第三章外伝 水の恩恵を受け、おだやかに――神倉高校山岳部の休日2
GWはBBQ
2003年5月3日。土曜日。偉大なる黄金週間の一日目。
しずしずと流れる川が陽光を反射し煌めいていた。爽やかな風は心地良く、体も魂も清められる気分だ。
「ふへ~、癒される……」
この日、絵里は「高田」にいた。高田とは新宮市から熊野川の上流方面に進んだところにある地区だ。山に囲まれ、俗世から切り離されたかのような印象を見せるたいへんのどかな高田。県道230号線沿いには高田川が流れており、アユやエビを獲ることができる。
絵里がなぜこの大自然の中に足を運んだかというと、当然山岳部の練習の一環で訪れた――わけではなく。
「よーしお前ら、今日はこの高田川で思う存分羽目を外せよ」
絵里の担任、中田先生がだみ声でそう言うと、「はーい」「へーい」と軽返事がぽつぽつと。
そう、今日は絵里が所属する二年普通科一組の春の遠足でこの地に遊びに来たのだ。当然ながら、他の山岳部のメンバーはいない。
「お前ら、泳ぎに行こうぜ!」
「あたしはバーベキューの準備をするから!」
クラスメイトたちは陽気にはしゃぎ、青春の一ページを刻もうとしていた。
もちろん、絵里も今日は思い出作りに勤しむつもりなのだが。
「――で、山岡」
中田先生が絵里を見つめて、眉間に皺を寄せた。
「お前のその格好は何だ」
「……すみません、先生。つい癖で」
絵里は先週の釈迦ガ岳登頂時と同じ登山服を着て、この高田川に遊びに来ていたのだ。足に履いているのはサンダル――ではなく、これまた愛用している登山靴だ。
「その荷物は何だ」
「これも癖で」
絵里が背負っていたのは毎度おなじみのメインザックだ。
「こんなときでも、登山の練習か」
「なんかもう、習慣になってしまいました。登山用の服を着て、メインザックを背負っていないと落ち着かないというか……」
「真面目なのか、愚直なのか、俺にはわからんが……まあいい。勝手に山へ登ったりするなよ」
「はい。みんなと一緒にいますから」
とは言ったものの、絵里は時間があればメインザックを背負って川辺を歩いたり、山の地形を読み取ったりと、普段の山岳部の活動と変わらないことを始めていた。これも、みつきの力になるため。縦走競技で優勝するため。少しでもたるんでしまえば、体は錆びてしまうかもしれないという考えが絵里の中で生まれていたのだ。
「……まさかわたしも、一年前はこんなに真面目に山岳部の活動をするなんて思わなかったなー」
高田川周辺を絵里が歩いていると、
「おーい、絵里やん」と気楽な声が耳朶を打った。
「潤ちゃん」
絵里は潤と呼んだクラスメイトと向き合う。潤は中学生のときからずっと絵里と同じクラスになっている同級生だ。学校内で過ごした時間はみつきより多いかもしれない。
「せっかく高田まで来たのに、練習してんの?」
「うーん、まあ、他にやることないし……」
「ゲームボーイアドバンスは? いつも持ってたでしょ?」
「烈火の剣はもう一周クリアしたから、今は移動中と家でしかやってないよ」
絵里はこの一週間で烈火の剣を最後までプレイ。また新たな主人公で二周目を始めることになるのだが、続きは家と移動中だけにすると決めていた。
「今は、少しでも山岳部の練習をしたいんだよ」
そう答えると、潤は白い歯を見せて笑った。
「うーん、それじゃ、山岳部の絵里やんにしか頼めないことがあるから、来てよ」
「えっ?」
潤に手を引かれて、絵里は高田川の河原へと誘われた。
じゃりじゃりと音を立てて歩いて行くと、
「これは……」
そこにあったのは、積み重ねられた石。これだけ書くとまるで賽の河原のようだが、よく見ると石はかまどのような形になっていた。
「そっか、これがコンロ……」
費用ゼロ円の天然のコンロを見て得心する絵里。
「ここでバーベキューやろうと思っているんだ」
潤の手には銀色に輝く網。他のクラスメイトたちも、買い物袋いっぱいの食材を持ち運び、コンロの周りに置いていく。そして、段ボールの中からは備長炭が登場。コンロの中へ次々と入れられていく。
「というわけで、火の番の責任者になってくれない?」
