9 Minority

 わたしは有頂天になっていた。

 まさかトレウラ好きの同志をこんな形で見つけることができるとは思っていなかった。世代的に、わたしはトレウラ世代ではない。

 それに、そもそもわたしは友達が少ない。


 ナナカはわたしが勧めたから聴いてくれているみたいだけど、心の底から好きなのかどうかは分からない。

 その点、ユリハ会長からは溢れ出るトレウラ愛を感じたし、何よりホマレの姪だという。ほとんど会ったことはないと言っていたけど、それでもすごい。

 だからわたしは、ロミ研に入会することに迷いはなかった。


「エリ。あたし、あんなこと言っちゃったけど、セッションなんて自信ないよ」


 ナナカはわたしと二人きりになってから弱音を吐いた。

 そういえば、わたしたちより後に来た男子二人とセッションをすることになったのだった。トレウラのことばかりでそのあたりは上の空。あまり話を聞いていなかった。


「大丈夫だよ。いつもわたしやレイカさんとやってる時みたいにやればいいんだから」


 音楽のことになるとわたしの方が先輩だからか、ナナカとわたしは立場が逆転する。


「でも、あたし弾ける曲なんてほとんどないよ?」


「曲は何をやることになったんだっけ?」


「そういえば、曲は決めてない。どうしよう。難しい曲だったらできないよ。ていうか、今練習してる曲以外じゃ無理。その曲だってまともに弾けるか怪しいのに……」


「う〜ん、それなら今練習してる曲をやろうってこっちから提案したらいいんじゃない? どっちにしてもお互いに弾ける曲じゃなきゃセッションできないしね」


 ナナカはナナカが自分で思うよりもずっと弾けていると思う。レイカさんも「上達が早い」と褒めていた。だけど、当の本人が自分に自信を持てないようだ。それはもしかしたら、わたしやレイカさんとの実力差のせいなのかもしれない。

 レイカさんはプロだし、わたしもレイカさんに教わるずっと前からドラムを叩いている。実力差があるのは当然なのだが、ナナカの負けず嫌いな性格がそんな言い訳を許さないのだろう。


「そうだね。うん。セッションは明日だから今日はみっちり練習しないと!」


 ナナカは負けず嫌いで気持ちの切り替えが早い。わたしとは正反対の性格だ。


 レイカさんの家のインターホンを鳴らすとレイカさんは「遅いよ」と愚痴を言いつつ、スタジオに降りて来るように言った。

 スタジオに降りるとレイカさんは、中央で腕組みをして立っていた。


「遅かったね。待ちくたびれちゃったよ」


「ごめんなさい。色々あって」


 レイカさんも本気では怒っていないようだから、わたしも軽く謝るだけにしておく。


「あれ? その制服、あんたたちが行ってるのってもしかして不動院だったの?」


「え? レイカさん、不動院知ってるんですか?」


「そりゃ、私の母校だからね。知ってるよ」


「えっ!?」


 わたしとナナカは同時に驚きの声を上げる。


「レイカさんって不動院の卒業生なんですか?」


 ナナカが前のめりになってレイカさんに訊いた。


「そうだよ。あそこ今は軽音部がすごい人気なんだろ? 私が通ってた頃は、部員なんかほとんどいなかったよ。私とホマレとそれにカホとあと何人かで十人いなかったんじゃないかな?」


 ホマレにカホって、きっとトレウラのメンバーだ。三人とも不動院の卒業生だったのか。わたしとしたことが、そこまでは調べていなかった。


「じゃあ、トレウラは高校の時結成したって、不動院で結成したってこと?」


「そうだよ。なに? あんたトレウラオタクのくせにそんなことも知らなかったの?」


「高校名までは……」


「まだまだだね」と言ってレイカさんはわたしの頭を撫でた。


「そういえば、ロックミュージック研究会っていう同好会の会長がホマレ……さんの姪っ子だって言ってたけど、レイカさん知ってる?」


 わたしは気を取り直してレイカさんに尋ねた。


「ホマレの? 知らないな〜。ホマレともカホとも連絡とってないし。ていうか、ロミ研ってまだあったんだ」


「ロミ研ってレイカさんが高校生の時からあったんですか?」


 今度はナナカがレイカさんに尋ねる。


「あったも何もロミ研は、私たちが作ったんだよ」


「えっ!?」


 またしてもわたしとナナカは同時に声を上げる。


「でも、軽音部に三人でいたって言ってませんでした?」


「う〜ん、まぁ、色々あんのよ。しかし、そうかぁ〜、まだロミ研があるとはね〜。なんとなく嬉しいね。しかも、ホマレの姪が会長やってるなんてね。それならあんたたち、ロミ研入りなよ」


 レイカさんはすごく嬉しそうだ。


「もちろん入るよ。元々入るつもりだったけど、それ聞いたら入らない選択肢はなくなったよ。ユリハ会長はトレウラの大ファンなんだって。レイカさん今度会ってあげてよ」


「いいよ。機会があればね。それで、ロミ研のメンバーは何人ぐらいいるの?」


 嬉しそうなレイカさんにロミ研の現状を伝えるのはためらわれた。代わりにナナカが答えてくれる。


「えっと、あたしとエリが入って三人です。あと二人男の子たちが入りそうなんですけど、明日次第というか。明日、その子たちとセッションしなきゃいけなくって、レイカさん! 今日はみっちり練習したいんで、付き合ってください」


