わたしたちの財宝
メインザックを置いていた体育館の近くには、あきらの手によりシートが敷かれ神倉高校の陣地が作られていた。
「お帰り、絵里、優華。どうだった?」
みつきとあきらの四つの瞳が期待を込めて絵里と優華の姿を映し出す。絵里は軽く微笑むと親指を立て、みつきの不安という群雲を吹き飛ばした。
「みつきも、リーダー会議お疲れ様」
「まあ、疲れるほど何もしていない。ただ、諸々の注意を聞いたりして行動計画書を提出しただけだ」
「どうだった? 他の高校のリーダーたちは」
今度は優華が興味津々にみつきに尋ねる。
「当然ながら、手強そうな子ばかりだよ。そのうちの一人が、古佐田丘高校の井中だった」
「……一年前の優勝者……チャンピオンを防衛できるかって立場なんだろうね」
「チャンピオン……」
あきらが面白そうに言うものの、絵里が思い浮かべる井中像にチャンピオンベルトが加えられ、強敵感が増してしまった。
「だから私も舐められないように、表情を硬くして出席した。今ごろ何人かは私のことを噂しているかもしれない」
みつきはふふっと微笑むと、腕時計に目を遣った。時刻は17時になろうとしている。
「さて……そろそろ炊事審査だな」
辺りを見回せば、他校のパーティーもメインザックから調理道具や食材を取り出し準備を始めていた。あきらもうきうきとシートの上に食材を並べる。
やがて、高体連の先生――炊事審査の審査役が巡回を開始。
どきどきと心臓がまた高鳴り出す。
「それでは、これより炊事審査の時間です。もちろん、火器に気を付け、安全に調理を行ってください。怪我や火傷をしてしまった者は、無理せずすぐに申請すること。では、始め!」
17時になり、橋本市内のスピーカーからチャイムが流れる。それと同時に、山岳部は戦いを始めるのだった。
きちんと調理場を整理し、シートに土などの汚れが侵入しないよう気を配る。メインザックももちろん整頓済みだ。
今までも登頂や学校で炊事審査の練習を繰り返してきたが、やはり大会本番になると緊張が高まる。何より、他校の様子を肉眼で見ることができるのが何よりのプレッシャーになる。美味しそうな夕食の香りがしてきただけでも、自分たちの調理は完璧なのだろうかと不安になってしまうのだ。
「風防よし、軍手よし、コンロよし……」
絵里は声に出して、不備がないか確認する。カートリッジも出発前にちゃんと新品を用意したのでガス欠にはならないだろうが、もし間違えて古い物を持ってきてしまい、調理ができなくなるとその時点で優勝の道は断たれてしまうだろう。
「あっ……やばっ。これガス入っていないよ!」
どこからかそんな声が聞こえた。どうやら、他校のパーティーのカートリッジは古かったらしい。慌てふためく声は、とても聞いていられないものだったが……
「うちのパーティーに余ってるから、これ使いなよ」
「あ、ありがとうっ!」
さらに別のパーティーがカートリッジを貸したようだった。これが審査にどう影響するかはわからないが、他の体育部ではあまり見られない助け合いを目撃した絵里だった。
さて、今日の絵里の担当はまた火の管理だった。フライパンに敷いた油を、菜箸とキッチンペーパーで広げていく。絵里の隣では、まな板の上で食材を切り刻んでいるみつきの姿が。その隣ではさらに優華が別のコンロを使ってあきらとともに鍋で食材を茹でていた。炊事審査もパーティーの連携は大事だ。四人は息を合わせて一つの料理を作り上げていく。
その最中――
「よう、お前たち。写真を撮るから、こっち向いて笑って」
岡島先生がふらりと現れ、インスタントカメラを手にシャッターチャンスを伺ったのだ。
「駄目です、先生。私たちは調理に集中しているので――この作っている姿をそのまま撮ってください」
みつきは岡島先生と目を合わせることなく、そう答えた。すると、岡島先生は機嫌を損ね――
「それを聞いて安心した。料理から目を離すとまずいからな。そう、これはお前たちの真剣さを試すテストだったんだ。それじゃ、がんばれよ」
いや、損ねず満足気にそう言うとパシャリとシャッターを切り、そのまますっと立ち去ってしまった。
何事もなかったかのように調理を再開。
「よし、こっちは切れた。絵里、焼いていくよ」
まな板からフライパンへ直接食材が移動。ジュウウッっと心地良い音が聞こえ、絵里は菜箸で焦げないように焼いていく。鼻をぴくぴく。香ばしい匂いはとても心地良く、絵里のテンションは上がっていく。失敗の許されない炊事審査だが、絵里は少しだけ遊び心を持って、この時間を楽しんでいた。
橋本は山に囲まれているからか、日の入りが早い。少しずつ空の焦げ目が消えていき、夜の帳が下りてくる。月と星々が瞬き始めたころ、
「できた!」
神倉高校山岳部は炊事審査の調理を終えた。
四人が心を合わせて、作り上げたオリジナルのメニューは宝箱の中の財宝のように光輝いて見えた。
完成したところで、他のパーティーの様子を探る。レトルト食品を使ったものや、麺料理に鍋料理と様々だった。そして、完成したパーティーから順に審査役の先生が巡回し、審査に目を光らせていた。
「ここは神倉高校ですね」
「はいっ」
審査役の先生を前にはきはきと答えるみつき。審査役の先生の手には、先ほど提出した行動計画書があった。
「ふむ、これは……ベーコンアラビアータパスタですか」
