4 でも、もう誰もわたしを止められない

 わたしたちが文化祭ライブの出演を逃してからあっという間に時間は過ぎていき、もう間もなく梅雨が明けようとしていた。


 時間は相対的で楽しい時間は長く、つまらない時間は短く感じると何かの本で読んだことがある。わたしはその本を読んだ時、逆じゃないかな、と思った。だけど、どうやらその本の言うことは本当だったらしい。


 わたしたちは、あの日以来バンドとしての態をなしていなかった。

 辛うじてナナカとは、あの日までとほとんど変わらない関係を保っているが、内田うちだくんと植村うえむらくん、それにユリハ会長とはあの日以来ほとんど顔を合わせていない。


 レイカさんのところにはそれまでと変わらずに週一回通っている。通ってはいるが、ナナカが一緒にレイカさんのところに来ることはなくなった。

 ナナカとの関係で唯一変わってしまったところだ。


 この二か月あまりは、色々なモヤモヤが頭の中を巡っていた。

 自分のせいで文化祭ライブの出演を逃したのだという思いは、時間が経つほどリアルに鮮明な色をつけてわたしに襲い掛かってきた。それでもわたしはドラムから距離を置くことができなかった。むしろドラムを叩くことで頭の中のモヤモヤや自責の念を晴らそうとしていた。

 けれど大好きなドラムをいくら叩いてもわたしの中のモヤモヤはどうしても晴れなかった。


 わたしがそれを聞いたのは、短い梅雨が明けて久々に快晴となった蒸し暑い日の放課後だった。

 あの日以来、金曜日はナナカと別々に帰る。わたしはレイカさんのところに寄ってナナカはまっすぐ家に帰るからだ。特に打ち合わせたわけでもなく自然とそうなってしまった。


 その日は金曜日だった。


 ナナカは「じゃあね。また明日」と言って先に教室を出て行ってしまっていた。翌日が土曜日なのに「また明日」と言ったのは、遊ぶ約束をしていたからだ。わたしも「うん、また明日。夜連絡するね」と応えた。


 教室に残っても特に何かすることがあるわけではない。単にナナカと一緒に教室を出るのが気まずくて、残っている。

 ナナカが教室を出てからしばらく手持ち無沙汰に過ごすのが、金曜日の放課後のお決まりになっていた。


 毎週数分間手持ち無沙汰で困るのが分かっているのだから何か対策を練れば良いのだが、わたしは何もしなかった。そうしてしまうとナナカとの金曜日は二度と修復できなくなる気がした。

 ナナカも気まずいのかもしれない。

 金曜日だけは何かに追われるように慌てて教室を出て行く。


 頃合いを見計らって、わたしも教室を後にした。


 教室を出て少し歩くと右側に校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下がある。そこに人がいるのが見えた。

 一瞬で身体が強張るのが分かった。自分の身体なのにわたしの意思とは無関係に反応する。もう大丈夫だと思っていたのに……。

 渡り廊下と廊下を繋ぐ扉が開いていた。そのせいで嫌でも声が聞こえてくる。


「ねぇ、エリカ〜。そういえばバンドってまだやってるの?」


 妙に甲高い声の主をわたしは知らなかった。だけど、エリカと呼ばれた人をわたしは知っている。

 何も聞かずにそのまま足早にその場を通り過ぎようとした時、聞きたくもないのにその声がわたしの耳に届いた。


「バンド? あ〜、やるわけないじゃん。文化祭のときだけの遊びだよぉ~。あんなもんにマジになるわけなっしょ」


 それを聞いてわたしはその場から動けなくなった。踏み出そうと思っても、一歩がどうしても出ない。遠山さんがバンドを続けていようと続けていまいとわたしには関係がないのにわたしの考えとは裏腹に足が止まる。


「え〜? そうなのぉ? エリカ歌上手いし、文化祭ライブもカッコ良かったからもったいなぁ〜い」


「もう、やめてよぉ。歌なんかカラオケで十分でしょ。わざわざ誰かに楽器弾かせて歌うようなもんでもないって。プロでもないのにぶっちゃけ寒いっしょ。まぁ、文化祭でライブとか青春のテンプレって感じだし、一回くらいは思い出作りにいいかなぁって思うけどねぇ」


