6 お前のことなら信じられる
小さく折りたたまれた紙を広げてみると、それは数枚に渡る手紙だった。
やけに達筆なその文字に俺は見覚えがあった。母さんの字だ。
「ケイガ。それ手紙だよね。それも、ケイガ宛ての手紙じゃない? 誰が書いたのかな?」
横から遠慮がちに見ていたケイは、予想外のものが出てきて興味津々のようだった。
まさかそれが、母親から息子に宛てた手紙だなんて誰にも予想できないだろう。普通の母親は、ギターのボディの中に息子宛ての手紙を潜ませたりしない。
「その手紙、読んでみたら? プライベートなことかもしれないから、別に俺には見せてくれなくてもいいよ」
俺は、ケイのように単純な好奇心だけでその手紙を読んでみる気にはなれなかった。
ユリハ会長に打ち明けたとおり、俺は母さんに対して、複雑な感情を持っている。
カッコ悪いことを承知の上で言えば、母さんにもっと甘えたかった。
母さんともっと長い時間一緒にいたかった。
母さんにギターの弾き方を教えてもらいたかった。
母さんに対するポジティブな感情がある一方で、それを何一つ叶えてくれなかったことを恨めしくも思っている。
普通の母親だったら……。
母さんがトレウラのカホなんかじゃなく、その辺にいる普通の主婦だったなら、こんなに複雑な感情を持つことはなかったのだろうか。そう思いたいところだが、きっとそんなことはないだろう。
俺のような年頃の男は、みんなきっと母親に複雑な感情をいだく。そんなことは、俺だってしっかり分かっている。
もっともらしい理由をいくつも並べ立ててきたが、要するに俺は怖いのだ。
心のどこかで母さんに愛されていないのではないか、母さんに捨てられたのではないかと怯えている。子供の頃からずっと怯え続けている。
そしてそれを直視し、認めることがどうしようもなく怖いのだ。認めようが認めまいが、俺の行動、意志とは無関係に現実は何一つ変わらないというのに。
「どうしたの? 読まないの?」
俺が何も言葉を発さずにただ呆然としているのを不審に思ったのか、ケイは俺の顔を覗き込んできた。その距離が近くてギョッとする。おかげで俺は我に返ることができた。
「あ、あぁ……。読むよ。読むんだけどよ……」
「ん? 何? 何か読みたくなさそうだけど、どうかしたの?」
歯切れの悪い俺をケイはなおも不審がる。
「その前に一つ、聞いて欲しいことがある」
一瞬迷ったが、俺はケイに全て話してしまおうと思った。
こいつならきっと俺の気持ちを分かってくれるんじゃないか、もし手紙の内容が俺が受け止めきれないようなものだった時、一緒に受け止めてくれるんじゃないか、とそう思えた。
「聞いて欲しいことって何?」
ケイは明日の予定でも聞くように言った。
それがありがたかった。あまり深刻に身構えられても話しにくい。
「俺の母さんがだいぶ前にいなくなっちまったってことは話したよな?」
「うん、聞いた」
「その母さんなんだけどよ。いなくなっちまう前から、あまり家には帰らない人だったんだ」
「そうなんだ。なんで?」
母さんの話だと知ったら、多少は深刻そうな顔をするかもしれないと思ったが、ケイはそれまでと全く変わらなかった。変わらず明日の予定でも聞くように軽い相槌を打ちながら聞いてくれる。
「俺の母さんっていうのがさ、その……。トレウラのギタリストなんだ」
トレウラのギタリストだと告げるとき、やっぱり大きく躊躇してしまう。
母親が有名人と分かったときの相手の反応は、めんどくさいにつきる。俺はそんな反応をされるのが大嫌いだった。どう対処していいか分からないからだ。
「ふぅ〜ん。トレウラってユリハ会長とか、エリがファンだっていう、あの?」
ケイの反応は俺が嫌う反応とは違っていた。それまでの声と全く変わらないトーン。特に珍しいことでもないでしょと言わんばかり。下手したら、さほど興味がないのかと疑いたくなるような反応だった。
「あぁ、そのトレウラ。だもんだから母さんは、俺が小さい頃からあっちこっちライブだなんだで家を空けることが多かったんだ」
「もしかして、だからグレたの?」
