さあ、みんなで考えよう
2003年4月19日。
土曜日だが、絵里は昨日と同じくメインザックの重装備で登校し、みつきとともに情報処理室の鍵を職員室の先生から借りると、パソコン十数台が並ぶ春季大会対策本部へと入室する。
使用されることがあまりないからか清潔で、静かで、図書室よりも落ち着くことができるかもしれない情報処理室。絵里はどっかりとメインザックを下ろすと、昨日から書いていたノートを取り出し、アウトプット作業にとりかかろうとする。
「そういえば、優華とあきらは?」
「ああ、二人は炊事審査で何を作るか、図書館でミーティングしてもらっている」
「そっかそっか。それじゃさっそく、打ち込んでいくよ」
カタカタと十本の指を動かし、絵里は真っ白な世界に問題文を打ち込んでいく。そのスピードは、一年前の行動計画書を初めて作成したときよりもはるかに速い。
そして、時間の流れももっと早い。12時になるとカロリーメイトで栄養補給。お互いの肩を揉み合ったりして、二人は作業を続けた。将来のことはまだぼんやりとしているが、もうすでにOLの気分だと絵里は感じる。
やがて――
「できた!」
15時くらいに、絵里は全ての問題を打ち込み歓喜の声をあげた。すぐさま問題集をプリンターで印刷。こうしてこの世に一つしかない、オリジナルの春季大会対策問題集が生まれたのである。みつきが担当した部分の紙と合わせてホッチキスで留め、絵里はにこにこと満面の笑みを浮かべた。ほんの数ページしかない問題集だが、登頂に近い達成感を得ることができた。
「さっそく優華たちに見せにいこ!」
「ああ!」
情報処理室に鍵を閉め、絵里とみつきは図書館へ向かう。そこにいたのは、机の上で料理本を広げている優華とあきらの二人だ。彼女たちもいろいろ考えていたようで、数枚のメモ用紙がそれを物語っていた。
「お、みつきに絵里。できたんだな、問題集」
と、知識審査担当の優華が二人の顔を見てはにかむ。優華は頬を掻きながら、
「あたしも問題集作りたかったんだけどなぁ」
「何も知らない解き手に徹したほうが頭に入ると思ったんだ」
「そっか。それで、よほどインパクトのありそうな問題ができあがったのか?」
「もちろん。それじゃ、実際に見てほしい」
みつきは試験監督のような手つきで、問題集を優華の目の前に提出する。
「どれどれ」
あきらもひょこりと顔を出し、問題集を凝視する。
「さて、わたしの渾身の問題集、ちゃんと解ける……よね?」
絵里はどきどきと心臓を鳴らして、二人の様子を伺った。
絵里とみつきが作成した問題を抜粋すると、以下のようなものである。
知識審査 気象部門
○和歌山県北部が属している気候の名前を答えよ。
○和歌山県南部は何の影響で温かく湿った空気が流れるのか答えよ。
○年間降水量が多いのは{ァ和歌山市 ィ橋本市 ゥ田辺市 ェ新宮市}である。
○熱帯低気圧が台風となる条件は中心の最大風速が{ァ15m ィ17m ゥ19m ェ21m}に達したときである。
○次の特徴を持つ雲の名称を答えよ。
・きり雲とも呼ばれる雲である。
・もくもくと盛り上がり、かみなり雲とも呼ばれる。
・刷毛ではいたような上層の雲である。
「うわ、本格的だ」
一年前の知識審査を思い出したのか、優華がごくりと唾を飲み込んだ。
「和歌山の気候を問われるんだね。和歌山県北部が属している気候……うーん、思いつかないな」とあきらは顎に手を添えて熟考する。
「和歌山南部に暖かく湿った空気が流れる理由……太平洋か?」
優華がそう呟くと、
「惜しい」とみつきはパチンと指を鳴らし、クイズ番組の司会者のような顔をする。
「年間降水量が多いのは、わかる。この辺だからね。ェの新宮市だ」
新宮市在住のあきらが迷わずそう言うと、
「正解!」と絵里が自分のことのように喜んで声を弾ませた。
「雲の名前かぁ……高校に入る前に理科で習った気がするけど忘れたなぁ……」