「じゃあさ、来年は出ないの〜?」


「出ない、出ない。今年だってムカついたから出てやったようなもんだし」


 わたしは自分でも分かるくらい身体を震わせていた。

 周りに人がいなくて本当に良かったと思う。人がいたら声をかけられて、遠山さんにわたしの存在がバレてしまっていたかもしれない。カタカタと音を立てているんじゃないかと自分でも心配になるほどだ。

 でも止めることができない。


 恐怖からではない。怒りからだ。自分でも意外だけど、わたしは怒っている。


 遠山さんがどう思っていようとわたしには関係ないはずなのに、音楽を……バンドをバカにされたことが許せなかった。わたし達は真剣に悩んでぶつかって……他の人には笑われるかもしれないけど……全身全霊をかけて……かけたつもりで文化祭ライブに出たいと願った。

 それを遠山さんはの一言で歌うものだと言った。

 許せなかった。


「ムカついたってなに〜? 意味分かんないよ」


 媚びるような甲高い笑い声が耳につく。

 うるさい。


「ん〜、もう終わったことだから言うけど。本当は出たいって言ったものの、応募してすぐにやっぱめんどいな〜って思ってたんだよねぇ。かと言ってキャンセルするのもめんどいしさぁ~。だから本当は当日バックレようかと思ってたの。どうせウチはボーカルだし、他の奴が歌えばいいかな〜って。だけどさ、あの投票? オーデイション? みたいのあったじゃん?」


 遠山さんの声に合わせて「うんうん」という相槌が聞こえる。


「準備期間中に周りの子とかに聞いてみたらさ、ロミ研バンドとかいうクソみたいなバンドに票が集まりそうでさ。ウチのバンドが出られないかもってなったんだよねぇ。そのロミ研バンドっての、あのブスが組んだバンドなわけ」


「エリって子のことぉ~? エリカその子のこと嫌いすぎぃ~」


「ウチあいつマジ嫌いだからさぁ。ちょっと細工してやったんだよね」


「え〜? 細工って、エリカ何やったの〜?」


 芝居掛かった大袈裟な声だ。耳障りにもほどがある。


「細工って言ってもたいしたことはしてないよ。あいつらに投票したら嫌だな〜って軽く周りの子たちに言っただけ。みぃ~んな優しいから、ウチのがしっかり届いたみたいだけどね。三年生にまで伝わったのはウケたけど」


「あ〜、理事長の娘だし、エリカに嫌われたら怖いもんねぇ〜。そりゃ三年生もエリカをにしたくないでしょ〜。でもさ〜、それぐらいで投票数伸び悩んだんなら、そのバンドもたいしたことなかったんじゃない? ホントにいいバンドならそれでも票集めちゃいそうだしぃ~」


「かもね〜。けど、実際結構いいよねとか言ってる子たくさんいたじゃん? ウチ、あいつのバンドが好評ってだけでもムカついてたしさ。それでってわけじゃないけど、思い出づくりに出てみたってわけ。あ、ウチはジーアールの助っ人ボーカルだからあいつが票稼ごうが稼がなかろうが出演は間違いなかったけどね。一応、言っとくけどぉ」


 そう言って遠山さんは鼻で笑った。

 上田くんの言った通りだった。あの日から二ヶ月近くが経って、ようやく……やっと……気持ちの切り替えができそうだったのに。どうしてこんな話を聞かなければならないのだろう。


 不思議と涙は出なかった。

 ただ、ただ静かな怒りだけが全身を包んでいく。足元から頭の先まで、体中が熱を帯びていくのを感じた。熱いものがわたしの身体を這い上がる。

 その熱に押されるようにしてわたしは、渡り廊下に向かって走り出していた。

 悩むことなどなかった。無意識ではない。確固たる自分の意志で、遠山さんに向かって走り出していた。体中を包んだ熱がエネルギーとなっていた。


 もう誰もわたしを止められない。

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