駄作を書く勇気がないと、伸びない

 小説を書いているとき、

「自分は駄作を書いているのでは」

 と、悩んでいる人はいないだろうか。


 かくいうオレも、なろうで

「うわー、ブクマ減ったー」

 と頭を抱えているところだ。

「これでは、上位10%いるという『ブクマ100到達者』なんて夢の夢だなー」

 と、うんうんうなっている。



 でも、「駄作を書いていようが続ける」って、とても重要なことだと思う。




 もう20年前の話だ。オレが20代の頃、ちょっと文学かぶれのやつがいた。


 そいつは、

「作品を未完成にしたまま死んでこそ、文豪!」

 と、常に語っていた。


 つまり「エタ肯定派」だったんだ。



 オレみたいに「駄作だろうが完結してこそ小説!」といっていた派閥を鼻で笑っていた。

「駄作なら書かないほうがマシ。そんなクソ作品を読まされるこっちの身にもなれ」

 という考えだったのだ。



 こんな考えは成長しない。できるわけがない。



 頭の中にネタがあるだけで、実際には書かない主義だった。

 それでもって、オレの書いた作品を「駄作」と吐き捨てる。

 俺はどちらかというと「テスト主義」だったので、駄作だろうが恐れずに書く。


 オレは以前そいつのネタを読ませてもらったが、ワケが分からなかった。

 キャラの設定表とか読まえてもらっても、

「こいつがどうなっていく話なのか」

 分からないのだ。


 これでよく大口をたたけたなーと。


 結局、オレはそいつの完成品を読んだことがない。


「まず駄作でもいいから書いてみて、試していけばいいのに」

 といってみたことはあるが、言い訳ばかり。

 理論武装だけがやたらウマいやつだった。


「ああ、こいつただの根性無しなんだ」

 と思い、会う機会がなくなった。



 これが、オレが「書かない荒らし」を嫌いになった経緯である。


 ヘタでもあきらめずに書いている人を、おれは全力で応援したい。



 世間にいる成功者の殆どは、こう語っている。 


「成功したければ、常に試行回数を増やすしかない」

「目標をたてても、失敗が怖いから慎重になりすぎて、結局前に進まない。何もしない」

「色々試すこと、色々失敗することこそ、成功への近道なのだ」



 常に実験、常に実戦なのだ。


 メンタリストDaigoさんもそう、まこなり社長もそうだ。


「インプットなんて3割でいい。上達にはアウトプットが7割必要。あとはフィードバックも忘れずに」

 これは、樺沢紫苑先生の言葉だ。


 オレは、間違ってなかったのだ。


 最初こそ、成果を体現できていなかった。


 だが、テストを繰り返していくたびにコツを掴んでいく。

 おかげで、ある程度の結果が出るようになった。


 時代が変わって、自分の書きたいものが受けなくなってくるときも。

 が、そのたびにフィードバックして乗り越えた。


 ようやくまともな成果が出てきて、最終選考ノミネートを二回も経験できた。


「これは失敗ではない。失敗だと気づけた成功例なのだ」

 って、エジソンも言ってるだろ?



 今はそいつとは絶縁したので、もう何も言われることはない。

 今なら、オレはそいつに、朝井リョウ先生の「何者」からのセリフを叩きつける。


「頭の中にあるうちは、何もかも傑作だ」

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