4 レモネード
不良くんと知り合った日から一週間。
俺は相変わらずカフェでダラダラと過ごしていた。お盆ももう終わって一週間が経とうとしているのに一向に客足は増えない。
当たり前のように俺は毎日カフェに来ていた。
不良くんが来るんじゃないかという期待があった。期待しているくせに電話をかけたりメッセージを送ったりはしなかった。
この一週間、不良くんからも連絡はなかった。カフェにやってくることもなかった。
不良くんのギターはディスプレイとして飾ってある。
やっぱりカッコイイ。男心をくすぐる形をしている。
毎日見ていたら段々と触ってみたくなってくる。
不良くんのギターは、ナビゲーターというブランドのレスポールタイプのギターらしい。
だてに暇ではない。しっかり調べた。インターネットで調べた限り、とんでもなく高いギターだということが分かった。不良くんの家はお金持ちなのかもしれない。
触りたいとは思うもののそんなに高いギターを触って壊してしまったらと思うと実際に触ることはできなかった。どうせ弾けないし。
結局のところ俺はギターにも触らず、何をするでもなくボーッと毎日を過ごしているのだった。
今日も何もなく終わるんだろうと思い始めていた午後、店に一組の老夫婦がやってきた。
「いらっしゃいませ」
アヤさんの愛想のいい声がした。
老夫婦は店に入るとゆっくりと店内を見渡し、窓際に適当な席を見つけて静かに座った。
以前、不良くんが座った席だ。
「あの、こちらのお店にレモネードは置いていませんか?」
老紳士のほうがアヤさんに向かって言った。
「レモネードですか。残念ながら置いていません。申し訳ありません」
アヤさんは心底申し訳なさそうに謝った。
「そうですか……。もう何件かまわっているのですが、置いてる店がなくてねぇ」
「なるほど。……それでは、作り方は知っているのでお作りしますよ。その代わり、味の方は人様にお出しできるようなものか保証はできません。そこはご容赦ください」
「よろしいんですか? では、お言葉に甘えましょうかね」
今度は老婦人が言った。アヤさんは老夫婦に向かって必殺のアヤさんスマイルで微笑むと、ゆっくりと振り返り俺のほうへ向かって歩いてきた。
「ケイくん。悪いんだけどハチミツを買ってきてくれる?」
アヤさんは小さな声で言った。老夫婦に聞かれたくないのだろう。
「え? 俺が? ていうか材料ないのに作るって言ったの?」
つられて俺も小声になる。
「仕方ないでしょう? 貴重なお客様よ。ここで要望にお応えすれば常連さんになってくれるかもしれないじゃない。それにケイくん。どうせ何も予定はないんでしょう?」
「そりゃ予定はないけど。ハチミツなんかどこに売ってるか知らないよ」
「確か駅前のスーパーで売ってたはずだけど」
「分かったよ。まったく。材料もないのに安請け合いしない方がいいと思うけどなぁ」
このまま店にいても暇なのは間違いないのでアヤさんの命令を受けることにした。
もちろん、しぶしぶだ。行かなくていいなら行きたくない。このクソ暑い中外に出るなんて本当はごめんだ。
カフェを出ると、まだまだ元気な真夏の太陽が容赦なく俺を照りつける。よく考えると駅前ってここから歩いて二十分はかかる距離じゃないか? 引き受けたことを一瞬で後悔したが、もう遅い。
とにかく一秒だってこの暑い中を歩いていたくないから速足で駅前に向かった。
十分ほど歩いたところで『養蜂園ハニーホイップ神城』という文字が目についた。
「あれ? 『養蜂園』ってハチミツを栽培してるところじゃなかったか?」
独り言のつもりだったが、それに応えるように突然後ろから女の子の声がした。
「そうだよ。うちの店に何か用?」
「わっ!! びっくりした。え? なに?」
驚いて声が上ずってしまう。
「ん? ハチミツを栽培してるんじゃないか?って君が言うからそうだよって教えてあげたんじゃない」
「いや、そうなんだけど、独り言のつもりだったから……」