あきらが大会用に考案したのが、パスタ料理を派生させたベーコンアラビアータパスタだった。
皿に盛り付けられているのは、赤いトマトソースに絡められた筒状パスタのペンネ。さらに、大胆に燻製ベーコンを何枚も混ぜており、アラビアータパスタを引き立てていた。鼻の奥の奥まで刺激する燻製の匂いは強烈で、今も絵里は涎を抑えるのに必死だった。
「パスタ料理は多いですが、これはあまり見ない料理ですね」
審査役の先生が表情を緩めて感想を言うと、あきらが「よしっ」と言いたげに拳を握った。創意工夫のあるメニューとなっていれば、減点となることはまずない。
「それと、きのこのシチュー……」
もう一つ作り上げたのは栄養満点の汁ものだ。きのこや人参、鶏肉をふんだんに使ったコンソメのシチューは今も湯気を上げてその存在感をアピールしていた。
「いいですね。カロリーも申し分ない。では、食事を楽しんでください」
「はいっ!」
そう言うと、審査役の先生は他のパーティーの審査に移って行った。
緊張が解けると、余計に空腹感が増大する。さっそく四人は、
「いただきまーす!」
手を合わせて、ベーコンアラビアータパスタときのこシチューを実食。
「うんっ、美味しい」
ベーコンアラビアータパスタのもっちりとした食感は気持ちよく、さらに燻製のベーコンを挟むことでその歯応えが強化され、噛む楽しみが増えていく。ベーコンの肉汁とトマトソースが混ざり合い、よりパスタの味を昇華させていくのだ。何より、登山行動前の食事なのでカロリーは抜群。これさえ食べていれば、行動中にばてることはないと保証できる。
「審査は創意工夫ができているかにポイントがあるらしいけど、私たちは好感触だったみたいだね」
もぐもぐと自ら考え上げた料理を口にしながら、あきらは安堵した様子で言った。
「だね。見たところ――」
優華が首を振って辺りを確認。
「いや、見るまでもないけど、カレー料理が多い」
「……私たちも一年前はカレーだったしな……」
「……それでも、みんな楽しそうだからいいよ」
きのこシチューを飲みながら、絵里は微笑む。
「これが最後の晩餐になるとは、このときの誰もが思っていなかったのであった……」
「って、怖いこと言わないでよあきら」
四人で力を合わせて作った料理は、今まで作ったどの山めしも美味しく感じられた。きっと、審査役の先生の微笑む顔を見て、安心したからだろう。満腹となり、水分もしっかり摂ると、絵里は「ふわあ」と欠伸をした。どうやら、今日は睡魔と仲良くできそうだ。
しっかりと後片付けをし、メインザックに道具を戻しパッキング。四人は体育館の中へと移動した。今日はもう消灯を待つだけである。体力も温存したいので、なるべく動かず中で過ごすことにしたのだ。
神倉高校も他校に倣って、体育館の隅に陣地を作り、寝袋を広げる。優華はさっそくラジオを付け、巨人阪神戦を聞き始めた。消灯までの時間はトランプなどで時間を潰したり、入眠の儀式としても使っている推理小説を読んだりする。
その最中に、絵里は古佐田丘高校の様子を遠目で眺めた。パーティーのリーダーとなった井中もまた、和気藹々と仲間とおしゃべりを楽しんでいる。もし今の状況が熱血スポーツ漫画なら、「あなたには絶対負けられない!」と宣戦布告をすることもあったかもしれない。だが、現実ではそんな不穏なことは起こるはずも、起こすはずもなく、ただ絵里は眺めただけだった。登山競技大会の真の対戦相手は他校ではなく、あくまで山そのものなのだから。
時が流れ、消灯時間となる20時前。
すでに寝袋の中でいびきをかいている山岳部もいる中、神倉高校も彼らを追って夢の中へ旅立とうとしていた。
そんな中、慌てたのは優華だ。
「ねえ、今……巨人が阪神に負けてるんだけど、寝なきゃダメ? ちょっと、ラジオ……イヤホン付けて聞いてもいい?」
「だめだ」
「もう寝よう、優華」
みつきと絵里の二人に止められ、優華はがっくりと肩を落とす。
「そんなあ。結果が気になって眠れなくなるよ」
「ファンなら巨人の逆転を信じることだね。それじゃ、私はお先~」
あきらが寝袋の中に顔を沈め、瞼を閉じる。
「おやすみ、みんな。良い夢を」
その言葉を最後に、みつきはこの日何も言わなくなった。
「……巨人の勝利を祈って寝るか……」
溜め息を吐くと、優華もがっしりと瞼を閉じていく。なお、阪神戦の試合はこの後、高橋由伸が逆転サヨナラツーランホームランを放ち、見事巨人が勝利するのだがこのときの優華はもちろん知るはずがなかった。ただ、夢の中ではきっと巨人を応援していたことだろう。
「おやすみ……」
絵里も重くなった瞼を閉じる。同じようなタイミングで、体育館の明りが落とされ、暗闇へと変わる。完全な静寂――とは言い難く、やはりどこかでひそひそ話し声がする。それでも、絵里は気にならなかった。今日の日まで、裏特訓とでも言うべき入眠儀式を繰り返してきただけあって、すでにまどろみがさざ波のように押し寄せてきている。水中を漂っているような意識に全てを委ねると、絵里は自然と眠りに落ちていた。
大会初日はこうしてつつがなく終了した。
そして、舞台はいよいよ本番の地――金剛山・大和葛城山へと移るのである。
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