他の問題にも目を通すが、即答できるものではなかったようだ。
ちなみに答えは、
○和歌山県北部が属している気候の名前を答えよ。
A(瀬戸内海式気候)
○和歌山県南部は何の影響で温かく湿った空気が流れるのか答えよ。
A(黒潮)
○年間降水量が多いのは{ァ和歌山市 ィ橋本市 ゥ田辺市 ェ新宮市}である。
A(ェ新宮市)
○熱帯低気圧が台風となる条件は中心の最大風速が{ァ15m ィ17m ゥ19m ェ21m}に達したときである。
A(ィ17m)
○次の特徴を持つ雲の名称を答えよ。
・きり雲とも呼ばれる雲である。
A(層雲)
・もくもくと盛り上がり、かみなり雲とも呼ばれる。
A(積乱雲)
・刷毛ではいたような上層の雲である。
A(巻雲)
「――と、これが答え」
絵里に答えを教えられ、優華はほほーと感嘆の息を漏らした。とにかく彼女の役には立てたようで、絵里も満足する。
「それじゃ、優華。私が担当した救急法部門と自然観察部門にも答えてもらうよ」
「よしあいわかった!」
知識審査 救急法部門
○低体温症とは体の中核部体温が何℃以下になった状態か。
○寒さに対して産熱を起こし、体温調整を行う生理現象を何と呼ぶか。
○マダニに噛まれたときは、{ァすぐに取り除く ィ離れるまで放っておく ゥ火を近付ける}
○毒蛇に噛まれたときは噛まれた部分よりも心臓に近いところをタオルなどで{ァきつく結ぶ ィ軽く結ぶ}。傷口を{ァ石鹸水で洗う ィナイフで切り開き毒液を吸う}。
○体重の何%の水分を失うと、運動機能の低下や心拍数の上昇などの症状が見られるか。
「低体温症かぁ、普段の体温が36℃として……34℃くらいになれば……かな?」
優華がそう呟くと、みつきは「ふふっ」と敵陣を策に嵌めた軍師のように笑う。
「なんだその反応。じゃあ、35℃くらいか」
優華がそう訂正すると、みつきは「…………」と口を噤んだ。
「体温調整を行う生理現象……身震いのことだよね。あれ、ちゃんとした名前あるんだー。10へぇ」
へぇ~ボタンを押すような仕草で感心するあきら。
「マダニに噛まれたときは、これは取っちゃだめなやつだな。ということは……火か」
「毒蛇に噛まれたときも……きつく結ぶとかえって血の通りが悪くなるから軽くでいいんだろうね。そして、毒液を消すためには……吸うしかない」
「それじゃあ、答え合わせだ」
優華とあきらがそれぞれ答えを導き出し、みつきの口から答えが言い渡された。
○低体温症とは体の中核部体温が何℃以下になった状態か。
A(35℃以下)
○寒さに対して産熱を起こし、体温調整を行う生理現象を何と呼ぶか。
A(シバリング)
○マダニに噛まれたときは、{ァすぐに取り除く ィ離れるまで放っておく ゥ火を近付ける}。
A(ゥ火を近付ける)
○毒蛇に噛まれたときは噛まれた部分よりも心臓に近いところをタオルなどで{ァきつく結ぶ ィ軽く結ぶ}。傷口を{ゥ石鹸水で洗う ェナイフで切り開き毒液を吸う}。
A(ィ軽く結ぶ)(ェナイフで切り開き毒液を吸う)
○体重の何%の水分を失うと、運動機能の低下や心拍数の上昇などの症状が見られるか。
A(2%)
「へえ、たったの2%でも一大事なんだな。ちゃんと水分補給しないとだめってことか」
「最後は自然観察部門……登山コースとなる金剛山・大和葛城山に関する問題が中心なんだ」
知識審査 自然観察部門
○金剛山の標高は{ァ1094m ィ1112m ゥ1125m}であり、最高地点は{ェ金剛岳 ォ葛城岳 ヵ高天岳}と呼ばれる。
○金剛山一帯は「金剛{ァ生駒 ィ大和 ゥ御所 ェ葛城}紀泉国定公園」の一部である。
○金剛山には{ァ足利尊氏 ィ楠木正成 ゥ伊賀兼光}に関する多くの史跡や名勝がある。
○金剛山で見ることができる紫色の花は{ァヤマツツジ ィカタクリ ゥキンラン ェコケイラン}である。
○次の地名の読みをひらがなで答えよ。
