初めての「大会」②
2002年6月1日。
初めての大会の日が訪れた。絵里たち山岳部はいつもと同じように神倉高校に登校。昼の14時ごろとなると他校の山岳部たちが次々と集まってきた。他校には眼鏡をかけた博識そうな部員もいれば、ラグビー部かと見間違えそうなほど屈強な部員もおり、みつきも絵里も気後れしたものだった。
14時45分となり、体育館の隣にある武道場にて開会式が行われた。
高体連の代表が簡単に挨拶を行い、この神倉高校でのマナーや競技の会場である大雲取、小雲取についての説明などが中心の簡単なものだった。審査はすでに始まっている。この神倉高校でマナーに反する行動をすれば、それだけで失格となる可能性もあるということだ。
この年、みつきと絵里、そして優華の三人は踏査女子としてパーティーを組み、大会に臨むこととなった。縦走ではないため、インターハイに出場することはないが、それでも上位に入賞すれば内申書に残せる結果となる。
「それじゃ、行ってくるよ。みんな」
その後、リーダー会議と計画書提出が行われ、代表であったみつきが神倉高校の教室へと向かった。
「わたしもがんばらないと……」
絵里がぐっと拳を握り締め、見上げたのは一年普通科五組の教室。ここでは大会の天気図審査の会場となっていた。岡島顧問との面談の末、絵里はパーティーでの天気図審査担当となり、残る優華は知識審査の担当となっていた。
馴染みのある教室の席に腰を下ろし、天気図用紙が配られ、筆記用具を手にラジオの放送が流れる16時を待つ。
「はじめっ」
そして、ラジオから流れる時報とともに審査は開始された。
「練習は繰り返してきたんだ。最低限のことはできるはずだ。あとは、集中集中……」
だが――
カリッカリッカリッ……。
聞こえてくる他校の山岳部たちの筆跡音。明らかに自分とは練度が違う!
絵里がまったく想定していなかったのは、このライバルたちの存在!
この中には二年生や三年生の部員もいるだろう。
彼らの放つ、何年も磨き上げて輝きを増した宝石のような知識と勘が強烈な重圧となって絵里を襲ったのだった。
(え……もしかしてわたし、間違っている……? やばい、これは当っている……よね? うう、今聞こえたのってポロナイスクの情報だっけ? セベロクリリスクの情報だっけ?)
結果、パニックを起こしてしまった。
自分でも自信がないまま、天気図用紙を提出することとなってしまったのだ。
その後行われるのは炊事審査である。
武道場横の水場を拠点として、みつきの指示のもと絵里は調理を開始した。
この日の夕食はキャンプの基本カレー。しかし、健康に気を使った具材を使用しているのでシーフード風味となった。もっとも、魚の缶詰をそのままルーにぶち込んだようなシロモノだったのだが。
炊事を完了させ、審査の先生がやってくる。即席シーフードカレーを見て、軽く笑われたのを絵里は覚えている。
大会一日目、最後の審査は就寝である。
そう、就寝すらマナーの一環として審査対象となっているのだ。
この日の就寝場所は開会式と同じ武道場。ふだん剣道部が汗を流しているこの床の上に寝袋を広げて眠ることになるのである。
19時ごろにはみつきたちは集まり、明日の予定について話し合ったりした。ジャイアンツ愛溢れる優華はラジオをつけ、野球の放送を聞いていた。
「あたし、江藤って聞いたからチャンネル合わせたのに、よく聞いたらこれ江藤じゃなくてエトーだったわ」
日韓ワールドカップ開催中の出来事である。優華は巨人軍の江藤とカメルーン代表のエトーを聞き間違えたらしい。(ちなみに、当時カメルーン代表はキャンプ地である中津江村に遅刻し、一躍有名となったが本筋とは関係がない)
そんな笑い話も束の間。
就寝時刻20時となった。
就寝時刻20時なのである。
大事なことなので二行書いたが、極めて早い時間設定だ。ただし、明日の起床時間は3時とこれまた大変早い。
武道場の明かりは落とされ、外の世界と変わらない暗闇へと化す。
だが絵里は幼いころですら、20時なんて時間に寝たことはない。
これが大会に臨む山岳部の最大の敵と言っても過言ではない。
(ぜんぜん眠れない……)
ぎんぎんに眼が冴えた状態の絵里。寝袋に身を包み、アイマスクも着用しているが眠気などまったくなく、睡魔のほうが寝ているような状況だ。おまけに明日は競技本番。その緊張がさらに眠気を吹き飛ばしてしまう。ちゃんと寝ないと競技に響くというのに……。
「絵里、眠れない?」
心配するようにみつきの声が耳に優しく届いた。
「想像するんだ。浜辺を。ヤシの実が落ちてそうなビーチを。寄せては返すさざ波を……」
「うん……」
みつきの言う通り、絵里は頭の中にその情景を思い浮かべる。想像力を働かせ
る。映画を観るかのように、その情景の一部へと意識を移す。そうすることで夢を呼び込み、眠ることができるらしい。
しばらくすると、隣から寝息が聞こえた。みつきはもう夢の世界へと旅立ったらしい。
「おやすみ……」
それから何分。いや、何十分が経っただろうか。
胸騒ぎは止まらないものの、絵里の意識は深い闇の中へと落ちて行った。
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