4 ベースってなに?

 言ってしまってからすぐに後悔した。同時に恥ずかしさも込み上げてくる。すごく場違いなことを言ってしまった気がした。

 一瞬の沈黙の後、エリが歓喜の声を上げた。


「本当に!? ナナカもドラムやる? 興味出た? それならさ、一緒にやろうよ。きっと楽しいよ」


 言いながら抱きついてくる。エリがこんなに大きな声を出すのを初めて見た。ドラムというワードが出て以降、あたしが思ういつものエリとのギャップに驚いてばかりだ。


「まぁまぁ、待ちな。一緒にやるって、ドラムは一人が叩いてたらあとの一人は叩けないんだよ? ドラムが二人ってのもまぁ、なくはないけど。それにアカネはドラムじゃなきゃダメだって思ってるだろうけど、ナナカは? どうしてもドラムじゃなきゃ嫌なの?」


 あたしはレイカさんの言っていることがよく分からなかった。エリの顔をチラリと見るとエリも同じようだった。


「あんたたち、どうせ一緒にやるんならさ、アカネがドラムでナナカは、ベースなんてどう?」


 レイカさんは、内緒話をするように人差し指を立ててあたしとエリに向かってウインクした。


「あ、そうか。それもそうだね。ナナカ。ドラムじゃなきゃダメじゃないならベースやってみようよ。ベースなら二人で一緒にできるよ」


「あの──、ベースってなに? なんですか?」


 あたしがそう言うとレイカさんは、しまったという顔でダラリと両手を下げた。ガッカリというよりもずっこけるような感じだ。

 エリも「あ、そうか」と口に手を当てて呟いていた。


「そうか。ベースが分かんないか。私、ベーシストじゃなくて良かったよ。ベーシストだったらショックデカい。よし、ちょっと待ってて。持ってくるから。あ、ついでだからギターも持ってくるか」


 半分独り言のように言いながら、レイカさんはあたしたちが入ってきたトビラとは別のトビラから部屋の外に出ていった。


「ねぇ、エリはベースって知ってるの? 話の流れ的に、楽器なんだよね?」


「そうだよ。ドラムと合わせてリズムを作る大事な楽器。ナナカは背も大きいし、ベース似合うと思うなぁ〜」


「背が大きいと似合う楽器なの?」


「う〜ん、たぶん似合うよ。ベースってさ、楽器自体がスラッとしてて、なんかナナカっぽいもん」


 よく分からないが褒められているみたいだから悪い気はしなかった。


 そんなやりとりをしているとレイカさんが戻ってきた。


「はい。これがベース。一応、メンテとかはしてあるから、すぐ弾けるよ」


 レイカさんはそう言うと持ってきた二本のうちの一本をあたしに差し出した。


「えっ? これってギターじゃないんですか?」


「ううん、これがベースだよ。もう一つの方はギターだけどね」


 違いが分からなかった。


「よく見て。ベースはギターよりネック……この細い部分が長いの。それに弦が四本で、それもギターよりもずっと太いでしょ? 音も全然違うんだよ」


 なるほど。言われてよくよく見てみると、エリの言う通りベースの方が長くて、エリが弦と言った線がギターよりも少なくて太かった。


「とりあえずさ、軽く音出してみる? 私がギター弾くからセッションしてみよう」


 レイカさんはそう言ってあたしの頭をポンポンと撫でた。


「セッションって言ってもあたし、どうしたらいいか分かりませんよ。ピアノなら少しやったことありますけど、さっきまでベースっていう楽器の存在も知らなかったんですから……」


「大丈夫、大丈夫。それじゃあナナカはこの一番太い弦をタンタンタンタンってこのリズムで、こうやってこのピックを使って弾いて。どこも押さえたりしなくていいから、ヘッド……この先端部分が下がって来ないように支えておいてね。私とエリはそれに合わせて演るから。よ〜し、じゃあアンプ繋ごうか」


 レイカさんは身振り手振りで説明すると、ベースについていた肩掛けをあたしの肩にショールダーバックのようにたすき掛けに引っ掛けた。

 それから丸めて自分の腕に引っ掛けるようにして持っていたコードをほどき、その先端をベースに挿し込んだ。

 そして、「ここに立って」とあたしを黒くて大きな箱のようなものの前に連れてくると、今度はその箱にもコードの先端を挿し込んでからスイッチをパチッと入れる。黒い箱はアンプという機械らしい。


