決戦の地へ
2003年6月1日。天気、快晴。
神倉高校山岳部の運命の歯車が音を立て、ようやく本当に春季登山大会の日が訪れた。
「おはよう、みつき」
「おはよう、絵里」
駅のホームには、メインザックを携えた登山服の少女が二人。上着の下にはちゃんと優華からもらったオリジナルシャツを着ており、準備は万端だ。
「二人とも、寝坊せずにちゃんと来られたようだな」
そんな二人の背後に岡島先生がぬらりと現れた。絵里たちと同じ町で暮らす岡島先生もまたこのホームから電車に乗り込むのだ。
「おはようございます、岡島先生」
「この三日間、引率役として同行するが、もし気分が悪くなったりしたら、すぐに言うんだぞ。無理して大会に挑んでも、体を壊しちゃあ意味がないからな」
「ご心配なく。体調管理も立派な山岳部の活動ですから」
「うんうん。食べ物もあきらがちゃんと考えているから、お腹を壊したりはしないと思う」
「いや……もしかすると、他校の山岳部の中には妨害工作として、食べ物に何かいけないものを混ぜる可能性があるな。あやしい薬とかを……」
名探偵のように顎先に手を添え、可能性を口にするみつき。絵里の顔が蒼くなってしまった。
「恐ろしいことを考えるな、城井。安心しろ。僕たちがちゃんと監視しているし、炊事審査中はお前たちも調理シートから離れられないはずだ」
「冗談ですよ、岡島先生」
冗談に聞こえないから困るのだと絵里は心の中でぼやいた。
そうしていると、ホームに決戦の地へと誘う電車が到着。
イルカをイメージしたデザインの特急、京都と新宮間を駆け抜けるオーシャンアロー号である。
「行ってきます、みんな!」
地元に別れを告げ、絵里はオーシャンアロー号へと乗り込む。
「おはよう、絵里、みつき!」
「さあ、一緒にがんばろう」
「三日間、よろしく頼むぞ」
自由席のある2号車へ向かうと、そこにはすでに他の駅から乗った優華やあきら、角先生の姿があった。絵里とみつきは「こちらこそよろしく!」と挨拶を交わすと、荷物棚に力を合わせてメインザックを一つずつ乗せた。
オーシャンアロー号の席は回転させることで二人ずつ向かい合わせに座ることができる。絵里は座席を操作し、優華とあきらと向き合う形でシートにゆったりと座り込んだ。ここから和歌山駅までは約三時間の電車旅だ。
向かいの席の優華は絵里たちが造り上げた問題集に目を通して、追い込みをかけているようだった。
「優華、知識審査はばっちりかい?」とみつきが訊く。
「もちろん。満点目指しているからな!」
「金剛山の標高は――」
「1125m!」
「ですが、大和葛城山の標高は?」
「959m……って、なんで知識審査は筆記なのに早押しクイズ風なんだ」
「それじゃ、登山コースの中にある『カヤンボ』の意味は?」
優華のつっこみを気にせずみつきは問いを投げかける。
「カヤ場……草原地帯みたいなとこだよな」
「では、さらに次の問題……」
さらに問題を畳みかけていくみつき。優華はげんなりすることもなく、嬉々としてそれら全てに解答していた。
微笑ましい光景だと絵里がにまにましていると、みつきがくるりと振り向く。
「絵里も、天気図審査は大丈夫かい?」
「もちろん。何回も何回も書いたから、もう手のほうが覚えているよ」
「なら、安心だ。一年前のボロボロだった雪辱を果たすことができそうだ」
そうして、窓の外を眺めたり、おしゃべりしたりしながら電車旅を楽しんでいく。
雄大な紀州の海を眺めていると、オーシャンアロー号は田辺駅に到着。
和歌山市に次ぐ人口第二位の田辺市。もちろん、この駅からオーシャンアロー号に乗る利用客も数十人を超えるほど多い。
その中には――
「あっ」
絵里が思わず声を出してしまうような姿があった。
首からタオルを下げ、登山服を身に纏い、背中には当たり前のようにメインザックを背負っている集団。
絵里たちと同じ山岳部。これから橋本へと向かう大会参加者だとすぐにわかった。男子のほうが人数が多いが、女子のほうも八人ほど姿が見える。
「こんにちは、岡島先生、角先生。今年もよろしくお願いしますよ」
一人の若い男が親しげに、絵里の後ろの席の岡島先生たちに声をかけていた。