①転法輪寺 ②水越峠 ③湧出岳 ④久留野峠 ⑤甲取坂
他にも、地図を読んで距離を答えたり、地図記号を答えさせる問題もあるが、みつきが一番力を入れたのがこの自然観察部門である。
「なるほど、これはさすがに去年とは全然違う問題だわー。そして全然わからない」
優華が汗を掻く。
「何も勉強せずにこの問題を見ていたら、全部勘で答えていたかもしれない」
「よく考えればすぐわかる問題だよ」
みつきが優しくそう言うと、優華は軽く頷いた。
「標高は……1125mくらい? 最高地点の名前は……金剛山だから金剛岳か? それともこれはひっかけで別の名前が……?」
「金剛山一帯は……金剛生駒紀泉国定公園に属する……かな?」
腕を組んであきらが答えると、みつきはニヤリと笑う。
「紫色の花……キンランじゃないだろうし、コケイランも違う、か……? じゃあ、ヤマツツジ?」
真剣に悩んでいる優華だが、答えを知っている絵里はふふっと微笑んでしまった。
「地名の読み方……この②は普通に読んだら『みずこし峠』なんだろうけど、ひっかけか? 『みなこし峠』、『みずこえ峠』、『みなごえ峠』……くっ、候補が多すぎる……」
「よし答えてあげようじゃないか」
問題を最後まで読み、悩んで悩んで悩みまくった様子の優華を見てからみつきは答えを口にする。
○金剛山の標高は{ァ1094m ィ1112m ゥ1125m}であり、最高地点は{ェ金剛岳 ォ葛城岳 ヵ高天岳}と呼ばれる。
A(ゥ1125m)(ォ葛城岳)
○金剛山一帯は「金剛{ァ生駒 ィ大和 ゥ御所 ェ葛城}紀泉国定公園」の一部である。
A(ァ生駒)
○金剛山には{ァ足利尊氏 ィ楠木正成 ゥ伊賀兼光}に関する多くの史跡や名勝がある。
A(楠木正成)
○金剛山で見ることができる紫色の花は{ァヤマツツジ ィカタクリ ゥキンラン ェコケイラン}である。
A(カタクリ)
○次の地名の読みをひらがなで答えよ。
①転法輪寺 ②水越峠 ③湧出岳 ④久留野峠 ⑤甲取坂
A
転法輪寺(てんぽうりんじ)
水越峠(みずこしとうげ、みずごえとうげ、みなこしとうげ)
湧出岳(ゆうしゅつだけ)
久留野峠(くるのとうげ)
甲取坂(かぶとりざか)
「なるほどなるほどって、水越峠ってそんなに読み方あったのか」
「そう、どれで答えても正解だ」
みつきにそう告げられ、やられたと言わんばかりに大きく口を開ける優華。
「だけど、勉強になったよみつき。それに絵里も。二人ともありがとう、あたしのために特製の問題集を作ってくれて」
「まあ、没になった問題も大量にある。優華が希望するなら、もっと作ってやってもいいぞ?」
みつきの挑戦的な眼差し。優華は望むところだと言いたげにガッツポーズを作った。
「とにかくこれで、知識審査はどうにかなりそうだね」
優華の表情を見て、絵里は憑き物が落ちたかのように顔をほころばせる。
「そうだねー。絵里もメインザックで登校してレベルアップしているんでしょ? それじゃ、私は炊事のほうの成果をみんなに見せなきゃね」
あきらは机の上に置かれていた料理本を一瞥。
「だからさ、明日みんなで、千穂ヶ峰を登らない? そこで、実際に調理をしてみたいんだ」
思い切った提案にみつきは一瞬だけ目を瞬かせる。だが、今は春季大会に向けてできることならなんでもやりたいところ。みつきはほんの一瞬だけ絵里に視線を送る。絵里は躊躇することなく首を縦に振った。
「わかった。岡島先生にも伝えておこう。明日は千穂ヶ峰で、本格的に縦走の練習
だ!」
「おー!」
神倉高校山岳部の四人が団結する。
確実に、少しずつではあるが一歩一歩目標へ向けて進んでいる。そんな気がする。
絵里はパソコンの打ち込みで疲れた両手を閉じたり開いたりしてから、ぎゅっと握りしめた。
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