 さっき渡されたピックでレイカさんに言われたとおりに一番太い弦を試しに弾いてみる。


 ビンッ———


 伸びのないなんとも言えない音が鳴った。


「変な音。これじゃあエリのドラムの音で聞こえないんじゃないかなぁ」


 あたしの独り言を聞いてレイカさんがクスクス笑いながら言った。


「違う違う。ほら、そこにツマミがあるでしょ? そこと、このアンプのツマミを回さないとちゃんとした音は出ないよ」


 レイカさんがベースを指差す。表面を覗き込むと、丸いツマミが四つ付いていた。


「これ、全部回すんですか?」


 あたしが訊くとレイカさんは言った。


「う〜ん、そうね。とりあえず全部全開まで回してくれる? 音量とかはこっちでなんとなくで適当に調整するから」


 あたしは言われた通り全てのつまみを全開まで回した。


「オッケー? じゃあこっちのボリュームも上げるからね。そしたらもう一回さっきみたいに弾いてみな」


 レイカさんがアンプに付いているツマミを回すと、ボーーーーッと耳鳴りみたいな音が聞こえてきた。レイカさんの合図を見て早速さっきと同じように弦を弾いてみる。


 ボンッボンッボンッボーーーン———


 さっきとは比べ物にならないくらい大きな音が、アンプの方から聞こえてきた。

 レイカさんは大きくマルのサインを作ると今度は自分の持っているギターにも、ベースにしたのと同じような作業を始めた。


 あたしは音を出すのが楽しくて、「ボンボンボンボン」と鳴らし続けていた。

 エリの方を見るといつの間にスタンバイしたのかドラムセットの中央に座って、こちらを見ていた。あたしと目が合うと少し首を傾げ、ニコリと笑った。


「よ〜し、始めるか〜。じゃあ、アカネ、シャッフル抑えめのエイトビートね」


 レイカさんはそう言いながら、ジャーーーーンとギターを鳴らした。ベースとは全然違う音だった。見た目はそっくりなのにこんなに音が違うんだと驚いた。


 レイカさんがギターの音を止めるとエリに向かって目で合図をしているのが分かった。エリも合図に応えてコクリと頷く。


「じゃあ行くよ〜。ナナカ。わたしが合図するから、そしたらさっきみたいにボンボンボンボンって弾いて」


 エリはそう言うとスティックを大きく振りかぶった。

 さっき聞いたばかりの轟音が蘇って少し身構える。だけど、今度はさっきとは少し違った。


 ドタタタタタタタ———


 エリを見るとエリもこちらを見て小さく頷いて、顎で合図をくれたのが分かった。合図に合わせてあたしも恐る恐る弦を弾く。


 ボンボンボンボン———

 ドンタンドドタン———


 自分がうまく弾けているのか全然分からない。だけど、今聞こえるドラムの音は、さっきエリが叩いていたドラムの音よりも迫力があるように感じられた。

 それにベースの音も単体で弾いている時よりもお腹に響く。ドラムの音にも負けていない。


 しばらくベースとドラムの音だけが鳴っていた。

 エリがレイカさんにもあたしにした時みたいに合図を送る。


 ザッザッザッザッ———


 エリの合図に合わせて、さっきの「ジャーーーーン」という音よりもかなりこもった音が重なってきた。ギターは色々な種類の音が出せるのかもしれない。


 ドンタンドドタン、ドコタンドコタン———


 時折、ドラムの音色が変わることもあったが、あたしは言われた通りに生真面目にボンボンボンボンと鳴らし続けた。そして、ドラムの音がそれまでよりも沢山鳴り始めると、今度はギターがそれまでに聴いていた音とは違う音で鳴り始めた。


