6 半分こ
あの日——。
リサさんにすべてを打ち明けたあの日以来、俺はそれまで以上にロミ研バンドのことを大切に思うようになっていた。
できることをすべてやる。悔いのないように全力をつくす。
そう心に誓った。俺のためだけではない。メンバー全員のために俺は全力をつくす。
ロミ研バンド以外に一つ、気になることがあった。夏フェスの日から、ずっと胸につかえていたモヤモヤ。
それををぶつけるため、俺はリサさんの待つスタジオに向かっていた。
母さんのことを打ち明けて以降、リサさんとは月に数回スタジオで一緒にギターを弾く関係になっていた。
スタジオに行くというのにギターを持たなかったのは初めてだ。
リサさんはいつも大きめのリュックを一つだけ背負って、ギターを持っていなかったことを思い出す。リサさんがギターを持たないその理由も——。
リサさんは、何かどうしても叶えたい望みがあるときには、あえて別の自分の大切なものを神に捧げると言った。おまじないや願掛けのようなもの。ジンクスと言ってもいいかも知れない。
そんなことを言ったリサさんが、『Pinky & Black』の活動を休止すると発表した。あまりに突然に。夏フェスのステージに立てるほど順調なバンドの活動をそのステージ上で休止すると言った。
俺は確信している。
リサさんは何か叶えたいことのために、バンドを捨てるつもりだ。俺にはその何かに心当たりがあった。
リサさんは、バンドを捨てるべきではない。捨てるべきなのは俺なんだ。俺が大切なものを捨てるべきなのに——。
密かにリサさんにギターや音楽を教わっていることも、リサさんのジンクスのことも、ロミ研のメンバーには言っていない。
俺だけが抜け駆けしているみたいだし、俺の母さんのことが知られるんじゃないかと怖かったからだ。
もちろん、リサさんとの時間を邪魔されたくない気持ちもあった。
俺は胸に抱えたモヤモヤを誰にも打ち明けることができなかった。でも『Pinky & Black』の活動休止という事実を、本当の意味で共有することができるのはロミ研メンバーだけだろう。
スタジオに着くと真っ先に受付に向かう。
受付の背後に掛けられたギターが一本なくなっていた。リサさんがいつもレンタルするギターだ。
「すみません、いつもの『D』で大丈夫ですか?」
もうすっかり顔なじみになった強面の店員に訊く。
「お~、ケイ。『D』で大丈夫だ。リサならもう来てるぞ。珍しく別々に来たんだな」
俺が「そうなんですよ」と答えると、それ以上は詮索してこない。俺にさほど興味がないからなのか、適度な距離感を弁えているからなのかは分からないけど、ありがたかった。
『D』と大きく書かれた扉を開けると、微かにギターの音が漏れ聞こえてくる。
二重扉になっているから、爆音というほどではないけど何の曲を演奏しているのかは分かる。トレウラの『Welcome To Our Festival』だ。
ギターの音はすぐに止んでしまった。きっと扉が開いたことに気が付いて、手を止めたのだろう。
一枚目の扉を閉めて二枚目の扉を開けると、鏡越しにリサさんと目が合った。リサさんはギターを抱えるようにしてあぐらをかいていた。短めのプリーツスカートから伸びた足が目に留まる。
「やぁ。来たね」
リサさんはそのまま振り返ることなく言った。
「来ました」
俺は短くそれだけ言って、リサさんの正面に回り込む。
「今日はギター、持ってないんだね」
まともに向き合ったリサさんの表情はいつもよりも少し寂しそうだった。節目がちなリサさんがゆっくり顔を上げる。
俺が何も答えずにいると、リサさんは抱えていたギターをスタンドに立てかけた。
あまり意識したことはなかったが、リサさんは俺よりも頭一つ分くらい背が低い。けれど普段あまり小柄だと感じないのは、独特のオーラのせいだと思う。今日のリサさんからは、そのいつもの独特のオーラを感じない。
「今日はギターを弾くつもりはないってことかな?」
リサさんはさっきまでよりも一層寂しそうな顔で首を傾げる。
目的を忘れたわけではない。
でも、こんな顔をされると訊きたいことが訊きづらくなる。それでも訊かないわけにはいかなかった。
「ギターを弾くつもりはありません。今日はリサさんと話がしたくて来ました」
「話……。君とギターを弾くの、楽しいんだけどなぁ。それで、アタシの楽しみを奪ってまで、する話ってのは? 恋バナとか〜?」
リサさんはわざとらしく、はぐらかすように言った。
俺が何を話しに来たのか、分からないはずがない。そこまで鈍感ではないはずだ。
「ピンブラの件です」
リサさんの思惑に惑わされることなく単刀直入に言う。
「なんだ。その件か……」
リサさんは心底つまらなそうに言った。俺だって楽しい話だとは思っていない。
「リサさん。どうしてピンブラの活動を止めたんですか?」
リサさんは真っ直ぐに俺に向けていた視線をおもむろに逸らした。
「どうしてって、キミに話すほどの理由はないよ。限界を感じたから止めただけ」
「限界って……。夏フェスに出られるまでになったのに、限界なわけないじゃないですか」
「限界だよ。アタシたちにはあのステージが限界。それ以上にはなれないと思った。だから活動を止めることにしたんだよ。それに、他にやりたいことができたんだ。それじゃ理由にならない?」