「火元責任者……」
「得意でしょ? 山岳部って調理もするって聞いたし」
「確かにするけど……」
「そういうわけだからさ、焼き加減とかも見てよ」
「うん、まあ。わかった。これも炊事の練習と言えなくもないかもしれない」
渋々了承すると、
「はい絵里やん」
潤は着火器具を絵里に手渡す。ここからやるのかと呆れながらも、
「……備長炭に直接火をつけるより、丸めた新聞紙を周りに置いてそれに火をつけたほうがいいよ。それで万遍なく火が回るから」
「おー、山岳部っぽい発言!」
実は山岳部でバーベキューなどしたことがなく、いつか読んだアウトドアの本の内容をそのまま言っただけなのだが。
絵里に言われた通り、クラスメイトが新聞紙を調達し、キャンディの袋のように端を結ぶ。そして、それを備長炭の周りに配置。絵里は「ファイア!」と言いながら早撃ちガンマンのような手つきで着火した。
「おー、火がついた。やるじゃん、絵里やん」
大袈裟なと思いながらも絵里は得意気に微笑む。
そこへ、
「はい絵里やん」
潤がオペ中の医師に付き添うナースの如く次に渡してきたのは団扇だった。
よかった、ちょうど暑くなって来たらほしくなっていたんだよね。
ではなく――
「……これで火の調整をしろってことだよね……。ま、いっか」
パタパタと団扇で扇げば、備長炭に赤味が増す。
「……この端っこから順に強火、中火、弱火になっているから、それに気を付けて好きなように具を置いてね……」
「よーし、焼くぞ焼くぞ焼くぞ!」
潤たちが買い物袋から具を取り出し、網の上に置いていく。
脂身の多い牛肉に、とうもろこし、たまねぎ、なすび、ソーセージ、キャベツ、ピーマン、ホタテなどなど。
ジュウっと音を立てて、煙とともに食欲を誘う香りが高田川に充満する。
それに釣られて、
「おっ、もう焼いてんの、うまそー!」
五月だというのにもう川に泳ぎに行っていた元気爆発を絵に描いたようなクラスメイトの男子連中が海パン姿で現れた。
「そこの肉とピーマンは焼けたよ、とうもろこしはまだ焦げ目をつけたほうが美味しくなるかも」
お腹を空かせたガラガラヘビのような顔の男子に向けて絵里が話していると、
「はい絵里やん」
潤がまたもや渡してきたのは、菜箸だった。
そっか、これで味見をしろってことなのか。
ではなく――
「ひっくり返せってことね」
いいように使われているなあと思いつつ、片手で団扇を仰ぎ、片手で具を焼いていく絵里。焼き加減が最適になったところで、菜箸で抓んで、タレが入れられた紙皿へと移していく。それを男子が奪い取るように手にすると、割箸で豪快に挟んで口の中へ。
クラス全員でカンパして購入した牛肉を美味しそうに食べる男子たち。実に楽しそうだ。
「サンキューな、山岡」
中田先生も絵里が焼いた肉を満足気に頬張っていた。そして、気が付けば潤を始めとする女子たちも全員バーベキューを満喫している。
「って、わたしの分は?」
呆れ顔でそう言うと、
「はいっ、あーん」
にっこり微笑む潤が割り箸に牛肉を抓んで、絵里の口元へと向けてくれた。絵里は潤と牛の両方に感謝すると、ぱくりと噛み締め、じゅるると口の中へ納める。
もぐもぐと牛肉を30回以上噛む絵里。自然と顔が蕩け、目尻に涙が浮かんでしまう。
「これは……気高い女騎士だ!」
そして、絵里の体に電撃が走った。
「へ?」
「血の通った臭味がタレによって掻き消され、さらに玉ねぎの香りと合わさった様は、まるで秘境の湖で柔肌を晒し、水と戯れる絶世の美女のよう。そして、ほどよく芯のある肉の食感は、鎧を身に纏い、剣を振るう騎士道を体現しているよ。噛めば噛むほど口の中で広がる肉汁は剣の舞い! なんて上品で気高いんだろう~。舌の上で手に汗握る攻防戦が繰り広げられるよ! これは革命だ。嗚呼っ、バーベキュー界の女騎士はここにいたんだ!」
「絵里やんは何を言っているんだ?」
山岳部として火の番を任されながらも、至福の時を過ごした絵里であった。
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