5 一番優しい顔
俺たちが乗った救急車は、総合病院に向かっているようだった。かつて、母さんが入院していた病院だ。
救急車が走り出してからしばらくすると、ヨウタは緊張が解けたのか色々なことを話し始めた。
それを見ていた救急隊員は「この様子だと大丈夫そうですね」と笑った。笑いながら「けれど、打ち所が頭なので、念のため検査はした方がいいでしょう」と付け足した。
ヨウタの様子が落ち着くと、俺の緊張も一気に緩んだ。もちろん病院で医者に診てもらわないとなんとも言えないだろうが、一見するとヨウタは元気そうだ。
緊張が緩むと、さっきまで必死で走っていた理由を思い出す。
今、俺の隣に座ってヨウタと楽しそうに喋っている人は、ケイガのお母さんなのだろうか。ケイガのお母さんだったとして、俺はどうするつもりなのか。
考える前に走り出していたからそんなこと分からない。自分がどういうつもりで走り出したのか、理由を考える。
ケイガの元を離れた理由を聞きたい? それを聞いてなんになる? それにそれを無関係の俺が訊くのか。
ケイガに会わせたい? ケイガ自身が望んでいるのかも分からないのに?
今日のライブを観せたい? ……もしかしたらこれが一番しっくりくるかもしれない。
ケイガとケイガのお母さんの関係は、特殊な関係だと思う。
ケイガ自身が言っていたが、この母子は音楽で繋がっている。それならば、二人が繋がりを取り戻すきっかけは、やっぱり音楽なんじゃないだろうか。
おせっかいかもしれないけど、どうにかしてケイガのお母さんを今日のライブに連れて行きたい。まだケイガのお母さんだと決まったわけじゃないのにそんな風に思う。
どちらにしても、今すぐにそれを確かめることはできそうにない。
ヨウタのことがやっぱり心配だ。まずはヨウタが何事もないことを願って、それがはっきりしてから確かめようと思う。
出発してから五分と経たず、救急車は総合病院に到着した。ヨウタはストレッチャーに乗せられたまま、診察室に入っていった。
テレビで見る救急病棟は、殺伐としていて緊張感漂う場所だが、目の前のヨウタは和気藹々とした雰囲気すら漂わせながら運び込まれて行く。
ヨウタが結構おしゃべりで、救急隊や看護師と楽しそうに話しているからだろう。ただ、出てきた医者はやはり打ったところが頭だと言うことで、いくらか緊迫感をもっているように見えた。
俺とケイガのお母さんは、診察室の外で待つように言われた。素直にそれにしたがって外に出ると、血相を変えた女の人が駆け寄ってきた。女の人は近くにいた看護師に訊ねる。
「ヨウタは大丈夫なんですか!?」
言葉から察するに、ヨウタの母親だろう。
俺は少し気まずさを覚える。けれど、全面的に俺が悪いので意を決してヨウタの母親に向かう。
「すみませんでした」
開口一番そう言って頭を下げる。ヨウタの母親は一瞬、何を言っているのか分からないといった顔をしたが、すぐに俺が誰で何について謝っているのか理解したようだった。
「いえ、そんな頭を上げてください。うちの子は、いつもよそ見しながら歩いて、しょっ中危ない目に合うんです。大方、今日もよそ見して歩いていてぶつかったんでしょう?」
罵倒されることを覚悟していたから、拍子抜けする。
「いえ、完全に俺の不注意です。本当に申し訳ありません」
再度、深々と頭を下げる。
ヨウタがよそ見していたのかどうかは分からないが、俺はそれが分からないくらい周りのことを見ていなかった。よそ見していたのは俺の方だ。どう考えても悪いのは俺だ。
全面的に俺に責任がある。ヨウタがよそ見していたかはこの際、関係ない。
「本当に頭を上げてください。仮にあなたの不注意だったとしても、適切な処置として救急車まで呼んでいただいたんですから」
「あ、いえ、救急車を呼んだのはこの人で……」
ヨウタの母親はケイガのお母さんに目を向ける。そして、そちらにも深々と頭を下げた。
