6 スティックが、ない

 遠山とおやまさんの歌をわたしとナナカは並んで静かに聞いていた。ナナカがどういう気持ちでいるのかは分からなかった。


 悔しいことに、遠山さんは驚くほど歌がうまかった。


 最後の曲が終わるとジーアールのメンバーと遠山さんは、ステージの前のほうでプロのアーティストがするみたいに並んで無言でお辞儀をした。そして、一斉に顔をあげるとギターの人が大きな声で一言「ありがとうございました」と叫んで、みんなでステージ袖へ走っていった。

 遠山さんだけはステージからこちらの観客側に飛び降りた。


 公会堂全体に照明が灯り部長がステージの真ん中に登場した。


「はい、みなさんありがとうございました。これで新歓ライブは終わりです。僕らは文化祭への出演権の獲得を目標にみんな日々練習に励んでいます。バンド経験者も未経験者も大歓迎です。もし今日のライブを見て興味をもってくれたなら、このあと下校時間までに三年B組の教室に来て下さい。みなさんのこと待ってます」


 部長は最後にそう挨拶すると、頭を下げて一礼した。そして自然と解散となった。

 まだ耳がボーーッと耳鳴りのように鳴っている。ライブで爆音にさらされるときはいつもこうだ。


 わたしは正直迷っていた。あの様子だと遠山さんはきっと軽音部に入るのだろう。じゃなければあんな風にこの場で歌ったりしない。遠山さんと同じ部活ではやっていける気がしなかった。


「ねぇ、ナナカ。どうしようか。軽音部」


「う~ん、まさかエリカが軽音部とはね。確かに一緒にカラオケ行ったときはすごく上手かったけど、バンドとかやるタイプには思えなかったな」


 ナナカはわたしの不安をしっかり察知してくれる。もしかしたらナナカ自身もやっぱり遠山さんと同じ部活というのは抵抗があるのかもしれない。

 これは、そう思ってくれてたらいいなという、わたしの希望でもあるけど……。


「わたしは遠山さんがいるならやめておこうかな……」


「気持ちはわかるけどさ、エリカから逃げててもしょうがないんじゃない? バンド、やりたいんでしょ?」


「そうだけど……」


「とにかく、行くだけ行ってみようよ。入部したからって必ず接触しなきゃいけないわけじゃないだろうし、同じバンドになるわけでもないんだから。サッカーとかバスケとかそういうのと違って、バンド内での関係は深いけど、バンドごとの関係って希薄なんじゃない? あたしの勝手なイメージだけど」


「うん……」


 不安が完全に消えることはなかったけど、ナナカがいるから大丈夫だと自分に言い聞かせる。

 ナナカは、遠山さんがいることが気にならないのだろうか。元々は友達だったから気にならないのかもしれない。

 それにナナカはわたしと違って、そこまで酷いことをされたわけでもない。


 不意にマイナスの感情が首をもたげる。放っておくと呑まれてしまうから、ブンブンと頭を振って気持ちを切り替える。


「まぁ、ナナカがそう言うなら大丈夫かな。じゃあ三年B組だっけ? 行こっか」


 不安を吹き飛ばすように無理に明るい声で言う。きっとナナカにはバレているだろう。


「新新校舎だったよね。ほかに寄りたいところはない?」


「う〜ん、大丈夫かな。ナナカは?」


「あたしもないよ。じゃあ、三年B組に向かおうか」


 公会堂から退出する一年生の流れの最後尾につく。

 遠山さんが近くにいないか気になって身体が少し縮こまってしまう。

 チラリと遠山さんがステージから降りたあたりを見ると、そこにはもう姿はなかった。もう退出したのかもしれない。


 わたしたちはほとんど最後の方だった。

 結構な数の一年生が来ていたんだな、と改めて思う。

 この公会堂に来ていた一年生のうち、どれくらいの人が軽音部に入部するのだろう。

 ただライブを見に来ただけの人もいるだろうし、元々入部希望だったけど軽音部のレベルの高さに尻込みしてしまった人もいると思う。それほどに各バンドのレベルは高かった。


「それにしてもさ、今日やったバンドってどのバンドもうまかったよね~。色々ライブに行ったりしてるエリが見てもやっぱりうまかった? あたし完全に初心者で、まともに弾けないけど、大丈夫かな?」


「うん、うまかったよ。もちろんプロには全然及ばないけど」


「やっぱり? う~ん、大丈夫かなぁ……」


 ナナカの口ぶりからは、本当に不安なのか、わたしの気を紛らわそうとしてくれているのか、分からなかった。


「大丈夫だよ。最初からうまい人なんかいないんだし、練習あるのみ! わたしたちにはレイカさんもいるんだしさ。それにナナカは十分弾けるようになってるよ。自信持って!」


「う~ん、そうだね! とにかく練習してうまくなるしかないね」


 ナナカは明るく笑った。その笑顔に少しだけ影を感じる。気のせいかもしれない。


 公会堂を出るとほとんどの人が新新校舎に向かっているようだった。全員が三年B組に行くわけではないだろうが、このまま行くと結構な混雑になると思ったので、わたしは一度自分の教室に戻ろうとナナカに提案した。


