6 Anarchy in the UK

 不良くんは勢いよくカフェのドアを押し開けた。ガランガランッとドアの勢いに合わせて鈴が大きく鳴る。不良くんのすぐ後に続いて俺も店に飛び込んだ。

 コップを拭いていたアヤさんに特に驚いた様子はなかった。

 カウンター席には女の人が一人座っている。ハチミツを喫茶店に届けるようお願いした『養蜂園ハニーホイップ神城』の女の人だった。


 窓際の席にはさっきの老夫婦が変わらず向かい合って座っていた。カウンター席の女の人も老夫婦もこちらを見ることはなかった。


「どうしたの? そんなに慌てちゃって。それに血が出てるわよ」


 アヤさんに血が出ていると言われて腕を見ると擦り傷がいくつもできていた。垣根を通り抜けた時にできたのだろう。見た目ほど深刻な怪我ではない。


「この暑いのにそんなに息切らすほど走って、傷まで作って。元気ねぇ」


 アヤさんは呑気に笑った。


「すみません……」


 流石の不良くんも息が切れてうまく話せないようだった。俺の方はもっと重症で、ゼーゼー器官を鳴らすだけで声を出すことはしばらくできそうになかった。


「ちょっと、頼みが……」


 不良くんが言いかけた時、再びドアが勢いよく開いた。


「どこまで逃げんだよ!!」


 ロン毛と金髪坊主だった。二人とも肩で息をしてはいるが、俺たちほど息が上がってはいない。

 不良っていうやつはタバコを吸ったりするし、体力がないものだと思っていたが。そういえば不良くんも俺よりは元気そうだ。なんだか情けなくなる。


「いらっしゃいませ」


 アヤさんはいつもと変わらない客用の声で、どう見ても客ではない二人に声をかけた。


「あん? こんな店に用はねぇよ。俺らはこいつらに用があんだよ。分かったら黙ってろ」


「この子たちに用があるって言っても私はこの店員ですからね。まぁまぁ、落ち着いて。何か注文でもされたらどうですか?」


 アヤさんはあくまでも接客という態度を崩さない。あわよくば注文をとって金儲けをしようというのだ。たくましく頼もしい。


「チッ、いちいちうるせーんだよ。……おい、あれ見ろ!!」


 ロン毛が悪態をつきつつ、何かを見つけて金髪坊主に向かって言った。指差す先には不良くんのナビゲーターがある。


「お、あんじゃん。なんだお前ここに案内してくれたのか?」


 金髪坊主はそう言いながらゆっくりとナビゲーターに近づいていった。


「……触るな」


 不良くんの今まで聞いたことのない低い声が金髪坊主を呼び止めた。金髪坊主はそんな声はお構い無しにナビゲーターのネックをつかもうとふる。あと十センチ、というところで金髪坊主の手がピタリと止まった。

 アヤさんが金髪坊主の腕を掴んでいた。


「よく分からないけど、これはあの子のものよ? 触るなって言ってるし、触りたかったらちゃんと許可を得なさい」


 金髪坊主は必死でアヤさんの手を振り払おうとするがビクともしなかった。アヤさんの声はもう客用の声ではなかった。


「お前には関係ねぇだろ」


「関係ないことはないわ。この子たちは私の大事な息子みたいなものよ」


 金髪坊主の顔がかすかに歪む。アヤさんが掴む力をさらに強めたようだった。


「あら? あなた、もしかして斉木くん? 久しぶりね。お父さんは元気にしてるの?」


 終始こちらに背中を向けていた養蜂園の女の人が振り返り、金髪坊主に向かって言った。言われた金髪坊主の顔がみるみるうちにこわばっていくのが分かる。怯えているようだった。


「このお店のコーヒー美味しいものね。あなた、来たことがあったの?」


 女の人は続けて言った。言葉こそ柔らかいが声音には明確な敵意が感じられた。


「うるせー……」


 そう言うのがやっとといった様子で絞り出すように金髪坊主は言った。


「もういい、帰るぞ」


 続けてロン毛に向けて言う。


「でもよ……」


「いいから。行くぞ」


 そういうと誰とも目を合わせることなくそそくさと店を出ていってしまった。入って来た時とはうって変わって、ドアの鈴は小さな音でチリンと一度鳴っただけだった。

 一人残されてバツが悪くなったのか、ロン毛もアヤさんの手を振り払うと駆け足で店を出ていった。

 一気に身体中の力が抜けるのが分かった。


「大丈夫? その怪我は……あの子たちにやられたってわけではなさそうだけど」


「大丈夫です。おねぇさんありがとうございます」


 不良くんは真顔でそう言った。


「おねぇさんなんてお世辞はいいわよ。それより何があったの?」


 女の人の質問に不良くんは黙ってしまった。俺が不良くんの代わりに応える。、


「あの、あいつらに捕まったこいつを助けようと思ったんですけど、色々あってとにかく逃げることになってここまで逃げて来ました」


 的外れで支離滅裂なことを言っていることは自分でも良く分かっていた。とにかく何か応えなければと思った。


「どれだけ走っても振り切れないし、そんでここに逃げてきて……」


「分かった分かった。分かったから落ち着いて。とにかくその腕以外に怪我はないのね? だけど、あの子たちはなんであんなに怒って君たちを追いかけて来たのかしら」


「それは……」


 俺には分からなかったから返答に困ってしまった。


「あのギター……あれを寄越せってことだと思います」


 不良くんが小さな声で答えた。


「どうして? そういえばあの子たちはそのギターを狙ってるみたいだったわね」


 なるべく問い詰める口調にならないよう質問しているのが声の調子で分かった。さっき金髪坊主に質問した時とは明らかに違う声音だった。


「あれは俺のです。俺のなんです」


 不良くんは、小さいけれどハッキリとそう答えた。小さな声でも異論は許さないという強い意志を感じた。


「そう。それならいいの。でも今後またこういうことがあったら困るわよね。斉木くんたちは私のほうでなんとかしてみるけど、それでももしまた同じようなことがあったら報告してくれる?」