「どうも、内田です。私はたまたま通りがかった者なんですが……。あ〜、そんな、やめてください。ちょっと大げさかなとも思ったんですが、ぶつけたのが頭だったんでね。この青年も動転していたようなので念のためと思って」
ケイガのお母さんは、なんとも照れ臭そうに言った。
ヨウタの母親は再度丁寧に礼を言うと、看護師に促されて診察室へと入っていった。
「良い人そうでよかったな。モンペみたいな人だったら、今頃あんた罵倒されまくってたぞ」
クスクス笑いながら肘で俺の二の腕を小突く。俺は小さく「はい」とだけ答えた。
しばらくすると、ヨウタは母親と看護師に付き添われて診察室から出てきた。赤く腫れてたおでこには、湿布のようなものが貼られている。
「あ、おばちゃんとお兄ちゃん。待っててくれたの?」
ヨウタは呑気にこちらに手を振っている。
「大丈夫そうだな」
ケイガのお母さんはホッとため息をついた。
「一応、来週もう一度検査する必要があるみたいですけど、おそらく問題は無いでしょうとお医者さんがおっしゃってました」
ヨウタの母親が律儀に説明する。それを聞いて安心した。
「ヨウタ。ごめんな。俺がちゃんと周り見て走ってなかったから……いや、あんなところで重いもの持って走っちゃいけないな。とにかくごめん」
俺はもう一度改めてヨウタに向けて頭を下げる。
「ううん。僕のほうこそごめんね。お兄ちゃんが背負ってるのって、ギターでしょ? 僕、そのギターを見てみたくって近づいちゃったんだ」
「そうだったのか。じゃあ、ギター見てみるか?」
俺の言葉にヨウタは目を輝かせる。救急車に乗ると言われたときとまるっきり同じ目だ。
ギグケースから赤いSGを取り出す。
病院だから弾くわけにはいかないが、少し見せるくらいならいいだろう。
「うわぁ!! カッコいいね。お兄ちゃんギター弾けるの?」
「まぁ、少しはね。ヨウタもギター弾きたいの?」
「うん! 弾きたい」
ヨウタはSGに手を伸ばす。その手が弦に触れると小さくピーンと音が鳴った。
「ほら、ヨウタ。そろそろ行くよ。お兄さんも内田さんもきっと用事があるんだから」
ヨウタはそう促されると、残念そうにギターに触れていた手を母親の手の中に潜り込ませる。
「今日は本当にとんだご迷惑をおかけいたしました」
母親は最後まで丁寧に頭を下げるとヨウタの手を引いて病院から出ていった。迷惑をかけたのは俺の方なのに。
ヨウタは振り返りながら満面の笑みで手を振っている。
「さて、私もそろそろ行くかな。あ〜あ、暇じゃないんだけどなぁ」
隣で間延びした声がする。
別れる前に大事なことを確かめなければならない。
「あのすみません。今日はどうもありがとうございました」
「ん? あ〜、いいよいいよ。大したことしてないし」
「いえ、本当に助かりました」
「そりゃどういたしまして。それじゃ、私もそろそろ行くよ」
立ち去ってしまいそうなケイガのお母さんを引き止める。
「あの!!」
俺の声に怪訝な顔で振り返る。
「まだ何か?」
「あの……内田さんっておっしゃいましたよね?」
「そうだけど、それが?」
ケイガのお母さんは、ますます怪訝な顔になる。
「内田……カホさんですか? トレウラの……」
「あれ? あんた若いのによく分かったね。もうだいぶ昔のことなのに。今の若いバンドマンにもまだ影響あるのか〜。嬉しいね」
思っていたよりもあっさり認めたので驚いた。「人違いです」と言われても一粘り、二粘りくらいはしようと思っていたが、その必要はなかった。
「あ、いえ。ってことは内田ケイガのお母さんですよね?」
俺がそう訊ねると、ケイガのお母さんの表情が一気に変わった。
その顔は哀愁や後悔、そしてほんちょっとの喜びがないまぜになった、不思議な顔だった。その表情も一瞬だけで、すぐにそれまでで一番優しい顔になる。
俺には、その心の内を理解することができなかった。
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