1 課題曲のレコーディング

 ケイの思いついたフレーズをみんなで曲にしようと決めてから一週間が過ぎていた。

 課題曲の練習と並行してオリジナル曲をみんなで何とか形にしようと奮闘しているが、なかなか思うように形にすることができないでいた。


 今日は、レイカさんのスタジオで課題曲をレコーディングする日だ。

 オーディション用の音源を提出するまでにあたしたちがレイカさんのスタジオに来られるのは、今日を入れてあと二回だけ。

 今日は課題曲のレコーディング、来週は自由曲のレコーディングに多くの時間を割く予定でいた。


 レイカさんのスタジオに集まったみんなは、いつもより緊張している。もちろんあたしもだ。いつになくピリピリした空気がスタジオ内に広がっていた。


 レイカさんは「いつもどおりやればいいよ」と言ってくれているが、レコーディングとなると何かものすごいことのように思えて委縮してしまう。なにしろあたしたちは誰もレコーディングなんか経験したことがない。


「みんな集まってるね? じゃあ、時間もないし、早速始めようか」


 あたしたちに少し遅れて自宅から降りてきたレイカさんはいつもと変わらない。


「最初は、アカネから。準備はできてる? できてるならすぐ始めるよ」


「うん、いつでもいけるよ」


 エリは元気よく返事をすると、スティックだけ持って、レイカさんと一緒に扉の奥へ行ってしまった。

 扉の向こうは、小さいけれどレコーディングスペースになっている。中でレコーディングの様子を見ることができるのだが、誰からともなく見られると余計に緊張するからレコーディング中は他の人は中に入らないようにしよう、という取り決めになっていた。


 レコーディングは、ドラム、ベース、リズムギター、リードギター、そしてボーカルの順に行うとレイカさんが教えてくれた。


 エリも多少は緊張しているように見えたが、きっとすんなりこなしてしまうのだろう。みんなで合わせているときもミスが一番少ないのが、エリだ。

 エリが終わるとすぐにあたしの番だ。

 あたしはベースとボーカルで二回レコーディングをしなければならない。


 ベースはかなり練習したおかげで、やっと少しずつだけど、自信が持てるようになってきている。でも、歌に関してはまだ自信を持てない。

 以前のように音楽に対して、臆病になってはいない。それは、リサさんのライブを観てあたしの歌に対する価値観ががらりと変わったからだ。けれど、だからといって急に歌がうまくなるわけではない。


 歌のうまさと自信は別問題だけど、密接に関係しているとあたしは思う。

 エリを始め、ケイやユリハ会長、ケイガやレイカさんまで全員が手放しであたしの歌を褒めてくれる。とても光栄なことではあるけど、あたし自身があたしの歌を、特に声をどうしても良いものとは思えなかった。

 レイカさんは、「自分で聞こえている声と自分以外の人が聞いている声は違って聞こえるからそのせいじゃないかな」と言っていた。そういうものなのかと一応は納得している。


 どちらにしてもまずは、ベースだ。


 時間は限られているから、あたし一人で多くの時間を使うわけにはいかない。

 練習していると、途中からケイがあたしのベースに合わせてギターを鳴らし始めた。釣られるようにしてケイガも加わる。


「お前この数週間で本当にうまくなったよな」


 ケイガが嬉しさ半分、悔しさ半分といった複雑な顔をして言った。


「本当、本当。ナナカは俺と一緒で根が真面目だから、きっと俺たちがいない時もすっげー練習してるんだろ?」


 ケイもケイガに続く。


「ケイと同じかは分からないけど、根が真面目なのは認める。胸張って言えるくらい、練習はしてるよ。妹に遊んでくれなくなったって文句言われるくらいに。でもそのおかげで最近は自信も持てるようになってきたし。ていうか、二人だってうまくなったよ。あたしたちって、エリに負けてられないっていう、負けず嫌い精神だけはみんな同じだよね」


 こうやってこの二人と他愛もない会話をすることが、すでに日常になっていた。

 考えてみれば、知り合ってまだ一ヶ月余りだ。レイカさんは「若さと青春のなせる業だね」と言って笑っていた。


 少し前までは女子二人、男子二人の二つのグループがぎこちなくくっついたような感じだった。それが最近では一つのグループといってもいいくらい垣根がなくなっている。


「あ~、エリっていえばよ、あいつのレコーディングってすぐ終わるんだろうなぁ。練習でもほとんどミスしねぇもん」


 ケイガはやはり嬉しさと悔しさの入り混じった顔で言う。

 少し前までなら、悔しさが全面に出ていただろう。ケイガの中で、あたしやエリが自分と切り離せないチームになったということだと思う。それはあたしも同じだった。


「負けず嫌い精神か。本当にその通りだな。俺、エリに限らず、ナナカとケイガにも負けたくなくて練習してるもん。でもさ、それだけじゃなくて、みんなに感動を与えられるようなギターを弾きたいなとも思ってる。そんな曲も作りたいし。やっぱり、リサさんのライブ半端じゃなかったもんなぁ」