リサさんは俺と目を合わせないままそっけなく答える。いつも、真っ直ぐに人の目を見て話すリサさんから感じる小さな違和感だった。
その違和感が、疑惑を深める。
「納得できません。あんなに順調にいってるバンドを止めてまでやりたいことって何ですか?」
「それはまだ言えない。けど、いずれ必ずキミも知ることになるよ」
リサさんはまたはぐらかすように笑う。
やはり納得がいかなかった。色々な事情があるだろうが、ピンブラは全て順調にいっているように見えていた。
リサさんは間違いなく音楽の虜だ。かくいう俺自身も音楽の虜なんだ。音楽の楽しさ、喜び、快感、万能感。
リサさんはそのすべてを俺以上の味わってきたはずだ。これからもそれを味わい尽くす権利をリサさんは確かに持っている。それを捨ててまでやりたいことが果たしてあるだろうか。
「今ここでは言えないってことですか?」
「うん。今は言えない」
即答されてしまう。俺だって引くわけにはいかない。一呼吸置いてから、怯まずに食い下がる。
「どうしてですか?」
「どうしてもだよ」
このまま押し問答を繰り返していても埒があかない。ならばもう俺が考えていることを直接、はっきりぶつけるしかないだろう。
「母さんのことと関係があるんじゃないですか?」
意を決して、一番聞きたかったことをぶつける。リサさんは絶句して、目を見開いていた。
しばらく黙って反応を待っていると、リサさんは、何かを諦めたようにゆっくりと口を開いた。
「どうして君のお母さんのことが関係あると思うの?」
その目は真っ直ぐに俺をとらえていた。リサさんから感じた小さな違和感が消える。
「理由はうまく説明できません。ただの勘です。俺の勘はあまり当たらないですけど、今回は自信があります」
大真面目にそう言うと、リサさんは吹き出した。それまでの緊張感が和らぐ。
「勘か。なんかキミらしいね」
笑いながら言うリサさんはやっぱり魅力的だと、場にそぐわないことを思う。気を抜くと、本来の目的を忘れそうになる。
このままこの話題を終わりにして、リサさんとギターを弾けたらどんなに楽しいだろう。
それでも目を逸らすわけにはいかない。腹を決めてリサさんを問い詰める。
「どうなんですか? リサさんは母さんのためにピンブラを捨てたんじゃないですか?」
「……半分は正解」
「半分ですか。それじゃもう半分は何なんですか?」
「アタシ自身のため。……キミはお母さんのために、ロミ研のみんなや音楽そのものを捨てるつもりだったんじゃない?」
思わぬ逆襲にあってしまう。
図星だったから答えあぐねる。実際俺は、ロミ研と母さんを天秤にかけている。
いや、正確には、天秤は完全に母さんに傾いているのにロミ研を手放す踏ん切りをつけられないでいる。
「アタシは、キミに音楽を捨ててほしくないんだ。アタシの場合はさ、弟のためにあのとき音楽を捨ててれば良かったってずっと後悔してきたの。弟はもう大丈夫だけど、こんなに治りが遅いのはあたしが中途半端に『ギターだけ』なんて決めたからだと思ってる」
言葉にならない。リサさんの気持ちを思うと安易に否定できなかった。
「だからもう半分はアタシ自身の願いのためなんだよ。キミに音楽を捨ててほしくないっていう願いと、あの時中途半端なことを願うしかできなかった自分への戒め」
「他にできた、やりたいことっていうのもそれと何か関係があるんですか?」
「それはまだ言えないって言ったでしょ。だから内緒」
リサさんは人差し指を唇に当てて内緒のポーズをとった。和んだ雰囲気を引き締めるように、表情を真剣なものに変えるとリサさんは続けて言った。
「それで、キミはお母さんのために音楽を捨てるつもりだったの?」
その表情、口調は逃げることは許さないと暗に示している。「アタシは言ったんだ。今度はキミの番だよ」と言外に匂わせている。
「それは……音楽を捨てるかは分かりませんが、ロミ研は捨てようと思っていました」
口にしてしまうと、本当にロミ研を捨てるつもりだったんだと実感できた。
「やっぱりね。でもまだ捨ててない。あれからしばらく経ってるのに。そうでしょ? ユリハから聞いたよ。みんなの為に結構頑張ってるみたいじゃん。キミらしくないと言えばキミらしくないよね。それで、どうしてまだ捨ててないの? どうしていずれは捨てるはずの仲間をつなぎとめるようなことをしたの?」
「それは……。ふんぎりをつけることができてないからです。やっぱり、あいつらと音楽やるのは最高に楽しいから……。でも、母さんのために俺が差し出せるものってそれくらいしかなくて……」
「要するにキミにとって、ロミ研はそれくらい大事なものってことだね。それじゃあさ、こうしよう」
リサさんはもったいぶるように間をおく。
まるで小さな子供が自分の宝物を見せてくれるかのようにキラキラした表情で、俺を見つめていた。
「どうするんですか?」
我慢できずに訊くと、リサさんは嬉しそうに言った。
「それ、アタシと半分こしよう。アタシもキミの願いに混ぜてよ」
全く予想しない答えだった。
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