「楠本先生。お久しぶりです。どうぞ、お手柔らかに」
岡島先生が気さくに答える。
「田辺の高校、南紀田辺高校だ。一年前に見た顔もあった」
荷物を棚に預けている様子を見ながら、みつきが呟く。
「……古佐田丘高校ばかりライバル視していたけど、あっちのパーティーも強そう」
あきらがひょこりと座席から顔を出して、南紀田辺高校の女子たちを見つめた。どの女子も凛々しく、腕もがっしりとしているまさにスポーツ女子。陸上部の精鋭と言われたほうが自然なくらいだ。
「やっぱり優勝目指しているんだろうねえ。あの見た目で実はただ散歩感覚で参加しましたーってならないかな」
優華がぼそぼそと希望するが、みつきが鼻で笑った。
「相手が強力なほど燃えるのがスポーツマンだろう。歓迎しようじゃないか、優華」
手強そうなライバルたちは和気藹々と座席でババ抜きをしたりポッキーを食べたりしていた。彼らもまたこの大会の日までに様々な練習を繰り返してきたのだろう。絵里たちの闘志の炎がほんの少し大きく燃え上がった。
三時間が経ち、和歌山駅に到着。メインザックを忘れないように荷物棚から下ろすと、ホームに降り立つ。ここから橋本駅へはJR和歌山線を使って向かうことになる。ホームを移動すると、初めて見る電車が到着。
「橋本へ行くのは初めてだから、どんな景色が広がっているか楽しみだね」
大会前の緊張を解すように絵里はそう言い、JR和歌山線の普通電車に乗り込んだ。もちろん、南紀田辺高校の山岳部も一緒である。
電車は市街地を抜け、緑の山々に囲まれた開放感のある風景を走る。線路と並走しているのは紀ノ川だ。絵里たちが今まで利用していた電車はいつも海沿いだったので、窓の外の風景はどれも新鮮であり、新たなステージへと向かうのだという実感が湧いた。
約一時間電車に乗り続け、ようやく橋本駅に到着。これまでの長閑な風景とは違い、田辺や新宮と同じ都市部だ。
「ついに、橋本に着いた!」
駅から外へ出ると、ロータリーが広がる。絵里たちを歓迎する6月の陽射しはやけに眩しく、体に汗が浮かび上がる。
「見て見て、まことちゃんだって」
好奇心旺盛なあきらが何かを発見。それは橋本駅の入り口近に立つ、楳図かずおのまことちゃん像だった。指のポーズを真似し、あきらと優華がはしゃぐ。
その最中にも、同乗していた南紀田辺高校の山岳部は余裕を持った足取りで歩き出していた。彼らが目指す場所はもちろん古佐田丘高校。絵里たちは気を引き締めると、南紀田辺高校を追うように進軍開始。
民家の隙間を歩いて行くと、緩やかな坂道に突入。その名の通り古佐田丘高校は丘の上にあるのだ。じんわりと汗を掻いていると、県立古佐田丘高校と書かれた看板が目立つ、白い校舎が姿を現した。
「ようし、ここが会場の古佐田丘高校だ」
引率していた岡島先生が声を張り上げる。
「ついに、ここまで来たね」
胸に手を置いて、絵里はみつきに語りかける。
「一年前の他校の山岳部も、私たちの神倉高校に足を運んだときはこんな気持ちだったんだろうな」
一年前とは立場が逆転し、アウエーとなった神倉高校。一年前の大会では、そのアウエーの状態で古佐田丘高校が優勝していた。だからこそ、借りを返したいという気持ちもあった。
「いよいよ始まるよ、私たち神倉高校山岳部の聖戦が!」
敵城を前にして、あきらが戦意を高揚させる。
ようやく辿り着いた春季登山大会の舞台。その一つである古佐田丘高校。
近くからは緑の香りがした。陵山古墳を擁する円山公園だ。振り返れば、橋本の市街を見渡すことができる。海と山に挟まれた新宮とは違い、山と山に囲まれたのがこの橋本。もしかすると、神倉高校よりも山の恩恵を受けており、だからこそ登山大会で強豪校となっているのかもしれない。
丘を登った初夏の風が吹き、絵里の髪をふわっとかきあげる。
「……真の戦いの始まりだ」
決意をあらわにぎゅっと拳を握り締めると、絵里たちは古佐田丘高校の正門を通過し、戦いに身を投じるのであった。
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