終章 Winning Road――神倉高校山岳部の希望

 爽やかな風が神々の宿る山から流れ、白い校舎を優しく撫でる。

 風は無邪気に空を駆けると、校舎の垂れ幕を豪快に揺らした。


 垂れ幕に書かれている文字は――


「祝 全国高等学校総合体育大会出場」


 そう、それはインターハイ出場を祝う垂れ幕だった。我らが神倉高校を訪れる人々に、もちろん生徒たちにもその存在感を知らしめる、効果絶大のメッセージ。



 そして、その垂れ幕に書かれていた部活の名前は――




「男子バドミントン部」




 神倉高校バドミントン部は那賀や耐久といった和歌山の強豪校を破り、見事インターハイ出場を果たしたのだ。


「めでたいなぁ……」


 初夏の風を浴びながら、絵里は呟いた。クラスにはバドミントン部をインターハイ出場に導いた男子がいるので、クラスみんなで盛大に祝ったものだ。


「って、他人事のように言っていいのか、絵里」


 絵里の隣で、みつきがつんっと突っつく。


「そだね。だって――」


「男子バドミントン部」と書かれた垂れ幕の隣には、もう一枚インターハイ出場を祝う垂れ幕が。


 その名は――



「山岳部」



 その名をしっかりと見つめて、絵里はあの春季登山大会の閉会式と同じように、じんと目頭が熱くなってしまった。

 そう、絵里たち神倉高校山岳部女子縦走パーティーは、縦走競技で優勝を果たしたのである。他のパーティーたちの雷のような拍手を受け、表彰状を受け取ったときの感動は、今でも忘れられない。そして、「神倉高校女子縦走パーティー」と高体連の先生が告げたときの、他校の意外そうな反応もしっかりと覚えている。神倉高校はアウエーの中、ダークホースとして春季登山大会を制覇することができたのだ。


「どうにかなるもんだったなー」


 腕を組みながらうんうんっと唸るのは、優華だ。予想問題集を読み込み、自らも知識を吸収した優華は知識審査で活躍し、高得点を記録していたらしい。


「でも、やっぱりそんなに実感はないなー。今でも、実は間違いでしたって言われないかドキドキしているよ」


 あきらがまた冗談を言う。炊事審査などで減点が出なかったのは、彼女が創意工夫したメニューなどがあったからだろう。


「わたしだって……でも、不思議な気分。今まで、スポーツに縁の無かったわたしが、こうしてみんなの役に立って……インターハイに行けるんだもん」


 絵里は胸に手をあてて、目を泳がせている。天気図審査に挑んだ絵里は、解答例とほぼ変わらない天気図を作成してみせ、見事に一年前の雪辱を果たしたのである。


「だけど、これが紛れのない結果。私たちが手にした光なんだ」


 嬉しそうに言葉を弾ませるみつき。山岳部をまとめ、練習先の山を提案したり、行動計画書を練ったり、さらには熊野の神々に祈ったりと、できることなら何でもやった彼女はもちろん、優勝の最大の功労者だ。いつもはクールなみつきも、今はときおり柔らかな表情を見せている。


 しかし、一人一人が担当したポイントを制覇したから大会に優勝できたのではない。

 肝心なのは、やはり登山行動を始めとするパーティーの連携だったのだ。

 四人は一心同体となり、登山行動を心掛け、ペースを乱したりせず、むしろ合わせて山を歩んだ。協力してテントを張り、料理を作り上げた。四人の絆がこの勝利を呼んだのである。


「よーし、それじゃ、記念写真撮るぞー」


 岡島先生と角先生が四人に声をかける。大会のことを教えてくれたり、車で移動させてくれたりと、もちろん二人もいなければこの結果は生まれなかった。四人は顧問の二人に最大の感謝を捧げると、にっこりと笑って校舎を背景にして並ぶ。

 この日、山岳部は校内新聞に使う写真の撮影を行っていたのである。普段の登山服ではなく、さすがに制服での撮影だが、山岳部の偉業は必ずや全生徒に伝わるだろう。また、南紀州新聞などの地方紙の取材の予約まで入っており、今は笑顔を作るのに必死だ。


「わたしたち、熊野を代表する山岳部になれたね」


 撮影を終えて、校舎前のソテツの木の影で休みながら絵里は言った。


「神倉高校山岳部が優勝するのって、初めてらしいからね」


 あきらは自分たちが踏み締めた足跡の大きさを再確認。


「熊野古道が世界遺産に登録される寸前で、優勝だもんなぁ。なんだかドラマチックじゃない? 世界遺産に登録されたら、観光客が増えて、もしかするとあたしたちに会いに来てくれるかもよ?」


