5 電話出られなくて悪かったな
俺が養蜂園を出た時には、もう不良くんの姿はどこにも見当たらなかった。
俺が不良くんを見かけた時、不良くんはガラの悪い人にほとんど拉致されるような形で連れて行かれていた。
俺は迷わず不良くんの連れて行かれたであろう方向に走り出した。完全に勘だが、勘以外に頼れるものがない。
ただ闇雲に走っていても見つけられないと気がついて立ち止まったのは、路地を何個も曲がって、自分がどこにいるのかも分からなくなったときだった。ヤバそうな二人組に連れて行かれる不良くんの後ろ姿が脳裏に焼き付いて離れない。
その時、ふいに不良くんと連絡先を交換したことを思い出した。初めて誰かに電話をかけるときはいつも緊張する。けれど、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。
すぐに不良くんの電話番号を呼び出してコールすると「プルルルル」と音が鳴る。しかし、電話が繋がる気配はなかった。しばらく鳴らしてみたが繋がらない。
ただ立ち止まって電話をかけているのももどかしくて、ケータイを耳に当てたまま走り出す。少し走ったところであたりに見覚えがあることに気が付いた。
南中だった。
ここにいないだろうか? と不意に思った。何も根拠はないけれど、不良くんを連れていた二人組は、あのとき南中で見た人影によく似ていたような気がした。なんとなく無関係ではない気がする。少しだけ考えてから校門をよじ登った。
あの日不良くんと来たときはビビッて躊躇していたけれど、なんの抵抗もなく敷地に無断侵入することができた。
「今は緊急事態だ」必死にそう自分に言い聞かせた。
不良くんと通った同じ道のりを通ってあのギターがあった部室棟へ向かった。
その間ずっと不良くんのケータイを鳴らし続けていた。
部室棟が見える位置まで近づくと微かに電子音が聞こえてきた。ケータイの着信音だ。部室棟に近づくにつれて、その音は大きくなっていった。
間違いなくこの辺りに不良くんがいると思ったとき声が聞こえた。
「おいっ!! どこにやったか訊いてんだよ!! 隠してんじゃねぇぞ。殺されてぇのか?」
周りに聞かれないよう配慮してか、声は決して大きくはなかった。しかし、はっきりと相手を脅す意志を感じるドスを利かせた低い声だった。
「なんか言えよ。聞こえてんだろ? つか、そのケータイうるせぇんだよ」
俺のせいで不良くんが責められているような気がして慌てて電話を切った。こういう状況だから不良くんは電話に出られなかったのだろう。
「あ~ぁ、切れちったじゃんかよ。お前らがうるせぇから出るに出られねぇし。せっかくできた友達なのにシカトしたみたいになって、どうしてくれんだよ」
不良くんの声だ。声を聞く限り普段と変わらない調子だった。全く臆する様子がない。
「そんなこと知るかよ」
さっきと違い今度は嘲笑うような声が言った。
「いいからお前が持ってたギター、どこにやったか言えや」
「知らねぇよ。どっかにやっちまったんじゃねぇの? そうか盗まれたか」
いくら凄まれても不良くんに動揺している様子はない。心なしか笑っているようだった。聞き様によっては挑発しているようにも聞こえる
「おめぇマジいい加減にしろよ」
ドンッッ──。
壁を強く打ち付ける音がした。部室棟が揺れたような気する。
「おいおい、穴空いちまうからやめとけよ」
不良くんが宥めるように言った。俺はこのままでは不良くんが殴られてしまうと思い、部室に向かって勢いよく飛び込んだ。
俺が飛び込んだ瞬間、三人が同時に俺のことを見る。
「あれ? お前どうしたの? あ、電話出られなくて悪かったな。なんか用だった?」
驚いて言葉を失っているロン毛と金髪坊主をよそに不良くんは何事もなかったかのようにそう言った。
「どうしたの?って君がこの人達に連れていかれるのが見えたから、慌てて追いかけてきたんじゃないか」
「どうして?」
「だって、見るからにヤバそうな人だし危ない目に合うんじゃないかって──。心配になるだろ」
「あぁ、そういうことか。まぁ、確かに少しピンチではあったけど、お前のおかげでなんとかなりそうだ。……行くぞ!!」
早口にそう言うと同時に不良くんは、今俺が入ってきたばかりで開けっ放しになっていた入り口から俺を押し出す。そして、そのまま俺の腕を引っ張って走りだした。
俺が部室に飛び込んでから一分も経っていないと思う。その間ロン毛と金髪坊主はあっけにとられたのか言葉も発さず、ただ俺と不良くんを交互に見ているだけだった。そして、不良くんが俺を引っ張って走りだすのに数秒遅れてやっと事態を把握したようだった。
「おるぁぁあ!! 何逃げてんだよ!! 待てや!!」
「なめてんじゃねぇぞ! 待てこらぁぁぁ!!」
二人の叫び声を背中に聞きながら俺は必死に走った。並んで走る不良くんの顔を盗み見ると涼しい顔をしていた。もう俺の腕をつかんではいない。
さっきよじ登って侵入してきた正門へ向かっていたはずが、道の途中で不良くんは正門とは違う方を指差した。
「こっちだ! ついて来い」
少し息があがっているようだったが、それでも落ち着いた声だった。俺は疑問を口にする余裕もなく黙って不良くんの後に続いた。
不良くんも俺も一度も振り返ることなく走り続けた。その間もずっと二人の叫び声は聞こえていたが、距離は縮まってはいない。距離を保ったまま、あるいは少し引き離せている状態で俺たちは逃げていた。
「よし。ここをくぐるぞ。通り抜ける」
さっきよりいくらか大きな声で、学校の敷地の外と内を隔てている垣根を指さしながら不良くんが言う。俺は無言で頷き、不良くんの後に続いた。
ガサガサと枝葉が体にあたって痛かった。
苦労して垣根を通り抜けるとそこは道幅の狭い路地だった。不良くんは俺が垣根を抜けるまで待ってくれていて、俺が通り抜けたのを確認するとまた走りだした。
「よし、本格的に逃げるぞ!」
その声を合図にまた二人で走りだす。不良くんはどこか楽しんでいるように見えた。
俺もなんだか楽しくなってくる。子供のころやった鬼ごっこを思い出した。
走りだして少ししたところで後ろからガサガサと枝葉がこすれる音がした。振り返ると追手の二人が垣根を通り抜けようとするところだった。
俺と不良くんが強引に通ったおかげで追手の二人は俺たちほど通り抜けるのに苦労していない。
「ヤバい! 距離、詰められてる」
俺は夢中で不良くんに報告した。
「オーケー。とにかく俺について走れ!!」
不良くんはそう言って俺の前に出た。何か特別な策があるようには思えなかったけど、とにかく不良くんに従うことにした。
こういう修羅場にはきっと不良くんのほうが慣れているだろう。俺はせいぜい鬼ごっこの経験があるだけだ。
不良くんの後を必死に、夢中で走り続けた。もう後ろの二人のことを気にしている余裕はなかった。
しばらく走ったところで不良くんがどこへ向かっているのかが分かった。
何度も嫌というほど見てきた。見覚えがあるなんてもんじゃない。俺の親父のカフェだ。カフェを見つけてこんなにほっとしたのは初めてかもしれない。
あまり好きではないカフェにこの時だけは心の底から感謝していた。
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