「あぁ。あれはすごかったもんな。俺もめちゃくちゃ刺激感じちまったよ。まぁ、俺はお前らの誰にも負けないし、お前ら以外にも負けねぇよ。って言っても現状、やっぱりエリにはかなわないよな」


「だね。エリがドラム叩いてるところ見たのもここなんだけどさ、びっくりしたもん!」


 思い起こせば、あの時は今こうして誰かとバンドを組むなんて想像もできなかった。

 それどころか自分がベースという楽器にここまでのめり込むとも思っていなかった。本人に直接言ったことはないけど、エリには本当に感謝している。


「そうなの? まぁ、確かにエリはドラムってキャラじゃないもんね」


「うん。ドラムやってるって聞いて、すごい興味が湧いちゃってさ。半ば無理矢理についてきちゃんたんだ。だって、あのエリがドラムだもん。それで、いざ叩いてるところ見たら、すんごいの。あの小さい身体で迫力満点だから驚いたよ。音楽のことなんか今でも全然分かってないけど、エリが凄いのは分かったよ。それで、エリのドラム聴いてたら、あたしも何かやりたい! ってなって。それでレイカさんにベースを勧められて。だから今こんな風にみんなとバンド出来るのは間違いなくエリのおかげだよ」


 興奮気味に捲し立てるあたしを二人はクスクス笑いながら見ていた。笑いながらケイガがあたしの後ろを指差している。

 振り返るとそこにはエリが真っ赤な顔をして立っていた。


「ナナカ、ありがとう。わたしのレコーディング終わったよ。次、ナナカだよね」


 エリがものすごく照れているのが分かった。そんなエリを見ているとあたしの方も恥ずかしくなってくる。


「う、うん。早かったね。さすがエリ。あたしも頑張ってくるね」


 エリと小さくハイタッチをして、ベースを持ってスタジオの奥に向かう。扉を開けると、レイカさんが待っていた。


「よし、次はベースだね。ナナカ。気合い入れなよ」


 ベースのレコーディングは思っていたよりもあっさり終わってしまった。

 あたしがベースのレコーディングを終えた後、男子二人もそれぞれレコーディングを行った。あたしも含めてみんなエリとさほど変わらない時間で終えることができた。


 みんな一所懸命練習してきたし、集中してレコーディングに臨んだというのはもちろんある。

 それに加えてレイカさんの提案で、曲中に同じフレーズが出てくるところは一度レコーディングしたものを再利用しようということになったことも大きいと思う。

 おかげで何度も同じフレーズを弾いて失敗を重ね、時間を無駄にするということがなかった。一度うまく弾けるとそれを採用して、曲をつぎはぎすることで時間を短縮することができた。


「プロはあまりやらないけど、あんたたちはプロじゃないし、時間がないんだろ? 普通の人が聴いたんじゃまず分からないように私がミックスするよ」と、レイカさんは言っていた。

 レイカさんは、トレウラの初期のころ、同じ様にミックス作業を行っていたらしい。


 後で聞いたことなのだが、エリだけはあたしたちのようにつぎはぎにせず全部しっかりと叩いたという。さすがエリ。


 楽器がすべて録り終わると、今度はあたしの歌の番だ。歌は楽器のようにつぎはぎにすることはできなかった。

 一番の理由は、当たり前だけど歌詞が一番と二番で違うから。それにやはり歌をつぎはぎにすると違和感が出てしまうらしい。だから、あたしはフルコーラスしっかり歌わなければならなかった。


 ヘッドホン越しにそれまでみんなで積み上げてきた音源を聴く。いつも練習で聴いている音よりもずっとクリアで、それぞれの音がハッキリと聞こえた。

 それに私が弾いたベースの音を聞くのも新鮮だった。


 ヘッドホンをして歌うのはとても歌いにくかった。

 いつも歌っている自分の声とだいぶ違って聞こえるからだ。最初は自分の声に戸惑い、音程を取るのが難しかったけど、それも続けているうちに徐々に慣れた。


「ナナカ、ちょっとピッチはずれてる。もう一回同じとこから」


 時折、ヘッドホン越しにレイカさんのダメ出しが聞こえる。

 歌は楽器よりもずっと音を取るのが難しい。それでもレイカさんの指示どおりに歌い続けて、ようやく全部録り終えるまでにはベースの時の倍以上の時間がかかっていた。

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