初めての「大会」③
2002年6月2日。
朝が来た。
朝と言っても午前3時である。草木も眠る時間に、山岳部の部員たちは一斉に目を覚まし、それぞれ武道場から外へ。日が昇らないうちに朝食代わりのカロリーメイトを口にし、バスに乗り込んで大雲取越えのスタート地点である那智高原へと向かった。
遊具や那智の滝と同じ長さのローラースライダーが備えられた那智高原。その名の通り那智山の一部であり、昔は熊野三山の一社である那智大社と、色川街道、そして中辺路への道が交差する交通の要衝でもあった。
絵里もみつきも子供のころからよく那智高原に遊びに来ており、子供会の凧揚げ大会などでもお馴染みの場所だ。昼間に来れば解放感や心地良い空気を吸うことができて楽しいのだが、今は緊張感で胸がいっぱいである。
絵里やみつきにとっては初めて見る那智高原の道。ここから、古の人々と同じように熊野古道を進み、ゴールである川湯の野営場へと向かうのだ。
6時となり、高体連の先生の笛の音により登山行動開始。
「さあ、行こう!」
みつきが号令。絵里と優華は頷くと彼女に続いて歩き出した。
幸い天候は良好。薄雲がわずかにたなびく晴天の下で、少女たちは馴染ませていた山用の靴と、真っ新なウエアに身を包み、約30kmもの道へと挑む。
登り坂と平坦な道を繰り返し、一時間ほどで船見峠に到着。茶屋の跡から一望できる熊野灘は朝日を浴びて綺麗に煌めいていた。さらには妙法山の威光を浴び、十分に休息が完了。パーティー一行は粥餅茶屋跡、地蔵茶屋跡を通過する。
「茶屋跡」という名の地名が多いように、この熊野古道には休息地点となる茶屋や旅籠(宿)が多数あったようだ。それだけ熊野古道が実は険しい道であることを証明しているのである。
「はあっ……暑い……水……いや、やめとこう……」
中学時代に帰宅部で体力の少ない絵里も、まだまだ折り返しですらないこの時点で疲労困憊だった。リュックに挿していたペットボトルのポカリを浴びるように飲む。ちゃんと水の管理もしなければ、あとで苦しくなる。あと一滴だけ、一滴だけと思いながら水分を補給していく。
「絵里、大丈夫かい?」
「う、うん、平気」
絵里はストレッチをして元気をアピール。もっとも、みつきの目には空元気と映るかもしれないが。
この時点で那智高原を出てから三時間が経過した。なんだか、もう半日以上歩いたような気もしたが、まだ三時間なのである。
「越前峠を超えたら、あとは前にも行った小雲取! それまでがんばろうよ!」
体力十分な優華に豪快に励まされ、絵里は微笑んだ。
苔の生す石畳を歩き、丸太で作られた階段を行き、その最中に読図用のポイント地点へと到着。
「ここが読図のポイントなんだ」
みつきの目の前には、弓道の的のようなシンプルなデザインのポイントが、木に括りつけられている。競技に参加した山岳部員はこのポイントがどこに位置するのかを、あらかじめ配られた地図に書き込まなければならない。ヒントは今まで歩いた道と等高線くらいだ。
「あそこの山がこれだから……ここは……この辺かな……」
「いや、違うな。ここじゃないか?」
「うーん、あたしはここだと思うけど」
「…………」
三者三様の意見が飛び交い、時間が経過する中、
「よし、ここはここだな。さ、行こう」
あとから来たグループはさっと地図にポイントを書き込み、あっという間に神倉高校のパーティーを追い抜いて行く。
「……それじゃ、わたしはみつきの意見に従うよ」
「だな。なんてったって部長だもん」
「わかった。よし、進もう」
そんな調子で三人は越前峠を進み、胴切坂を下りていく。杉の匂いが強烈な道は薄暗く、森の中からは野生動物の視線を感じた。
「うっ痛っ……」
下り坂は楽なようで体への負担は大きい。絵里の足には激痛が走り、立ち止まることもしばしばあった。それでも必死に足を動かし、絵里は足手まといとならないようにみつきと優華に付いていく。
やがて、大雲取を越えて、小口に到着。前半戦の終了である。
しっかり水分と栄養を補給し、三人は後半戦――小雲取越えに挑む。
「真の戦いはこれからだ……」
この間同じ道を来たのだ。だから、今回は前よりも順調に歩けるはずだ。
確信を抱いて絵里は足を進めるが――
「うっ足が……」
募る疲労により、絵里の足はもはや鉄の棒であった。
大きく息を吐いては膝をぽんぽんと叩き、なんとか動くように喝を入れる。
「大丈夫か、絵里。よし、五分休もう。水はまだある? ないなら私のを使いなよ」
「そんな。悪いよ。わたしはだいじょぶだから。みつきたちは先に行って」
「だめだ。パーティーの協調性も審査の対象。一人置いていることがばれたら大減点だ」
「あたしたちは絵里に合わせるよ。何時間かかってもいいからさ、がんばろうよ」
「うん……ありがと……」
みつきと優華の激励を受け、絵里の鼻がつんと痛む。
一歩一歩慎重に歩き。
痛みを堪えながら、少しずつ少しずつ進み。
やがて――
「やったあああ」
「ゴール!」
「何年か前にやってた、ドロンズのヒッチハイク旅みたいな気分……」
神倉高校女子踏査の三人はゴール地点である川湯の野営場へと到着した。
時すでに17時。空は紅く染まりだし、金星が煌めきだしたころだった。
「よう頑張ったな、三人とも」
三人を歓迎する岡島顧問。ぼろぼろでどろどろの状態ながらも、絵里は懸命に笑顔を作った。
読図した地図を提出し、三人は野営場のテントスペースへと向かう。
まだ、戦いは終わっていない。これから幕営審査が待っている。
他校の山岳部員たちと一緒に一斉にテントを組み立て、その速さと正確さを競うのだ。
この幕営審査でようやく大会の全行程が終わる。あとは明日朝の表彰式を待つだけ。
三人はそれぞれ岡島顧問に預けていたメインザックから、テントのパーツを並べ、幕営審査担当の掛け声を待った。
時間となり、テントスペースには準備万端な他校の山岳部がそのときを今か今かと、ハンターのような表情で待ち構えていた。
「はじめっ!」
インナーテントを広げ、ポールを通しエンドピンに固定。インナーテントを立ち上がらせ、フックをポールに引っ掛け、ペグを固定。そして、フライシートを被せてテントの設営は終了!
正確に、素早く、疲労も忘れてみつきも絵里も優華も懸命にテントを組み立てた。練習の成果を発揮することができた。会心の出来だった。
「みつき、優華。やったよ!」
息を荒げながら、完成したテントを見つめ満面の笑みを浮かべる絵里。だが、彼女が見たのは、口を結んでいるみつきの姿だった。
「みつき? どうしたの?」
神妙な雰囲気の幼馴染に釣られて、絵里は周囲を見回す。
「あっ……」
絵里も言葉を失った。
そこには、神倉高校よりも迅速かつ綺麗に組み立てられたテントの数々――
どれもこれも完成度の高い張られ方だった。そして、どこにも組立途中のグループはない。
つまり――
「わたしたち……最下位……」
厳しい現実との直面だった。
へなっと力無くその場に座り込み、絵里は大きく溜め息を吐く。
まだまだ一年生だから、経験が浅いから仕方ないのかもしれない。
だけど、自分に力があればもっと速くできたんじゃないか。
絵里の胸の奥は台風の日のようにざわめいていた。
こうして――
神倉高校山岳部、一年目最初の大会の審査に幕が下ろされたのだった。
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