ファイナルパッキングとコーヒーブレイク

 2003年5月30日。

 いよいよ明日から春季登山大会であり、橋本市に乗り込むこととなる。

 山岳部の四人は中庭に集まり、携行する装備品のチェックを行っていた。


「よし、これで全部だな」


 広げられたシートの上には、これからメインザックへ詰めていく装備品がぱらぱらと置かれている。


 テント本体、ポール、ペグ、木槌、ランプ、ブルーシート、調理シート、食材、菜箸、おたま、しゃもじ、まな板、コッヘルなどのクッカー、ガスコンロ、ガスカートリッジ、救急箱、ラジオ、粉石鹸にスポンジ。

 さらに、テントに万が一のことが起きたときのために、針金やペンチといった修理具。小型テントとしても使えるツェルト、携帯トイレも加えられた。これら三点は、城内高校からのあったほうがいいという情報を元に、新たに購入した装備品だ。

 これらはいわゆる団体装備品であり、四人でそれぞれ振り分けて携行しなければならない。


「では、装備品を四人で分けよう」


 行動計画書を左手に、ペンを右手に、映画監督のような眼光でみつきが言うと、残りの三人が頷く。どの装備品を誰が持っているかも行動計画書に記入し、提出しなければならないのだ。


「じゃ、まずは私。これまで炊事を担当していたから、食材類の管理は任せてよ」


 あきらが指差したのは食材を始めとして炊事審査に関わるクッカーなどだ。ちなみにだが、炊事審査では高校内の水場を使えるので、今回は水に入ったポリタンクは持って行かない。


「わかった」とみつきは装備品リストの担当者欄にあきらの名前を記入する。


「あたしはラジオとブルーシート、修理具にする」


 巨人ファンの優華はやはりラジオが手放せないようだった。また、ブルーシートは約3kgもあるので、他のものが入れにくくなる。


「わたしはテント本体と携帯トイレかな」


 残った装備品から絵里はテント本体を選択。これも重量は3kg程度だ。


「では残りは私だ」


 みつきはポールなどを回収し、自分のメインザックの近くへと運んだ。


 こうして団体の装備品は分けられた。縦走競技の参加条件は、メインザックの総重量が10kg程度あることなので、これから足りない重量を個人装備品で埋めていくことになる。四人はそれぞれ持ち込んでいた個人装備をメインザックの周りに広げていく。


 個人装備品は、サブザック、サンダル、寝袋、マット、コッヘル、箸、カッパ、折り畳み傘、下着、ジャージ、タオル、軍手、ヘッドランプ、電池、ライター、ナイフ、細引き、靴紐、古新聞、地図、コンパス、洗面用具、行動食などである。全員が必ずこれらを持つことになるのだ。


「どうしても重量が足りないときは、米を多めに入れて調整することができるし、現金を増やすのもアリだそうだ。5kg足りないときは、一円玉を5000枚持つということだな」

「そこまではしないと思うけど……」


 あははと笑いながら絵里は荷物をまとめてパッキングする。


 メインザックの底部には使用頻度の低い寝袋や着替えなどを詰め、中央部には重量のあるテント本体と携帯トイレ。上部にはすぐに取り出せる雨具や筆記用具を入れる。メインザックでの縦走競技なのでサブザックの出番はなさそうだが、これも丸めて隙間に入れておく。また、睡眠導入剤として使う推理小説などもメインザックも詰め込んだ。そして、外部には銀色に光るマットを丸めてベルトで固定。

 こうしてパッキングしたメインザックを実際に背負い、歩いてずれが出ないか確認する。


「うん、いい感じかも」

「実際に重量を計ろう」


 そう言うみつきの足下には、保健室から借りてきた体重計。メインザックを背負ったまま乗って、普段の体重より10kg多くなっていれば条件をクリアしたことになるということだ。


