1 不良くん
ついこの前夏休みが始まったばかりだと思っていたのに、あっという間に八月も半ばに差し掛かろうとしていた。つまり、夏休みも半分以上が過ぎてしまったということだ。
俺は親父が経営するカフェでダラダラと過ごしていた。俺が産まれる前に親父が始めたこのカフェ。ここでボケーッとすることが日課になっている。金を一円も落とさない俺がボケーッとできるのは客が少ないからだ。
母さんが本格的に入院して以来、親父はあまり店に顔を出さなくなった。つきっきりの看病ってやつだ。
母さんは元々体が弱くて、俺を産んだのも命がけだったという。だからかどうか知らないが、俺は一人っ子だ。母さんは、俺を産んでからも決して丈夫ではない体で育児と親父の店の手伝いをしていた。
母さんが倒れたのは、俺が小学校五年生の時だった。子供の俺に詳しい理由は聞かされなかった。子供ながらにもう二度と母さんに会えないかもしれないと思った。
俺の持っているものならなんでも差し出すから──、と大切なおもちゃを並べて母さんを連れていかないでくれと神に祈った。
そのおかげってわけではないだろうが、母さんは一命をとりとめた。だがその日以来、母さんは家に、そしてこの店に帰って来ていない。
あれから四年。
一時は命の危険まであると言われていたけど、ここ最近の母さんは入院こそしているが小康状態を保っている。
それなら少しは看病から離れて店の方に顔を出しても良さそうなものだが、親父が母さんから離れることはなかった。母さんがもしかしたら死んでしまうかもしれないと俺と一緒になって怯えていたあの時の親父を思えば仕方ないと思う。
どうでもいいことだが、親父はこの店のことを頑なに『喫茶店』と呼んでいる。古臭い気がして俺はずっと『カフェ』と呼んでいる。中身は一緒だ。
親父が店に来なくなってからは、親父と母さんの幼馴染のアヤさんがパートで来てくれるようになった。
パートというのは名ばかりで月曜から金曜までみっちり来てくれている。親父が始めた店だが、今やアヤさんの店のようになっている。
アヤさんは親父や母さんと同い年とは思えないほど若々しく美人だ。今やこの店の客の多くはアヤさん目当ての客だ。
そんなアヤさんも土日は家族の世話があるから来られないこともある。そんな時は俺がメインで店に立つこともある。
しっかり働いた日は店からバイト代を貰う。その査定をするのもアヤさんだ。アヤさんが俺の働きぶりを親父に報告して、親父がバイト代をくれる仕組みになっている。
店に立たなくていい日も居心地がいいから俺は店に来る。そうやって毎日店に来ると、自然と友達はできなくなっていった。俺とまともに話してくれるのは幼馴染のミズキくらいだ。
そのミズキが店を手伝いに来てくれることもある。本当にたまにしか来ないのだが、そんなミズキを目当てに来る客もいるにはいる。
ミズキはなぜかお年寄りに受けがいい。
そんなことを考えていると店の入口の扉が開く音がした。一瞬ミズキかと思ったが、俺の予想ははずれた。俺とそう年が変わらないだろう少年が店に入ってきた。
髪は短髪。髪の色は白に近い金髪だった。純和風な顔の作りから地毛ではないだろう。
なにか英語が印刷されたTシャツにダボッとしたハーフパンツを履いていた。腕に模様のような物が見えた。タトゥーを入れているのかもしれない。
とにかくパッと見で分かる。不良だった。
「この店、やってんの?」
ぶっきらぼうで不躾な口調。あまり関わりたくない人種だ。
「ねぇ、やってんの? やってんなら席通してよ」
「あ、すみません。好きなところに適当に座っていいですよ」
同い年くらいのやつに敬語を使うのは少し
「あれ? お前しかいねぇの? お前バイトくん? 中坊にしか見えないけど、バイトとはお前えらいな。ここ、タバコ吸えるよね?」
「え? あ、ここは親父の店で。今はいないけど。タバコは……うん、吸っていいよ」
「お前も中坊にしか見えないけどな」と思ったが口には出さなかった。
それにしてもこいつ、どう見ても未成年なのにこんなに堂々とタバコを吸うのか。まぁ、こいつのいかにも不良ですみたいな見た目からして、タバコを吸っていてもなにも不思議ではないが。むしろ似合ってすらいる。
ちなみに俺が通っている中学には俺が知る限りタバコを吸ってるやつはいない。
「サンキュー。涼しいとこで吸いたかったんだわ~」
そう言うと窓際の四人掛けのボックス席にドッカリと座り、早速ポケットから出したタバコを吸い始めた。
