パスタとスパとスターな夜

「いただきまーす」


 山岳部の目の前には紙皿に盛り付けられた料理。

 細く長い黄色の麺が、ランプの光を受けて瑞々しく煌めき、赤いソースはストールのように纏っている。散りばめられた海苔が熱と夜風によって揺れ、野球場の観客のようにウエーブを繰り返していた。さらにアクセントとなっているのは、小エビとカニの肉だ。

 山岳部がこの夜炊事したのは海鮮パスタだ。釈迦ガ岳で出会った城内高校のパスタがおいしそうだったので、刺激を受けたあきらが考案した料理である。


「城内高校と出会ってよかった。彼らの技を盗んでみせたよ」


 自慢げにほくそ笑む料理長殿。

 パスタは山でも気軽に作ることができて人気も高い料理だ。だからといって、気楽な態度で炊事に臨んだわけではない。


 炊事審査のポイントとなるのは、コンロの適切な使用やコンロ台の有無、軍手を装着しているか、コンロの管理者がちゃんといるか、風防は整っているか、炊事シートはあるか、土が乗っていないか、炊事シート周辺に物が散乱していないかなどである。特に、コンロの周りに行動計画書やレシピがあると、大きく審査に響くという。さもありなん。万が一コンロの火が燃え移れば一大事。最悪山火事を起こしてしまうのだから。また、炊事中にテントの中も覗かれるらしい。そこで物が散乱していると、さらに減点されるらしい。炊事だからといって、テントの中も疎かにしてはいけないのだ。

 もちろん、完成したメニュー自体も審査の対象である。バラエティに富んでいて、創意工夫し、カロリーも十分なものでないといけない。

 これらに注意しながら、山岳部は岡島先生の監督のもと、料理を完成させたのである。


 今日一日がんばった自分たちへの最高の御馳走に向けて、絵里はフォークを刺す。そして、くるくると巻き上げると、大きく開けた口の中へと入れた。


「うんっ、おいしいっ」


 的確に火の管理をした甲斐があった。麺の歯応えもよく、噛めばエビの旨味とカニの肉汁が絡み合い、山の中にいながら海の中を泳いでいるような心地良さを味わうことができた。


「おいしいよ、あきら」


 目をきらきらとさせ、歯に海苔を貼り付けながら言う絵里。


「そうでしょ。でも、私だけの力じゃないからね。みんながそれぞれの役割を果たしてくれたから完成したんだから」

「絵里、私の作ったスープも飲んでくれ」


 みつきがアルミ製のマグカップになみなみと湛えられたスープを差し出す。


「ぎょっ」と絵里は目を剥いた。


 その赤々としたスープと漂う香りは、間違いなくトマト。


「トマトスープ……わたしは遠慮したいけど……」


 絵里は保育所のころからトマトが大の苦手だった。一口食べただけで食感と酸味が口の中で大爆発を起こし、いつも吐きそうになってしまい、給食で出されても必ず残していた。

 そのトマトを、スープにした状態で、幼馴染は絵里の弱点を知っているにも関わらず提供して来るのだ。


「駄目だよ~絵里。好き嫌いをしたら、大会で審査の先生に睨まれちゃう」

「そうだそうだ。あきらがちゃんと栄養とかいろいろ考えて立案してくれたメニューなんだから」


 あきらと優華もみつきに加勢。袋小路に追い込まれた絵里はどうにでもなれと思いながら勇気を振り絞ってトマトスープを啜った。


 すると、


「あれ、なんだろうこの酸味……しつこくない感じは……おいしいっ。そっか、コンソメとかも効いているんだ」


 今まで強敵だったライバルが寝返ったような感覚。絵里の中でトマトのイメージが覆る。


「あったかいし、なんだか体の中の膿が落ちていく感じ……うん、健康になった気がする」

「まあ、気のせいだろうけどね」


 絵里の感想を容赦なく切り捨てるみつき。しかし、苦手なトマトのスープをおいしいと言ったことに、彼女も内心喜んでいるようだった。


 すっかり暗くなり、虫の鳴き声がちりちりと環境音となる。大自然に囲まれた川湯の野営場の空気は、一年前と同じ場所とは思えないほど澄んでいて居心地もいい。きっと、大会に対する意識も向上し、仲間たちとの絆が比べ物にならないくらい深まったからだろう。



 波打つ湯船に身を沈めて、絵里はお約束的な台詞を吐いた。


「あ~極楽極楽~」


 白い湯気が立ち上がり、表情をとろんとさせてしまうここは、湯の峰温泉の中にある宿の露天温泉である。一年前は川湯の浴場で入浴した二人だったが、今回はほんの少し遠出して湯の峰にまで足を運んだのだ。

