6 I'd Do Anything
植村くんがとっさにとった行動に、わたしはただただ感心するばかりだった。
遠山さんの声を録音したボイスレコーダーは今、植村くんの手によってユラユラと揺れている。
植村くんと内田くんは文化祭の後も変わらず毎日ロミ研の部室を訪れていたのだという。部室で変わらずギターの練習をしていたある日「自分たちの演奏を客観的に聴いた方が上達するんじゃないか」と植村くんの方から言い出して、その日以来ボイスレコーダーに自分たちの演奏を録音して、その音を聴きながら練習することにしていたようだった。
咄嗟のことなのに首尾よくボイスレコーダーを持っていたのはそういうことらしい。
わたしは楽器の音を録るにはボイスレコーダーだとあまり音質が良くないのにな、とどうでもいい事が気になった。
「遠山って子がなんかしらの細工をしたことが録音できたらいいなって思ってコッソリスイッチを入れたんだけど、結果的にはもっと良いものが録音できたかもしんないね」
わたしが「ボイスレコーダーで何を録音したの?」と聞くと、植村くんはニヤリと笑いながらそう言った。
「良いものって何?」
「俺がくどいくらいにあの子に訊いたのは、あの子自身の口から『学校権力とはなんの関係もない』ってことを言わせるためだったんだよね」
わたしは植村くんの言ってる意味がイマイチ分からなかった。遠山さんにそれを言わせたとして、それがどうしたというのだろう。
「それが植村くんの言う良いものなの?」
「そうだよ。これであの子がバカじゃない限り、来年はもう票の操作をされることはないと思う。万が一操作されてもこの録音があれば戦えるだろ?」
わたしはハッとした。
植村くんはもう来年のことを考えているのだ。自分たちの未来のことを。
そして、その未来にはきっとわたしやナナカもいる。内田くんも同じ考えなのだろう。だから二人は毎日欠かさず部室で練習をしていたのだ。
「でもよ~、それって意味あんの? たしかにあいつは自分の影響力なんてないって言ってたけど、それなら俺らに投票してくれたやつの誰にも実害が出てねぇんじゃねぇの? 今年の投票で何も実害が出てないなら、そんな録音なくたって来年同じ手を使ったところで、もともと効果はなかったんじゃね?」
もっともな意見だ。
内田くんは普段の態度や恰好から、猪突猛進型のように思われることが多い。だけど、実は頭の回転が速く、見た目よりもずっと周りのことを見ていて状況把握能力に優れている。
そんな内田くんの指摘を予想していたのか、植村くんは即座に否定する。少し見ない間にこの二人にはそれまで以上の信頼関係ができあがっているようだった。
「ケイガ、甘いよ。あの子が細工とか言って流した噂話は、この学校の生徒の間では事実としてまことしやかに囁かれてる。そういうことに疎そうなミズキでさえ、忠告してくるくらいだからね。そんな中で例えば、俺たちに投票してくれた三年生の誰かが、大学入試の推薦枠から漏れたとしよう。もちろんさっきあの子が言ったとおりなら、あの子の力でもなければ、理事長の力でもない。でも、漏れた子はそんなこと知らないんだ。だからこう思うんじゃない? 文化祭ライブでロミ研バンドに投票したから推薦枠から外されたって。例えそれが単なる偶然や実力不足だとしてもね」
そこで植村くんは一呼吸置く。
まるで二時間ドラマの探偵のような語り口調だ。遠山さんと対峙した時も思ったことだが、植村くんは疎遠になっている間にかなり雰囲気が変わった。どこか達観したような雰囲気を感じる。
「そんなに大きなことじゃなくたっていい。部活のレギュラーから外されたとか。この学校で偶然誰にでも起こりうる些細でネガティブなことは無数にある。あの子がした細工や噂話は、それを理事長の娘の機嫌を損ねたからだって考えるように仕向けちゃうんだよ。自分の努力不足で起こったことでさえもね。バイアスってやつ。それがある以上、来年あの子が同じことをしたらやっぱり一定の効果を上げるんじゃないかな?」
「……なるほどな」
そう言って内田くんはしばらく黙り込んだ。その顔は真剣そのものだ。あまり見せない顔だった。
何か反論をしようと考え込んでいるようにも見えるし、植村くんの話をしっかりと理解しようとしているようにも見える。
「確かにお前の言う通りかもしれないな。お前、やるじゃん!!」
ややあってから、内田くんから感心の声があがる。
隣ではユリハ会長もウンウンと頷いていた。わたしは二人とも凄いなと呑気に、だけど本気で尊敬の念すら込めて思った。
植村くんの先を見越した行動とそれに対する内田くんの指摘が凄いのはもちろんなのだが、わたしが一番尊敬の念を抱いたのは、二人の意志の強さだった。
わたしには、この二人のように自分の信じたことをどんな邪魔が入っても屈せずに跳ね除け、何がなんでも成し遂げようという意思はない。
