絵馬にねがいを

 5月5日は子供の日。熊野川では川岸から掲げられた鯉のぼりが何匹も空を優雅に泳いでいる。河原には無邪気に走り回ったり、石を水面に飛ばしたりする子供たちの姿もあった。


「さすがにGWとだけあって、賑わっているね」


 絵里が見つめる先には大きな鳥居。かつての熊野詣の旅人の終着点。

 ここは熊野三山のひとつ、熊野本宮大社である。


 夜が明け、川湯の野営場を出た山岳部はそのまま撤収し、帰ることになったのだが、せっかく近くまで来たことだしという岡島先生の気まぐれで本宮大社に参拝することになったのだ。

 さすがに、参拝のときまではメインザック姿ではない。ラフな姿の山岳部一行は、他の観光客や参拝客と同じように境内を目指した。


 天にも届くような大きな神旗が絵里たちを出迎える。その中には熊野のシンボルである八咫烏が描かれていた。雲や勾玉もデザインされており、神々しさが感じられる。

「熊野大権現」と書かれている鳥居をくぐり、緩やかな石段を登っていく。すると、桧皮葺の堂々とした社殿が姿を現した。


「そういえば、正月に神社とか行かなかったから、今日は初詣だな~」


 からからと笑いながら優華が言った。

 手水舎でしっかりと手を洗い、口を漱いで準備はオーケー。

 いよいよ神門を潜り、境内へ。


「さ、お参りだ、みんな」

「おう、巨人が優勝しますようにって」


 みつきが声をかけると、優華はぎゅっと拳を握り締めてそんなことを言った。


「…………」


 沈黙。気まずい空気を察し、優華はあははと笑う。


「じょ、冗談だって。春季大会で優勝できますように……だよな!」


「裏切ったら許さないよ~」とあきら。


 絵里たちは玉砂利を歩き、社殿の一つへと向かった。

 そこは、天照大神が祀られている東御前である。

 四人は同時に頭を下げ、賽銭箱へ小銭を投入。

 そしてみんなで鈴を鳴らし、二回礼。

 ぱんぱんっと柏手を二回打ったあと、最後の礼のときに絵里は願い事を念じた。


 テレビで見たことあるけど、住所や名前を言わないと神様も願い事を叶えてくれないんだよね。


 絵里は心の中で高速で叫ぶ。


 わたしは和歌山県新宮市神倉の神倉高校山岳部の山岡絵里です。神様、わたしたちは来月開催される春季登山大会の縦走競技に出場しますので、ぜひ優勝できるよう力を貸してください。お願いしますお願いします。


 脂汗が滲むほど強く念じ、絵里は顔を上げた。


「絵里、すごい形相だ。そんなに強く願掛けしたのか」

「う、うん。さ、これで優勝間違いなしだね」

「いや、念には念を入れておく。他の社殿でも参拝しよう」

「あっ……うん」


 四人はそのまま左の社殿へスライド。

 そこは家津御子大神けつみこのおおかみ素戔嗚尊すさのおのみことが祀られている証誠殿だ。

 また四人は息を合わせて頭を下げて賽銭箱に小銭を投入し鈴を鳴らし二礼二拍手一礼。

 しっかり願い事を念じ、それが終わるとまたまた移動。


 一番左にある相殿。「西御前」である。ここには熊野の神である夫須美大神ふすみおおかみ伊邪那美大神いざなみのおおかみ、速玉大神と伊邪那岐大神いざなぎのおおかみが祀られている。