 日帰り入浴も可能なこの温泉は加水なし、源泉かけ流し。さらに、日本庭園を彷彿とさせる露天温泉は風流で、木々の隙間から覗く月にはなんとも言えない古風な趣がある。

 骨身に染みる心地で、今日一日の疲れが一気に消え去りそうだった。これほど生きていてよかったと感じたことは今までになかっただろう。


「生き返る心地がするのも、この湯の峰の力だろうね」


 湯を浴びて、つやつやの肌になったみつきがほっと一息吐いて絵里に声をかける。


「湯の峰には小栗判官の伝説があるんだ」


 そして、みつきはまたまた熊野の伝説を語り出す。


「常陸の国に城を持つ小栗氏は戦で敗け、毒を盛られて死んでしまう。その後、閻魔大王の裁きで地上に戻されるんだけど、その姿は土葬のために腐り果てたものになっていた」

「なにそれこわい。ミイラみたいな感じなのかな……」

「その小栗氏の体には、閻魔大王の直筆で、『湯の峰の湯まで送り届けよ』と書き付けがあったんだ。彼の体を託された清浄光寺しょうじょうこうじの住職は丸太を輪切りにした車輪を箱に付けて土車を作成。小栗氏を引いて湯の峰に送り届けた者には御利益があると書き付けをして、いろんな人たちにリレーをさせたんだ。その中の一人には、小栗氏の愛妻照手姫の姿もあった。変わり果てた姿となった夫と知らないまま、彼女も土車を引いたんだよ。その後もいろんな人の手を借りてこの湯の峰の湯まで到着したんだ。湯治の果てに小栗氏は見事蘇生。照手姫とも再会し、荒人神として祀られる。めでたしめでたし」

「へぇ~。電波少年でやってた箱男みたい」

「絵里、私の話本当に聞いていた?」

「うん、この温泉は体にいいんだよね」

「……まあ、それでいいよ。そうだ、絵里。また体を洗ってあげようか」


 そう言うと、みつきはざぶんっという音とともに湯船に立つ。明かりを浴びて、水滴を弾き飛ばすその一糸纏わぬ姿は女神のようで、勇猛果敢な荒神のようにも見えた。ぽっと頬を赤く染めていると、みつきに腕を掴まれ、湯船の外へ。


「やっぱり、絵里はまたたくましくなっている」

「そ、そう?」


 こうして裸の付き合いをするのは実に一年ぶりだが、はっきりとわかるくらい絵里の体つきは変わっているらしい。


「特にふとももが」

「まあ、そうだろうね」

「それじゃ、私が絵里をつるつるぴかぴかにしてあげるよ」


 またもやみつきのスキンシップによって、絵里の体は丁寧に、骨董品のように扱われながら綺麗に洗われていくのであった。



 心地良かった温泉を出た二人は、川湯の野営場へと戻る。

 そこにはテントでラジオを聞いている優華とあきらの姿が。二人には一応、テントの番をしてもらっていたのである。


「お帰り、みつき、絵里」

「ただいま、二人とも。それじゃ、テントの番を代わるから、二人もお風呂に行ってきてね」

「よしあいわかった。テントの中、蒸し暑いから余計に汗を掻いちゃったんだよね。それじゃ、行ってきます」

「あ、そうだ。帰りに温泉卵買ってこよっと」


 絵里とみつきと入れ替わる形で二人がテントの外へ。

 優華の残したラジオからは、東京ドームで行われている巨人広島戦が流れていた。


「さて、自由な時間がやってきたな。絵里は烈火の剣でもするのか?」

「うーん、せっかく川湯に来たんだし、今日はいいかな」

「それじゃあ、天体観測でもするかい」

「そだね」


 絵里とみつきはテントの脇にシートを広げ、仰向けになった。

 暗幕に宝石箱をひっくり返したようなきらきらと光る星の海。当然ながら市街地で見るよりも煌々としていて、星々は他の星と交信中のようにも思えた。


「あれが北斗七星で……あれがおおぐま座か。はっきり見えるね。流れ星とかも来ないかな」

「街よりも綺麗に見えているからね。きっと、待っていれば降ってくるよ」


 静かで、穏やかな時間が流れていく。絵里は星を眺めながら、みつきといろんなことを話した。山岳部以外のこと……学校のことも、ゲームのことも、テレビ番組のことも。

 涼しい夜風が額を通り抜ける。絵里は自然と笑顔になっていた。

 かけがえのない時間を親友とともに過ごす。山岳部での活動が、こんなに楽しいものだとは想像以上だった。


 ありがとう、みつき。大会でもがんばろうね。


 心の中で絵里はそっと呟いた。

 星々のシャワーを浴びて、絵里の心は浄化されていく。

 


 ――春季登山大会まで、あと27日。

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