「うん、重量はクリアしている」


 他の三人もそれぞれ体重計に乗り、重量を確認。問題はないようだ。

 最後に、メインザックに競技参加中の証明ともなるゼッケンを取り付ける。


 神倉高校縦走女子


 ペンで書かれたその文字。特に、「縦走」の二文字が眩しく輝いて見えた。


「ふう……」


 準備が完了すると四人は中庭に座り込み、一気に無口になった。


「……いよいよ大会だね」


 その沈黙を最初に破ったのは絵里だった。


「必要最低限のことはクリアしている。あとは、みんなの力を一つにするだけだ」


 行動計画書をしっかりと見つめてリーダーが言う。


「まさか、山岳部に入ったときはここまでチーム戦だとは思わなかったよ」


 そう言うものの楽しそうな顔のあきらだ。


「あっそうだ、みんなに渡しておくものがあるんだった」


 突然優華が目を見開いて立ち上がると、自分の鞄からがさごそと何かを取り出した。


「じゃーん」


 優華が手にしたもの。それは白を基調としたシャツ。大きな特徴があるとすれば、神倉高校山岳部という文字や、やたちゃんのイラストが描かれているという点だ。


「もしかして、ユニフォーム?」


 絵里の目の中で星が瞬く。


「そうそう。一年前もよその高校がこういうシャツ作ってたなーって思い出して。親戚がオリジナルTシャツを作る仕事をしているから頼んでみたんだ」


「なるほど。いいデザインだ。団結力を表すことができる」とみつき。


「これを着て、神倉高校山岳部の本気を知らしめてやるんだね」とあきら。


「そうそう。明日からはこれを着ていこう! コースを踏破するときは上着を着ることになるけど、幕営審査が終わったあとなら目立てると思う」

「…………」


 ありがたく優華からユニフォームを受け取ると、絵里は親戚の赤ちゃんを抱くように、大事に胸の中へぎゅっと押し付けた。目頭が熱くなり、鼻の奥がつんと痛む。忘我の輝きを放つ瞳から溢れた雫が頬を伝い、おとがいに集まるとぽたりとユニフォームに落ちて弾けた。


「ど、どうしたんだ絵里。泣くほど嬉しかったのか」


 ドッキリを仕掛けたつもりではないようだが、優華は意外な反応に困惑したようだ。


「ふふっ」


 絵里は微笑みながら、涙を指で拭いていく。


「わたし……中学のときはすぐに部活を辞めたから、こういうユニフォームを着て大会に出ることがなくて……。そんなわたしに、こんな素敵なユニフォームに袖を通す機会が来たかと思うと、感極まっちゃった。ようやく、わたしも立派な青春を歩んでいるというか、誰かに認められたというか……」

「絵里……」


 長年絵里を見守ってくれていたみつきが温かな眼差しを向ける。


「わたしはずっと、地味に、ゲームオタクっぽく生きていくかと思っていたけど、そうじゃないことも山岳部が教えてくれた。だから、嬉しいよ……」

「あはは。私も私も。割といい加減に生きてきて、山岳部に途中から入ったのも気まぐれだったけど、今は真剣に向き合っている。なんてったって、私が入ったことで縦走競技にエントリーできるようになったんだからね!」


 どうやらあきらにも思うところがあるらしく、もらい泣きをしているようだった。


「せっかくここまでしてくれたんだもん。大会ではめちゃくちゃ暴れようね!」

「もちろんだ。みんなのことは信頼しているし、大会での活躍を期待している」


 語気を強くしてみつきが答える。


「では、今日の活動は終了! みんな、体に気を付けて、明日また元気な姿で会おう。そして、橋本へ殴り込みだ!」

「おー!」


 山岳部は全員で拳を天高く突き上げ、気合を溜めた。



 神倉高校で山岳部は解散し、絵里たちは新宮駅へ。絵里は駅の自動販売機で缶コーヒーを購入すると、電車を待つまでベンチにゆったりと座りリラックスした。

 コーヒーを一口呷る。胸の奥で鼓動が響く。


 思えば遠くまで来たものだ。

 この長く、九十九折の山道を歩むようになったのは、最高の隣人みつきが声をかけてくれたからだった。

 彼女がいたから、がんばれた。

 彼女のために、がんばれた。

 歩き続け、考えて、そして戦った。

 これから先は、より厳しい道のりになるだろう。

 だが、絵里には強力な仲間がいる。

 男勝りだが気の利く優華がいる。

 お調子者だが頼りになるあきらがいる。

 彼女たちがいるから、大丈夫だ。勇気とともに歩めば、必ず勝利に辿り着く。

そんな気がする。


「勇気は最後の勝利を信じることから生まれる……」


 絵里は自分に言い聞かせるように言った。


「どうした、絵里?」

「ん、ちょっと考えごと。あ、今の言葉はMOTHER2の引用だから、気にしないで」


 照れながらそう言うと、みつきは「そうか」と言いながら、「奈良県の山」の本を読み始めた。


 コーヒーを飲み終えたらまた冒険が始まる。

 明日は電車に乗って、和歌山を抜けて橋本へ向かう。


 ふと、メインザックに目を遣ると、GWに手に入れた梛の葉のストラップが煌めいた。

 絵里は幸運の女神――熊野の神――が微笑みかけてくれるように祈ると、コーヒーを一気に飲み干す。



 ――春季登山大会まで、あと1日。

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