 ナナカは思い出したように語気を強めた。


「明日のセッションであたしたちの実力を示せないと、ロミ研はメンバー三人で今年一年を過ごすことになります。だから……」


「分かった、分かった。とは言っても一日二日で急に上手くなるもんじゃないし、今までの練習を信じるしかないね。とりあえず、あんたが今練習しててみんなが知ってそうな曲は、グリーンデイのマイノリティかな?」


 そういえば今日、ジーアールが最初にやった曲が『Minority』だった。あの二人もきっとあのライブは見ていたはずだ。二人が知ってるかは分からないけど、それなりに有名な曲だと思う。


「じゃあ、今日はマイノリティだけキッチリやろうか。お祝いはまた今度だね」


 ナナカが納得できるまで練習していたら、帰るのがいつもよりも遅い時間になってしまった。


 翌日は、午前中が引き続き部活の個別紹介と入部手続の時間で、午後は生徒会などの学校運営組織の紹介だった。

 ナナカはいつもよりもソワソワしているように見えた。そんなナナカを見ているとわたしまでソワソワしてしまう。こういう時、ナナカを落ち着かせることができたらいいのに、と思う。

 でも、きっと結局わたしは演奏中にしかナナカを落ち着かせることができない。だから今日のセッションはわたし自身の演奏も大切だけど、ナナカにいつも通りの実力を出してもらえるように努めようと思った。


 放課後、昨日と同じ旧校舎三階の端っこの空き教室に行くと、ユリハ会長と男子二人はすでに集まっていた。

 そういえばこの二人は何組なんだろう。そもそも名前はなんて言うんだろう。今更ながら思った。


「おう、来たな。じゃあ早速だけど、準備して始めようぜ」


 金髪の子が振り返りもせずに言った。

 そのままシールドをアンプに突き刺して、肩からチェリーサンバーストのレスポールを提げる。ナビゲーターだ。


 ボディの裏にはたくさんのステッカーが貼ってあった。そこにトレウラのステッカーも貼ってあるのが見えた。

 昨日、トレウラの話題が出た時には特に反応しなかったのにステッカーが貼ってある。特別ファンではないけど、なんとなく貼っているだけなのかも知れない。

 チェリーサンバーストのナビゲーターはトレウラのカホと同じギターだ。偶然なのだろうか。すごく気になったけど今はそんなことを聞けるような雰囲気ではない。


 もう一人の方はこちらを向いて軽く会釈をして、金髪の子と同じように肩からギターを提げた。こちらは初心者セットによく付いてくるようなメーカーのストラトキャスターだった。


