オレは「カウンセリング」を書きたいんじゃない
小説講座での出来事だ。
とある提出作品が、エンタメ的な展開から外れた、肩すかし的な展開で締めくくっていた。しかも、明らかに「意図的な展開」なのだ。
「どうも面白くない展開を書いてきたな」と、疑問に思っていた。
「あ、察し」と、オレの頭に危険信号が灯る。
「いや、これ、事実だったんですよ」
案の定、作者は『実話』を書いていた。
事実に基づいたフィクションというより、『実話』を。
面白くなるんだったらよかった。脚色もいい。だって小説なんだから。
だが、面白くないものは「リアリティ」だ。「ノンフィクション」だ。
事実に即した情報の中にメロドラマを盛り込む作家をありがたがって受け入れられる背景には、
「『フィクションはどこかいかがわしく、低俗な代物』と心のどこかで感じている者たち」
の存在があるからでは、と、ホラー作家のS・キングも著書『書くことについて』で述べている。
そういう『情報小説』の作家は大抵、志半ばになるとも。
リサーチは大切だけど、ストーリーありきですよ、と。
エッセイでお願いします。その方が面白い。
かくいうオレも、気づいたことがある。
ここにもアップしている「収納姫」を講座で読んでもらったときだ。
当初のコンセプトは、「学業批判」だった。
いじめや不登校とかいう意味より、
「学校に通ってても得るものがない人」
に向けた作品のつもりで書いた。
近年、学校教育不要論が囁かれている。
「日本の学校は通っても意味ないよね」といった意見だ。
「だったら、学校通わないで、社会に出ればいいじゃん」
というつもりで、最初は書いていた。
資格を取るか、手に職を持って、さっさと社会に出て、世間の視点を変えるべきだ、と。
「『整理収納アドバイザー』の資格は、未成年でも取れるのだ」
と、教えたかったのである。
しかし、講師は「そんなコンセプトは不要だ」と言った。
「だってさ、これ、エンタメのつもりで書いたんでしょ?」
オレでさえ気づかなかった本心を、講師は、小説の中に読み取ってくださっていたのだ。
講師はSFの大家やで? こっちはラノベやで?
なのに、ちゃんと「オレが書きたかったのはエンタメ」だと、オレ以上に把握していた。
オレも、情報小説の呪縛に捕らわれかけていたのだ。
うんちく小説を書ける自分に酔いかけていた。
オレは「カウンセリング」を書きたいわけではない。
「情報小説」を目指しているのではないのだ。
「小説」を書きたいのだ。
それを、講師は気づかせてくれた。
この経験は、講座に何年も通い続けてきて、初めての経験だった。
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