 ギュイーン———

 テレテテテレテ———

 ティロリティロリロ———


 何か、メロディのようにも聞こえる。

 レイカさんをよく見てみるとさっきまでとは弾き方が少し違うようだった。さっきまでの弾き方が豪快だったのに対して、今は繊細だ。腕の動く幅も狭くなった。


 ギターの心地よいメロディが終わり、また「ザッザッザッザッ」と鳴りだすと、ドラムのリズムが少しずつ遅くなる。

 あたしもそれに合わせて「ボンボン」のテンポを落としていく。


 エリはあたしとレイカさんを交互に見ると、どんどんテンポを落としていき、最後にまた両手を大きく振りかぶった。


 エリが振り下ろすのに合わせてあたしも弦を強めに弾く。ドラムの音はかなり大きく鳴っていたけど、もう怖くて身構えることはなかった。


 シャーーーーン

 ボーーーーーン

 ジャーーーーン


 なんとも言えない高揚感が身を包む。まだ耳と腕、身体全体に余韻が残っていた。


「ふぅ〜、こんなもんか。それで、ナナカ。どう? ベースも結構楽しかったんじゃない?」


 レイカさんがギターを肩からぶら下げたまま、腰に手を当ててあたしに訊いた。


「はい!! すっごく楽しかったです!! あたし、もっと弾けるようになりたい!! そしたらもっと凄いセッションができるんですよね?」


 思わず早口になる。


「エリの言ってた、ドラムと一緒にリズムを支えるってのもなんとなくわかりました。一緒に弾くと、なんて言うんだろ。こう……パワーが倍になるって言うか。あたし、ボンボンボンボンって同じ音を鳴らしてただけなのにエリとレイカさんとの一体感がすごくて……」


 たった今感じた感動をどうしても伝えたかった。二人はうんうん頷きながら優しく小さな子供を見るような目をしていた。ふと、そのことに気がついて、急に恥ずかしくなる。


「ナナカぁ〜。分かるよぉ。わたしも最初ドラム叩いた時、それからレイカさんと一緒にセッションした時はすっっっごく感動したもん。そうかぁ〜。ナナカも同じかぁ〜」


 うんうん、と頷きながらしみじみとエリが言った。


「エリも? そうか! エリにも初めてドラムを叩いたときはあるもんね。今はあたしからしたらすごくちゃんとドラム叩けてるけど、最初はあたしみたいに簡単なことだけだったの?」


 あたしの早口は止まらない。


「そうだよ。ココとココを交互に叩くだけ。その時はレイカさん、ベース弾いてくれてたんだけどやっぱり、すごく一体感を感じたよ」


 そう言ってエリは、タンシャンタンシャンと鳴らした。


「そうだったんだ。……ていうか、レイカさんってベースも弾けるの? エリがドラムを教わってるくらいだからドラムも叩けるんですよね?」


 今日はなんだか驚いてばかりだ。


「うん、まぁ一通りはね。でも、専門はドラム。ギターとベースは遊びだよ」


 さっきのギターの演奏を見る限り、素人目にはとてもそうは思えなかった。


「それなら……」


 早口だった口が急に回らなくなる。少し遅れて自分が緊張していることに気がついた。


「それなら……あたしにベースを教えてくれませんか?」


 言ってしまってから、また急激な後悔が襲ってきた。

 さっきといい今といい勢いでお願いしてしまったが、きっとレイカさんもそんなに暇じゃない。それにもし、オーケーしてくれたとして、授業料だってかかるだろう。あたしの小遣いだけで払えるだろうか。


「いいよ。その代わり、アカネと一緒にまとめてになっちゃうけど、いい? アカネも、いい?」


 あたしの心配をよそにレイカさんは即答した。

 エリは「もちろん!!」と言いながら、飛び出してきてあたしにしがみついた。


「やった! じゃあこれからはナナカと一緒に音楽できるね」


 エリはそう言って無邪気に喜んでいた。


「でも、自分でお願いしておいてなんなんですけど……授業料って月いくらくらいなんですか? あたしお小遣いそんなにもらってないから……」


 あたしが尋ねるとレイカさんは、またもやあっさり、あたしが言い終わる前に言った。


「そんなもんいらないよ。商売でやってるわけじゃないしね。若い子と接してたらいつまでも若くいられそうじゃん。それが報酬」


「でも……」


 本当に良いんだろうか、と困惑しているあたしに今度はエリが言った。


「いいの、いいの。レイカさんの趣味みたいなもんなんだから」


 間髪入れずにレイカさんが言う。


「お前が言うな。あんたの時はもっと強引に、なんならすがりついて無理矢理引き受けさせたでしょうが。まったく。とにかく、お金は気にしなくていいからね。アカネとは毎週金曜日の放課後に教えてやるって約束してるからナナカもそれで都合がいいなら来週からおいで」


「分かりました。では、お言葉に甘えさせてもらいます」


 レイカさんがそう言ってくれるなら、とあたしもレイカさんのもとでベースを習うことに決めた。

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