第五章 はるかなる旅路――神倉高校山岳部の進軍
行動計画書作成計画
大会を前に山岳部の練習は続く。当然のように山を登り、幕営の練習で中庭にテントを張り、さらに夕暮れごろになると炊事の練習を行いこれを夕食とする。そんな日々が繰り返し、繰り返し行われた。
その最中、絵里たちは情報処理室に集まり、行動計画書作成の作業に追い込まれていた。
「山岳部って、どの部活よりもパソコンを使っている気がするよ」
パソコンの電源を入れ、絵里が呟く。
「だろうね~。それも体育部だし」
起動中の画面を見つめてあきらが答えた。
「今年は、去年よりもクオリティの高い行動計画書を作らなければならない」
そう言うみつきの手元には、愛用している「奈良県の山」。そして――
「彼らのように、ね」
一冊の行動計画書。そこに記されていたのは城内高校山岳部の文字。そう、釈迦ガ岳で交流したときに、余ったものをありがた~くいただいていたのである。どうやら彼らは、大会だけでなく練習のときも行動計画書を作成しているようだ。そのため、研鑽がはっきりと読み取れるくらい行動計画書のクオリティが高かった。
「行動計画書も立派な審査内容。配点は他の審査と同じ10点満点。手を抜くわけにはいかない」
「そこで、城内高校から聞いた話も盛り込むんだね」
絵里がそう言うと、みつきは神妙に頷いた。
「行動計画書で絶対にやってはいけないのは、同じ高校のチームがメンバー表だけを書き換えて、他は使い回すというもの。各チームオリジナルの行動計画書を作らなければならないという点だ」
「けど、あたしたちは一チームだけだから関係ないな!」
「……そういうこともあると言っておきたかっただけだ」
こほんとみつきが空咳。
「それと必要以上の項目を記載し、情報を膨大にしないこと。必要最低限で、シンプルな行動計画書を目指すといいらしい。実際、そういうことをしたチームが過去の大会にいたそうだ」
「一冊作り上げるだけでも面倒なのに、それ以上の情報を加えるなんて……いったい何を書いたんだろう……」
世の中には物好きがいるものだと思う絵里。
「山に関する自作小説とか、ポエムとか?」
「山岳部は文芸部じゃないよぉ」
優華とあきらが茶化している間にも、パソコンは完全に起動を果たした。さっそく四人は作業にとりかかる。
「ここでも作業を分担しよう。私は金剛山・大和葛城山の概念図、断面図、各地点記録を担当する。絵里はメンバー表と日程表と利用交通機関。優華は装備表と医薬品リスト。あきらは食糧計画の記入を頼む」
「わかったよ」
「りょーかい」
「ガッテン!」
絵里は言われた通り、白紙のページに線を引き、メンバー表から作り出す。
チーム名「神倉縦走女子」と打ち込めば、気分が高揚した。
本当に、大舞台に踏み出すのだという実感が湧いてくるのである。
続いて、各メンバーの氏名と住所、保護者氏名、生年月日と血液型を打ち込む。絵里はもちろん、みつきと優華は去年も参加したので情報は使い回すことができるが、新たに加わったあきらのことは本人に訊かないとわからなかった。
「あきら、生年月日と血液型は?」
「昭和61年8月11日。血液型は……知らないや」
「し、知らない!?」
「両親がA型だから、私もA型なんじゃないかな? うん、A型って書いてよ」
「駄目だ!」
二人の会話を聞いていたみつきが唸りを上げる。
「正確に記入しないと、もしものときに大事になってしまう! 大怪我をして、輸血が必要になったとき、A型じゃなかったらどうする!? 両親がA型でも、O型の子は生まれると聞いている。あきら、今すぐ確認を!」
「い、イエスマム!」
敬礼をするとあきらは情報処理室を飛び出し、しばらくすると飛ぶように帰ってきた。どうやら、公衆電話で親に聞いてきたようである。
「やっぱりA型だってさ」
「ありがとう、あきら。それじゃ、A型、と」
胸を撫で下ろしてあきらは椅子に座り、自分の作業を再開。みつきも安堵の息を吐いて「奈良県の山」を睨み始めた。
絵里は続けて顧問名簿、緊急連絡先、現地連絡先を記入する。
「現地連絡先……今年は佐古田丘高校か」
「開催地」であり「敵地」でもある佐古田丘高校の住所と電話番号を調べて記入。
その次は緊急連絡網だ。顧問である岡島先生から始まり、みつき→絵里→優華→あきらの順に連絡網を築いていく。さらに、母校の電話番号と校長の電話番号も付け加えた。
「次は、日程表……」
開催日時は5月31日(土)~6月2日(月)。
初日は受付時間と開会式の時間、天気図審査、知識審査の時間、炊事審査の時間を記入し、最後は就寝時間で締める。ちなみに就寝時間は20時とまたまた早い。今からのび太のように速く寝られる特訓もしたほうがいいかもしれない。
二日目はいよいよ大会のコース踏破となる。
大会のスタート地点は紀見峠駅。紀伊見荘前を経由して金剛山の各峠を経由して大和葛城山へと着く予定となっている。その後は葛城キャンプ場で幕営審査を行うようだ。絵里は誤字脱字に細心の注意を払って記入を続けた。
「ゴショッカー……邪魔をしないでよね……」