「ねぇ、今すぐ行っても絶対に混んでるしさ、一回教室戻らない?」


「それもそうだね。うん、いいよ。じゃあ一回戻ろうか」


「うん。どうせだからさ、帰る支度して荷物も持っていこう。入部届出したらそのままレイカさんのところ行けるようにしたらよくない?」


「そうだね。ってか、あれ? 今日、金曜日じゃないけどレイカさんのところ行っていい日だっけ?」


 わたしたちがレイカさんのスタジオで楽器を教わるのは金曜日と決まっていた。


「ナナカ忘れたの? 入学祝してくれるって言ってたじゃん。金曜日でもいいって言ったのに早いほうがいいって。あれ? そういえばレイカさんにわたしたちの高校のことって言ってたっけ?」


「あ~、そういえば受かったよって報告はしたけど別に訊かれなかったから、あたしは言ってないけど、エリは?」


 どうだっただろう。わたしも合格したことは報告したけど、どこの高校かは言った覚えがない。


「たぶん、わたしも言ってないと思う。じゃあ今日言えばいいね」


「うん。でもレイカさんにどこの高校かなんて言って分かるかな?」


「どうだろう。地元はこの辺のはずだから知ってるかもね」


 他愛のない会話でさっきまでの不安はだいぶ和らいだ。

 教室につくと何人かのクラスメイトが残っていた。なんとなくこちらをジロジロと見ているような気がした。気にはなったが、わたしが話したことのあるクラスメイトはいないので、すぐに自分の席に向かい帰り支度をする。

 すぐ前の席のナナカもせっせと帰り支度をしていた。


 帰り支度といってもたいしたものはない。机にしまっていたペンケースをカバンに入れる程度だ。

 机の中からペンケースを取り出し、カバンに手をかけたところで異変に気が付いた。


「ナナカ……」


 ナナカの背中をトントンと叩く。


「どうしたの? 準備終わっちゃった?」


 わたしはフルフルと首を左右に振る。


「スティックが、ない」


 カバンに入れていたスティックがなくなっていた。


「え? スティックってどういうこと?」


「ドラムのスティック。カバンに入れてたのに……ない」


 わたしは動揺してしまい、しっかりとした説明ができなかった。


「ないって、よく探したの?」


 そう言ってナナカはわたしのカバンを覗き込む。


「ちょっといい?」


 それだけでは満足できずにわたしからカバンを受け取ると、ガサガサと中身を漁るようにして探してくれた。だけど、そこまでして探さなくてもないのは分かりきっている。


「どうしちゃったんだろう。部活紹介で教室出るまではあったんだよね?」


「たぶん……。カバン開けて見たわけじゃないけど……」


「取り出してどこかに置いておくようなものでもないしね……」


 前にも似たようなことがあった。あの時は、遠山さんがカバンから取り出して勝手に持ち出していた。


「お〜い、どうかした? 何かなくなった?」


 わたしたちの様子を見て教室に残っていた一人の女の子が心当たりがあると声をかけてくれた。


「あ、うん。この子のスティック……えっと、ドラム叩くための木の棒みたいなやつなんだけど、それがなくなっちゃって」


 オロオロするだけのわたしに代わってナナカが説明してくれる。


「それなら、さっき、二人が教室に来る少し前にうちのクラスじゃない子が、その子……えっと」


 わたしの名前をまだ覚えていないのだろう。わたしの方を見て言い淀む。


桜澤さくらざわです」


「桜澤さん。桜澤さんの机のあたりで何かしてたよ」


 嫌な予感がした。


「どんな子?」


 ナナカが訊く。


「う〜んと、茶髪で結構派手な感じの子。なんだっけなぁ〜。エリカって呼ばれてる子じゃない? 目立つ子だから見れば分かるよ」


 遠山さんだ。遠山さんはわたしがこの高校に入学していることを知っていたのだ。


「あ〜、あの子ね。南中だったかな? 遠山エリカだよ。あれ? 二人とも同中じゃない?」


 教室に残っていた他の子にもわたしたちのやりとりが聞こえていたようだ。もう一人女の子が話に参加する。


「カズミ知ってるの?」


 カズミと呼ばれた子がこちらにやって来る。


「私は西中だから、直接は知らないんだけどね。共通の友達がいて、話したことはあるんだけど。さっきここに来て、桜澤さんの机どこか聞かれたから教えちゃったんだけど、なんか、まずかった?」


「まずくないよ。ありがとう。それで、エリカは何か言ってた?」


 ナナカがわたしに代わって訊いてくれる。


「あ、そうそう。スティック? 借りていくって言ってた。三年B組にいるから、って」


「そっか、ありがとう。じゃあ、あたしたちエリカのとこ行くね。二人とも教えてくれてありがとう」


 やっぱり遠山さんだった。遠山さんにスティックを取られたことよりも、遠山さんが三年B組に……軽音部にいるという事実の方がわたしには重かった。

 ナナカはクラスメイトに丁寧にお礼を言うと、わたしに「行くよ」と目で合図をした。

 ショックと絶望感でほとんど頭が働かなくなったわたしは、機械みたいに黙ってそれに従う。満足にクラスメイトに挨拶することもできなかった。


 あぁ……だから嫌われるのかなと思った。


 三年B組に向かう途中、ナナカは一言もしゃべらなかった。怒っているように見えた。わたしに対して怒っているのかも知れないと思うと怖かった。


 三年B組の扉を開けると、遠山さんと数人の先輩が一列に並んで座っていた。それと向かい合う形で一人の生徒が座っている。まるで面接みたいだと思った。


 遠山さんの目の前の机には……わたしのスティックが置いてあった。

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