姿があった。

 だが、目を凝らして見ると、その姿はひとつではなかった。

 翼竜の大群の中、何人もの竜に乗ったダリアンが、同時に複数の神官らに指導しているのだ。


『いったい、大神官殿は何体の幻影を操れるんだ?』


 思わず舌を巻く大男の隣で、白髪の老人も空を舞う翼竜を眩しそうに見上げていた。

 長年神官たちを育て上げてきた彼の能力をもってしても、あれほどの数の幻影を同時に生み出し、操ることは不可能だった。


『生まれ持っての才能ももちろんじゃが、あの方は自身の努力によって、あそこまで能力を開花させたんじゃ。コール様が残された意志を引き継ぐために……』


『ロギオス、ちょっと神官達と飛行訓練に行ってきます』


 その時、上空からダリアンの声が聞こえてきた。

 それを聞いたロギオスは、空に向かって小さく手を振った。

 直後、それまでばらけていた翼竜達が隊列を組み、森の奥を目指して一斉に羽ばたき始めた。

 そしてみるみる彼らの姿は東の空に小さくなってゆき、次の瞬間には赤い闇に消えていた。

 神官達の翼竜隊を見送ったロギオスとカスコ、トトの三人は、力が抜けたように思わず大きなため息をついた。


「では、我々はその間、今後の計画について話し合っておきましょうか」


 その時、背後から若い男の声がして、男達は一斉に振り返った。

 するとそこには、キトン姿のダリアンが笑みを浮かべて立っていた。

 たった今、彼の幻影は神官達とともに飛び立っていったはずだが、実体はこの場に残していったらしい。


『いったいぜんたい、あんたの意識はどうなってんだ?』


 カスコはため息まじりにそう呟くと、大きく見開いた目で、銀髪の青年を見つめていた。

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