6 誰もそんなこと望んでいない

「なんであんたがケイガのこと知ってるの? あんた、ケイガの友達?」


 ケイガのお母さんは、それまでで一番優しい顔で言った。


「はい。友達です。四年前まで一緒にバンドをやってました。解散ってわけじゃないですが、訳あって離れちゃいました……。けど、トレウラが伝説を残した文化祭ライブに一緒に出たんですよ。そのとき、トレウラの曲も演りました。ロックミュージック研究会。トレウラの皆さんで作ったんですよね? 俺たちは、ロックミュージック研究会に所属してました。バンド名もそのまま『ロックミュージック研究会』っていうんです」


「そうか」


 俺が矢継ぎ早に話す言葉にそれだけ返すと、ケイガのお母さんは「ふぅ…」と小さく息を吐いた。同時に髪をかきあげる。


「そうか」


 もう一度確かめるようにつぶやく。

 思いのほか、反応が薄いのはどうしてだろう。俺の知らない事情があって、首を突っ込むべきではなかったのかもしれない。俺のせいで余計に関係がこじれてしまったらどうしようと不安になる。


「ロックミュージック研究会、まだあるんだね。すぐなくなるかと思ってたけど、案外続いたもんだね」


 俺の心配をよそに、ケイガのお母さんはあっという間にさっきまでの調子に戻っていた。意図的にケイガのことに触れないようにしているように見える。


「今もあるかは分かりませんけど……少なくとも、二年前まではあったと思いますよ。俺は訳あって離れちゃいましたけど、ロミ研をなくすなんて、みんなが絶対許しませんから」


「そうか。でもあの学校でクラシック以外の音楽がやりたかったら、普通は軽音部だろ? なんであんたたちはロミ研にしたんだい?」


「えっと……軽音部は、なんか気に食わなくって……。ロックじゃないっていうか……。うまく言えませんけど、俺には合わないなって思いました」


「あ〜、分かる気がするよ。私の時と何にも変わってないんだろうね。年功序列だったり、妙に体育会系だったりでさ。どこがロックだよ!! こんなのロックじゃねぇよ!! って反発したなぁ」


 懐かしい既視感を覚える。

 ケイガが同じようなことを言って、軽音部の部長に楯突いてたっけ。やっぱり親子なんだなと納得する。


「それで、それならロックをやる部活を自分たちで作ってやるってできたのがロミ研なんだよ。まぁ、正式な部活にはしてもらえなかったし、私ら三人しかいなかったし、機材とかも使わせてもらえなくて、みんなでバイトして買い揃えることになったりして大変だったけどな」


 ケイガのお母さんは、懐かしそうに天井を仰ぐ。初めて会った親子ほども年の離れた人と、同じものに対して、同じような感情を抱いていることがなんだか不思議だった。この人もロミ研の仲間なんだと思う。


「あのアンプとかって、トレウラの皆さんが揃えてくれたものだったんですね」


「おっ、あれまだ使ってくれてんの? もう何十年前のもんだよ。じゃあさ、ストラトキャスターも、まだあんの?」


 心当たりがなかった。アンプやドラムセットはロミ研の所有する機材として部室に置かれている。しかし、ギターやベースはなかったから俺たちはそれぞれ自前のギターやベースを買い揃えたのだ。

 ストラトキャスターがあったなら俺はSGを買うことはなかったかもしれない。


「いいえ、ストラトキャスターはなかったです」


「そうか。無くなっちまったのか……。それで、あんたたち文化祭ライブに出たの?」


「はい。色々ありましたけど、四年前に出ました。俺たちの二年前にもロミ研から文化祭ライブに出た先輩がいますよ」


「そうか、そうか。ロミ研にはロックを愛する才能あふれる子が入ってくれてるってことか。嬉しいね」


 ケイガのお母さんは満足そうにうなずく。

 毎年ちゃんと部員を確保できているわけじゃないことは黙っておく。嬉しそうなところに水を差すのは、なんだか申し訳ない。

 それに本題はロミ研のことではない。ケイガのことを話したかった。


「ケイガ。カホさんのギター使ってますよ」


 やや唐突な気もしたが、思い切って切り出してみる。するとケイガのお母さんはピクリと反応して、固まった。

 俺が続けて何かを言うのを待っている。その内容によって反応を決めようとしている。そんな気がした。


「ナビゲーターのレスポール。中の手紙も見つけましたよ。ケイガは、手紙を見た瞬間から曲を完成させてやるって意気込んでました。絶対にお母さんに聞かせるんだって。完成したかどうかは分かりませんけど……」


