7 音楽は人間関係にソックリだ
ケイのレコーディングはあたしとエリの乱入で一時中断となった。
レイカさんに中断を告げられたケイは、驚いた顔こそしたものの、比較的すんなりと状況を理解したようだった。
あたしは今すぐにでもベースを弾きたいと思っていたのだが、それまでと同様、エリのレコーディングが先だった。
エリはケイと入れ替わるようにして、すぐさまレコーディングブースに入っていく。
レコーディングをするメンバー以外はレコーディングスペースに残らないとみんなで決めていたのだか、あたしもケイもその場に残った。
しばらくするとなかなか戻らないあたしたちを心配してか、ケイガとユリハ会長もやってきてその場に留まった。狭いレコーディングスペースはいっぱいになってしまった。
レイカさんは「狭い」と文句を言いながらも、ブースの中のエリに指示を出したり、エリのリクエストを聞いたりしていた。
スピーカーを通してブースの中の音を聴くことができた。叩いてる姿はガラス越しに見ることができる。
エリの音、エリの姿は、あたしが今まで見聴きしててきた中で一番迫力があった。
叩いてるドラムの難易度や、良し悪しはあたしには分からない。けれど、鬼気迫るエリの様子は音を通じて確かにあたしの芯に響いていた。
やっぱりエリは別格だ。それが誇らしくも悔しくもあった。
あたしも負けていられないと本気で思ったのは、この時が初めてだった。
それまではあたしにとってエリは雲の上の存在で、目標にすることすら
もちろん、そんな感情は音楽に関してだけだ。普段は対等な友達だと思ってるし、引け目を感じることもない。なんでも言い合える仲だ。
自分でも何がスイッチになったのかは分からないが、エリに対する確かな対抗心が自分の中で沸々と湧き上がってくるのを感じた。
きっかけはさっきのユリハ会長の言葉かもしれないし、今聴いているエリのドラムの音や叩く姿なのかもしれない。ケイの作曲に刺激を受けたからのような気もするし、リサさんのライブに刺激を受けたからのような気もする。
結局のところ、何か一つがきっかけとなったわけではなく、色々なことが複雑に絡み合ってのことなのだと自分を納得させる。
エリは一回目とさほど変わらない時間でレコーディングを終えた。かかった時間こそ変わらなかったが、エリの顔はさっきとは打って変わって晴れ晴れとしていた。
その表情から手ごたえも良かったのだと容易に想像がつく。エリはブースから出てくると私の方を見て微笑んだ。
「ナナカ。わたし、ナナカがベースを弾きやすいようにって意識して叩いてみたから、きっと大丈夫だよ。ナナカも思い切って弾いてきてよ。わたしここで聴いてるから」
レコーディングを始めてから初めて心の底からエリの声を聴いたような気がした。
こちらで聴いていても、最初のドラムと少し違うな、というのは感じていた。だけど、部分部分でレコーディングしていたので、全体のイメージは湧かなかった。
あたしは、やってやる、という興奮と少しの緊張で、声を出さずに頷くことしかできなかった。あたしにつられるようにエリを始め、みんな一度頷いた。
「それじゃ、次ナナカ。どうする? 頭から全部やり直す?」
あたしは迷わず頷いていた。
勢いに任せて、自分の情熱に押されるようにして、再度のレコーディングに臨むことにはなったが、何か新しいフレーズが思い浮かんだわけではない。
エリと違って、あたしにはそんな引き出しはない。今から新しく斬新なベースラインが作れるとは思っていない。
あたしには、さっきレコーディングしたベースラインをもう一度丁寧にしっかりと弾くということしかできない。
それでも、あたし自身のモチベーションやテンションは確実に曲に影響すると思った。
ブースに入るとヘッドホン越しにレイカさんの声がした。
「じゃあ、ナナカ準備はいい?」
そう言われたあたしは、さっきのエリの言葉を思い出した。
エリはあたしが弾きやすいようにドラムを叩いたと言っていた。一度通しで聴いてみるべきだろう。
エリが変化を加えた結果、曲全体のイメージがどのように変わったのか分からない。分からないなら尚更聴いてみないとベースは弾けないと思った。