 またまた四人は同じように参拝。「優勝できますように」と心の底から願った。


「こ、これで大丈夫だよね、みつき」

「いや、まだだ」

「まだなの!?」

「せっかく本宮大社にまで来たんだ。絵馬に願い事を書いてしっかりと私たちがいたことを残そう」


 どれだけ神頼みなんだと思ったが、みつきはノリノリだった。

 500円の絵馬を収めることにした四人は、筆記用具を取り出し、願い事を書いていく。


「春季登山大会縦走競技で優勝できますように」


 みつきの絵馬にはそんな文字とともに、カービィのイラストがさらりと描かれていた。ううむ、こちらも対抗して何か描くべきか。

 悩んでいると、あきらに着想が訪れたようだ。


「願い事といえば、今年のポケモン映画がジラーチだったね。絵里、描いてみようよ」


 ジラーチはつい最近情報が公開された幻のポケモンであり、今年公開される映画の主役だ。ずばりねがいごとポケモンなので、描けば願い事が叶うかもしれない。


「……ジラーチって、どんな姿だっけ」

「頭が星みたいな形になっていて、短冊みたいなのが付いていて……」


 あきらにレクチャーされながらジラーチのイラストを絵馬に添える絵里。


「……こんなんだっけ……ま、いいか……」


 とにかく、絵馬に願い事を書いた四人は揃って本宮大社へ納めた。


「よーし、これで満足したな。みんな、帰るぞ」


 四人を見守っていた岡島先生が車へ誘導しようとしたとき、


「あ、先生。せっかくなので速玉大社にも寄りませんか」


 みつきがそんな提案をした。


「念には念を、ですよ」


 策士のように笑う我らが部長。どうやら、山岳部の神頼みはまだ続くらしい。



 翠の水をどっぷりと湛えた熊野川を下り、山岳部は新宮へと帰還。

 神倉高校を堂々と横切って、熊野速玉大社にて車が止まった。

 赤い欄干の下馬橋を渡り、鳥居をくぐって境内へ。

 やはり連休最後の日だけあって、速玉大社も大勢の人で賑わっていた。絵里は新宮にはほぼ毎日来ているが、速玉大社はめったに行かないので、この混雑ぶりは新鮮だった。


「わあ、大きな木。梛の木かぁ」


 参道の途中には国指定天然記念物の梛の木が葉を揺らして参拝客を歓迎していた。この速玉大社の御神木であり、樹齢は1000年を超える。木漏れ日が石畳を照らし、影が踊る姿はなんとも神々しい。


「ちはやふる、熊野の宮のなぎの葉を、変わらぬ千代のためしにぞ折る」


 みつきが梛の木の看板に書かれている歌を詠む。藤原定家が残した歌だった。


「ちはやふるのはやは速玉のはやだねぇ」とあきら。歌の意味はよくわかっていないらしい。ちなみに「ちはやふる」は「神」にかかる枕詞だが、「熊野」に「神」の意味があるため歌が成立しているようだ。

 そして、神門をくぐって本殿へ。

 お参りタイムである。

 またしても一つ一つの社殿に丁寧に真剣に参拝し、大会必勝を祈願。

 さらにはここでも絵馬を納めることとした。


「一応、お守りもお受けしよう」


 と、みつきはまたまた提案。


「私たちが新宮市の山岳部だってことを、他校に見せつけてやるんだ」

「なるほど。それで、どれにする? いろいろあるけど……」


 優華が社務所に陳列されているお守りなどを見つめて唸る。


「……この梛の葉のストラップがいい。メインザックにくくりつけておこう」


 みつきが選んだのは、緑色に光る加工された梛の葉のストラップだ。初穂料は600円。


「梛の葉はとても強靭で、引っ張っても簡単に千切れない。だから、家内安全や縁結び、そして魔よけの効果もある。きっと、大会でも私たちを守ってくれるだろう」

「昔の人も、梛の葉をお守りにして熊野古道を旅していたんだろうね」

「プラシーボかもしれないけど、これがあれば山の中も早く動けるかもしれないなー」


 あきらと優華がそれぞれ梛の葉ストラップを手に取り、絵里も続いた。


「よし、お前たち、これで本当に満足したな」


 きゃっきゃとはしゃぐ山岳部娘を見て岡島先生たちがふうと大きく息を吐く。

 これにて本宮大社、速玉大社と続いた参拝は終了だ。


「それじゃ、昨日今日と楽しかったよ。また明日からも、がんばろう!」

「じゃあね、あきら」


 家が近所のあきらとはここでお別れとなり、残った三人は岡島先生の車に乗り込んで帰ることとなった。GW最終日とだけあって帰り道は混雑しており、三人は仲良く車の中で微睡の中へと導かれてしまった。



 家に着くと、絵里の体にどっと疲労が圧し掛かる。このGWはとにかく歩いて歩いて歩きまくった。だからといって、苦しいわけでもなく、確かな成長を感じることができた。


「うまく、行きそうな気がする」


 絵里はメインザックに梛の葉ストラップをくくりつける。その光沢が鏡のように、にやにや笑う絵里を写し取る。

 熊野古道を歩き、さらには熊野の神の加護を受けた山岳部。大会を前にしてその活動はいよいよ佳境となっていた。



 ――春季登山大会まで、あと26日。

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