「あのギター……あの子、使ってくれてるんだ」


 ポツリとつぶやく声は、驚くほど弱々しかった。


「手紙、気がついたんだね。ちゃんとメンテナンスしてるってことだ。感心、感心。懐かしいなぁ。あの子はあの曲が大好きでさ。私があんまり家にいないもんだから、私のこと忘れちゃったりもするんだけど、あの曲を歌うとすぐに思い出してくれるんだよ」


 感慨深そうにそう言いながら、また髪をかきあげる。


「あのギター、ケイガは大事にしてましたよ。それこそ宝物みたいに。それで、あのギターと一緒に文化祭ライブのステージに立ちました」


「そうか。ってことはあのギターにとっては、二度目の文化祭ライブってことだね」


「えっ!? あのギターって高校生のときから使ってるんですか?」


「そうだよ。さっき言ったストラトキャスターもあったんだけど、訳あって使えなくなってね。だから、めちゃくちゃバイトして買ったんだ。どうせ買うならいつまでも使えるように良いものをと思ってね」


 それにしたって、ナビゲーターは高校生が買うには相当高い。アンプなどの機材も買い揃えたと言っていたから、ケイガのお母さん、それにトレウラメンバーの青春はそのほとんどがバイトと音楽に費やされたのだろう。

 そうやってできたロックミュージック研究会に俺たちは所属していた。それがなんだか誇らしく思える。


「それを今、あの子がしっかり使ってくれてるんだね」


 しみじみと言う声からは、懐かしさと少しばかりの後悔の念がうかがえる。この人は、今も……いや、今までずっとケイガのことを思っていたんだろう。


「どうしてケイガの元から離れたんですか?」


 訊かずにはいられなかった。俺が訊くべきことではないのかもしれない。でも、ここで俺が訊かなければ、その答えは永遠にケイガの元へは届かない。そんな強迫観念があった。

 けれど、ケイガのお母さんは俺の問いには答えなかった。答えたくないのか答えられないのかは分からない。簡単に言葉で表現できるようなことでなはいのかもしれない。

 それならば、と別のことをお願いする。


「ケイガに会ってあげてください。ケイガに会って、話をしてあげてください。ギターの弾き方とか、曲の作り方とか、何かアドバイスでもいいと思います。やっと二人は心から会話できるツールを共有できたんですから」


「今更、どのツラさげて会いに行けばいいんだろうね」


 独り言みたいな言葉が宙をさまよう。それはずっと心のどこかにあって、けれどどこにもぶつけることができなかった思いだったのかもしれない。

 どうして離れ離れになってしまったのかは分からない。でも、それはケイガのお母さんが心から望んだことではないのだろう。結果的に自分で決めたことなんだとしても。

 もちろんケイガもそんなことは望んでいない。誰もそんなこと望んでいない。


「今日、俺たち久しぶりにライブやるんです。俺たちの地元で。観に来てくれませんか?」


「あの子がライブを……?」


「はい。文化祭ライブの四年後にみんなでライブをやろうって約束……いや、俺の勝手な願望ですけど……とにかく決めてて。それが今日なんです」


「私が行ってもいいの?」


 ケイガのお母さんは明らかに迷っている。その迷いの根源は、不安なのだろう。


「大丈夫ですよ。ケイガも絶対にそれを望んでます」


 だから、俺は断言する。あえて強い言葉で言い切った。

 ケイガの本当の気持ちなんて分からない。

 もしかしたら、余計なおせっかいなのかもしれないし、「なんてことしてくれんだ」って怒られるかもしれない。だけど、このチャンスを逃したらこの母子は二度と交わることはないと思った。そんなことにはなってほしくない。これは完全なる俺のエゴだ。


「それでもやっぱりあの子に会うことはできないよ。これはもうあのとき決めたことだから、無理なんだ」


「どうして……」と言いかけた時、ケイガのお母さんはそれを打ち消すように続けて言った。


「でも、こっそりライブを観るだけなら、オーケーかな。場所案内してくれる?」


 ケイガのお母さんは、優しい微笑みとともにそう言った。

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