「レイカさん、すみません。一回通しでドラムだけ聴いても良いですか?」
「もちろん。そんなに大きくは変わってないけど、ところどころアカネのアイデアでフレーズが変わってるから意識して聴いてみな」
「分かりました」
レイカさんはあたしの返事を聞くとドラムの音源を再生してくれた。
レイカさんの言う通り大きな変化はなかったが、さっきあたしがレコーディングした時よりもベースの拍が取りやすくなっていると感じた。音源を聴きながら、右手で空ピックする。
拍の取りやすさのほか、エリのドラムを聴いていると自然と歌のメロディ、ベースラインが聴こえてくるような感覚があった。
フルコーラス聴き終えた後、あたしは慌ててベースを手に取り、さっき聴こえたベースラインを探す。簡単に見つけられるフレーズとそうでないフレーズがあった。
掴んだと思ったのに掌から溢れていくような感覚。一度溢れてしまうと、もう掴めなかった。
あたしの後にはケイのギターとボーカル、それにケイガのギター録りが控えていた。あまり時間をかけるわけにはいかない。
もどかしい気持ちはぬぐいきれなかったが、掴みきれたフレーズだけを当初のベースラインに当て込んでレコーディングをした。
レイカさんは、「今のフレーズいいね」とか「しっかりリズムキープできてるよ」とかさっきとは打って変わってたくさん声をかけてくれた。
それほど長い付き合いではないが、レイカさんは嘘がつけない人なのだろう。
さっきのレコーディングで、ほとんど声をかけてくれなかったのは、きっと褒めるところがなかったからだ。かといってあたしが傷つくと思って、正直にダメ出しをするのも控えてくれていたのだろう。
だから結果として黙るしかなかったのだ。
そう思うと、今あたしが弾いているベースは間違っていないんだと自信が湧いてくる。
けれど、同時にレイカさんは「う〜ん、ここはもう少しグルービーなフレーズ欲しいとこだけど……ナナカ、何かない?」という要求もしてくるようになった。さっき外で見ていて分かったのだが、エリのレコーディングの時には当たり前のようにしていた要求だった。
エリはその要求に応えたり、自分の意見をぶつけて、自分の思った通りに叩いたりしていた。けれど、あたしにはそんなことできない。
「何かない?」と言われても何もなかった。
さっき掴み損ねたものがきっとそうなのだろうという感覚はあったが、霧散してしまっており、もう一度掴むことはできそうにない。
とても悔しいし、情けない。だけど、レイカさんがあたしにもそういう要求をしてくれることが嬉しかった。
あたしの二度目のレコーディングは、エリのようにぱっぱとは終わらず、一回目の倍近くかかってしまった。
それでも、エリとユリハ会長はもちろん、あたしの後にレコーディングをするケイとケイガもあたしがブースから出るとにこやかに温かい言葉をかけてくれた。
「聴いてたけど、良かったよ。ぶっちゃけ、さっきのベースはイマイチだったもん」
「分かってる。けど、今度は本当に精一杯やった。今のあたしでは、これ以上は無理。きっともっと良くなるんだろうけど、今はこれで勘弁して。必ずもっと良くするから」
ケイに言われなくても、あたしが一番良く分かっていた。だから、今更ケイの言葉に傷つくことも、ない。
「それじゃあ、あとは俺たちだな。お前らどうする? 約束通り外で待ってる? それともここにいる?」
ケイガがあたしとエリに訊く。
「わたしたちだけ聴かれてたなんて不公平だよ。わたしたちもニ人のレコーディングここで見守る。ね? ナナカ? それにユリハ会長も」
あたしは、「うん」と自分が思っていたよりも大きな声で返事をしてしまう。あまりの声の大きさにみんなが笑い出した。
笑い声が収まると、ケイはレイカさんに一声かけてレコーディングブースへと入っていった。
人と人との関係って不思議だ。気持ち一つでさっきまで悪かったものが良くもなる。
音楽は人間関係にソックリだと思った。
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