「ちょっと待って。やるって言っても曲はどうするの?」


 ナナカはベースをケースから出しながら二人に訊いた。


「あ〜、曲か。確かに決めてなかったね。どうしようか」


「なんでもいいならグリーンデイのマイノリティをやろう」


 わたしは誰かが何かを言う前に『Minority』に決めてしまいたいと思って二人に提案した。


 せっかく勇気を出して言ったのに、二人には聞こえなかったようだ。

 もう一度、今度はさっきよりもずっとお腹に力を入れて言う。


「グリーンデイのマイノリティ! 知ってる?」


「あ〜、マイノリティか。いいんじゃね? 俺もケイもちょうど最近弾いてたし。昨日ジーアールもやってたしな」


「うん、俺もマイノリティなら弾けるしいいよ」


 今度はしっかりと届いた。二人とも承諾してくれて、一安心だ。


「え? トレウラじゃないの?」


 会長だけは残念そうにしていた。

 わたしもできるならトレウラをやりたいけど、この二人は知らないだろうから仕方がない。


「歌は? ケイガが歌う?」


「いや、俺ギターに専念したいから悪りぃけどお前歌って」


 男の子二人は早速ボーカルをどちらがやるか話し合っている。


「エリ、ありがとう。チューニングとかするからちょっと待って」


 ナナカもすぐに準備に取り掛かる。

 わたしもスネアやハイハットの位置を調整して、肩慣らしに一つだけパターンを叩く。数小節叩いたところでクラッシュとバスで締める。


「うん、準備いいよ」


 そう言って顔を上げると、男の子二人がわたしの方を凝視していることに気がついた。急に恥ずかしさがこみ上げてくる。


「え? え? なに? あれ? どうかした?」


 動揺を隠せずにオドオドしてしまう。


「あ、いや、なんでもない。じゃあ始めるか。準備はいいか?」


 不思議なことに男子二人の方も動揺しているようだった。


「あたしは大丈夫だよ。エリも大丈夫そうだね。それじゃやろうか」


 ナナカはわたしの方を見て大きく一度頷いた。


「じゃあ、ちっこいの。カウント頼むわ」


 言われたわたしは大きく一つ息を吐いてからカウントに入る。

 ナナカのために気持ち遅めのテンポでスティックを鳴らした。


 マイノリティはギターのアルペジオから入る曲だ。どちらが弾くのかは分からなかったが、おそらくは金髪の子だろう。

 金髪の子はいざ曲が始まると、大口を叩いただけあってそれなりに弾けていた。レイカさんに比べたらかなり劣るけど、レイカさんと比べるのは酷だ。


 気になったのは、わたしのカウントを多少無視して走り気味なところだ。性格なのだろうか、いそいそとした演奏。

 わたしが入るタイミングでテンポを修正しなければならない。


 バスとスネアを鳴らして曲に入る。


『Minority』は、どのパートも比較的簡単な曲だ。しかし、初心者が全くの練習なしに弾けるほど甘くはない。

 ベースはしっかりフレーズを弾く部分もある。ナナカが知っている曲ということ以外に、レイカさんがこの曲をわたしたちの練習曲に選んだのはそういう理由もある。


 ギターのアルペジオの後はいきなりサビに入る。耳に残る歌メロ。

 ナナカもここは問題なく弾きこなせるだろう。


 問題はサビの後のAメロだ。

 サビで一度歪ませたギターのサウンドはAメロでイントロと同じようなクリーンなサウンドに戻る。ギターの歪んだサウンドがなくなる分、音圧は薄れ、曲が静かになる。

 そんな中でベースはウォーキング……とまではいかないが、ある程度メロディックなフレーズを弾かなければならない。


 バンドの中でベースは、一番音が聞こえにくい楽器だ。だけど、この曲のAメロはベースが主役と言ってもいいほどよく聞こえる。音がよく聞こえるということは、ミスをすればそれもまたよく聞こえるということだ。


 レイカさんはドラマーということもあって、ベースのナナカにもテンポキープを心がけるようにしつこく言う。ドラムの音をよく聞いて、ドラムのバスに合わせるように弾けと教えている。

 そのせいか演奏中にナナカはよくわたしの方を見る。それ自体は悪くないのだが、テンポキープ、つまり右手を意識し過ぎて、左手がおろそかになることがある。

 そうするとこの曲のAメロのように多少動く曲ではミスをしてしまうことがあるのだ。


 だからわたしはナナカのテンポに合わせるようにドラムを叩く。そうすればナナカは過度にテンポを気にすることはない。

 わたしの予想通り、ベースに寄り添うように叩くと、ナナカは一回目のAメロこそ多少危ない部分もあったが、その後は安定して曲の最後まで弾ききることができた。


 わたしはAメロでナナカに合わせた以外はいつも通り叩けたし、ギターの二人もミスらしいミスはなかったように思う。歌は歌詞が英語のせいで覚えていなかったのだろう、かなり適当だった。


 イントロと同じフレーズをギターがアルペジオで弾いて曲は終わった。


 パチパチパチパチ――


 ユリハ会長だけが拍手をしてくれていた。当然だ。お客さんはユリハ会長だけだ。

 わたしはその拍手を目を瞑って静かに聞く。


「ふぅ~~」


 ナナカが大きくため息を吐くのが聞こえた。


「それで、どう? あたしはともかくエリのドラムはすごいでしょ?」


 ナナカが二人に尋ねる。


「うん。すごくうまかった。ウォーミングアップの数小節でもう分かってたけど。それに君も十分うまいよ。ね? ケイガ。この子たちとバンド組もうよ。あ、もちろん君たちが良ければだけど」


「あたしは組んでもいいよ。たぶんあたしが一番下手だから偉そうに文句とか言える立場じゃないし。エリは?」


 ナナカがわたしに問いかける。


「うん、わたしもいいよ。楽しかった」


「あとはケイガだけだね。ケイガ、どう?」


 ケイガという金髪の子は、少し黙って考えるそぶりを見せた。そしてまくしたてるように言った。


「すっげー、うまい。ごめんな。こんなちびっこがドラム叩けるのか? なんて言って。ジーアールのドラムにも負けてねぇよ。それにお前も。ベース普通に弾けてるじゃん。お前らの息めちゃくちゃ合ってて、俺はそれに合わせるだけだったから、楽だったよ。うん。お前らが嫌じゃなかったら、俺たちとバンド、組んでくれ」


 ここまで面と向かって褒められると照れてしまう。

 この人は自分の感情に素直な人なんだ。わたしなら昨日あんな風に言ってしまった相手をこんな風に素直に褒めることはできない。体裁を保つために何かしら粗探しをしてしまうだろう。


「それじゃあ、バンドを組むってことで決定?」


 みんなそれぞれ頷いて、わたしたちはバンドを組むことになった。


「じゃあ、みんな入会だね。入部届に記入して」


 ユリハ会長は抜かりなくしっかりとロミ研の会員を確保する。昨日よりもずっと満足そうな顔で新入会員全員の顔を順番に見ていた。


 わたしはみんなともっと仲良くなれたら、レイカさんのところに連れて行こうと思った。


 みんなとはきっと仲良くなれるという根拠のない確信があった。

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