わたしには、この二人のように誰かと自分の意見をぶつけ合うなんてことはできない。きっとナナカとだってできないと思う。
そんな心のうちが表情に現れていたのだろう。わたしは植村くんの声で我に返った。
「あれ? エリ、何か問題ある? もしあるならエリの意見も聴かせてよ」
特に問題はなかった。むしろ完璧だとさえ思って感心していたくらいだ。だから、何と答えようか迷った。
完全には遠山さんとの争いの興奮が醒めてなかったんだと思う。わたしは、二人のようにはできないなと思ったことを自分でも驚くほどあっけらかんと話していた。
全く質問の答えにならないわたしの話に植村くんは一瞬虚を突かれたような顔をしていた。しかし、すぐに飄々とした表情に戻って、言った。
「いや、十分自分の邪魔になるものを跳ね除けようとしてたし、意見ぶつけてたじゃん。ついさっき。なぁ?」
同意を求められた内田くんは腕組みをしながら声を出さずに少し呆れたように頷いていた。ユリハ会長もその隣でウンウンと頷いている。
「それに俺、ギター下手だったって言われたことあるし」
意地悪な声で内田くんが続ける。
「え!? わたしそんなこと言ってないよ! いつ!?」
慌てて否定する。本当に記憶にない。いつもの冗談だろうか。
「言ってないってことは、思ってはいたんだな?」
今度は植村くんが言った。
「う~ん、確かにもっとこうしたほうがいいのになって思ったことはあったけど、でも下手くそだなんて思ったことはないよ。植村くんのギターは始めて一年も経ってないとは思えないほど、繊細に弦をとらえてるなって思うし。内田くんのギターは植村くんと真逆でパワフルでリズム感が抜群にいいと思うよ」
言い終わっても誰も何も言わなかった。
変なことを言ったんじゃないかと急に不安になる。
急に三人が大きな声で笑いだした。
「あはははは。褒めてくれてサンキュ。ほらな? ちゃんと自分の意見言えてるだろ? 普通そんなこと恥ずかしくて言えねぇって」
内田くんが笑いながら言った。
確かにそのとおりかもしれないと思う反面、わたしの中には反論もあった。それをそのまま口にする。
「それは、二人だからだよ。同じバンドで打ち解けたからだと思う。ほかの人たちとは違うよ」
それを聞いて、ユリハ会長が言葉を発した。
「さっき、あのいじめっ子にも色々言ってた。ちょっと前までのエリなら考えられなかった」
言われてハッと気が付く。思い返すと足がすくむような思いだ。
だけど、もう一度同じことがあったらやっぱりわたしは遠山さんに向かって行っただろう。自信を持ってそう思えた。
「確かにそうですね」
「な? エリは自分が思ってるほど弱虫じゃないし、もっと自分に自信もっていいと思うよ。今日それが分かったんじゃない?」
少し間をおいて「うん」と応える。植村くんの言う通りだとは思うけれども、なかなかそう思いきれない。
「なんだよ。まだそんな顔すんのか? さっきお前は自分が一番苦手だと思う相手に向かって言ってぶん殴ろうとしてたんだぞ? そんなことなかなかできることじゃねぇことくらい分かるだろ?」
内田くんの言うことも分かっている。だけど、感覚が追い付いてこないのだ。
「うん。きっと二人の言う通りだと思う。もっと自分に自信をもって、色々言ったり、行動したりするようにするよ。大切なものを守るためならなんでもするよ。ありがとう」
まだ、少し気持ちが追い付いてはいないが、無理やりにも自分を納得させる。
ユリハ会長が優しく微笑んでくれていた。
「それからさ。エリ、そろそろロミ研に来ない? バンドの練習再開しようぜ」
「うん、もちろん」
それには間をおくことなく応えることができた。
「よかったぁ」という声とともに植村くんからため息が漏れた。飄々としているように見えるけど、植村くんも緊張することがあるんだと、そんな当たり前のことが無性に嬉しかった。
「俺らのバンドにはさ、エリのドラムが不可欠なんだよ。エリが俺たちを引っ張っていってくれないと。実力的にもその資格がエリにはあるよ。俺たちに足りないことがあったらなんでも言ってほしい」
植村くんは改まって頭を下げた。ここまでされてそれに応えないのは失礼だ。
わたしは決意する。この人たちと音楽を続けるためならなんでもしよう。どんなことでもやってのけよう。
「分かった。これからは厳しくいくから覚悟しててよね」
「ヤベー。ケイ、あんまり煽るなよ。でも、エリ。お前変わったな。頼もしいぜ」
わたしはわたしのできることをやるだけだ。誰に何を言われようとどう思われようと構わない。
「そうなると、あとはナナカだけだな」
内田くんが神妙に言った。
「それならわたしに考えがあるよ」
わたしは三人の顔を順番に見て言った。
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