ケイは普段と変わらない軽口を叩く。きっとケイなりに俺が話しやすい雰囲気を作ろうとしてくれているのだろう。深刻な話だろうことはケイなら分からないはずがない。
「ちげーよ。つーか、別にグレてねぇし」
「あはは。ごめん、ごめん。けど、その金髪で言われても説得力ないよ。それで、そのお母さんがどうしたの?」
ケイのおかげで緊張感がいくらか和らいでいるのが分かる。ケイは絶妙な緩急で俺の話の先を促してくれる。
「あぁ。この手紙はおそらく母さんからの手紙なんだ。母さんの字だし、このギターは元々母さんのものだからな」
「そうなの? だからあの時、必死だったんだね。いつもなら勝手に色々しゃべりだすのに、このギターのこととなると口数少なくなるからおかしいなと思ってたんだよ。それにナビゲーターってめちゃくちゃ高いから、中学生が持てるようなものじゃないしね」
ケイが言うあの時というのは、俺たちが知り合ってまもない時のことだろう。
「でも、それがお母さんからの手紙なら余計読んだ方がいいんじゃない?」
「怖いんだ」
「怖い? 怖いって、そのお母さんの手紙が?」
「母さんの手紙そのものってより、母さんのことを知るのが怖いんだ」
「もしかして、お母さんに捨てられたって思ってるの?」
ケイは無遠慮だった。結論を急がせるような物言いではなかったが、俺の言葉を詰まらせる程度には直接的だ。
「考えすぎだと思うけどな」
ケイは全く口調を変えることなく言った。
「本当にそう思うか? 俺は母さんに手を引かれて買い物に行ったこともなければ、母さんが飯を作ってる姿を見たこともない。ほとんど母さんのことを覚えてないくらい一緒にいた時間が短いんだぞ? 母さんの顔は辛うじて思い出せるけど、体温とか匂いみたいな形に残らないものは何一つ思い出せねぇ。向こうだって同じはずだ。そんな相手のことを愛せるか?」
「考えすぎだよ」
ケイは、再び同じことを言う。その口ぶりからは、確固たる自信がうかがえる。
ケイはきっと多くの人がそうであるように、自分の母親を信じているのだろう。
俺はケイほど自分の母親を信用できない。俺には信用するための下地がない。
「俺も母さんとは小学生のときから一緒に暮らせてないよ。入院してるからね。一緒に暮らした時間の長短なんて、愛情の深さや有無とは無関係だよ。母親ってのはさ、無条件に子供を愛しちゃうもんなんだって、俺はそう思ってる。きっとケイガの母さんだって同じだよ。だから、俺はその手紙、ちゃんと読むべきだと思うよ。まぁ、こんな分かりづらい場所に忍ばせてたのは、やっぱりケイガのお母さんって感じではあるよね」
「うるせぇよ」と普段ならすぐに返す場面だが、今はその余裕がなかった。
ケイの言葉を否定したい自分と、縋りたい自分が葛藤する。そんな俺に構わずケイはなおも続ける。
「それにさ、愛してもいない子供のためにそんな手紙残す? これは俺の勝手な想像だけど、その手紙がこのギターの中に入れられてたっていうのも何か意味があるんじゃないかな?」
段々とケイの言葉に縋りたい自分が勝ち始めていることを自覚する。
ケイは人を説得するのがうまい。
エリと遠山の争いの時。
ナナカをフェスに連れ出す時。
いつもケイの言葉が事態を好転させてきた。
それならば今も……。今この事態も、ケイの言葉で好転するのではないか。ケイの言葉を黙って聞いていると不思議とそう思えてくる。
「お前がそう思うなら、それを信じてみるかな……。母さんのことはイマイチ信じられないけど、お前のことなら信じられる」
「なにそれ。まぁ、何が書いてあっても俺のせいにしてくれていいよ。無論、悪いことにはならない自信はあるけどね」
どこからその自信がくるのかは分からないが、今はそれが心強い。俺の虚勢ばかりの自信とは違って、ケイのそれは本物だ。
「じゃあ、読んでみるぞ」
「うん。別に下手な音読はいらないからね」
ケイは、俺をリラックスさせてくれるのを忘れなかった。
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