星は輝く

 青臭い草の匂いが高原の風を受けて広がっていく。

 その自然の中へ、神倉高校山岳部のパーティーは一時的な住処を建てていく。


 幕営審査。


 葛城高原キャンプ場に到着してしばらくしたあと、この日最後の大仕事が始まったのだ。

 登山行動のあとで体は疲労で溜まっている。それでも、苦しい体に鞭を打って、四人は連携して、練習通りにテントを設営した。

 的確に、スピーディーに貼られたテント。もちろん、メインザックの散乱や土が侵入していないか、ペグを打ち込み過ぎていたりしないか、張り網が適切に張られているか、入り口のチャックが噛んでいないか、など審査のポイントを全て確認している。


「神倉高校縦走女子、と」


 テント設営を見守っていた審査役の先生がメモ。


 こうして――


 春季登山大会の幕営審査は終了した。

 

 緊張のときを終え、絵里たちは骨が抜けたかのようにその場に座り込む。


「これで、全部の審査は終了だね」


 テントの中にメインザックを入れていきながら、絵里が言った。


「ああ、できる限りのことはやった。あとは結果発表を待つだけだ」


 みつきの天に祈るような表情。もうやれることは、他校とトラブルを起こさない、キャンプ場に迷惑をかけないなどマナーを順守するのみである。


「さあて、上着を脱いで、と」


 審査が終わったところで優華が上着を脱ぎ捨てるようにメインザックの上に置いた。そして、中から現れたのはこの日のために作った山岳部のオリジナルシャツだ。絵里たちもシャツ一枚になり、その存在感をアピールさせる。


 しばらく休んだり、近くを散歩したりして絵里たちは時間を過ごした。

 葛城高原の空気は那智高原と似ているが、こちらのほうがほんの少し涼しい。何より、都市部の近くにある山だ。高原から見下ろせるのは山ばかりではなく、大阪平野や奈良盆地を見ることができ、人々の活気や発展を確かめることができた。


 やがて、夕方となり――山岳部は夕食を作り始めた。

 炊事審査ではないのでこのときばかりは好きに作ってもいいのだ。

 何を作るか事前に相談した結果、キャンプのド定番であるカレーを作ることになった。

 具材は四人の好きなものを好きなだけ入れるという闇鍋に近いもの。ぐつぐつと煮込まれる鍋の中には、牛肉や鶏肉、ウインナーにジャガイモ、トマト、人参などが入れられていく。


「ああ、本当にトマトを入れるんだ……」


 絵里はじっとトマトを入れた犯人であるみつきを睨んだ。

 そうして具材たっぷり、スパイシーでとろみも十分となったルーをご飯の上に乗せ、四人はしっかり手を合わせて、


「いただきまーす」


 この日の疲れを全て吹き飛ばすカレーを食べ始めた。

 絵里のルーの中には、当然のようにトマトという爆弾が混じっていたが、仕方なく処理する。辛味があるので、このときばかりはなんとか食べることができたが、あまり噛まなかった。

 他のパーティーの様子も眺めていたが、みんな楽しそうに調理をし、癒されているようだった。



 日が沈み、紫苑のヴェールが葛城高原に覆いかぶさる。この就寝までの自由時間のうちに、みつきと絵里は他校と交流することを決めた。行動計画書の余りを持って、他校のものと交換する。そして、神倉高校を覚えてもらう。


 南紀田辺高校や、他の和歌山の高校のテントに押しかけ、今大会の苦労や今までの練習の方法などを語り合い、行動計画書を交換した。他校の行動計画書も個性的で、読みやすさもあり、まだまだ改善の余地があると再確認した。


