異伝 ちりばめた希望

紀伊半島大水害

 絶対に忘れてはいけないことがある。

 後世に伝えなければいけないことがある。


 2011年8月25日9時にマリアナ諸島の西の海上で発生した台風12号は、発達しながらゆっくりとした速さで北上。強風半径が500キロメートルを超える大型の台風となり、30日には中心気圧が965ヘクトパスカル、最大風速が35メートルという強い台風となった。

 ゆっくりと台風は北上を続け、9月3日の朝には暴風域を伴ったまま高知県東部に上陸。その後、四国、中国地方を横断し、5日の15時に日本海中部で温帯低気圧となった。



 その大型の台風は、熊野の地に甚大な被害を与えた。



 8月30日からの総雨量は広い範囲で1000ミリを超え、一部地域では解析雨量で2000ミリを超える記録的な大雨となった。

 豪雨の影響で30名近い人命が奪われ、河川は氾濫し、住宅地の被害は全壊から床下浸水まで合わせて2410棟。地形にも大きな爪痕を残し、那智川谷筋では八か所の渓谷で土石流により土砂や流木が那智川本流に一気に流入。多量の土砂礫や流木が流れ込み、住宅地を襲った。

 世界遺産に登録された那智大社も土砂崩れによって本殿が被害を受け、那智の滝の下流にある文覚の滝に巨岩が崩落し、消失した。



 紀伊半島大水害。



 熊野の地を一変させたその大災害の中で、23歳となった山岡絵里もまた地元である那智勝浦町の復興へ向けて奔走していたのである。


「ひどい有様……」


 変わり果てた那智川周辺を見渡し、絵里はその身を震わせた。

 那智大社へと向かう途中にある井関地区、市野々地区などは泥に覆われ、至る所に流木が破城槌のように突き刺さっている。さらには、住宅そのものが跡形もなく消え去っている場所さえあった。那智川にかかる鉄橋は大きく折れ、今では電車が新宮へは走ってはいない。

 思わず目を背けたくなるような惨状。まさに、山津波。この街は、紛れもない被災地となったのだ。


 それでも、立ち止まってはいられない。かつて、熊野古道や数多くの山を登った闘志が絵里の中で蘇る。大学を卒業し、地元に就職した絵里は休日となるとサイクリングや登山を楽しみ、熊野の自然を愛していた。もちろんそうなった理由は、高校時代の山岳部の活動によるものだ。


「本当に熊野は、木の国であるとともに水の国だった」


 熊野古道での縦走練習のときに聞いた話が鮮明に蘇る。しかし、まさか我が街で実際に水害が発生するとは思ってもいなかった。

 絵里は少しでもこの街の人々と、熊野の自然の役に立とうと、町役場が募集したボランティアに参加した。学生ボランティアや自衛隊とともに泥を掻き出したり、ゴミを集めたり、さらには疲れた人々の肩を解したり、炊き出しに参加したり、水道の止まった家へポリタンクを運んだり、家具を洗ったり、各地から送られてくる物資の確認や掲示板の整理まで様々なことをこなした。

 那智川筋には「思い出品収納箱」が設置された。これは台風12号の被害に遭い、散乱した卒業アルバムや記念写真、その他貴重品を入れるための箱だ。集められたあとは泥を洗浄し、持ち主を探すことになっている。絵里も各地で拾った貴重品を収納箱に入れたり、洗ったりと、誰かの役に立てばと身を削って活動した。


 できることならなんでもした。できることならなんでもしたかった。

 しかしそれでも、この状況がいつ終わるかはわからない。

 この地を元に戻すには、圧倒的に人手が足りなかった。


 ボランティアセンターによると、被災者から寄せられるニーズの大半は泥出しと瓦礫の処理であり、まだ170件以上も解決されていないという。このままでは絵里たちボランティアも疲弊してしまい、悪循環に陥ってしまう。