「何つっ立ってんの? 水ぐらいは出してくれんでしょ? 俺、すげぇ喉乾いてんだけど」
もくもくと気持ちよさそうに煙を吐き出しながら不良くんが言った。その声に散らされるように煙が拡散する。
「えっ?え~と……。まぁ、うん……」
俺はあいまいに頷いた。
どう対処していいか分からない。この店に来る客は基本的におじさんおばさん、下手したらおじいさんおばあさんばかりだ。若い客が全く来ないわけではないが、こんな見るからにヤンキーな客は初めてだ。
「ちょっと待っててください。今、用意しますから」
「お、わりぃね。じゃあ頼むわ」
俺が慣れない手つきで水の用意を終えて不良くんの座るボックス席に持って行ったとき、不良くんは一本目のタバコを吸い終えるところだった。
「どうぞ」
それだけ言ってテーブルに水を置いた。
「サンキュー。そうだ。今お前暇? 他に客もいなそうだし暇だよな?」
不良くんはそう言うとテーブルをはさんだ向かいの席を指差してにっこり笑った。うんうんと頷いている。座れということらしい。
今日は特にすることもなくボケッとしているだけの一日になると思っていた。
どうせ客はほとんど来ない。あまりの退屈さに憂鬱になっていたところだ。この不良くんの誘いに乗るのも悪くないと思った。
「まぁ、暇といえば暇、かな……」
あくまでもしぶしぶという態度をとろうと思って、ゆっくり不良くんの向かいの席に座る。本当はむしろ嬉しいくらいなのにそんな姿を見せるのはなんだか恥ずかしく思えた。
「お前、俺と同じくらいの年だよな?」
そう聞きながら不良くんはタバコを一本俺に差し出してきた。箱から一本飛び出した煙草に目をやる。
「えっと、俺は中三。君は? ……あ、俺はタバコ吸わないからいいよ」
「あ、そうなの? 俺も中三。じゃタメか。あれ? でもこの辺で見かけたことないな。俺は最近来たばっかだから当たり前かもしんねぇけど」
「俺はこのに店いることが多いし、学校以外で外にはあんまり出ないからかもね」
「マジで? お前毎日この店にいんの? 退屈しねーの?」
「退屈はするけど、母さんがね。入院してるんだ。親父はそっちにつきっきりだから、俺がこの店何とかするしかないんだよ」
「おい、マジかよ。じゃあ、親父さんに代わって実質お前がマスターみたいなもんか」
「そういうことになるね」
だいぶ盛って話した。本当はアヤさんがいるから俺なんかいなくてもなんとでもなる。でも同い年の不良くんには見栄を張りたくなる。
「俺は嫌だったんだけどね。家族と生活のために仕方ないんだ」
「なるほどね。お前も大変なんだな」
俺は「母さんが入院している」と言ったときの相手の反応が大嫌いだった。憐れむような目。それでいてその憐れみを俺に悟られまいと何事もないように、気まずそうにするあの態度。俺はいつもなるべく深刻な雰囲気にならないようにかつ、相手にそれ以上の詮索をさせないように淡白に伝えるようにしている。
嫌いなくせに試すようにそう話して相手の反応を伺うことがあった。今がまさにそうだ。
「そうか、俺と似てるな。つーか、お前さ。家もこの辺だろ? そうすると中学は南中だよな」
「え? うん。この辺ていうか、この店の二階が家だよ」
不良くんがあまりにもあっさりと話題を変えるものだから肩すかしをくらった。でも、嫌な気分は全くしなかった。
この不良くんも自分に向けられる憐れみとか同情が嫌いなのかもしれない。なんとなくそう思った。だから俺も不良くんが言った「似てる」という言葉が気にはなったが触れないことにした。
「とりあえずさ、南中行かねぇ? どうせお前暇だろ? 面白いもん見せてやるよ」
店を空けて出て行くことに抵抗がなかったわけではない。でも何故だかこの不良くんのことをもっと知りたいと思いは始めていた。
「そうだね。暇だし面白いものっていうのも気になるよ。あれ? ていうか君は南中じゃないの?」
「ん? 俺? 分かんねぇ。最近越してきたからよ。俺が何中に通うかは父さんに訊かねぇと分かんねぇけど、お前が南中なら俺も南中がいいわ。てことで、とりあえず、南中行くか」
一瞬、アヤさんに連絡してからの方がいいかもしれないと頭をよぎったが、無責任にもアヤさんはすぐに来るに違いないと思うことにした。
「おう。ところでお前、名前は?」
「ケイ……
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