「分かりました」


 何をどうなんとかするのかとても気になったが訊かずにいた。さっき不良くんを深く問い詰めようとしなかった配慮にこちらも応えようと勝手にそう思った。


「さぁて、じゃあみなさん。うちのコーヒーはいかがかな? その前にあちらのお二人にレモネードか」


 それまでずっと黙っていたアヤさんの声で場の空気がガラリと変わった。不良くんも女の人も自然と笑みを浮かべていた。いつのまにかこちらを向いていた老夫婦はニコニコと頷いていた。


「それじゃあ一杯いただこうかしら。アヤさんの奢り?」


 俺たちがいない間に仲良くなったのだろう。友達を茶化すように女の人が言った。


「いやいや、マユカさん。勘弁してください。私だってカツカツなんですから。おたくのお店から蜂蜜仕入れませんよ?」


 アヤさんはまんざらでもない様子で笑いながら言った。どうやら養蜂園の女の人は『マユカ』さんというらしい。


「じゃあ俺も。金はもちろん払いますよ。助けてもらっておいて奢ってもらうなんてできませんし」


 不良くんはそういうとマユカさんの隣のイスに腰かけた。


「うんうん、いい心がけだ」


 アヤさんは嬉しそうに言うと俺を見てさらに言った。


「ケイくんはどうする? いらない?」


「もらうよ。俺にもお願い」


 俺はそう応えて不良くんの隣に座った。

 アヤさんはレモネードを老夫婦のところに持っていった。一言二言何か言葉を交わしていたようだが、何を話しているのかは聞き取れなかった。

 その後カウンターに戻ってきたアヤさんがコーヒーを淹れる間、カウンターを挟んで三人、黙って座っていた。


 それぞれがコーヒーを飲み終わり、ひと息つく頃にはすっかり日も暮れて外には紺色の空が広がっていた。

 老夫婦はレモネードを飲み終わると早々に店を後にしていた。


「それじゃあ、私もそろそろ帰ろうかしらね。うちの人にはすぐ戻るって言って出て来たのに、あんまりいいお店だから長居しちゃったわ。それじゃあまた来るわね」


 マユカさんはそう言うとみんなに一通り手を振って店を出て行った。不良くんと俺は黙ってそれを見送るとお互い何も言葉を発さずに、それでも示し合わせたように顔を見合わせると大声で笑った。


「今日は悪かったな」


 不良くんが言った。


「別にいいよ」


 俺もそれに短く応える。不良くんがどう思ったかは分からないけど、この時初めて不良くんと本当の友達になれたような気がした。


「そういえばさ、君、名前なんて言うの?」


 俺は次に会ったら絶対に訊こうと思っていたことを尋ねた。


「あれ? 言ってなかったっけ? 俺は内田彗河うちだけいが


「ケイガ。変わった名前だね。でも、君には似合ってる」


「なんだそれ? 褒めてんのか? 舐めてんのかどっちだ?」


「褒めてる褒めてる。次会ったら絶対に名前訊こうと思ってたんだ。訊けて良かったよ」


「ホントかよ。それなら俺も一つ訊いていいか」


「なに? 名前は前に教えたと思うけど。まさかもう忘れた?」


「名前は名前だけど、お前の名前じゃねぇよ。この店の名前。この店、なんて言う名前の店なんだ? 宣伝しようにも名前を知らねぇんじゃ宣伝できねぇだろ?」


 本気で宣伝してくれる気でいたことに驚く。案外義理堅いようだ。


「あ〜、ここ? ここは……」


「アナーキーよ」


 答えようとする俺の声を遮って、それまで黙ってカップを拭いていたアヤさんが大きな声で答えた。

 なぜだかアヤさんはこの店の名前を気に入っている。ケイガは少し驚いた様子だったが、すぐににっこりと笑って言った。


「ならケイ、お前『Anarchy in the UK』だな」


「はぁ?え?どう言うこと?」


 ケイガの言うことの意味が分からなくて思わず尋ねた。


「お前の名前、植村啓うえむらけいなんだろ? イニシャルがUKでこの店の名前がアナーキーだから……」


「プッッ」


 思わず吹き出してしまった。


「なにがおかしいんだよ?」


「いや、イニシャルは普通、名前、苗字の順だろ? それに君の言う理屈なら君のイニシャルもUKじゃないか。それにそれに、文法的にもおかしいし」


「うるせぇ。細けぇことはいいんだよ。俺たち二人、『Anarchy in the UK』ってことだよ」


 そう言ってケイガはまたにっこりと笑った。今までで一番いい笑顔だと思った。


「俺、ピストルズの『Anarchy in the U.K.』って曲が大好きなんだ」


 ケイガは呟くようにそう言った。

 どこからか吹き込んできた風が心地よく肌を撫でた。微かに秋の匂いがする。


 ケイガの言うその曲を俺は知らなかったけど、きっと好きになれるだろうと思った。

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