「みつき……」


 絶望的な状況の中で思い浮かべたのは、東京で女性消防士として活動している親友の顔だった。とはいえ、みつき一人に頼ったところで、この状況が変わるとも思えなかった。心配させるわけにもいかず、結局のところメール一つ送ることなく、絵里は現状のまま歩み続けた。

 

 その先で、思わぬ出会いがあったのだ。


 那智勝浦町災害ボランティアセンター川関サテライト。

 絵里が活動するその拠点に、約40名ものボランティアの団体が訪れた。

 どこかの街から派遣されたのだろうと、単に思った。ふと目に映ったのは、彼らが首から下げていた名札だった。そこには「橋本市社会福祉協議会」と書かれていた。


「橋本市の人……」


 ふと、懐かしさがこみ上げてくる。かつての登山大会でライバル視していた古佐田丘高校のあった橋本市だ。

 ボランティアの中には、絵里より年下の女性もいた。絵里は興味を覚えた。わざわざ遠くから、女性がこの街のために来てくれていることに感激したのだ。視線に気付いたのか、その女性が絵里の元に訪れ、話しかけてくれた。


「こんにちは、今日はよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします。わざわざ遠いところから、ありがとうございました」

「いえいえ。私もこの熊野の地には思い入れがありますから、役に立ちたいと思ったんです」


 こんな若い子が熊野の地に興味を持ってくれているとは。さては山ガールかと思い、絵里は踏み込んでみた。


「もしかして、熊野古道を歩いたことがあったりするんですか?」

「ええ。私、山岳部の練習で来たことがあったんです。近露とか、大雲取・小雲取とか」

「山岳部……」


 予感がした。さらに絵里は尋ねた。


「もしかして、古佐田丘高校出身ですか?」

「そうですよ。お姉さん、詳しいですね!」

「やっぱり。わたしも、山岳部だったんです。それで、古佐田丘高校とは縁があって……」

「そうなんですか! 奇遇ですね!」

 

 同類に出会えたからか、彼女の顔もまたきらきらと輝き出した。


「ということは、神倉高校の山岳部だったんですか?」

「ええ、そうです」

「ああ、嬉しいなあ。私、二年前の大会で踏査競技に出たんですけど、人数が足りなくて市高と神倉の子と一緒に競技に出て、金剛山を登ったんです。それで、優勝したんですよ!」

「え、神倉と、古佐田丘が……」


 彼女の言葉は絵里に衝撃を与えた。ばらばらの高校が一つとなり、さらに優勝までしてしまう。おそらく、大会で初めて顔を合わせたはずだ。彼女は天才なのだろうか。


「神倉の子とも友達になったんで、彼女のいたこの熊野の地の助けにもなりたいな、って思ったんです」

「そう……だったんですか……」


 絵里の目元が潤み始める。水害が発生してからは幾度と涙を流した。しかし、今頬を流れているのは、それらとは違う味だった。


〝――わたしたちが卒業したあとに、山岳部に入った子がいる……。そして、古佐田丘高校とも手を取り合って、山に登った。わたしたちの活動は、ちゃんと未来に紡がれていたんだね、みつき……〟


「お姉さん?」

「ごめんなさい。ちょっと、いろいろ思い出して……」


 気を取り直して、絵里はぐっと軍手を嵌めた右手を握る。


「それじゃ、今日はよろしくお願いします」

「はいっ!」


 絵里は彼女たちとともに行動し、各地の被災者のニーズに答えた。風呂場で泥を取り除いたり、資材を運んだり、シャベルなどを洗ったり、一緒におにぎりを食べたり。休憩中にはお互いの高校時代の苦労話などを交換し、笑い合った。


 彼女がボランティアバスに乗り込み、橋本市に帰ったときには寂しさを覚えたほどだった。

 ほんの一日の出会いだったが、絵里は莫大な活力を得ることができた。

 一刻も早くこの地を復興させたい。そして、またいつか、できれば山の中で会いたい。そう思わざるを得なくなった。



 悲しみと喜びを胸に――


 いつか友と再会する日のために――


 絵里は歩き続けた。

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