ゴショッカーとは、ゲーム雑誌ニンテンドードリームに登場する架空の組織である。誤植が多いことで知られるこの雑誌。その原因はゴショッカーにあるとされているのである。しかし、迷惑な存在で、任天堂を天任堂と書くほどの騒ぎを起こした組織(?)だが、なぜか読者からは愛されている。
最後に、利用交通機関。絵里は時刻表を事務室から借り、新宮駅から橋本駅までの電車の時間を調べた。ここで帰りの交通機関の記載がないと減点になるらしい。家に帰るまでが大会とはよく言ったものだ。絵里はここでも時間に間違いがないかしっかりとチェックを施し、
「ふへえ、終わった~」
担当を全て終了。山に登るときよりも疲労感が半端ないのはなぜだろう。
「お疲れ、絵里」
と、すぐさまみつきが駆け付け、絵里の肩をもみもみ。
「あたしも終わったぜぇ~」と優華が大きく息を吐いて椅子にもたれた。
「どれどれ」
みつきが優華の担当した装備品と医薬品リストを眺める。
はっとその瞳が収縮した。
「優華、ここ三角巾が三角筋になっている」
「げげっ、本当だ。よく見てくれてありがとうみつき」
「ゴショッカー退散ゴショッカー退散……」
絵里は霊媒師のようなポーズで、行動計画書から誤字がなくなることを祈った。
医薬品リストに抜けがないかもチェックする。
「マキロン、風邪薬、正露丸に湿布。三角巾、包帯、包帯止め、爪切り、ガーゼ、綿棒、はさみ、テープ、体温計、絆創膏、毛抜き、ピンセット……よし、全部あるな」
「応急処置法も書いておいたよ、読んでくれる?」
医薬品リストの次のページに書かれていたのは応急処置法。切り傷・擦り傷、打撲、捻挫・脱臼、虫刺され、骨折、熱疲労、毒蛇に噛まれたとき、日射病、やけど、人工呼吸の症状や対処法が最低限の情報でまとめられていた。優華が知識審査の勉強中に仕入れた情報がこれでもかというほど記されていたのである。
「上出来だよ、優華」
「私も終わったよ。食料計画。これを実際の大会で作るのが楽しみだね」
「それで、みつきも終わったんだよね」
「もちろんだ、これを見てくれ」
みつきが担当した概念図と断面図は手書きだ。「奈良県の山」を参考にし、高度や距離、山の高低差がはっきりとわかるようになっている。さらに、各地点の名前もしっかりと記されている。これは、読図審査でも役立つこと間違いないだろう。
「よし、印刷だ!」
みつきがプリンターに電源を入れ、パソコンの各データを発行する。自分の書いた文章が出力される光景は何度見ても緊張する。ちゃんとチェックしたが、誤字があったらどうしよう、レイアウトがずれたらどうしようという不安もないことはないのだから。
絵里たちは印刷された紙を折り、ページが間違っていないか確認し、一冊一冊ホッチキスで留めた。
こうして発行された行動計画書は全部で20冊。各メンバーが持つものと、提出用。そして、他の山岳部との交換用である。幕営審査のあと、他校と交流する時間があるのでそこでコミュニケーションを取ることができるのだ。
「完成だね」
登頂にも等しい達成感に包まれる絵里。
「いや、まだだ」
このみつきの台詞を今まで何度聞いたことか。
「オンリーワンでナンバーワンな行動計画書にするためには、まだアレンジする必要がある」
「で、何をするの?」
絵里が尋ねると、みつきの眼鏡が光った。
「そうだ、万が一濡れてしまわないように、防水ブックカバーを取り付けよう」
「へえ、そんなのあるんだ」
「お風呂で読書したい人のためのアイテムだね」とあきら。
「わたしは袋に入れてお風呂でゲームしているけど、読書する人もいるんだ」
「そっちのほうが珍しい気がするけど……」
絵里が呟くと、あきらはこめかみに指をあてて呆れるように笑った。
そして、絵里はみつきの台詞を先取りする。
「で、これでも終わりじゃないんだよね」
「そうだな。もっと、個性的な行動計画書を目指そう。表紙にイラストを添えるとか」
「なるほど。何を描く? 神倉山とか? 御踏祭のイラスト?」
優華が候補を思いつくまま言っていると、
「そうだ、ヤタガラスのやたちゃんを描こう」
ぽんっと手を打ってみつきが提案した。
やたちゃんは熊野三山のマスコットキャラクターだ。日本サッカー代表の青いユニフォームを着た着ぐるみも作られ、人形も売られている。
「やたちゃんかぁ……」
ふと、昔を思い出す。熊野体験博で、祖母からお金をもらってやたちゃんのぬいぐるみを買ったことがあったのだ。
「いいね。熊野の山岳部だってことを忘れないためにも」
絵里は微笑み、みつきの提案を承諾した。
平成15年度 春季登山大会
金剛山・大和葛城山
そう書かれた表紙に、みつきはやたちゃんのイラストを描いていく。少しアレンジして、登山服を着てメインザックを背負った姿だ。その表紙をさらにコピーして、各行動計画書と合体。
「これでようやく、本当に完成だ」
「ふう、本当に疲れた~」
オリジナリティ抜群の行動計画書を手に取り、満面の笑顔を見せるみつき。
かくして、大会への備えは十分となりつつあった。
それでも、気が抜けない日々が続く。
――春季登山大会まで、あと17日。
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