「こんばんは、神倉高校山岳部の城井です。今日はお疲れ様でした」

「こんばんは、古佐田丘高校の井中です」


 そうして、声をかけた他校の中には、当然ながら古佐田丘高校のパーティーがあった。

 みつきと、ライバル視していた井中が初めて交流した瞬間である。


「神倉高校……一年前はお世話になりました」


 とても柔らかい物腰で丁寧に対応してくれる井中。


「こちらこそ、今年は古佐田丘高校を使わせてもらいましたから」


 みつきもまた、彼女に合わせて声色を変えたりしているので器用だと絵里は思った。


「どうでしたか、今日のコースは」


 にかにかと笑いながら井中が尋ねる。


「初めての山でしたが、そのぶん発見も多く楽しむことができました。山行の途中で見える、奈良の街並みも新鮮でしたし」

「そうですか。私たちは何度も登ったから、実際飽きちゃってるんですけどね」

「うんうん」


 井中の声に合わせて、古佐田丘高校の残りのメンバーが頷く。


「わたしは後半、ちょっときついところがあったなぁ」


 と、絵里はあははと笑いながら言うと、


「そうでしょう。うちの一年生もあそこでかなりバテちゃうんですよね。こればかりは、練習を繰り返さないといけなくて……」


 他にも、様々な話をして絵里たちは交流を楽しんだ。

 古佐田丘高校は一年前の秋にも熊野古道を訪れ、近畿登山大会に出場していたということや雪上講習で長野の戸狩温泉スキー場へと行ったときのこと。強豪校らしく、どれも絵里たちにとっては刺激的な話だった。また、みつきが自分が部長であることを言うと井中は驚いたり、熊野古道についての知識を語ると興味深く頷いたりしてくれた。

 ライバル視していた井中だったが、特に怪物という印象もなく、ごく普通の絵里たちと同じ少女。そして、スポーツマンであった。


「今大会、自信はありますか?」


 そして、みつきは大胆な質問を投げかける。

 井中は照れ臭そうに笑ったあと、


「わかりません。やるべきことはやりましたが、どこかに落ち度があったかもしれません。他の山岳部の結果次第……。運を天に任せます」


 強豪校でも、最後は神頼みということが意外だった。


「それではまた。できれば、別の大会で」


 深く頭を下げて、みつきは古佐田丘高校と行動計画書を交換。確かな収穫を胸に、夜の高原を歩いて行く。


「……思ったより、普通の子だったね」

「……だな。強さの秘訣も……単に努力の積み重ねなんだろう」


 涼しい夜風を浴び、古佐田丘高校のテントからかなり離れたところで、絵里たちは高原から奈良盆地の夜景を眺めた。

 天の星に負けないくらい、きらきらと瞬く地上の星。神戸の100万ドルの夜景を思わせる絢爛さだ。あの光の中には必ず人がいて、きっと何かを成すために活動しているはずだ。

 絵里がその光景をしっかり見つめていると、みつきがどっかりとその場に座り込んだ。


「どうしたの、みつき」

「ふう……これで全てが終わるかと思うと、いろいろと胸が痛くなってきた。吐き気もする」


 みつきの顔色は有体に言って悪かった。絵里もその場に座り込む。


「本当に、お疲れ様。ずっとわたしたちを見守ってくれたもんね。みつきが引っ張ってくれたおかげで、わたしもいろいろがんばれたよ」

「……全部が全部私の力じゃない。みんなの協力があってこそだ。それに、絵里。私もまた、絵里に後ろから押されてここまでがんばれたんだ」

「みつき……」

「どうやったら、絵里に力が付くか、笑って山を登ってくれるか。私はずっとそれを考えてここまで来たから……。それに、私は怖かった。いつか、山岳部が嫌になって、絵里が辞めるんじゃないかと思うと……胸が苦しかった。それでも、私に付いてきてくれて、本当に感謝している」


 目を逸らしながら、みつきが言う。


「ああ、また恥ずかしいことを言ってるな、私は。もう足も痛くて歩けない。少し休んだら行くから、先にテントに戻ってくれ」

「いや、わたしも付き合うよ。このまま夜景を一緒に見ようよ」

「絵里……すまない」


 小さな声でそう言うと、みつきは奈良盆地の夜景を見つめた。

 静かに、穏やかに、二人の時が流れていく。この夜景は、今大会の最大の報酬のようにも思えた。もちろん、隣に座る幼馴染の表情も、輝く瞳もそれらに勝るとも劣らないほど、星のようで綺麗だった。


「本当に、お疲れ様。みつき……」


 長い一日と、長い戦いが終わろうとしている。


そして――


 その先に待つのは――結果発表だった。




 2003年6月3日。

 午前9時。

 葛城高原のキャンプ場で、全高校の山岳部が集まり閉会式が行われた。

 今大会最大の緊張で胸が押し潰されそうになり、汗が那智の滝のように溢れ出すなか、高体連の先生から今大会の結果が言い渡される。

 早鐘が鳴り響き、頭痛や眩暈も催しそうになっても、絵里たちは祈るような顔でその運命のときを待った。


「女子縦走競技、優勝校は――」


 そして、高体連の先生が告げた女子縦走競技優勝校の名は――

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