11 短いフレーズ

「あれ? やってないのかな? すみませ〜ん」


 リサさんは店に入るなりキョロキョロと店内を見回しながら、大きな声で誰にともなく呼びかけた。相変わらずよく通る声だった。

 アヤさんが留守にしている以上、俺が対応しなければならない。リサさんが覚えてくれているか自信がなかった俺は、ひとまず普段通り接客をすることにした。


「あ、はい。お好きな席にどうぞ。注文、決まったら呼んでください」


「あれ、あれ? 君はこの前のロミ研の?」


「植村《うえむら」。植村ケイです。覚えててくれたんですね」


 覚えていてくれたことが嬉しくて、少し緊張する。名前までは覚えてくれてなかったようだが、構わない。


「そうそう。ケイくん。カワイイ後輩だもん覚えてるに決まってるでしょ。てか、なんで君が店員さんみたいなことしてるの? バイト?」


 手を頬に当てて、いかにも不思議そうに首をかしげる。


「いや、ここ俺の親父の店なんですよ。リサさんこそどうしてここに?」


「アタシは、たまたま良さそうなお店だなぁ、と思って入っただけだよ。喫茶店巡りが趣味なんだ」


 この前と変わらずに気さくに話してくれる。


「カフェ巡りですか。あ、とりあえず適当に座ってください」


「カフェ巡りじゃなくて、喫茶店巡りね。ここ重要だから」


 リサさんは笑いながら、俺の座っていたボックス席の向かいの椅子に腰かけた。


「ギター弾いてたの?」


 目の前に座るリサさんはいい匂いがした。


「はい。明日までにオリジナル曲のアイデア持っていかないといけないんですけど、なかなかいいのができなくて。リサさんって作曲もやるんですよね? なんかコツとかってないんですか?」


「コツか〜。コツは分からないけど、難しく考えすぎるとなかなか産まれてこない気がするなぁ〜。もう、その時感じるままに自分の内側を曝け出す感じ? 理性なんかいらないって感じでいると良いのができたりするよ。まぁ、毎度毎度そんなにうまくはいかないけどね。君も産みの苦しみを感じたまえ」


 リサさんはクスクス笑う。ライブの時もそうだが、リサさんはよく笑う人だ。


「曝け出すようにですか……。なんだかよく分からないです」


 自分から尋ねておいて失礼なことを言っている自覚はある。


「分かんないよね〜。アタシも分かんない。けどさ、作曲に限らず、どんなことも難しく考えないことだよ。なるようになるさって思ってたらなんとかなるもんよ。今の状況を楽しむくらいの心構えが大事だと思うな。ほら、エイントイットファンだよ。その時その時の状況を楽しんじゃおう、的な?」


 そう言って笑うリサさんは、ステージの上と同じく輝いて見えた。


「リサさんはすごいですね。俺と三つしか変わらないのに、自分で作詞作曲してあんなに多くの人に支持されて。やっぱり才能がある人は違うなぁ」


「ふふふふ。そんなことないよ。アタシも見えないところでいつも悩んで考えて、逃げ出しそうになったりしてるよ。それこそ吐きそうなくらい苦しい時もある」


 とてもそうは思えない。本当なのだとしてもそういう姿を見せないところも含めて才能だと思う。


「それじゃあ一つ教えてあげる。ここぞって時には大事なものを天秤にかけるんだよ。大事なものを並べて、どちらか一つだけって決めるの。めちゃくちゃ苦しい選択をあえてする。片方は捨てる覚悟で、神様に捧げるの。そうやって選んだ以上、逃げられなくなるでしょ? 経験上、そうすれば絶対にうまくいくよ」


 突然の話で面食らう。答えるのに躊躇っているとリサさんは構わず続けた。


「アタシはね、何かを捨てられない人に何かを得ることはできないと思ってる。だからね。君も何かを大事なものを得たかったら、他の大切な何かを自分の意思で選んで捨ててみたら? 無理にとは言わないけどさ」


 リサさんは不意に寂しそうな顔になった。過去に何かあったのかも知れない。捨てたくないものを捨てたのかもしれない。他の大切なものを手に入れるために……。

 それを訊く勇気はなかった。

 実を言うと俺にはリサさんの言っていることの意味が少しだけ分かる気がしていた。オリジナル曲を作るヒントになっているのかは分からなかったが、その言葉は俺の中に深く刺さってなかなか抜けそうになかった。


「それからね。やっぱりステージに立ってお客さんの笑顔を見たら小さな悩みなんて全部ふっとぶよ。才能があるとかないとかはどうでもいいこと。だからさ、君も早くライブやってみたらいいよ」


 リサさんは寂しそうな顔を誤魔化すように笑った。本心ではあるだろうが、言いたいことの本質ではないのが分かる。


「リサさんでもそういうことあるんですね。リサさんのことよく知らないのに、才能があって楽だ、みたいに変なこと言ってすみませんでした。ライブは早くやりたいですけど、俺たちはまだまだ……。それにまずは文化祭ライブの出演権を獲得しないと」