「随分大きい独り言ね。ハチミツがほしいならうちの店で買っていきなよ」
「あぁ、栽培してるだけじゃなくて売ってもいるんだ。よかった駅前まで行くところだったけどラッキー」
「駅前? あぁ、スーパーね。あんなところで売ってるのはダメよ。うちのは飛び切りおいしいんだから。うちで買っていって。じゃあね!」
そう言うと女の子はどこかへ行ってしまった。
せっかくだしここで買っていこう。そう思って『養蜂園ハニーホイップ神城』へ入ることにした。
自動ドアを抜けるとひんやりとしたクーラーの冷気が肌に触れた。同時にハチミツの甘い香りがした。
「いらっしゃいませ~」
女の人の声がした。店内に人がいる気配はなかったが、呼びかけてから少しすると奥のほうから綺麗な女の人が出てきた。
「あら、こんにちは。なに? お使い?」
女の人は完全に俺を子ども扱いしていた。
「はい。そうです。ハチミツを買いたいんですけど」
初めての店はなんだか照れ臭い。周りを見回すとたくさんハチミツが置いてあった。その中からすぐそばにある瓶を手に取って女の人に渡す。
瓶にはハチミツなのに、『リンゴ』と大きく書かれていた。
「あら。それでいいの? それはリンゴの花のハチミツよ。リンゴの香りがしてフルーティでおいしいけど。ハチミツは何に使うつもりなの?」
「えっと、レモネード? とかっていう飲み物を作る材料で」
「レモネードね。それならこのリンゴの花のハチミツでもおいしくできると思うわ」
「そうなんですか? それならこれをください」
「まぁまぁ、待ってね。レモネードは誰が飲むの? キミが飲むの?」
「いえ、うちカフェをやっていて、そこに来たお客さんに出す予定です」
「そうなの? それなら変に癖のあるものよりもこっちのプレーンのほうがいいかもね」
女の人はそう言うと『Honey神城』と大きく書かれた瓶を取り上げ、リンゴと書かれた瓶は棚に戻した。
「本当はリンゴの花のハチミツのほうがうちの儲けは大きいんだけどね」
そう言って笑うと手際よくレジを打ち、袋に入れてくれた。俺は代金を支払うとお礼を言って店を後にした。
帰り際にうちのカフェの場所を聞かれたから教えたら、知ってくれているようだった。「お得意様になってくれないかしら」と言っていたから営業も兼ねてカフェに来るかもしれないな、と考えているとどこかで見たことのある金髪頭が見えた。
不良くんだった。
二人の男が不良くんの脇を抱えるようにして歩いていた。まるで警察が犯人を連行しているようだった。様子がおかしいとすぐに分かった。
二人の男はおそらくは高校生。一人は長髪を後ろで束ねたロン毛で、もう一人は不良くんと同じく金髪。その頭は坊主頭だった。
二人とも不良くんに負けず劣らずの不良といった風貌だ。
ただならぬ気配を感じる。三人のあとを追いかけようと思って走りだそうとした時、手に持った袋を思い出した。ハチミツを店に持って帰らないといけない。老夫婦がレモネードを待っている。
俺はハニーホイップ神城に再び入り、さっきの女の人にカフェまでハチミツを持って行ってもらえないかお願いすることにした。幸いカフェの場所はさっき教えてある。
女の人は、突然のお願いなのに特に詳しいわけを訊いてくることはなかった。
「それはかまわないけど、お店を留守にはできないのよね。ちょっと待っててね。奥からうちの人呼んでくるから。急いでるみたいなのにごめんね」
俺のほうがお願いしている立場なのに女の人はそう言って謝ると店の奥に消えていった。
すぐに男の人と戻ってきた女の人は言った。
「じゃああなた、店番お願いね。ハチミツをこの子のお店に届けてくるだけだから二十分もあれば戻るわ。待たせちゃってごめんね。これは私が責任をもって届けるから安心してね」
「ありがとうございます」
言うと同時に俺は駆け出していた。
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