 そしてすっかり有名人気分を味わう優華であった。


「でも、本当に安心した……。最初はどうなるかと思ったけど……最善の結果が出せて……」

「絵里もメインザックを背負って登校したり、努力したからな」


 みつきが改めて絵里を労う。


「でも……大和葛城山ではバテちゃったよ?」

「努力してなければ、絵里はそこで潰れていたということだ」

「…………そ、そっか……」


 それでは優勝どころではない。絵里はほっと息を吐く。


「これで、山岳部のイメージも変わるかな。来年には、ううん、来週にでも新入部員が来るかも。そうなると忙しいな。あっ『MOTHER1+2』も遊ばなきゃいけないし……」


 大会を乗り越え、ようやく遊びたくてたまらなかった「MOTHER1+2」が発売する。もう心配事はなくなるので、思う存分楽しむつもり……だと思っていたが。


「絵里……真の戦いはこれからだよ」


 みつきがぽんっと、休暇モードに入ろうとしていた絵里の肩を叩く。


「え?」


「私たちは、肝心のインターハイに向けて、練習をしなきゃいけないんだ!」


「あっ……」


 絵里がぽかんっと口を大きく開けた。


「次の戦場は長崎、『多良山系・雲仙山系』だ! さあ、また予想問題集を作ったり、練習先の山を決めたり忙しくなるぞ。絵里、がんばろう!」

「う、うん……」


 引き攣った笑いを浮かべる絵里。しかし、嬉しそうに、楽しそうに語る山岳部部長は、愛すべき親友は、初夏の太陽に負けないくらいとても輝いて見えた。

 絵里を導く光。

 彼女はこれからも、神倉高校山岳部を導いていくだろうと予感する。


「次の相手は全国だ! 神倉高校山岳部、ファイトー!」

「おー!」


 燦然と輝く熊野の日を浴びながら、和歌山県下でも最弱の山岳部は次なる舞台へと足を進めた。






 2003年度第47回全国高校登山大会――長崎インターハイ。


 8月8日に開催されるインターハイに出場した神倉高校山岳部は、前日に長崎は島原半島にある温泉街小浜町へと到着した。そこで待っていたのは、古佐田丘高校の山岳部の顧問である本村先生だった。本村先生は総監督としてインターハイに参加したのである。

 開会式前に、神倉高校山岳部は雲仙仁田峠へと案内され、和歌山とは違う長崎の山々の絶景にひたすら感動した。特に、溶岩ドームである平成新山の雄大な姿と荒々しさには絶句したものである。


 翌日が開会式となったのだが、のちに激甚災害に指定された台風10号の暴風を受け、開会式は遅れてしまった。


 そして、8月9日。台風一過のあとの快晴。悪く言えば猛暑の中、インターハイの舞台である「多良山系・雲仙山系」の普賢岳を中心に登山行動が開始された。その山行の途中、11時2分――長崎原爆が投下された時間には全員が足を止め、一分間の黙祷が行われた。大会の最中でありながら、平和を祈るという初めての体験に、絵里たちは心を震わせたものだった。


 8月10日には多良岳へと向かった。登山行動の途中に金泉寺で講和があったりと、またしても刺激的な体験ができた。多良岳は岩場が多く、悪路であったが神倉高校山岳部は元気に行動した。


 8月11日は経ヶ岳が舞台だった。途中からは雨の中の行動となり、風も強い中の登山行動となった。これが大会の最終日。神倉高校山岳部は残された力を振り絞り、長崎の山々を踏破した。


 本当にあっという間の、インターハイだった。閉会式を終え、和歌山に帰って来たときには、その南国の空気の懐かしさと安心感に涙が浮かぶほどだった。

 なお、インターハイの成績は、片手で下から数えたほうがいいくらいだった。さもありなん。古佐田丘高校ですら、インターハイでは同じような成績らしい。甲子園で一回戦負けするような結果となり、全国の厳しさを知った神倉高校山岳部だったが、この激動の日々は一生の宝物となった。




 絵里はこの年のことを忘れない。


 神々の宿る母のような千穂ヶ峰での練習も。


 和歌山を飛び出して、釈迦ガ岳を登ったことも。


 熊野古道を歩き、温泉に浸かり、天体観測した日のことも。


 そして、金剛山・大和葛城山での激闘の日々も。


 さらには、長崎での夢の舞台――多良山系・雲仙山系でのことも。



 瞼を閉じればその日に帰れる。


 長閑で緑豊かな山々も。深き熊野の山も。荒々しい岩場も。雄々しい火山も。

 目で見て、肌で感じたものはずっと体で覚えている。


 大切な宝物の日々。

 かけがえのない仲間たちと紡いだ青春の日々。


 そして――


 努力すれば夢が叶うことを教えてくれた親友のことも。

 


 大人になっても、ずっと、いつまでも――



 

 熊野古道が正式に世界遺産として登録されたころ、人々(主に新宮市民)は言う。


 熊野の地に山岳部あり。熊野の名とメインザックを背負い、名を上げた高校。

 その名は、神倉高校山岳部、と。

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