「今度スタジオでアタシが曲作ってるところを覗きにくる? 言葉でヒントを出すのって難しいんだぁ。だから目で観て、耳で聴いて、全身で感じて、盗みたまえ」


 リサさんはとびきり明るい声で言った。


「いいんですか? そういうのってなんか誰にも明かさない、秘密的なものだと思ってたんですけど……」


「なんてったって、カワイイ後輩の頼みだからね。じゃあ、とりあえず連絡先、交換しよ」


 リサさんはそう言ってまた笑い、連絡先を教えてくれた。


「スタジオに来るときは君一人で来な」


 リサさんはそう言って意味深に笑った。その笑顔が妖艶で直視することができなかった。簡単にいうと照れたのだ。


 それから、ほどなくしてアヤさんが戻ってきた。


「あら、お客さん来てたの?」


 アヤさんは店に誰もいないと思っていたのか少し驚いていた。

 すぐに俺の前に座るリサさんを見つけて「いらっしゃいませ」と言った。リサさんはコーヒーを一杯注文し、それをゆっくり時間をかけて飲み干すと来た時同様、気さくに挨拶をして颯爽と帰っていった。


 リサさんが店から出る瞬間、残像のように俺の頭の中に微かな音が鳴るのを感じた。

 今までに思いついたどのメロディよりも衝撃的で美しかったが、どのメロディよりも短く霞のように消え去ってしまう儚さがあった。

 このメロディを絶対に逃してはいけない気がして、即座にギターを手にとって、頭の中から外に出そうとした。

 すると、思ったよりもあっさりと外に出すことができた。

 勝手に手が動くような感覚。俺が意識するよりも先に感じたままにギターが鳴る。

 ワンフレーズの本当に短いメロディだったが、確かな手応えがあった。


 オリジナル曲を発表しあう日、ロミ研には全員が時間通りに集まっていた。

 それぞれがオリジナル曲を作ってくることになっていたが、ナナカとエリは共同で作ってきていた。

 エリはドラムの腕は文句ないのだが、ドラムで曲を作ることはできなかったらしく、ナナカはナナカで一人で作るのは自信がないと言って共同で作ることにしたのだという。


「誰から発表する?」


 ナナカが俺とケイガに向かって言った。

 俺は昨日、思いついた短いフレーズを徹夜でなんとか曲と呼べるものにしようと試行錯誤してきた。しかし、思う通りにいっていなかった。

 あのワンフレーズがすんなりと形になったものだからすぐに曲にできると思ったのだが、考えが甘かった。

 でも、とても短いフレーズで中途半端ではあるけれど自分の曲が選ばれる自信があった。


「俺からやるよ。まだ短いんだけどさ、構わないよね?」


 トップバッターを自ら引き受ける。


「うん。わたしたちもワンコーラスやっとできたかな? ってぐらいだし。じゃあ、植村くんからね」


 エリに言われて、俺はすぐに準備を始める。妙な緊張感が部室を包んでいた。


 何百回と弾いて歌ったフレーズを披露する。弾き始めてすぐに、四人の顔色が変わるのが分かった。

 あっという間に終わってしまう短いフレーズ。終わったというのに拍手も感想も何も起こらなかった。


「あれ? 終わったんだけど、どう?」


 あまりの静寂に急に不安になる。

 俺が抱いていた自信は勘違いだったのか。気のせいだったのか。全然大したことないメロディなんじゃないか。

 そんな不安がぐるぐると頭を巡った。


 最初に口を開いたのはエリだった。


「凄くいい。わたし、この曲をみんなでやりたい」


 ゆっくりと言葉を選ぶようだった。


「うん。あたしたちが作ってきた曲なんかより全然いいよ。あたしたちの曲じゃ、ケイの曲には絶対に敵わない」


 ナナカもエリと同様に慎重な様子で言った。


「悔しいけど、俺も賛成。ケイ、すげぇな。どうやってこんな曲思いついたんだよ」


 珍しくケイガが手放しで俺を褒めた。さっきまでの不安が嘘のように一気に吹き飛んでいく。


「曲って呼べるほどじゃないのは分かってるけど、やっぱいいよな? 自分で言うのもおかしいけど、思いついた時これしかないって思ったんだ。だから、みんなが賛成ならこの曲を自由曲としてやらない?」


 反対する者は一人もいなかった。他のメンバーの作った曲も気になったが、発表することなくオリジナル曲は決まってしまった。


「でも、曲にしなくちゃね。植村くんの言う通り今のままじゃ曲とは呼べないよ。みんなで今のフレーズを膨らませて一曲にしよう」


 エリの提案に皆一様に頷く。


「昨日徹夜したんだけど、どうしてもあのフレーズから曲にできなくてさ。もしかしたらみんなでなら一曲に仕上げられるのかもしれない」


 俺が言うとまたみんな頷いた。


「とりあえずさ、レイカさんのところに行ってみんなで練ろうか。それにエイントイットファンも練習してレコーディングしなくちゃだし」


 ナナカの言う通りだ。俺たちにはあまり時間がない。

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